第207話 もう一人の諜報員〜帰還
テーブルを殴る。
そうやって俺の前で初めて生の感情を爆発させたフリード伯爵は、険しい目で俺を見た。
「……貴様と話していると、自分が無能に思えてくるな」
「それは錯覚です。たまたま俺の手元に情報が集まってるだけですよ。閣下も同じ状況に置かれたら似たような結論を出されるでしょう」
そう。俺の元には意図せず情報が集まっている。
それは、この半年間で、それだけ色んな人と縁を結んできたということ。
エステルとの出会い。
カエデとの出会い。
エリスとの出会い。
カレーナとの出会い。
そして、子分たちやその他さまざまな人との出会い。
その全てが、偶然の産物だ。
ただ一つ言えるとすれば、それらの『縁』が『絆』になったのは、俺が自ら望み行動した結果だということ。
以前のボルマンは、縁を繋ぐことができなかった。
自らの行いゆえに。
それは川流大介も同じ。
だが今の俺は違う。
自分が変わることで、こんなにも多くの絆を結ぶことができた。
もちろん抱えるもの、守るべきものも増えたが、それ以上に増えたのは、未来への可能性だ。
自分から踏み出さなければ、未来は開けない。
「閣下、エステルの屋敷に人を派遣して頂けませんか? 正直なところ、ミエハルから送り込まれる間諜にどう対応したら良いか分からないんです」
俺の言葉に、伯爵はやや意外そうな顔をした。
「お前は、それを俺の口から言わせようとしてるんだと思ったんだがな」
「交渉であればそうしたでしょう。ですがこれは交渉じゃありません。共通の脅威からお互いの大切なものを守るために、どんな協力ができるかという相談です」
「先ほど貴様が言った、一蓮托生というやつか」
「はい」
まっすぐ伯爵を見て、頷く。
フリード卿はしばし考え、口を開いた。
「うちにひとり、ちょっと間の抜けたやつがいる。そいつを送り込もう」
「……は?」
俺は思わずぽかんとした。
今この人、間抜けを派遣する、って言った???
「……ぶっ! ぶはははははははっ!!」
突然噴き出し、爆笑する伯爵。
呆気にとられる俺。
伯爵はひとしきり笑うと、人が悪そうな笑みを浮かべて俺を見た。
「貴様もそんな顔をするんだな。今日初めてお前を出しぬけた気がするわ」
「そ、そりゃあ驚きますよ。娘さんを守るのに、なんで間抜けな人をつけるんです???」
こう見えてフリード卿は、エリスのことをとても大切にしているはず。
少なくとも俺はそう思っていたんだが、勘違いだったんだろうか?
眉をひそめる俺に、伯爵は言った。
「間抜けではあるがそれなりに腕は立つ。お前の話を聞くかぎり、そいつが適任だと思ったのさ。……一つ尋ねよう。ミエハルはどんな奴を送り込んでくると思う?」
「それは、能力的な話ですか?」
「もちろんそれもだが、性格や性別、年齢を含めた人物像だな」
伯爵の言葉に、しばし考え込む。
参ったな。
諜報関係のことは、前世を含めほとんど知識がない。
だからこそ、フリード卿に協力を求めたんだが。
……だけどまあ、伯爵も正解は期待していないだろう。
ここは俺なりに、求められる能力と属性から考えてみよう。
「まず、女性であることは必須でしょうね。仕える相手がエステルなのに『なぜ男を寄越したのか』となりますから」
俺の言葉に頷く伯爵。
「同感だ。男を派遣するなら夫婦か、屋敷全体の警備という役でなければ皇女に警戒されるだろう。夫婦となると条件が絞られるし、警備の仕事は間諜には不向きだな」
「では次は、何の役職の女性か、ということですね。……これはちょっと難しい。間者として動くにはある程度の行動の自由が必要です。ポジション的にはハウスキーパーやメイド長のような役が適切でしょうが、今のところそれにあたることは中年のベテランメイドが担当しています」
「ならば、どうする?」
伯爵は面白そうに問いかけてくる。
「……少なくともそのベテランメイド以上の役職で、できれば年が上の女性が良いでしょう」
「60点、というところだな」
「思ったより低いですね」
俺は顔を顰めた。
「単身で潜り込ませるなら、どんな状況になっても良いようにある程度の戦闘力と体力が必要だ。高齢では厳しいだろう」
「でもあまりに若いと、いくら役職が高くてもベテランメイドに対してやり難くないですか?」
「そこをクリアできる簡単な方法が、少なくとも一つある、ということだ」
にや、と笑う伯爵。
くそ、なかなかの難問だな。
俺はしばし考え、ある答えを口にする。
「ひょっとして『身分』ですか? いや、でも、貴族が貴族の娘をメイドにするなんて……」
「正解だ」
「えっ?!」
まさかの答えに、唖然とする。
「下級貴族である子爵家がよその貴族家の娘をメイドとして雇うのは、普通は難しい。だが自らの家門に連なる者なら別だ。縁者か、ミエハルが手を回して特に便宜を図ってやった子飼いの男爵家か。実の娘でなくとも『養女』という形で間者をメイドとして雇用する手は使えるだろう」
「なるほど。それなら若くても大丈夫ですね。20代で男爵家出身の切れ者メイド長。なんでもそつなくこなし、メイドたちのまとめ役。……あれ? じゃあそいつはカエデの上司になるのか。それってまずくないか?!」
不穏な予想に頭を抱える。
が、伯爵はそんな俺にあっさりこう言った。
「特に問題はなかろう。話を聞く限り、皇女はミエハルの娘の侍女、兼、護衛という扱いだ。正確にはメイドではない。ハウスキーパーの管轄からも外れるから、行動が阻害されることはないだろう」
「えっ? カエデって、メイドじゃないんですか???」
唖然とする俺。
「お前は、妙なところでものを知らないな。……いや、まあ田舎の男爵家のひとり息子ならそれが普通か。お前と話していると、特定の話題とのギャップが酷すぎてどうも感覚がおかしくなる」
そう言って妙な顔をする伯爵。
まあ、こっちは半分は30代のダメ営業だしね。
「まあ、さっき言った通りだ。侍従や侍女は常に主人のそばにいて身の回りの一切の世話を引き受ける者で、屋敷の仕事をするメイドではない。ハウスキーパーやメイド長の指示で直接的に行動が制限されることはないだろう」
「間接的には、ある。ということですね」
「それはそうだろう。同じ屋敷で働いてるんだからな」
「分かりました。カエデには注意を促すようにします。……あと、閣下が『間抜け』を派遣すると言った意図も、なんとなく分かりました」
「ほう?」
面白そうに片頬を吊り上げる伯爵。
「エリスにあえてドジな娘を侍女としてつけることで、ミエハル方の思惑や行動を『崩す』ことを考えられてるんですよね?」
俺の答えに、伯爵は満足げな笑みを浮かべる。
「その通りだ。さすが婿殿だな」
「だからその呼び方はやめて下さい」
俺と伯爵は立ち上がり、固い握手を交わしたのだった。
☆
翌朝。
フリード家執事のロアムにカレーナ宛の手紙を託した俺は、伯爵の城を出立した。
ダルクバルトを発ってすでに二日。
早く戻りたいのは山々だが、当日中に戻ることはさすがに難しいため、テンコーサとペントの中間にあるモックルの街で一泊する。
さらに翌日の早朝にモックルを出発。
俺が実家の門をくぐったのは、ダルクバルトを出て三日後の午前のことだった。
☆
エチゴール家の門をくぐり、屋敷まで伸びる並木道を進む。
日は既に昇り、優しい日差しが木々の間から差し込んでいる。
たった三日家をあけただけなのに、なんだか長い間旅に出ていた気分だ。
……まあ、色々あったしな。
そんなことを思いながら馬を進めていると、屋敷の方から歩いてくる二つの人影に気がついた。
「ボルマンさまっ」
「エステル!」
俺は馬を降り、小走りにやって来る彼女にかけ寄った。
「エステル、こんなところでどうしたの?」
「なんだか、ボルマンさまが帰って来られる気がして……」
そう言って、恥ずかしそうにはにかむ婚約者の少女。
俺は思わず相好を崩した。
「当たりだよ。……ただいま、エステル!」
「おかえりなさい、ボルマンさまっ」
次の瞬間、天使が俺の胸にとびこんできた。









