番外編 そもそもの始まりのお話
8/28 加筆しました。
銭塘君は、もうずいぶん長い間砂漠の上を飛んでいた。こちらの世界では竜の姿にはなれず、翼の大きな鳥に変化してしまうわけなのだけれど、今のところ特に不自由はしていない。アレクもこちらでは、ピアスを外しても魔族の姿にはならないと言っていた。恐らくこちらの世界には、竜も血を吸う魔族も存在していないのだろう。
ただアレクの場合、ピアスを外すと本能がむき出しになるらしいので外せないと愚痴っていた。発露する本能は時々によって異なっていて、やたら暴食したくなったり、強烈な睡魔に襲われたり、時には妃奈を無性に抱きたくなったり、するらしい。本人は結構悩んでいる様子だったが、俺からしてみればどうでもいい話だったので、適当にあしらっていたら怒りだした。まったくもって意味が分からん。
食べたきゃ食べればいいし、眠ければ眠ればいい、抱きたきゃ抱ける環境にいながら何が不満なのかと訊くと、暴食すれば太るし、眠気が強いと起きる時が辛いし、妃奈にはしつこいと怒られたのだと言う。
だったらピアス着けろよ、マジ、どうでもいい。
東アジア地域で三人、既に竜の斑紋を持つ子供を見つけていた。うち一人は内乱で家族を亡くし、天涯孤独の不遇な身の上だったため、レムス帝国へと誘った。位置情報さえ正確に掴めれば、向こうの世界から召喚できることが分かったので、それは特に難しい作業ではなかった。もっとも、アレクに国際電話をかけて知らせる必要はあったけれど。
砂漠がとぎれ、眼前に大きな海が見えてくると、銭塘君は、あぁ、と大きくため息をついた。
ここだ。ここだった。間違いない。
特徴的な長靴型の半島。かつて銭塘君はこの半島でレムスに出会った。
大きく蛇行して流れる河のほとり。テヴェレ河と言うのだと、後にレムスから聞いた。アペニン山脈を水源とするテヴェレ河は、この先三十キロほど流れて、オスティアを経て地中海にそそぐ。
その河のほとりに、七つの丘があった。
丘の名は、北から順番に、クィリナーレ、ヴィミナーレ、エスクィリーノ、カピトリーノ、パラティーノ、チェリオ、アヴェンティーノ。
そして、七つある丘うちの一つ、アヴェンティーノから見下ろす境界線。その境界線を今まさに越えようとしている青年。それがレムスだった。
その境界を越えた途端、彼の双子の兄であるロムルスが自分を殺すことは承知している。それでもなお、彼が境界を越えようとしていたのは、理由があった。
倦んでいたのだ。疲れたと言ってもいい。兄との緊張状態に。
双子であるが故に拮抗する力、そしてそれに右往左往する配下の者たち。互いの腹を探り合うことも、疑心暗鬼になることも、もううんざりだ。もう終わらせよう。共に苦難を舐め、狼の力まで借りて生き延びた双子ではないか。どちらか一方が消えねばこの状態が続くというのならば、もう終わらせねばならぬ。
兄よ、この境界は、越えるために引いたものなのだろう?
兄の剣が弟レムスをとらえたまさにその瞬間、上空から急降下した銭塘君はレムスをその鉤爪で捕らえた。そしてそのまま急上昇する。
あの時どうしてレムスを助ける気になったのか。未だに銭塘君にはよく分からない。
ただ、あの、すべてを諦めきった、暗い、嵐の海のような瞳にもう一度光を点せたら、どんなに美しいことだろうかと考えたことは、今でも鮮明に覚えている。
二人で長い長い旅をした。
漆黒の瞳を持つ美しい女性に、二人して恋をした。そして彼女の指し示すままに、二人の力を駆使して、隧道を通りレムス帝国にたどり着いたのだ。
当初、隧道をくぐった先が、かつて自分がいた世界とは別物であることなど気づきもしなかった。
本当は、ロムルスの国に戻ろうと思っていたのだ。もう一度兄に会って、境界線を越えたことを詫び、再び故国の片隅で、穏やかに暮らすことを許してもらうつもりだった。
ところが、たどり着いたその国は、ロムルスの国ではなく、ましてや、ロムルスの国が存在する世界でもなかった。
「おいぃ、本当にこの島で間違いないのか? 俺には違う形に見えるんだが……」
上空を飛びながら、銭塘君は背に乗せた二人に向かって叫ぶ。
「何を言ってる。ロムルスと俺が育った国は、こーゆー細長い半島だったんだ。間違いないさ」
眼下をのぞき込みながらレムスが怒鳴る。
「いや、半島ってか、これ大陸と繋がってないだろ。半島じゃなく、島だろ」
「細かいことは気にするな。こーゆー細長いところだったんだって」
「適当だなぁ……」
最終的には、いくら適当なレムスだって、気づいたはずなのだ。ここは自分が元居た国ではないと。ロムルスの国ではないと。
いや、最初から気づいていたのかもしれない。 なにせその島には、色とりどりの竜と、見たこともないカラフルな髪と瞳を持つ人々がいたのだから。
その世界はいつまで経っても飽きることがなかった。空と大地と広い海原。見たこともない摩訶不思議な湖底の果実。天駆ける竜族とカラフルでよく懐く動物たち、二人を頼りにしてくる素朴な人々。
気づけば何年も過ぎていた。
「なんだか楽しいな。銭塘君、おまえが一緒だとなんでも楽しくって仕方がないよ。竜族だのカラフルな人族だのってさ。未だに戦いに明け暮れてる筈のロムルスにも……兄にも、この国を見せてやりたかったな」
レムスの金色の髪が光を弾く。
「殺されかけてたってのに、のんきな奴だな。まぁ、そこがあんたのいいところなんだろう。何はともあれ、俺もあんたと居ると楽しいよ。この国も最高だ。不思議で、ヘンテコで、次は何が出てくるのかって毎日ワクワクしてる。竜は俺一人じゃないんだってことも、すごく気に入ってる」
二人は、シャルロ山頂に佇んで笑い合う。
「……この不思議な世界がいつまでも続くといいな。竜族も人族も共に幸せに暮らせる国が、いつまでも続くとよい」
眼下を見下ろしながら呟くように言ったレムスを銭塘君は見上げた。
キラキラと光を反射する地中海のような澄んだ瞳に、銭塘君は幸せそうなため息をつく。
あぁ、やっぱりレムスの瞳は美しい。助けて良かった。本当に助けて良かった。
「そうだな、いつまでも続くといいな。命が続く限り、俺はこの国を守ると誓うよ」
「俺も誓おう」
薄紫色の天はどこまでも高く、それを映す湖面はどこまでも広く、この国の繁栄を約束しているかのようにさざめいた。
(完)




