第35章
出航は翌日の朝までが返答期限であるにもかかわらず、その日の深夜となった。
結局康大の意見は全面的に採用され、ワーメントの裏をかくことになったのだ。
それに伴い、緊急でアイチ連邦諸国に軍艦の招集がかけられる。
しかし、すでにメルセデス港に停泊していた船は良かったが、ほとんどの国は目途が立たず、メルセデス軍を除くと全兵力の1/10も集まらなかった。
それでも不幸中の幸いだったのは、アイチ連邦海軍の主力をメルセデス艦隊が担っていたこことであろう。
アイチ連邦全体で見れば、メルセデス港に停泊している戦力だけで1/10どころか1/5はあった。
ただ、中にはあえて夜襲にこだわる必要はなく、可能な限り兵力を集めてから朝出発してはどうかという意見もあった。
深夜と早朝で時間的に大差はなく、今までの被害から男セイレーンは夜目が利くことも判明している。
それを踏まえれば奇襲が成功する可能性が低く、いっそ全軍を集結してから出発し、各個撃破しながら進軍した方が上策ではないか、と。
だが、康大から話を聞いていたカチョウには、それを受け入れることなど到底できなかった。
理由を話せば王達も納得したかもしれない。
しかし、王達の中にもワーメントと通じている者がいる可能性がある以上、情報の独占は必須であった。
そのため彼は反対意見を一切の反論も許さずに全て退け、最低限の集結で夜襲を決めたのであった。
もしこれがカチョウでなければ軍は分裂し、出航前に瓦解したかも知れない。
つまりカチョウにはこの無理を通す実力と実績があった。
さらにカチョウの有能さはこれだけにとどまらない。
出発の直前まで出航時間は言うまでもなく秘匿された。
ワーメントのスパイがメルセデスにいることはほぼ確実なのだから、それも当然だ。
別にこれはメルセデスの警備がザルというわけでない。ナゴヤにしてもメルセデスのスパイがおり、このセカイなら当たり前の防衛策である。
ただその防衛策も簡単ではない。
あの司祭のような特殊過ぎる方法でもない限り数人程度の会話なら隠すことはできるが、さすがに大軍勢の出航ともなるとどこかで必ず漏れる。
そこで出航に際し、カチョウは船の明かりは全て消し、代わりに港に大量の松明を残し、さらに元から留守番予定の部下に酒場で酒を飲ませ明日出発を臭わせる会話までさせた。
それら虚々実々の策を用い、メルセデスにいるであろうワーメントのスパイの目をごまかした。
また、真っ暗闇での航行には湖族達の力も役に立った。
康大がカチョウとメルセデス王都に到着すると同時に彼らの身分は保証され解放されたが、カチョウの命令でそのまま軍艦に乗り込み、水先案内人となったのである。
彼らは、文字通り目を瞑っても進めるほどグラナダ湖を熟知している。案内人としてはまさに適任だ。
ここでもカチョウの抜け目なさが表れていた。
その一方で、そこまで有能ではなく、初めて夜の湖を進む人間は――。
「暗い、とにかく暗い」
康大は遠くを見ながら、そう呟く。
現在アイチ軍は大まかな目星をつけた辺りで索敵を行っている。ワーメントが交渉の予定地を指定していればそこに攻め込んだだろうが、残念ながら相談しろとだけしか言われていない。ワーメントも無能ではない、奇襲される可能性は考えているのだろう。
索敵はもちろんあてずっぽうではなく、ある程度の目測は立てていが、暗闇の中この巨大な湖でワーメントの船団を探すのは至難の業だ。
しかし、それでも先に補足し、夜襲をかけなければならない。
それこそが今回の湖戦で勝つための最大のポイントなのだから。
「しかしお前を信じないわけじゃないが、本当に怪物どもは集まっていないのか?」
康大の背後からザルマが話しかける。
この暗い中、星明りだけでよく自分を見つけられたなと康大は感心した。自分はこの船首に来るまで危うく船から落ちそうになったというのに。
「お前ごときが上から目線でほざくな」
そう答えたのは康大ではない。
ザルマ以上に夜目が利き、念のため康大の警護に当たっている圭阿だ。
他にも周囲に何人か仲間がいた。
康大の視力では声が聞こえないと誰が誰だか判断がつかないが。
「う……ケイア卿にそう言われると返す言葉もありません。ただ、そのもう一度説明してくれないか。あの時は駆け足だったから、どこかで勘違いしているかもしれないし」
「今さら貴様が聞いたところで、結果は変わらん」
「まあまあ。いいさ、俺も退屈してたし。えっとどこから話したらいいかな」
「奴らが現状方々に散らばって配置されているというところから話してくれるとありがたい」
「分かった」
康大は頷く。
「まず雄……じゃないか、男セイレーンの習性を考えると、回遊している可能性は低い。巨体とあの命令方法を考えると、そこまで融通が利ないはずだからな。おそらくワーメントはその場に留まり、指定した船だけ見つけ次第襲うよう指示しているはずだ。で、ここまで軍艦が揃ったらさすがに一体程度なら何とかなる。それはワーメントも分かっているだろう。だから、今グラナダ湖に散らばっている全てのセイレーンを集結させようとするはずだ」
「その前にこちらが夜襲を仕掛け、ワーメントを討ち取る、と」
「ああ、おそらく明日まで回答期限を指定したのは、その集結のための時間稼ぎだろう」
港でカチョウのした話を、康大は改めてザルマにした。
康大はワーメントの命令方法から、あまり複雑な命令は出せないと判断した。
だが、音が届く範囲にいて矢継ぎ早に命令を出せば、ある程度融通が利く集団になるとも予想した。
そうなれば、アイチ軍がたとえ精鋭だろうが、ひとたまりもない。
だからこその夜襲だ。
朝方、ある程度男セイレーンが集まっている状態で奇襲をしても、戦果は到底見込めない。
ワーメントには最初から降伏勧告だけで戦争を終わらせる気はなかったはずだ。
無理難題を押し付けている間に男セイレーンを集結し、大軍で沿岸諸国の海軍を壊滅し、その上で陸軍で占領するのが狙いだと康大は踏んでいる。
そうでなければ、多くの人間に知られるのにもかまわず、わざわざナゴヤからグラナダ湖に男セイレーンを呼ぶ必要がない。脅しだけなら、元からグラナダ湖にいる男セイレーンで十分だ。
ここまでするのは今回の戦いでアイチ軍を殲滅するため――そう康大は読んだ。
それを踏まえると、ワーメントの居場所もある程度予測できる。
男セイレーンは巨大で、たとえ平べったくとも数を集めるにはそれなりの水深が必要だ。
また、なるべく早く集結させるためには、グラナダ湖の中心付近が最も都合がいい。
今アイチ艦隊は湖族達の協力を得て、その辺りを重点的に探索していた。
「それにしても音で操るとはな。魔法でいうところの魔曲みたいなものか」
「あ、ハイアサース、いたのか」
「いたのか、ではない。さっきからずっと隣にいただろう。お前はちょっと目が悪すぎるぞ」
康大は婚約者に呆れられる。
遠くばかり見る生活が続き、少しは視力が良くなったかと思っていたが、そんなことは全くなかったようだ。……それ以前にこのセカイの住人の視力の基準が良すぎるのかもしれないが。
「そもそも見えないのに何でそんなところにいるんだ?」
「いや、その、俺個人としては船室でずっと閉じこもっていたかったんだけど、さすがに居心地が……」
現在船室ではカチョウが部下の前で、具体的な戦術について最終的な確認をしている。
その空気は張り詰め、康大のような部外者がおいそれと近寄れる雰囲気ではなかった。
アムゼンのときでさえ、できることなら軍議になど参加したくなかった。
だが、アムゼンば場合はそこにいろと命令されたため、参加せざるを得なかった。
今回は大まかな方針の助言を求められただけで、軍議の参加は義務ではなかった。
尤も、操船や戦術の話を聞いたところで、自分に理解できるとも思えなかったが。
現にアムゼンのときはそうだった。それでも意見を求められ、脳みそをフル回転させて最低限とりつくろわなければならなかったのだから、ブラック職場以外の何物でもなかった。
「まあそれでも責任者として、いつでも指示を出せる場所にいるのは良いことだがな」
「責任者じゃないし指示を出す権利もないんだけどな」
婚約者の言葉に康大はため息を漏らした。
「それにしてもワーメントはどこにいるんだ? 慎重に動いているとはいえ全然見つからないな」
「まあ向こうが松明とか使って分かりやすく存在をアピールしてくれてると楽でいいんだけど、それは期待薄だな」
ワーメントも奇襲の可能性を考えてか、船の明かりは消しているようであった。この真っ暗闇の中では、少しの明かりでもかなり目立つ。
見つからないのはこことは全く別の場所にいるか、火を消しているかのどちらかだ。
少なくとも前者なら、こんな遮蔽物のない湖で見つけられないとなるとよほど見当違いの場所を探していることになる。
いまさらその可能性を考えると頭が痛くなりそうなので、康大はもっぱら後者の可能性だけ見ていた。
「コウタさん、どうやら近いようっス」
いつの間に来たのかダイランドが不意に声をかける。
ハイアサースと違い、彼はずっと康大のそばにいたわけではなく、ほぼ部下扱いの湖族達を監督していた。
「王様も甲板に出てきたようっスよ。コウタさんも行った方がいいと思うっス」
「了解」
「ほら、私が手を貸してやろう」
婚約者にエスコートされ、情けなく康大はカチョウがいるあたりへとへっぴり腰で向かう。
そこではカチョウらメルセデス軍幹部が、ワーメント艦隊を発見したらしい湖族から説明を受けていた。
康大はとりあえずそれを、邪魔にならないよう少し離れた位置から聞く。
「……臭いか」
「へえ」
カチョウの言葉に湖族は頷いた。
「こんだけ暗く灯りがねえ状況じゃ、それ以外頼る物はないんでさあ。で、まあ俺らは自然と臭いに敏感になって、距離があっても不自然な臭いはこうピンとくるわけで。特にこんな湖の上じゃありえない肉を焼く臭いなんてもんは、決して逃しゃあしやせんぜ」
「・・・・・・」
試しに康大は自分の鼻を引くつかせてみる。
けれど、今までと全く同じ湖の臭いしか鼻に来なかった。
隣にいた康大よりさらに食指が敏感なハイアサースも倣ったが、結果は変わらない。
「つまりその肉の臭いの元にワーメントがいるのだな?」
「へえ。あの怪物がテメーで肉焼いて喰うようなモンじゃない限り、あのいけすかねえ商人野郎が豪勢な食事でもしてるんでしょう」
「罠……はさすがにありえんか。そこまで我々の鼻が利くことなど彼奴も知るまい」
カチョウは首を振った。
そして康大達も含めた全員に向き合う。
「ついに決戦の秋だ」
ワーメントに気付かれる可能性があるため、大きな声は出さない。
ただ全員の気を引き締めるには十分な言葉であった。
「勝って奴の首を持ち帰る、それだけだ。征くぞ!」
『・・・・・・!』
全員が頷き、言葉ではなく態度で唱和する。
そして船は湖族の指示のもとゆっくりと、しかし確かな意志を持って不退転の敵が待つ場所へと動き出す。
のちにグラナダ湖戦と呼ばれる戦いの火ぶたは、こうして切って落とされた――。




