第38章
空中に放り上げられた康大は、そのままワーメントの船に降り立つ。
……正確には叩きつけられ、着地は完全に失敗した。
「いてて……うわ!?」
自分が倒れた床が血みどろであったため、康大は思わず悲鳴を上げた。
しかし、危険はそれほどない。
この血はほぼ全てが殺されたワーメント傭兵達のものだったのだから。
メルセデス軍による移乗攻撃は、一方的な経緯を経てほぼ終わっていたのだ。
「うう……」
船の中央にはメルセデス軍人に両腕を掴まれ、殴られてその二枚目な顔を歪めているワーメントがいた。
彼を守る兵士はもうこの船には誰もいない。全員死ぬか、湖に飛び込み逃げ出していた。
男セイレーンに頼り切った作戦であったため、戦闘員の質は相当に低かったようだ。
こうして接舷した時点で、ワーメントとしては詰みだったようである。
「今までの戦いで一番張り合いがなかったでござる。こんなことなら拙者も怪物の方を相手にするべきでござった」
いつの間に近くに来たのか、圭阿がそうぼやく。
少し離れたところにいるダイランドも、ひどくつまらなそうな顔をしていた。
「ほう、英雄殿の御登場か」
康大の姿を認め、今までワーメントに向き合っていたカチョウが姿を見せる。
その鎧は返り血で赤黒く汚れていた。
この中年肥満体型でどうやってそこまで激しく戦かえたのか、康大には不思議に思えた。
「結局貴殿の思惑通りに事が進んだな。ここまでうまくいきすぎると、掌で弄ばれているようであまりいい気もしないが」
「過大評価です。そもそもここまで順調とは呼べなかったでしょう」
ここに来るまで旗艦は無事であったが、アイチ海軍全体で見れば何隻もの軍艦が男セイレーンによって撃沈されている。
さらに彼らは未だ戦ったままなのだ。
ワーメントを捕縛したからといって、男セイレーンが活動を止めたわけではない。
「なによりまだ戦いは終わっていません」
「そうだな。しかしこんなものであの巨大な怪物を操るとは……」
そう言って右手に持っていたネックレスをしげしげとカチョウは見る。
正確にはネックレスについているその飾りの部分を。
カチョウをはじめこのセカイの人間にはただの飾りしか見えなかったが、日本人の康大にはそれの使用目的がはっきりと理解できていた。
「まあ私の国でもそれを使って動物を意のままに操る人もいるぐらいです。その"ホイッスル"を使って」
――そう、ワーメントが男セイレーンを操っていたのは、運動会等で使われるあの笛であった。
初めてワーメントを見た時、そのホイッスルを康大もただの飾りだと思っていた。ホイッスルに似ていることには気づいていたが、ただの偶然だとその頃は考えていた。
だが、男セイレーンが操られていることを知り、またその命令が限定的であることに気付いてから、本当にホイッスルではないかと推測するようになった。そう仮定すれば、数々の疑問も納得できた。
イルカの曲芸でも、複雑な命令を出すのにはかなり長い動作や訓練が必要だ。ホイッスルは良くも悪くもごく単純な楽器なのである。
ワーメントがどこでこのホイッスルを手に入れ、どこで男セイレーンを手に入れたかまではわからないが、現状を鑑みてその使い方まで完璧にマスターできたとは考えづらい。教わったにしろ独学にしろ、簡単な命令しか出せないと考えた方が自然だ。
しかしその単純な命令の出し方すら、未だ康大達には分からない。
ワーメントを拷問しているのもおそらくそれが理由だろうが、自分の命綱だと理解しているのか、口を割ろうとしなかった。
「あの男、気概だけあるようで指を5,6本ちぎっても薄笑いを浮かべているわ」
よく見ればワーメントの指はほとんどが失われていた。
そのマフィアのようなやり方に、康大は思わず吐き気がこみあげる。
このセカイのルールだと分かっていても、嫌悪感はどうしようもない。ゾンビあふれる現実セカイでも、日本人らしく拷問シーンを見たことはなかった。
さらに部下の1人が目を抉ろうとした場面で、康大は顔を咄嗟にそむける。
「貴殿には何か思い当たることはないのか? あの男が吐かない以上、我らでどうにかする他あるまい。こういう事は貴殿の専売特許なのだろう?」
「まさか」
康大は即答した。
このセカイに来てから嫌な偶然でやたらモンスターと関わる機会が多かったが、元をただせば現代日本の男子高校生である。モンスターに関する知識は漫画やゲーム由来で、ノンフィクションであるこのセカイの住人に遥かに劣る。誰でも知っているような一般常識でさえ、知らないこともままあるのだ。
「私はただ知識が偏っているだけの一般人です。むしろ無知と言ってもいいぐらいで」
「謙遜も行き過ぎると不愉快だぞ」
「・・・・・・」
反論したところでどうせ水掛け論に終わると思い、康大は黙りこんだ。
その代わりカチョウにホイッスルを渡すよう言う。
カチョウも悪用されることはないだろうと判断し、素直にホイッスルを渡した。
たとえ悪用されたところで、周囲を家臣達が囲み、剣の射程内にさえある。カチョウにとってこれ以上の警戒はただの憶病だった。
そんなことなどつゆ知らず、康大は色々な角度からホイッスルを観察する。
まず受け取った瞬間、カラカラと音がした。現実セカイのホイッスル同様、中に玉が入っているようだ。
(となるとつくりは現実セカイとほぼ同じで、音階を表現するのは難しいはず)
とはいえ、さすがに近くに男セイレーンがいる状況で試し吹きはできない。
ただ操り方の予想はつく。
おそらくモールス信号のように、長短休止を組み合わせることによって命令音を作っているのだろう。
また、ワーメントがしているときは金色に見えたものの、ホイッスルの部分だけ持ってみると頼りないぐらい軽いことが分かった。
重いのは本当の金が使われている、チェーンの部分だけである。
まるでおもちゃの様な軽さ――
(――いや、まるでじゃなくて本当にプラスチックじゃねえかこれ!?)
康大はホイッスルに刻印された有名スポーツメーカーのロゴと、"MADE IN CHINA"の表記を見て、思わず別の意味で吹きそうになる。
このホイッスルは現実セカイのものと似ているのではく、全く同じものだったのだ。
金色なのもメッキどころかただの塗料である。
(つまり――)
――現実セカイからホイッスルを持ってきてさえいれば、このセカイでは誰でも男セイレーンの調教師になれる可能性があるのだ。
(とはいえ、どんな吹き方であの化け物を操ってるかと聞かれると……)
康大は深くため息を吐く。
(……うんさっぱり分からん。もともと音楽の才能なんてないしイルカの曲芸にも興味ないし。絶対音感とかあれば結構わかったりするものなんだと思うけど)
康大は早々に諦めホイッスルをカチョウに返した。
「どうにもなりません。俺に分かることと言えば、この穴から息を吹きかければ音が出て、その吹き方で怪物を操っていることぐらいです。どう吹けばどう動くのか知っているのは、おそらくこの場ではワーメントだけでしょう」
「貴殿でも無理……か。しかし当のワーメントは痛みに耐えきれず結局気絶してしまった。私の部下はこういう汚れ仕事に慣れていないからな」
カチョウはため息を吐く。
おそらく現在ワーメントはとんでもない状態になっているのだろうが、見たところでメリットはないので、康大は一顧だにしなかった。
ハイアサースがこの場にいれば拷問に反対し、ワーメントを治療したかもしれないが、ワーメントにとって不幸なことに、彼女はここにいなかった。乱戦は危険が多すぎるため、今はザルマと共に旗艦で留守番をしている。リアンは言わずもがなだ。
「大将の首を取っても戦いが終わらないとは難儀だな」
「そうですね。さてこれから――!?」
康大がそう言いかけた瞬間、船がすさまじい勢いで揺れる。
最も早く異常を確認したのはダイランドだ。
すぐに船縁まで移動し湖面を見る。
原因は一目瞭然だった。
ひどく波が立った湖面の下に男セイレーンがいたのだ。
康大とデネボラが撃退した怪物かどうかは分からない。
重要なのは現時点で船が攻撃を受けているという事実だ。
ワーメントがいる以上この船は絶対に無事かと思われたが、どうやらそうではなかったらしい。
「総員戦闘準備、この化け物を追い返すぞ!」
カチョウの号令で、アイチ海兵達がそれぞれ準備に入る。
圭阿もやる気になったのか、爆裂苦無の準備を構えた。
「康大殿、また活躍の時でござるな」
「ええ~……」
ひどすぎる圭阿の言葉に、康大は嫌悪感に満ち満ちた顔をした。
ホイッスルはこちらの手にあるし、まだ湖にいたデネボラはすでにその槍で攻撃を仕掛けている。
さらに先ほどとは違い、今回は逃げる船を追う必要もなく、メルセデス軍全員で男セイレーンに対処できる。
それを踏まえれば、自分が再びあそこまで無理する必要はないのではないか――と。
だが康大のその考えはあまりに甘すぎた。
「……!」
自ら弓を番えていたカチョウが、その態勢のまま絶句する。
弱点ともいえる男セイレーンの手を狙った攻撃が効いていないわけではない。当った時はしっかりと悲鳴を上げ、手を引っ込めている。
問題は、対処すべき男セイレーンがそれ一体だけではなくなったことだ。
アイチ海軍を襲っていた男セイレーンのみならず、全く動かなかった湖底の男セイレーンまで、この船に集まってきたのである。
「――っくそ!」
カチョウが思わず毒づく。
それは康大が見る初めての王の焦りであった。
外見を取り繕うことができないほど焦るカチョウに、康大はこの戦いで初めて心の底から不安になる。
なんだかんだ言ってもカチョウは王として頼れる存在だ。
仲間達が康大に頼っていたように、康大もこの海戦が始まってから心理的に大分カチョウに頼っていた。
自分が平凡であることを理解している康大は、有能な権力者が味方にいればそれに頼るのは当然と決め込んでいる。アムゼンも面倒な人間ではあるが、それ以上に頼もしくあった。
その支柱がぽっきりと折れた気がした。
そのショックで、康大はカチョウの暴挙ともいえる行動を止めることができなかった。
「ええい、もはやなるようになれだ!」
そう言ってカチョウはホイッスルを思いきり吹く。
その音は夜の済んだ空気のグラナダ湖によく響いた。
(……なんだろ、なんか場所的に鳥人○コンテストを現地で見ているような気が)
康大も頭が呆然としていたのか、そんな場違いなことを思ってしまう。
突然響いた笛の根に、船上にいる人間達は皆カチョウを見た。
カチョウはホイッスルを吹いた後、ゆっくりと口を話す。
すだれ禿が乱れ、疲れ切ったその姿はまさにリストラを宣告された中間管理職のようだ。
おそらく自分でもなぜこんな無茶なことをしてしまったのかと、後悔しているのだろう。
だが遅かった。
【SSSSSsssssssSSGGyyyyYYAAaaaaaAA!!!!!!!!!!!!!】
「おお!?」
絶叫とともに、それまで緩慢だった船底の男セイレーンの動きが、むしろ活発になる。
さらに、船に近づく他の男セイレーンのスピードも明らかにあがっていた。
「何が起こったんだよ!?」
「はははは! ついにやってしまいましたね!」
康大の悲鳴に合わさったその言葉は、この船で唯一喜色をはらんでいた。
気絶から目覚めたワーメントである。
あの絶叫とひどく揺れる船の衝撃で、意識を取り戻したのだ。
「その笛は私以外の誰がどう吹こうが、あの怪物どもはその笛を吹いた人間を攻撃するのですよ! ははは、笛で操ることに気付いたのは上出来ですが、見事に引っ掛かりましたね!」
文字通り血を吐きながら、狂気を秘めた声でワーメントはほざく。
ただその裏で、商人としての計算高さは失われてはいなかった。
「止めることができるのは私だけです。さあ許しを請うのですカチョウ陛下。そうですね、他の方々にはそのまま湖に飛び込んでもらいましょう」
「・・・・・・」
状況が逆転したと理解するや否や、ワーメントは痛みも忘れ、その血だらけの顔に優越感すら浮かばせる。
だが彼は全く気付いていなかった。
今目の前にいるのが、自分と同じように理で動く商人ではないことに。
ワーメントの言葉にカチョウは腹を立てるどころか、むしろ明らかに冷静さを取り戻していた。
「……今まで全く口を割らなかったが、貴様もようやくまともなことを言ったか。ふむ、やはり拷問とはただ押すだけでは効果は薄いようだな。皆の者、以後これを範とせよ」
「え?」
――と疑問の表情を浮かべたまま、ワーメントの首はカチョウによって切断される。
この武人の王は、決して脅迫などできる人間ではなかった。
そしてそれを許す王でもなかった。
おそらく拷問されたとしても、ワーメント同様首を縦になど振らなかっただろう。
王である前に一介の武人、そんな人間である。
結局ワーメントの脅迫は、自分の首を斬らせる口実を与えただけだった。
カチョウの行動に部下達は一瞬に驚いたが、その行動を非難する者はいなかった。
せめて話し合いぐらいはと思った者はいるかもしれない。
しかし、行動が完了した以上、もはや口を差し挟む余地はない。
戦場の司令官にとって果断な決断と部下の信頼は必須の資質。
たとえ間違った命令であったとしても、即時に出すことこそが肝要で、部下はそれを唯々諾々と従ってこそ軍隊の強度は高まる。
メルセデス軍にはそれが行き届いていた。
康大にしてもワーメントが素直に約束を守るとは思えない。
ただ、交渉の余地を残すことが重要なんじゃないかと、現代日本人的な視点でそう思っていた。
「さて、そこのセイレーンの女」
「なんだ」
カチョウが相手とはいえ、デネボラの態度はぶっきらぼうのままだ。
メルセデス軍人達は癇に障ったようだが、カチョウは構わず続ける。
「貴様には怪力があったな。今すぐ私を可能な限り遠くへ放り投げろ。その間に他の者は旗艦で逃げるがいい」
『――――!?』
カチョウの自己犠牲に全員が絶句する。
部下が王のために犠牲になるケースはよくあるが、その逆は聞いたこともない。
傍にいた側近の一人が、カチョウに詰め寄った。
「へ、陛下!?」
「私は出航前に皆に命を捨てるように言った。そこには当然私自身も含まれる。私だけが狙われもはや抗すべき手もないのだから、犠牲になるのは私だけでいい。ワーメントは殺し、目的は完全に果たした。もう時間もない。お前たちは生き残ることだけ考えろ。それが我がメルセデスの――ひいては私に対する奉公だ」
こうして話している間にも、船底の男セイレーンの攻撃は続いており、すでに船の船腹には大きな穴が開いている。
他の男セイレーンも集結しつつあり、沈むのは時間の問題だ。湖に落ちてしまえばあとは男セイレーンの餌になるだけである。
合理的に考えてカチョウの判断はこの上ない正論だった。
「参ったでござる。こちらが苦無で攻撃しても、引く様子はありませぬ。以前と違い痛みを忘れているのかもしれませぬ」
「こっちの斧でも意味ないっすね。とりあえず船移った方がいいと思うっス」
康大達の最大戦力である2人が、早くも白旗を上げている。
これはもうカチョウの厚意に甘え、逃げるしかないのか。
康大はそう思い始めていたが、メルセデス軍人達……どころか水夫さえ誰一人動かず、カチョウと最期を共にしようとしていた。
カチョウはそんな彼らに対し溜息を吐いたが、否が応でも乗り移るよう命じしたりはしない。
言っても無駄だと、瞬時に理解したのだ。
ダイランドや湖族がいるのだから旗艦を操ることは康大達だけでも可能だ。現に湖族達はとっとと旗艦に乗り移っている。
ただ、ここで逃げだすことは、メルセデス人全員を見捨てることと同意義であった。
(まあ赤の他人がそこまで責任感じる必要とはないと思うんだけど……)
少なくともここまでやれることはやった。
これ以上手を貸してやる義理もない。
良心に目をつぶればここでの戦いは終わりだ。
「さて、どうするでござるか? 拙者達は早々に逃げるでござるか?」
攻撃は効果なしと判断し、指示を仰ぎに圭阿が悪びれた様子もなく康大に尋ねてくる。
ダイランドも斧が無駄になると攻撃を止めていた。
「含みのある言い方だな」
「いえいえ。あのような怪物を、しかも複数相手にするなど、正気の沙汰ではござらん。ただ拙者が気になるのは、果たしてそれでうまく逃げられるか、ということでござる。たとえカチョウ陛下が犠牲になられて時間を稼いでも、おそらく船は狙われるでしょう。カチョウ陛下がどんなに抵抗しても、港に逃げ切れるほどの時間が作れるようには思えないでござる」
「そうだよな、見殺しにしたとしても逃げ切れる保証もない。リアンの予想を信じて体力切れを起こすことに賭けるというのもなあ……」
「りあんといえば、以前あの化物を鱏か平目とに例えておりましたが、あれはもはや鱗が生えた鯨でござる。鯨に手足が生えた様な物の怪相手では拙者としても八方ふさがりでござるよ」
「鯨……ああ!?」
差し迫った危機は感染者の頭を明敏にさせる。
そのとき、康大の脳裏に現実セカイのある童話と、このセカイに来てから体験したある出来事が繋がる。
(いや……でも……今回は水中だし……てことは……)
康大は自分が置かれている状況も忘れ、その場に座り込み頭をフル回転させる。
そんな康大を圭阿が頼もしそうに見た。
「どうやらまた何か奇策が思い浮かんだようでござるな」
「頼もしいっス」
完全に実行部隊と自覚している2人は、この期に及んでも気楽だ。
そもそも船に乗る前以前から、日常的に死を覚悟していた。
お仕着せだろうが、ただ命を懸けるに足る行動理由があればそれでいいのだ。
「……やるかぁ」
ため息とともに康大は立ち上がった。
そしてグラナダ湖戦は、人対人の戦いから、完全に人……ではなくゾンビ対怪物のB級映画の戦いへとシフトしていく――。




