第15話 魔王さま、町を出る。
「アルバート殿、よろしいでしょうか?」
ひとしきり親子の別れが済み、後は旅に出るだけという雰囲気になったところで声を上げる。
人間一人の命を預かるのだ、言っておかなければならないことがある。
「リースさまを泣かせるようなことは致しません。旅が終わるまで、リースさまのことをお守りします。」
「……私はリースの言葉を信じておる。ならばこそお前に娘を任せるのだ。」
「わかっております。ですが私の旅が終わった時、リースさまを守る者はいなくなります。いつまでも、というわけにはいかないのです。そのことを理解していてほしいのですよ。」
私の旅には終わりがある。目的がある。そこにたどり着いてしまえば、その先私がリースを守ることはできない。それを知っておいてほしかった。私はいつまでもはこの世界にいるわけではないのだ。
だからどこかで、精霊に言われたように最低限の自衛ができるように教えるつもりだ。もっとも、私が精霊の力を正しく認識できるかどうかは不明だが。
「……そうか、わかった。リース、いつでも帰ってきなさい。彼の傍が安全なのはわかる。だが本当に怖くなったときは、頼ってほしい。お前の家は、ここだ。」
「はい、お父様。いつか、必ずや帰ります。」
アルバート殿がリースの頭をなでながら微笑んでいる。
まったく、美しい目をしているな。この目を曇らせるわけにはいかない。旅の終わりが近づき次第、傷一つないリースを連れて帰ってこよう。
「ダリヤさん、珍しいですね、笑うなんて。」
「ん?私は今笑っていたか?」
「はい、微笑んでました。」
「……そうか。」
いかに魔王とて、美しい家族愛には顔を綻ばせるを得ない、ということか。確かに、悪くない気分だ。この笑顔は必ずまた見たい。
さて、そろそろ行くとしよう。時間は問題ないが、ここに長くいればいるほど出発時間が長くなりそうだ。
「アルバート殿、私たちはもう行こうと思っています。リースさま、準備を。待っておりますので。」
「はい、ダリヤさん。少しお待ちくださいね。」
そう言って裏に消えていくリース。アルバート殿には悪いが待たせてもらおう。女性の準備は長いと聞くがリースはどうだろう?性格的にそうでもない気はする。
「私はお前のことを完全には信じきれぬ。だがリースが信じる者なのは確かだ。裏切ってくれるなよ?」
「は。」
「……リースを頼む。」
「命に代えてもお守りします。」
そうしてリース本人がいないところで一つの約束が交わされた。この世界にいるリースの命に比べれば、ここではない世界から来た私の命など安いものだ。文字通りそのような魔法もある。必ず生きて返すのだと、私はそう決心した。
「そうだ、せめて兵士たちを全員起こして謝って帰れ。娘を連れて行かれるのにその相手に何もできんのは癪だ。それにそもそもそうするのが普通ではないか?むしろそれだけで許すのだから感謝してほしいくらいだ。」
意外と負けず嫌いで嫉妬深く茶目っ気のある性格なのかもしれないな、アルバート殿は。ただ言っていることはまるっきり正当性のあることなので聞くとしよう。完全に私が悪いのは誰の目にも明らかだろうしな。
しばらく待ち、リースが準備を終えて戻ってきたため、城を出ることにした。
目立たないようにドレスを脱ぎ、まるでただの町娘のような格好になっている。それがまたよく似合っている。顔を見れば誰なのかわかる分まるで意味を成してはいないが。
「待たせて申し訳ありませんでした。さて、行きましょう、ダリヤさん、シェリルさん。」
「いえ、そう待ってなどいませんよ。」
「そうです!そんなに長くはありませんでしたよ!」
騒がしい門出だと、そう思われているのだろうか。アルバート殿は何も言わずに後ろを向いている。扉の反対側、すなわち窓の方を見ている。ちょうどオレンジ色の光が入ってきていて見づらいが、その頬には一筋のきらりと光るモノが見えた。アルバート殿の名誉のために、ここは何も言わずに出ていくとしようか。
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アルバート殿が言うとおり、兵士に謝っていたら外に出るころにはもう日が落ちていた。代わりにそれはそれは美しい月が空に浮いている。
そういえば天体はどうなっているのだろう?当たり前だが人間がいるため地球で言う『太陽』は存在する。いや、『太陽』があるから人間が存在すると言った方が正しいだろうが。そして今見ている『月』。見た感じそのあたりは地球と何ら変わらない。違うのは星座くらいか。
一枚の紙のような世界でもあるまいし、一応球体型の星のはずだ。
むう、これ以上考えるのは無駄だな。答えが出るわけでもないのだ。
「ダリヤ、シェリル!今からどうするの?」
相変わらずオンとオフで性格が違うな、このお嬢様は。もうちょっとしゃなりしゃなりしていいのではないだろうか?
「今日はもう遅いから宿に泊まろうと思う。完全にお別れムードだったのに今から戻りたくはないだろう?シェリルもそれでいいか?」
「私はそれでいいですよ。でもリースは……。寝床の質、落ちると思うよ?」
「今までと違うことをするのは楽しいことでしょ?私はそれでいいわよ?」
「では決まりだ。きっと驚かれるだろうが、そこは目をつぶるしかない。」
何せいま私たちが連れているのはこの町で最も偉い人間の娘なのだ。よく町に降りてきていたとはいえ、本当なら相当失礼なことをしている自覚くらいある。
「楽しみだわ!初めてなんだもの!」
まあ当の本人がとても嬉しそうにくるくると回っているため、特に問題にはならないだろう。
私たちはいつも通りに宿を取り、いつも通りに食事をし、いつも通りに寝たのであった。周りには終始白い目をした人間たちがいたことについては、本当に申し訳なかったと思う。だが了承してほしい。リースにとっては何もかも初めてのことだったのだ。
町に降りてきただけではできなかったことをやっただけなのだから。
キラキラと目を輝かせているリースはまるで小さい子供のように好奇心旺盛で私が知る姫の像からは程遠かったが、リースにはやはりこれが似合っていると、そう思ったのだった。
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翌朝、私たちはギルドに向かうことにした。世話になった面々に挨拶して行きたかったからだ。ナタリーは言わずもがな、フィードとティグニスにもお礼を言わなければ。
というわけでギルドにやってきた。もちろんリースも連れて。
「失礼する。」
「あ、おはようございます……あの、隣の人は……。もしや……。」
「気にしないでくれ。それよりあれだ、挨拶しに来た。町を出ようと思ってな。」
「町を……。」
「そのための挨拶よ!」
「リースは黙っててくれ。」
割と、マジで。話がこじれそうだ。
「でもなんで私に?」
「たぶんこの町で一番世話になったからな。なんだかんだでナタリーと会わなかった日はほとんどなかったと記憶している。ありがとう。」
「ダリヤさん……。お礼を言うのは私です。でもそれは、寂しくなりますね……。」
「どうした?顔色が悪いように見えるが。大丈夫か?」
うつむいたナタリーの顔は暗く、まるで病気にでもかかっているかのようだった。もし本当だとすれば、今すぐにでも返した方がいいだろう。
「大丈夫です。ただ……。」
「?」
「ただ、親しい人が自分の目の前からいなくなるのがこんなに辛いことだとは思いもしませんでしたから……。」
「別れは初めてか?」
「初めてではないです。でも、私にはこうしてちゃんと話す友達はいませんでしたから……。こんなに泣いたのは親が亡くなった時以来です。」
なるほど、これまでに劇的な別れをしたことがほとんどなかったわけだ。だが私はそんなに親しくしていたつもりはない。毎日顔を合わせて話していた程度だ。
いや、むしろだからか。毎日話せば情は移る。それにしても私しかいないというのは気になるな。親友の存在は大切だ。
「大丈夫だ、またいつかここには来る。今生の別れにはなるまいよ。」
「……。わかりました。絶対ですよ?」
「約束しよう。フィードたちはいるか?」
「まだ飲んでませんけど、来てますよ。」
む、聞く前に確認すればよかったな。確かにいつも通り酒場にいるようだ。
というかこんな朝方から飲まれていてたまるか。酔ったあいつらとこんな話はできない。煙に巻かれて飲まされる。
「フィード、ティグニス、今いいか?」
「おお、ダリヤ。おはようさん。今日も薬草採取か?」
「ティーさん、失礼だよ。朝からこんな調子でごめんな、ダリヤ。」
「俺はティーさんじゃねえ!」
「はいはい、わかってるわかってる。依頼を受けずにこっちに来るなんて珍しいね。何かあったかい?」
「町を出ようと思ってる。しばらく会えなくなるから、その旨伝えに来た。」
「いつもいつも律儀だなあ。前から旅に出るって言ってたもんね。その時が来たんだ。あ、じゃあその前にCランク試験受けていけばいい。推薦しておくよ。」
嬉しいが最近の私は薬草採取しかしていない。つまり、実績を全く残していないことになる。たとえ私より上のランクの人間に推薦されたところで、受けることができるのか?
もちろん低級の黒曜程度私にとっては歯牙にもかけない。しかし……。
「できるのか?薬草採取しかしていないぞ。」
「できなきゃ言ってないって。ダリヤが俺たちより強いのはなんとなくわかるからさ。懐にナイフでも仕込んでるんだろう?その程度であんなにきれいにオオカミ剥いできて。技術が俺たちより上なのは否が応でも理解させられるってものさ。」
まったく考えていなかった。オオカミ共は人目がないところで当たり前のように魔法を使って解体していた。邪魔だがクリスタルソードを腰に下げたほうがよさそうだな。
そもそも鎧も何もつけていない。……出発する前にそちらも工面して行こう。気づけて良かったものだ。
「そうか……。では頼む。」
「了解。ティーさんもいい?」
「ああ、異論はねえよ。行ってこい。」
「じゃあ、カウンターに行こう。」
「ありがたい。」
というわけでCランクになるための試験を受けてきた。結果など言わずともわかるだろう。
ちなみに鎧は試験を受ける前に買って身につけた。
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さて、そろそろ町を出ることにしよう。ついでに何かやることはないだろうか?
ん?この依頼は……。
ある一つの依頼に目を止め、用紙をカウンターに持っていく。
「ナタリー、この依頼はどういうことだ?」
「書いてある通りです。隣町のノグシスまでの護衛ですね。Cランクになったダリヤさんなら受けられますがどうしますか?」
護衛か……。受けてもいいが、どうするか……。この際報酬が異様に高いのには目をつぶるとして……。
まあ旅だしな、むしろうってつけか。
「受けることにする。依頼人はどこにいる?」
「これからお呼びします。しばらくお待ちください。」
「わかった。」
そう言って裏に引っ込むナタリー。戻ってくると一人の男を連れていた。その男が依頼人ということだろう。
ふくよかな体系に人のいい笑顔。悪い人間ではなさそうだ。
「あなたが私の依頼を受けてくれた者ですね?ありがとうございます。」
「こちらこそ。目的の町まで守らせていただく所存です。」
「よろしくお願いします。」
ナタリー、フィード、ティグニスへの別れは済ませた。カルダにも頼み事はした。この町ですることはもう何もない。すべて終わらせて帰る前にもう一度寄ろうとは考えている。
ナタリーのように泣くほどではないが、別れは惜しいものだ。まあそう言ってはいられない。
「シェリル、リース、準備はいいか?」
「はい、大丈夫です。」
「大丈夫よ!未練はないわ!」
「よし、行こう。案内してください。」
案内された先には馬車があった。不思議なものだな。ここは地球ではないのに、馬の姿形は全く同じだ。その馬が2頭、幌を引いている。中には何も入っていないようだ。護衛の意味がないような気がするが……。どういうことだ?
……今は考えないことにしよう。
「どうぞ乗ってください。」
「失礼します。」
3人で馬車に乗り、町を出る。旅の再開だ。まさか仲間が一人増えるとは思いもしなかった。早いうちにリースに精霊の力の使い方を指導しなければな。魔法と似通っていればいいのだが。頼まれたからやるが正直これは自信がない。やるだけやってやろう。
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む、寝てしまっていたようだ。
町を出た私たちは、ねぎらいと称して睡眠薬の入った飲み物を飲まされた。その時点で商人が黒い人間だと判断したわけだが、魔法で睡眠薬のみを取り出し飲み、その後眠ったふりをしていた。
商人は商人でも奴隷商人のような類だったのだろう。
放置していればシェリルとリースにまで手が出るのは明白だったため、結界で手が出せないようにしていたところ森の中に放置された。
ばれないように二人には普通に飲んでもらったが、まだ起きないところを見るとかなり強力なものだったらしい。
「シェリル、リース、起きろ。」
「ん~……。」
「むにゃ……。」
なんと幸せそうな寝顔か。これでは起こそうにも起こせない。
魔王ともあろうものが、こちらの世界に来てからというもの自分の優しさにうんざりしそうだ。
周りは見渡す限りに木が生えている。どの方向に行けばどこに出られるかなど見当もつかない。あ、地図入手し忘れた。
はあ、迷った、というよりも、迷うだろうなこれは。
あの商人、次に見かけたときは一発ぶんなぐってやろう。覚悟しておけよ。
さて、これからどうするべきか。とりあえずは二人が起きるまで待つとしよう。
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