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第六話 レムス建国史

 白磁の月が夜空を煌々と照らし、星々の幽かな光をねじ伏せる。

 星空を楽しむには、満月は不向きだな。

 レムス国皇帝アレクシオスは、自室から見える月明かりに目を細めた。

 胸元の金竜の片翼が、ランプの揺らめく炎を弾いて淡く煌めいている。

 それにしても久々に愉快な街遊びであった。

 王宮を抜け出した間に、溜まってしまった公務の書類から目をあげて、アレクはふと小さく笑う。


 皇太子として王宮で生まれ、王宮で育った。本来ならば、街で暮らす民がどのような暮らしをしているのかなど、知らないはずのアレクだが、ある手段を使えば、それを容易く知る方法が彼にはあった。そうやって得た情報を確認するかのように、城を抜け出して街の人々の様子を観るのは、少年の頃から、アレクの楽しみの一つだった。民の暮らしは、少年アレクの憧れだった。自分は何故、こんな不自由な王族などに生まれたのか、不満の幼少期。なんとかして王族を離籍できないか、反抗の少年期を経て、王宮の混乱を鎮めようと立ち上がった諦念の青年期。皇帝になってからは、城を抜け出して街に出ることもめっきりなくなっていた。今宵、妃奈の為にと久々に街へ下りたはずが、そんなものは単なる口実になってしまい、自分の方がすっかりはしゃいでしまう始末。勧められるままにペアのネックレスを買ったのも、かつて憧れた普通の恋人同士のふるまいを、渡りに船とばかりにしてしまった訳なのだが、妃奈は呆れただろうか。


 自室のドアがノックされたのは、そんなことをつらつらと考えていた頃だった。夜も更けた遅い時刻だ。返事をすれば、しかつめらしい顔をしたリュシオンが盆をもって入ってくる。

 盆に乗せられたワイングラスを見て、アレクは眉間にしわを寄せた。グラスには、深紅の液体が七分目ほど入っている。

「リュシオン、それはどうしても飲まねばならぬのであろうな?」

「入れてあるのは極僅かです。極上のワインで割っておりますから、さほど舌に障らないと思いますが?」

 アレクは眉間にしわを寄せたまま、グラスを受け取るとぐいっと飲み干し、顔を歪めた。

「苦い。リュシオン、おまえの血は日に日に苦くなっておるぞ。どうにかならんのか」

「良薬は口に苦しと申しますからね」

「良薬が聞いてあきれるわ。嫌味の固まりのようなひどい味だ」

「しかし、僅かしか入れていないのに、よく私の血だとお分かりになりますね。陛下の味覚が未だ健全で、祝着至極に存じます」

 わざとらしく叩頭するリュシオンに、アレクは苦い顔をする。リュシオンは口角を引きあげて更に続けた。

「私の血がお嫌ならば、妃奈様からもらったらいかがです?」

 リュシオンの言葉にアレクは顔を顰めた。

「……此度、水門を守れたのは妃奈のお陰だ。もうそれで十分ではないか。妃奈には妃奈の国の暮らしが在ろう、いつまでも此処に留め置くわけにもいくまい?」

「本当にそれだけで済むとお思いですか? 最近、北のネメアが世継ぎ争いで国が荒れているという噂をお聞きになっているでしょう? また西の大国シノンも不穏な動きをしております。テオ様の竜騎だけでは、心もとのうございます。次の『竜替え』の日までには、力を蓄え、陛下におきましては、是非、力ある竜を呼び寄せていただきたいとみな願っております」

 テオこと、テオドシウスはアレクの双子の弟だ。

 北方からの使者は、先のレムス国に大雨をもたらした嵐が、北のネメア国に季節外れの雪をもたらしたこと、そのせいで、収穫間近だった穀物がダメージを受けたこと。予定の七割ほどの収穫しか得られないだろうこと、結果として、国境付近の町村で、略奪や諍いが起きる懸念があることを伝えにきた。その為に、辺境伯として赴任しているテオが、警備強化のために人員増員を要請していることを。

「テオの今年の竜は、緑だったらしいな」

「そう伺っております。とても濃い緑だと」

 王族は、一人一騎の竜を所有している。逆に言えば、竜を扱えることは王族の証でもある。

 竜の色は、その竜が持つ能力を表している。

 基本的能力は、赤は火、青は水、黄は土、緑は風なのだが、それ以外に、その色と同じ色を持つものの性質を併せ持っていることが多い。例えば、緑ならば植物。植物の持つ様々な特性。光合成ができるもの、薬や毒を作り出せるもの、などがある。もっとも緑と言っても、植物以外にもあるわけなので、併せ持つ性質が植物だとも限らない。だから、見た目で大まかな竜の能力は分かっても、併せ持っている能力が違う。対応も変わる。混色はそれぞれの色の能力が混ざっている。単色は混色よりも、その持てる能力が強く、また、色は濃い方が、力が強い。よって、濃い緑だというテオの竜は、風を操る能力の他に、何か緑に関する別の能力を併せ持つ可能性が高い。


「なぁ、リュシオンよ。この国は、そもそもレムスの国ぞ。ならば双子の弟であるテオが王座についても、何の問題もなかろう?」

「陛下っ。私どもは陛下の臣なのです。陛下が王座についているからこそ、従っている者たちばかりなのですよ? この十年で、乱れきった王宮の秩序は整い、国民の暮らしも落ち着いて参りました。それもこれも陛下の持つ極めて特異な能力と、優れた采配あってのことです。テオ様ではこうはいかなかった」

 リュシオンの賞賛の言葉に、しかしアレクは、苦虫を噛み潰したように顔をゆがめた。

「そちたちは、余を買いかぶり過ぎておる。同時にテオを見くびりすぎだ。テオは良き皇帝になることだろう」

「いいえ、いいえっ。陛下は皇帝になるべくしてなったのです。それを決してお忘れくださらぬよう、このリュシオン、臥してお願い致します」

 叩頭するリュシオンに、アレクは盛大なため息をついた。

「そち達の気持ちは、よう分かっておるつもりだ。もうよい。下がれ」

「はっ」

 かしこまって出ていこうとしているリュシオンの背中に、アレクは小さくため息をつくと、声を掛けた。

「リュシオン、明日は北からの使者の血を持ってまいれ。そして、翌日からは、要職に就いておる者達から順に血を用意するがよい。一人ずつ順番にだ。混ぜるなよ」

「承知致しました」

 リュシオンの顔に緊張が走る。

「僅かで良いからな」

「仰せのままに」

 リュシオンが出て行くと、アレクは窓辺に歩み寄って夜空を見上げた。


 十年前、アレクが帝国を引き継いだ時、王朝は乱れに乱れていた。その時は、今回よりも大掛かりに、王宮に仕えていた者のすべての血を飲み下した。アレクにとっては、実に実に憂鬱な作業だった。しかし、再び隣国で不穏な空気が湧きあがっている今、それは避けられない作業だ。なぜならば、レムス国内にも不穏な空気はしのびこんでいるからだ。

 先日、別の使者がそれを裏打ちする情報を持ってきた。

 最近、ネメアからの使者が、頻繁にテオと接触していると。

 人員を増加する前に、テオに会う必要がありそうだ。そして、王宮の内にも、既に間者がいることを想定しておいた方が良いのだろう。

 レムス国の王族にとって、血を吸う行為は、魔力を使う為の必須行為だ。しかし、アレクに限れば、それは、血の所有者の人となりを判断する手段にもなる。リュシオンはそれをアレクの鋭い味覚がなせる技だと思っているようだが、事情は少し違う。

 血を飲むことによって、アレクには見えるのだ。その者が過去に何を行ってきたかが。このことは、親兄弟でさえ知らないことだ。


 その昔、双子の兄弟、ロムルスとレムスは、ある国を建国した。その国は兄ロムルスが初代皇帝として統治したのだが、後に、弟のレムスはその国を去り、新天地を求め、こちらの世界に辿りついた。そして、このレムス国を建国し、始皇帝となった。だから、この国の歴史学者は、この国をレムス弟国と呼ぶ。

 この世界のどこかには、ロムルスとレムスの国をつなぐ隧道(ずいどう)があると言われている。

 レムスは、兄ロムルスにはない特殊な能力を持っていたと言われる。その能力に依って、レムスは隧道をくぐり、この世界で国を築いたのだと。始皇帝レムスの能力は、こちらの世界に元々あったある力と結びついて、強化され、今日に至るまで、脈々と王家に受け継がれてきた。

 これらは、単なる神話にすぎないと言われているにもかかわらず、多くの探検家たちは、長年にわたり、レムスの隧道を探索してきた。が、今日に至るまで、その隧道は発見されていない。

「ロムルス兄国か……。本当にあるのならば、行ってみたいものだな」

 アレクは、夜空に向かって呟いた。


■□■


 人気のないオフィスに、二人の男の声が響く。

「佐伯をどうするおつもりなんですか? 彼女は、実によくやってくれていますよ。良い部下です。何か良からぬ計画に利用するおつもりなら、私は……」

「いらぬ詮索をするな。おまえには関係のないことだ」

 デスクの下に身を潜めたまま、妃奈はコクリと唾を飲み下した。

 あの声は、課長? そして、もう一人は……。


「妃奈様、妃奈様っ」

 目覚めると、リンが心配そうにのぞき込んでいた。

「大丈夫ですか? うなされていらしたようですが……」

「リン……あ、夢。私、なんだか悪い夢を見ていたみたい」

 少しきまりが悪くて苦笑する。する事がないものだから、レムス建国史を借りて読んでいたのだけれど、椅子に凭れたまま眠ってしまったらしい。


 レムス建国史に出てくるロムルスとレムス。その双子の兄弟の話ならば、世界史で習った。向うの世界で。もし、これに書かれているロムルスが建国した国というのがローマのことなのならば、ここは、レムスの隧道をくぐった別世界だということになるの?

 私は、レムスの隧道をくぐってこちらの世界に来たってこと? いや、でもな、私、ローマにいた訳じゃないしなぁ。やっぱり違うか。


 考え込んでいると、リンがにこやかに話しかけてきた。

「昨夜は、陛下と街へいらしたそうですね」

「うん。シーブ・イッサヒル・アメルのタルトをご馳走になったよ」

「まぁぁ、陛下と街にいらっしゃるなんて、羨ましいですわ。あぁ、それで今日の双翠宮のおやつはシーブ・イッサヒル・アメルのパイだったのですね。陛下は、城下にお忍びで行かれた時に、よく注文しておいてくださるのですよ」

 さっきお茶の時間に食べたパイ。シーブ・イッサヒル・アメルの香りがするなぁと思ったのは、気のせいじゃなかったんだ。やっぱりあれだったのか~。

「リンは皇帝と仲が良いの?」

「仲が良いなんて恐れ多いことです。私など一介の侍女に過ぎません。でも、陛下は、私たちのような下々の者に対しても、何かとお気遣いくださるんですよ」

 皇帝の為ならば、命を差し上げることさえ辞さないとリンは熱く語る。

 アレクは、皇帝として、麾下(きか)にとても慕われているらしい。

「妃奈様、私、妃奈様にお願いがあるのですが」

 リンは、刺繍の仕方を教えてほしいと言った。妃奈が刺繍を施した二十枚ものハンカチは、適当に、世話係の人で分けてほしいとリンに渡しておいたんだけど、結構な人気なのだそうだ。特に、庭に咲いていた青い草花をモチーフにした刺繍が人気で、手に入らなかった娘が泣きだしてしまったとか。

 泣くほど欲しいものかな?

 もっと作りましょうか? と訊くと、そんなのいくら作っても足りません、だからやり方を教えてほしいんです、とリンは笑ってそう言った。

 ロサルリアという名の、深い青色のその花は、アレクシオス皇帝陛下の御印なのだそうだ。


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