無色
学校が好きか、と問われれば好きと答える事が出来るだろうか。
イジメられていた経験がある人間としてはNOと言わざるを得ない。
学校は楽しいか、と問われるとどうだろうか。
自分のためになる経験を積めたという意味でならYESかもしれない。
でも、どのみち子供らしい答えとして満面の笑みでYESとは答えられなかっただろう。
少なくとも楽しい思い出よりつらい思い出が目立つ。
社会に出る上で荒波にもまれていく事が必要不可欠とはいえ、普通と違う事を理由につまはじきにされていた身としては偉そうに説教出来たものではない。
「はい、というわけで僕からは以上でした」
それがどういうわけか、教壇に立ってぺらぺらな内容の話をしている。
僕の語れる範囲なんて、僕だけの経験上のものでしかない。
とは言えイジメられて校舎の片隅で描いてた話なんて聞かせてどうするんだろうか。
さりとて高校に入った経緯も半ば志乃さんのおかげで、家族と上手くいっていなかったから寮暮らしも兼ねてというあまりにも不純な動機だ。
参考になるとも思えなかったけれど、先方はそれでいいからと言って背中をぐいぐいと押された。
きっかけは母校から卒業生としての話をしてほしいと名指しで来ただけに過ぎないのだけれども。
美術関係のどこに行くのかを決めかねている高校生たちに進路の一つとして自分の身の上話をしてほしい、なんて。
なんの冗談だろうとは思っていた。
「なにか質問はありますか」
まだ暑さも抜けきらない座席に座る後輩たちを眺めながら尋ねる。
ついこの間まで通っていた校舎なのに、懐かしい光景を違う視点で眺めている。
なんだか不思議な気分だった。
「はい」
勝ち気そうな後輩の手がまっすぐ上がった。
他にも控えめに手を挙げている生徒もいたけれど、自分にはそちらが好ましく思えた。
「どうぞ」
「作品を破られた気分はどうでしたか」
後ろで控えていた教師が天を仰いで手で顔を覆っている。
他の生徒も目だけがそれを聞いてしまうのか、と言わんばかりだった。
タブー。
そういう認識がある。
そういう空気もある。
その中で彼は臆さずに聞いてきた。
彼らが僕の事を知っていて、それをきっと聞いてはいけない事だろうと周知している。
どこぞの喫茶店のマスターが、今頃厨房で客相手にこの話をツマミにしている頃だろう。
後輩たちの間で自分の事が噂話になっていると思うと背中のかゆくなる話ではある。
そう思うと、真っ先に怒るのも筋違いだと冷静になれた。
彼はまっすぐこちらを見ながら聞いてきている。
そこに悪意はなさそうで、ただの興味だけだろう。
どう返すのが正解かは、悩むまでもなかった。
「破られてみたいのなら、描いてみればいい」
破るほどの価値がなければ悔しくもなければ哀しくもない。
破られるほど出来であれば怒りもするし叫びたくもなる。
つまりはそういう事なのだ。
「破られてみなければわからない、という意味ではないよ」
質問した彼は納得できない様子ながらもそうですかと答えて手を下げた。
考え込んでいる子もいるので、このやりとりにもきっと意味が出てくるのだろうと思う。
他の子からの質疑応答も終えて、後ろにいた教師に悪かったと頭を下げられて講義を終える。
「いい皮肉じゃないか」
いい話、とは言われなかった。
けれども、声音には間違いなくそれでいいという意志が含まれていた。
「学長」
振り返ると、ここに居た頃に何度も壇上で見た顔がこちらに手を振って笑っていた。
二人そろって、茜の指す校舎を歩き出す。
「ここに在学していた頃、というよりも君の場合はもっと前からか」
在学中の話を持ち出されるといささか気恥ずかしいものがある。
今ですらまだまだプロとは言えたものではない。
そんな中から、変わった入学者が多いと言われる中で学長の印象に残る程度には印象深かったらしい。
「こんな年だし、何百何千の生徒が自分のもとから巣立っていったわけだけれど」
天才とも言われないし、秀才とも言われることはない。
それでも、時折これはと感じ入る者がいると口にした学長は教育者の顔をしていたと思う。
「個人の色というのが必ずあるはずだけど、君は無色透明だった」
「色ですか」
「そう、情熱的だったり理屈っぽかったり怒りんぼだったり泣き虫だったり」
カッカと笑って語る学長は、それが教育者の楽しみであり醍醐味のひとつだとも言いきった。
何年かに一回、そうした個々人の色がまるで透き通ったような子供がやってくるのだという。
「大成するかしないかはわからん、わからないが必ず何がしかの結果を残していく」
飾られた大きな絵とか、盾とかトロフィーとか。
そういうのがごっちゃごちゃに置かれた玄関口でしみじみとそう言う。
「君が残していったのはここじゃなくて喫茶店だけど、それも後輩たちはちゃあんと見ている」
しわくちゃの顔で心底楽しそうに笑う学長は、そういう人との出会いが楽しみでしょうがないのだろう。
「ちゃあんと、見ているんだよ」
学長は念を押すようにそう口にしてその場を後にした。
それもまるで僕ではない誰かに語りかけるように。
静謐を包む美術部が、なんだかとても恋しく思えてしまっていた。




