第34章
セイレーン――。
それは現実セカイでは美しき人魚を指す言葉でもあった。
実際足ヒレはないものの、プータネス村の娼婦は美人ぞろいである。
だが彼女は言った。
この怪物がセイレーンだと。
「えっと、それはどういうことなのかな?」
「すみません、言葉足らずでしたね。正確には男のセイレーンです」
「男……確か――」
康大は牢獄で聞いた話を思い出す。
そこでセイレーンには男も存在するが、生まれた瞬間すぐに死に、大人にはならないと聞いた。
ならばなぜその怪物と瓜二つといえるのか。
黙って考えている康大に代わり、ハイアサースが質問をする。
「雄のセイレーンはこんなにでかいのか?」
「お、雄……えっと、もちろん"男の"セイレーンはこんなに大きくありません。私達のような普通サイズの女が生むわけですから。ただその形状がそっくりなんです」
「なるほど」
微妙な表情をしながら答えたベルーガにハイアサースは頷く。
さすがの彼女でもここまでわかりやすい話なら、理解できなわけではない。
「つまり、生まれた瞬間即死んでいた男のセイレーンが、そのまま大きくなったような姿なんです。噂の怪物がこんな姿をしていたなんて、初めて知りました……。私達セイレーンの中に見た者は誰もいないので」
「誰もいない……」
その言葉に康大は少し引っかかった。
そしてその引っ掛かりこそが、フォックスバードが伝えたかったことのように思えた。
康大もみすみすそれを逃すつもりはない。
「つまりセイレーンの誰一人として怪物には襲われなかったわけだな。念のため聞くけど、セイレーンはずっと村で生活を?」
「基本的にそうですが、大きな船に呼ばれたり、漁をしたりもします」
「それは怪物が現れる前の話?」
「少なくとも被害が深刻化する前までは行っていたような気がします。ああ、洗濯は今でも湖でしていますね。素潜りの漁も今でも」
「なるほどな。てーことは、考えうるに、おそらくセイレーンは怪物には襲われづらい、というか怪物が襲わないんだろう。ナゴヤじゃ人間はしっかり襲っていたしな」
「なにやら光明が見えてきたようでござるな」
圭阿が片頬をわずかにあげる。
戦い方が分かれば、自分の有能さが披露でき俄然やる気も増す。今回の見殺しも戦略的な見地から支持していただけであって、戦い自体を避けたかったわけではない。
「そうだな。ここからは俺の勝手な推測になるんだけど、あのセイレーンは実際に男のセイレーンと何らかの関係があるんだろう。そして、その関係性からベルーガ達女のセイレーンは襲わなかった。そうなると、男のセイレーンの習性を知ることがあの怪物打倒の決め手になるんだと思う」
「……だな」
ザルマが胸の前で拳を叩く。
全員の士気が弥が上にも上がった。
ただ、ベルーガの表情はあまりさえない。
「その……水を差すようで悪いのですが、男のセイレーンは出産と同時に死んでしまうため、弱点どころかどうすれば長生きできるのかも分からない始末で……」
「言われてみれば……」
康大は振り上げた拳をゆっくりと降ろす。
せっかく糸口が見つかったというのに、残念ながらそれはそのまま突破口にはならなかった。
「お力になれず申し訳ありません」
「いや、ベルーガのせいじゃないさ。知らないことが罪なんてそんなことはあり得ない」
「ですが――」
「少し待ってくれ」
そう言ったのは康大ではない。
もちろんベルーガでもなく、それは隣の部屋にいたはずの彼女の姉の方だった。
「姉さん?」
「さっきはああ言ったが、どうも気になって様子を見に来てしまった。ばつが悪くて外にいたから、話はだいたい聞いている。男のセイレーンのことだが、実はそれに関して族長にだけ受け継がれた話がある」
「なんと」
康大は思わず声上げ、下ろした拳も再び上げる。
「この話は人間どころかベルーガでさえしていい話ではない。だがそうも言ってられなくなった。だから話そう。まず昔のセイレーンの男は、今のようにすぐ死んでいたわけではなかった。それどころか、凶暴かつ強力で、人間だけでなくセイレーンの女からも恐れられていた」
「ってことは、人間の間に伝わっている伝説は事実だったと?」
「・・・・・・」
デネボラは少し考えてから頷く。
「秘宝に関する話はでたらめだが、セイレーンが人間を襲っていたのは事実だ。お前たちは確かレアバンブー島に行ったらしいな?」
「ああ」
康大は頷く。
「あの島には生き物は全くいなかっただろう。それは男のセイレーンが原因だ。我らの子孫はかつてあの島を根城にしていたが、男達は本能の赴くまま、セイレーン以外のすべての生き物を殺しつくしたのだ。その記憶が受け継がれたのか、グラナダ湖のあらゆる生き物はあの島に近づかなくなった。この話をすれば、怪物の正体がセイレーンである根拠になるため言うつもりはなかったが、今となっては隠す必要もあるまい」
「じゃあ、男のセイレーンの弱点も伝わっているのか!?」
「・・・・・・」
デネボラは頷いた。
これには康太のテンションも一気に上がる。
デネボラに詰め寄り、その長身を見上げながら叫んだ。
「それはいったいなんなんだ!?」
「音だ」
「音?」
デネボラの説明はあまりに簡潔過ぎて、意味がいまいち理解できなかった。
こういう口下手な点が、表の仕事を妹に任せている理由だろう。
デネボラは少し考えてから、詳しい説明をする。
「凶暴になった男達も、ある音を聞けばおとなしくなったと、そう聞いている。その音がどんな音かまでは知らないが」
「音……音……」
康大はその言葉を口の中で何度も繰り返す。
どこかでそれを"カタチ"として見た気がする。
それもそう遠くない過去に。
「つまりその音をどうにか再現できればいいわけだな」
考えている康大の代わりにハイアサースが質問をした。
デネボラは頷いたものの「あくまであれが男のセイレーンだった場合だが」と付け加える。
「ここまではっきりした証拠があるんだからそうに違いない! だとしたらあのワーメントはどうやってセイレーンを操ってるんだ? 歌を歌ったり、楽器でも使っているのか?」
「あの男がセイレーンを操っているところには出くわしたんスけど、遠目じゃ何してるかよくわからなかったんスよね。近づいた連中は今頃全員湖の藻屑、こんなことならもっと近くで見ておけばよかったっスよ」
「自分も一緒にいた子爵様も同じ感じっす。まあ逃げながら歌でも歌ってればわかるんすけど、そんな暇なかったっす。楽器使うにしても厳しい状況だったっす。そんな簡単に音が出る物なんて――」
「ある」
康大は断言した。
その時の康大脳裏にはワーメントが持っていたある物が浮かんでいた。それは成金のワーメントにとって、あまりに似つかわしくないものだったため、未だに印象に残っていたのだ。
そしてそれは、怪物の行動のみならず、ワーメントのしてきたこと全てを説明するのに、十分すぎるピースでもあった。
「ほう、また何か悪知恵が浮かんだみたいだな」
「悪知恵言うな」
婚約者の言葉に康大はすぐ軽口を返した。
――と同時に表情も改める。
「とにかく、今すぐカチョウ王と話す必要があるな。みんなもすぐに出航できる準備をしてきてくれ。あと念のためザルマとリアンは俺と一緒に来てくれ。2人にはこれからどうなるのかある程度知っておいてほしいから」
「分かった」
「了解っす」
康大はザルマとリアンをつれ港に向かう。
港では最もわかりやすい場所で、カチョウが直接部下に指示を出していた。
プータネス村に自分で向かったことといい、先陣で指揮をとらなければ気が済まないタイプらしい。
それとも、アムゼンの様に頼りになる部下がいないのか。
いずれにしろ難儀だなと、康大は同情する。
「カチョウ陛下!」
「おお、貴公か」
康大の声にカチョウが振り返る。
その顔を見ても康大は彼が何を考えているかまではわからない。ただ会った時から変わらない、試すような眼で自分を見ている。
その眼鏡にかなうかどうかは分からないが、言うべき事は言わなければならない。
「用があれば来いとおっしゃられたので来ました。単刀直入に言います。今すぐ出航すべきです」
「たしかに唐突だな。だが面白い、理由を聞こう」
「ワーメントがこちらに時間を与えるというのが、そもそもおかしかったのです。あの強欲な商人なら、戦争に勝つ気があれば、こちらの準備が整う前に攻め込むでしょう。それにもかかわらず時間をくれたのは、時間が経つことによって利があるのはワーメントの方だからです」
「なるほど、面白い話だ。確かに私もあの男が猶予を与えるなど釈然としないとは思っていた。だが何故だ、いったい奴に何の利があるというのだ?」
「それにはどうやってあいつが怪物を操っているか説明する必要があります。えっと――」
「待て。誰かに聞かれているやもしれぬ。ここから先はおいそれと人に聞かせられる話でもないだろう。内密に話せ」
「は、はい」
康大はカチョウに耳打ちする。
これがハイアサースあたりだったら良い匂いがして少し興奮したかもしれないが、カチョウでは想像通りの加齢臭しかしない。
なるべく早く済ませようと、康大は早口かつ端的に話した。
「――というわけです」
「なるほど。ふむ……」
カチョウはそう答えただけで、しばらく黙っていた。
康大の提案を頭の中で吟味しているのだろう。
康大はすぐに顔を離し、答えが出るのをじっと待った。
「……貴公はその考えに絶対の自信があるのか?」
やおらカチョウは聞いてくる。
「あ……ります。100%間違いありません」
最初は日本人的に曖昧に答えようとしたが、すぐに思い直し、断言する。
他人が自分の意見で命を投げ捨てるかもしれないというのに、自信がない、では許されない。
たとえそれが虚勢であっても、実行する人間が安心する答えを返さなければならなかった。
カチョウは苦笑する。
その姿は、まるで部下のどうしようもなく下らないミスを見つけたサラリーマン上司のようであった。
「名参謀は嘘が下手だな。それでは子供も騙せまい。だがまあ今回の件は貴公ではなく、貴公を信じた私自身を信じることにしよう。追って指示は出す。貴公らは旗艦で待機しているといい」
「御意」
康大は頷く。
それから近くで待っていたザルマとリアンに周囲に注意しながら経緯を話した。
「……なるほどわかった。そのように心得ておこう」
「自分が役に立つとは思えないっすけど、ここまで来たらついていくっす」
2人とも方針に対して特に反論はなかった。
むしろ一番不満があったのは康大本人かもしれない。
「ただ時間がな……」
「仕方ないだろう。それより、お前も王侯貴族と私の援助なしでも話せるようになったな。子供の成長を見ているようで感慨深いぞ」
「お前にそう言うこと言われるの屈辱だわ~。まあ、あの王さまが結構ざっくばらんな人だったのもあるんだけどな」
他の王なら耳打ちなど絶対に許されなかっただろう。それどころか直接口をきくのさえ難しかった。ああいう真似ができるのはカチョウ以外ではアムゼンぐらいだ。
そしてどちらも曲者という共通点があった。
その後、再び仲間達と合流し、メルセデス軍旗艦に全員で乗り込む。
旗艦だけあってその規模は今まで乗ったどの船よりも大きく、また多くの船員がいた。
現実セカイの豪華客船とはさすがに比べるべくもないが、少なくとも幽霊船よりは巨大である。
乗った限りではとてもこんな船が沈められるようには思えない。
だが現実に何隻もの船が沈められ、こうして完全にグラナダ湖の航行はマヒしているのだ。
しかしそれも今日までの話。
……そう自分を奮い立たせ、康大は出向の時間まで待つのだった。




