第五十一話 レムスの隧道
「ところで、クリスティーナをどこへ飛ばしたんだ?」
竜の姿をジワジワと解きながら、銭塘君が問う。
「王宮の薬師司だ。レピオス医師と……第二皇妃が手厚く葬って、あぁ、間違えた、手厚く看護してくれることだろう。伯母は比較的アデルとは馬が合うようだからな」
それ本当に言い間違えなのか? と銭塘君は呆れる。
「そう言えば、おまえの第一皇妃って会ったことも見たこともねぇな」
「……第一皇妃は、人前に出せぬのだ」
アレクはため息をつきながら、床に転がった調度品の鳥の置物を拾い上げた。転がった衝撃で片羽がもげている。
「第一皇妃は、余の……余とテオの母親なのだ。かつて、余は父から母を託された。隠して保護せよと。父は重い病で、余命幾ばくもない身の上だった。自分が死して後の母の身を案じた。そこで策を講じた。だが、そのせいで母は人前に姿を見せられぬ立場になってしまったのだ。此度のネメア来訪で、話し合う余地が伯母にあれば良いと思っていたのだがな……」
そう言って苦く笑うと、アレクはクリスティーナの部屋に散らばった家具や調度品を片づけ始めた。
床の上に何か白っぽい粉状のものが散らばっているのにアレクが気づいたのは、窓際の散乱物を片づけていた時だった。
なんだ? これは……。
アレクはしゃがみ込み、指先で床をなぞる。白い粉はフワリと宙を舞った。ずいぶん軽い素材なのらしい。
「皇帝自ら掃除とは……よほど掃除好きなのだな?」
アレクの様子を見た銭塘君が呆れて問う。こちらは、竜に変化した時に脱げてしまった服を身につけているところだ。
「別に掃除が好きなわけではない」
アレクはムッとした様子で言い返す。
子供の頃、父王に連れてこられたこの城で、テオと散々悪戯をした。そして当時城主だったエディルス公から大目玉をくらった。すべての客間の掃除。それが二人に課せられた罰だった。その時の記憶があまりにも鮮明だったので、今回もつい片づけてしまっただけだ。
エディルス公は厳格で、癇性で、でも人と接することが大好きで、慈愛に溢れた人だった。そして、誰よりも温室のバラを愛していた。
『クリスティーナ』年の離れた自分の妻の名を、こっそりつけたバラの花を……。
部屋の入口にいた衛兵達は、アレクが命じてドームへ行かせた。ここを片づける者を数名残しておくのだったとアレクは後で気づいたが、既に衛兵達は一人残らず現場へ向ってしまっていた。今頃、ドームの見張りの衛兵を追い払っている頃だろう。
レムス王族の最大の持ち味は、王族自らが動き、その甚大な力を行使することにある。自身の持つ魔力はもちろん、いざとなれば竜を使役できるレムス王族にとって、一騎当千という言葉は決して大げさな表現ではない。それを知らずに城に招き入れた時点で勝敗は決していた。
床上の白い粉を指に乗せたまま、アレクは立ち上がった。
「銭塘君、そちは風呂に入っておらぬのではないか? フケのようなものが……ほら、こんなに……」
アレクの言葉に銭塘君は口をとがらす。
「そんなの落としたのは、俺じゃねーよっ。俺は昨夜、近くの湖で水浴びをしたばかりなんだからなっ」
「湖で水浴び? この雪の中で?」
アレクが呆れて問う。
「城の上空をちょろっと飛び回ったら暑くなったんだ。それで、躯を冷まそうと思ってだな、湖に入ったんだが……深いところに、なんと、シーブ・イッサヒル・アメルの実がなってたんだ。こんな寒いところでも実るやつがあるんだな」
「こんなところにシーブ・イッサヒル・アメルが?」
シーブ・イッサヒル・アメルは暖かい地方の果物だ。レムス王宮がある地域よりも南に分布している。環境に適応した突然変異種なのかもしれない。
「それで昨夜は満足げな顔をしていたのか」
王宮を出てからずっと、宿屋のベッドが硬いの、寒いの、ご飯がまずいのと文句ばかり言っていた銭塘君が、昨夜は特に文句らしい文句を言っていなかった。
「あぁ? いや、でもな、ちょっとしか生ってなかったんだぜ? それも小っこいやつでさ。甘みも控えめだったから、皇帝様には献上できないかなぁと思ってさぁ」
「別に余は怒っておらぬぞ? 果物を独り占めされたくらいでは怒らぬ。子供ではないからな。あぁ、ちっとも気分を害してなどおらぬぞ?」
ばっちり気分を害してるじゃねーか、と銭塘君はぶつぶつ言いながら、白い粉を指先に乗せてクンクンと臭いをかいだ。
「こりゃ、なんかの昆虫の皮じゃねえか? 虫っぽい臭いがする……蜘蛛かな?」
銭塘君の言葉に、アレクは瞠目した。
「まさか……ポムポムの……」
「ポムポム? なんだそりゃ、なんか、やけに愛らしい名前だが、蜘蛛なのか?」
「銭塘君、ドームへ急ごう。早々に決着をつけて妃奈を余の元に召喚する。妃奈め、部屋を抜け出したに違いない。大人しく待っておれとゆうたのに」
アレクは眉間にしわを寄せる。
銀色のドームの前には、気絶した衛兵達が一面に散らばっていた。先刻、先払いを命じた衛兵達がドームの前で跪き、アレク達を出迎えた。
ドームの入口はアサガオの蕾のように捻れた形で閉じている。
「これはどうやって中に入るのだ?」
衛兵たちは困ったように互いに視線を交わしあう。その中の指揮官らしき衛兵が一歩前にでた。
「中に入れるのはドームに選ばれた者だけなのです。衛兵で入れた者はおりません。見た限りでは、手をかざしているだけのように見えるのですが……」
「そうか。では、やってみよう」
アレクが手をかざすと、しばらく間があいて後、逡巡するようにユルユルと扉は開いた。まるで花が開くように。
衛兵たちから礼賛のどよめきが上がる。
「誰も入らぬように見張っておれ」
そう言い残すと、アレクはドームの中に入っていった。銭塘君がそれに続く。
「扉が開いて良かったな。皇帝様の面目がつぶれずに済んだ」
にやにや笑いながら肩を叩く銭塘君を、アレクは嫌な目つきで見下ろす。次いで、悲しげに顔を歪めた。
「扉に触れた途端、ドームが脳内に進入してきた。このドームは生き物だ。そうであるならば、容易く破壊することはできぬ」
アレクがそう言った途端、銭塘君は我が意を得たりと、嬉しそうに、同時に哀しそうに笑った。
「……さすがはレムス帝国皇帝様だ。見直した。この先、どんな状況に陥ろうとも、俺はおまえの指示に従うと誓おう」
いつになく従順な態度の銭塘君に、気味が悪いとこぼしながらも、アレクは破顔した。
「今頃見直したのか? 遅すぎだろう」
おまえが常日頃から見直せるようなことをしてないのが悪いのだと銭塘君が文句を言えば、しているのに気づかぬそちに見る目がないのだとアレクが言い返す。互いに小突きあいながら、細い通路を抜けて、ドームの中心へと向かう。
ひときわ天井が高く広く丸いドームの中心は、柔らかな光で満たされていた。淡いシャンパンゴールドのドーム内は程良く暖かく程良く湿っていて、まるで母の胎内に居るような安らかな心持ちになる。八角形の大理石を敷き詰めた床は、実際、呼吸しているかのように淡く明滅している。その最奥に、豪奢な縁飾りが施された大きな鏡があった。しかし、鏡に映っているのは対面した景色ではなく、どこか見たことのない異国の風景だ。
「……これが、レムスの隧道か?」
アレクが大鏡の前に立つと、異国の風景がにわかに霧に包まれて霞んでいき、その霧の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。
「レムスの隧道の芯の登場だ」
銭塘君がつぶやく。
現れた人影は、女性のようだった。すらりと細いシルエット。長い黒髪が揺れる。その姿が霧の中から現れた途端、アレクは驚愕した。
「……妃奈? そなた、どうしてここに?」




