3-4
贅沢なランチの時間は、あっという間に過ぎていった。
店を出ると、心地よい風が頬を撫でる。会計を済ませてくれた湊にお礼を伝え、僕たちは再び歩き出した。
「時間もちょうどいいし、コラボカフェに行こうか」
湊は地図アプリを一切開かず、迷いのない足取りで進んでいく。
並んで歩く間、ぽつぽつと会話を交わす。けれどコラボカフェに近づくにつれて、湊の横顔がだんだんと強張っているのが伝わってきた。
――なんか……緊張してる?
僕にとってはあの高級なレストランのほうが緊張するけど、湊は違うのだろうか。
角を曲がると、目当てのコラボカフェの看板が見えた。店頭には予約の人たちが列をなしている。どうやら客席が入れ替わるタイミングらしい。
女性人気が高いゲーム作品のコラボというのもあって、並んでいるのは女性ばかり。そんなところに僕たちが入ったものだから、彼女たちが一斉にこちらを――いや、湊に視線を寄せていた。
「あの人カッコよすぎない?」「待って、シン様に似てる」という声が聞こえてくる。ちなみにシン様というのは、ゲームでも屈指の美形キャラだ。
湊も、きっとこの視線を感じているだろう。
――ここまでじろじろ見られたら、居心地悪いよね……
ちらりと彼を見上げて、声をかけようとしたときだった。
「……渉、どうしよう。ルイくんが実際にここに来たと思うと、頭がおかしくなりそう」
湊はぽつりと呟き、胸のあたりをぎゅっと握った。
どうやら周囲の視線なんて、今の彼にとってはまったく関係がないらしい。
――これ、いつもの湊だ!
オタク全開の反応で、逆に安心してしまう。
湊は落ち着きなく周囲を見回し、ぶつぶつと呟く。
「とりあえず、この回にルイくんはいなさそうだね。昨日もこの店舗前で観察してたんだけど、男女二人ってほとんど見かけなかったんだ」
「……ん?」
「いたとしてもあきらかに年齢層が違ってたし、やっぱり来週以降に予約する予定なのかな。まあ会ったら会ったでどうすればいいかわからないし……」
彼は緊張のせいか、ノンブレスで語っていた。黄色い声を上げていた女性たちもぎょっとしている。
「ちょ、ちょっと待って……」
そんなことより――……今、「昨日も」って言わなかった?
「湊、まさか昨日もコラボカフェに行ったの!?」
「いや、中には入ってないよ。俺はただ一日中外で観察して、それっぽい人がいないか見てただけ」
「そっちのほうが怖いよ!」
いつもは口に出さないのに、気づいたらツッコんでいた。
湊は驚いたように目を丸くしたあと、慌てて口を開いた。
「あっ、もちろんストーカーってわけじゃないよ? 本当は家で大人しくルイくんの配信を見るつもりだったんだ。でも、もしかして会えるかもしれないって思ったら、いてもたってもいられなくて——」
まったく言い訳になっていない気がする。
僕が反応に困って、曖昧に笑ったとき——ちょうど、コラボカフェの扉が開いた。
「みなさま、お待たせいたしました。三時からのお席が準備できましたので、中にお入りください」
湊ははっと表情を引き締めた。僕もすぐに後に続いて、スマホの電子チケットを掲げる。
店内に足を踏み入れると、ゲームの世界観に合わせて、ファンタジー風の内装が広がっていた。
店員さんは湊に見惚れるような視線を送り、明るい声で座席を案内する。
「それではお客様、こちらの席にどうぞ!」
店員さんに指定されたのは、奥にある窓際の二名席。
案内された瞬間、湊と僕は同時に息をのんだ。
――ここって、前と同じ席!?
まぎれもなく、姉と一緒に座った席だった。配信でみんなに見せた料理の写真も、ここで撮影している。
湊がそのことに気づかないわけはなく――彼はその場で立ち止まり、大きな手で口元を覆った。
感極まっているのか、涙目になっている。彼は何度も深呼吸して、そっと座席の肘掛けに指先を這わせる。
「ここに、ルイくんが座って……」
「湊! と、とりあえず座ろう!?」
限界化している彼を慌てて呼び止め、押し込むように座らせた。
まさか席まで同じになるなんて、思ってもみなかった。
湊に遊びに誘われて、舞い上がってここまで来たけど……もしかしてこれ、相当恥ずかしいんじゃないのか!?
だって、このコラボカフェに来たのは、画面の向こうの『旭 ルイ』じゃなくて、僕自身なんだ。
そんなにうっとりされたら、まるで生身の僕に向けられてるみたいで……
「み、湊。なに頼む?」
なんとか意識を逸らそうと、即座に声をかける。湊はメニューすら見ずに、はっきりと言った。
「俺は『碧空の誓いクリームソーダ』と『シン様の漆黒チョコケーキ』にするよ」
「それって、ルイが頼んでたやつだよね……」
口元を固く結び、表情を変えないようにするので精一杯だった。
十分ほど待っていると、次々とカラフルなドリンクやスイーツが運ばれてくる。
ついに料理が揃うと、彼は素早く料理の配置を変えて、スマホのカメラを向けた。
「はあ……。こうやって撮れば、配信で見た写真とまったく同じだなあ。本当にルイくんがここに来たんだって、実感してる……」
どろどろに溶かしたような声で言われて、鼓動が激しくなる。
目の前でこんなのを見せられて、一体僕はどう反応すればいいんだろう。
「へ、へえ」と曖昧な返事だけしかできない。
湊は大人っぽい余裕がなくなり、すっかり目が蕩けていた。
「まさか同じ席に座れるなんて幸せすぎるな……。――って、あ……」
しかし湊は、突然ぴたりと動きを止めた。
彼はぼんやりと、向かい側の窓を眺めていた。それを見たとき、僕はなんとなく察してしまった。
――たしかこの窓に、姉ちゃんの姿が反射してたんだっけ……
僕の予想は案の定当たってしまったようで、湊は切なげに目を伏せた。
「…………本当に家族だったらいいんだけどなあ」
息を吐くのさえ苦しそうな声。幸せの絶頂から突き落とされたような、絶望を滲ませた瞳。
たった一枚の写真から別の人物の存在を特定して悲しむなんて、ちょっと変な人だってことはわかっている。
それなのに、こんな彼の表情を見ていると、罪悪感で胸が強く締めつけられる。
――『旭 ルイ』に姉がいること、言っておいたほうがいいんじゃないか……?
さすがに姉がいるだけで特定にはならないだろうし、そのほうがいい気がしてきた。実際に僕に恋人なんかいないし、悶々と悩む彼を見ていたくないし……!
別にこのままでもいいはずなのに。僕はなぜか、彼のために誤解を解く方向に動こうとしていた。
そうだ、今日タイミングを見計らって、「一日中姉ちゃんと出かけてた」って、『ツブヤキ』に投稿してもいいかもしれない。
現実の僕のアリバイ作りにもなるし、一石二鳥なんじゃ……!?
「……渉? もうたくさん撮ったから大丈夫だよ。食べよっか」
僕がぼうっとしている間に、湊は元の調子に戻ったらしい。
彼はスマホをポケットに入れると、ケーキに口をつけた。嬉しそうに頬張る姿は、大人っぽい恰好とは裏腹に可愛らしい。
「そういえば、渉。今日ってまだ時間ある?」
「……え?」
「コラボカフェの後、俺の家に来ない?」
完全に油断していたところに、とんでもない提案がきた。
湊は目を丸くする僕に気づかないまま、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「ちょうどすぐ近くだし、どうかなって。実家だけど、親は仕事で海外にいるからゆっくりできるよ」
「ち、近く? 湊の家って、どこ……?」
「ああ、ここから歩いて五分くらいのマンションだよ」
――まさか表参道に家が!?
僕は衝撃のあまり、目を剥いて固まってしまった。
たしかにお金持ちだとは聞いていたけど、こんな大都心に実家?
だからこんなに、この街の雰囲気とも合っていたんだ。僕みたいな庶民とは、住む世界が違いすぎる。
「す、すごいね……」
「そんなことないよ。ただ、今日はせっかく家の近くまで来てもらってるし、夕方まで渉とゆっくり話したいなって」
「えっ……。そ、それは、嬉しいけど……」
今まで友達と外出することもなかったんだから、当然家に行くのも初めてだ。
だけど、友達の家に行くのって、こんなにドキドキするものなのか……?
ただ嬉しいだけじゃない。湊が友達になってくれたときとは別の緊張感に、全身が包まれていた。
彼はただ新しくできた友達を、家が近いからと誘ってくれただけだ。それなのに僕は、なんでこんなに緊張しているんだろう。
湊は僕が迷っているのを察したのか、慌てて声を上げた。
「いきなり誘っちゃってごめん。実は最近、ルイくんの配信のために、最新のスピーカーと大型スクリーンを買ったんだ。だからその……ルイくんの今日の生配信、一緒に見たいなと思って」
『旭 ルイ』の生配信。
その言葉を聞いたとき、はっと現実に引き戻された。
――それ、僕が湊の家に行ったらできないよね!?
たしかに今日は、夕方から配信を予定していた。だから今日もコラボカフェから帰ったら、配信の準備をするつもりだったのだ。
もちろん今日の配信を休めば、時間は作れる。だけど突然中止したら、リスナーさんが残念に思うかもしれない……!
頭の中ではぐるぐると考えが巡って、答えがでない。
湊は頭を抱える僕を見て、心配そうに顔を覗き込んだ。
「ごめん、難しかったら無理しないで。俺も今日いきなり言っちゃったし……」
「そそそ、そういうわけじゃなくて! 少し予定を、確認しないとっ」
「そっか。全然時間があったらで大丈夫だよ」
結局、すぐに答えることができなかった。
スマホを手に取り、カレンダーアプリを開くふりをして、すぐに閉じた。
この後の予定なんて、僕がどうするかを決めるだけだ。それなのに、なんでこんなに迷ってるんだ。
――僕と『旭 ルイ』で、分裂できたらいいのに……
意味のない現実逃避をしながら、デザートの最後の一口を平らげた。湊もドリンクを飲み干し、特典のコースターを鞄にしまっている。
「お客様。まもなく終了のお時間となります」
店員さんが客席を回り、声をかけ始める。
――もうそんな時間か……
名残惜しく感じながら、なにげなく窓の外を見た。夕方に差しかかっているからか、昼間の強い日差しはなくなり、分厚い灰色の雲が空を覆っていた。
「……ん?」
ぽつ、と窓枠に何かが当たる。
湊も気づいたようで、「雨?」と小首を傾げた。
僕たちがぼうっと見つめている間にも、雨粒はどんどん大きく、激しさを増していった。
「これ、夕立かもね」
湊が困ったように呟いた。
今日は一日中晴れの予定だったのに、傘なんて持ってきていない。
店内のお客さんもざわつき始めたころ、無情にも店員さんの声が響いた。
「まもなくご退店のお時間となります。お忘れ物にお気をつけください」
次の予約客が待っているので、早く店を出ろということだろう。僕たちは促されるまま、急いで店を出た。
「雨、すごい降ってるね……」
案の定、外は横殴りの雨が降り、アスファルトの地面が水しぶきを上げていた。
コラボカフェの建物の前には、次の予約枠の人たちが軒下に並んで、なんとか雨を凌いでいる。この小さな屋根では、いつまでも雨宿りをすることはできない。
途中でコンビニに寄って傘を買っても、駅に着く頃にはずぶ濡れになるだろう。
「渉、どうする?」
「えっ?」
「俺の家来るなら、シャワーとか貸すし、服も乾かせるけど……。次の予定があるんだっけ?」
激しい雨音のなか、僕は選択を迫られた。
――そうだ。このままずぶ濡れで帰ったら、風邪も引いちゃいそうだし、生配信の準備だってまともにできない。
リスナーさんには申し訳ないけれど、今日は生配信をお休みして、明日にずらしたほうがいいだろう。
想定外の雨に、背中を押されたような気がした。言い訳じみた言葉を並べて、彼の家に行ってもいい理由を作り出す。
「……湊の家、お邪魔してもいい?」
僕がそう言うと、彼は嬉しそうに頷いた。




