第9話 土州屋の羊羹
部屋に通された金四郎が落ち着かない様子で座布団の上にちょこんと座っていると、銕三郎が茶と羊羹を載せた盆を持って入ってきた。
「俺が生家の近所にある土州屋って店の羊羹だ。田舎の甘味だが美味いぜ。」
「い、いただきます」
この時代の羊羹は現代で言うところの蒸し羊羹が主流で、小豆餡に葛粉を加えて固めたものである。
水羊羹は金持ちの茶の湯に供されるものであり、現代の主流である煉羊羹はもう少し先になる。
遠慮がちに羊羹を口に運ぶ金四郎。甘味など久しく口にしていない。
羊羹を口に含むとしっとりとした食感がほろりと崩れて優しい甘味が拡がる。
口福に体が震え、思わず涙がこぼれた。
「おい金坊。」
「あ、はい。金坊…ですか。」
「おうよ。お前さんのことは金坊と呼ぶことにする。」
粗雑な、それでいて親し気な呼ばれ方に気恥ずかしさが先立つけれど、なぜこれほどまでに温かく感じて嬉しいのだろうかと、金四郎は不思議な心持ちに戸惑った。
「ウチの婆ァみたいにだな、ガキのお前さんを”金四郎様”なんて呼ぶ奴ァ碌な大人じゃねえから気を付けたがいいよ。目上なら”金坊”とか”金ちゃん”、同輩や目下なら”金さん”とか”金さま”と呼んでくれる奴こそが、お前さんの力になるだろうさ。そう呼んでくれる者を増やさにゃいかんぜ。」
無茶苦茶な話にも聞こえたが、金四郎はスッと腑に落ちるものを感じた。
思えば幼少より家の中でも外でも”金四郎様”とか”金四郎さん”と呼ばれてきて気付かずにいたが、時折苛まれる身の置き場の無い孤独感の正体が分かった気がする。
「では、私も銕三郎様のことを”銕さま”とお呼びしてよろしいでしょうか。」
「ふふ。少しこそばゆいが構わんよ、金坊。」
「銕さま、ありがとうございます!」
照れ隠しに羊羹を頬張る金四郎だったが、やがて感極まって号泣した。
明和7年(1770年)
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