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第四話 ポムポムとネプトゥヌス

「ううう……。まだ着かないんですか?」

 暗闇の中、アレクの背中にしがみつきながら妃奈は呻いた。


 アレクの手に掴まって着地した場所は、あろうことか、巨大蜘蛛の背中の上だった。最初は巨大なクッションの上に下りたんだと思った。茶色地にピンクのドット柄のちょっとけばけばしたクッション。ちくちくする毛がびっしり生えているので転がり落ちないように、その毛を束にして掴んだ。ところが、アレクが進めと指示を出すと、そのクッションは、畳んでいた毛むくじゃらの足をモゾモゾと伸ばして歩き出したのだ。

「ひぃぃぃ。何? 何ですか? これっ」

 前方に目をやると、八つあるブラックオパールの目の内の一つと目が合った。

 く……も? これ蜘蛛じゃない?

 慌てて、掴んでいた毛を離す。

 ぎゃぁぁ、蜘蛛、蜘蛛の毛、掴んじゃった~。ううぅぅぅ……う? わぁぁぁ。

 手を離したことでバランスを崩し、妃奈は蜘蛛の背から転落した。毛羽立った蜘蛛の足の間に挟まる。

 ぎゃぁぁぁぁ。脚の毛が……脚の毛が、ゴワゴワするぅぅ。

 慌てて林立する蜘蛛脚の林から飛び出した。

「大丈夫か? 自力で上れるか?」

 頭上から伸ばされたアレクの手に、妃奈は全力で首を横に振った。

 いやいやいやいや、乗りませんから。私は、歩いて城を脱出しますから。

「わ、私は、徒歩で参りますので、どうぞお気遣いなく~」

「徒歩で行く? あまり勧めぬぞ? 城の地下には王家のカタコンベ(墓所) があるからな、たまに幽霊が悪さをすることがあるらしいぞ? まぁ、単なる噂話に過ぎぬが……」

 一人歩き出した妃奈の背後から、少し笑い含みのアレクの声が追ってくる。

 幽霊なんて……ないない。

 妃奈は苦笑しつつ、アレクから渡されたランプで足下を照らしながら歩いた。路面は、舗装こそされていないものの、歩ける程度には平らに均されている。問題は壁面だ。手探りで歩くには、多少凸凹が激しいようなのだ。しかも、乏しい蝋燭の灯りでは、足下を照らすのが精一杯で、壁面は闇に呑まれている。

 ところで、さっきから気になってるんだけど、壁面の窪みに何か置いてありませんか?

 時折、壁面に触れる指先に奇妙な手触りがあった。

 飾りものかな? だけど、こんな地下の暗闇に飾りものなんか……置くかな?

 ふと気になって立ち止まり、ランプで壁面を照らして妃奈は絶句した。

 がががががが、骸骨ーーっっ!

「ぎゃーーーー」

 ガシャンと、持っていたランプが落ちて、辺りが闇に沈んだ。

 暗闇の中、動くに動けずヘタヘタと座り込む。

「だから勧めぬと申したであろう?」

 耳元で笑い含みの声がして、助け起こされた。

「手間のかかるやつだな」

 そう言うと、アレクは妃奈の腰に手を回したまま、スルスルと巨大蜘蛛の背へ上っていく。

 え? なんか凄い力持ち?

 気づけば、アレクの両手は手綱を握っているようなのに、妃奈の腰に回った手はそのままだ。

 あれ? と思いつつ腰に手をやると、妃奈の体は、ペタペタした糸状のものでアレクの腰に巻き付けられていた。

 うううう……蜘蛛の糸かい。

 がっくりとうなだれる。

「ポムポムはおしとやかだから、振り落としたりせぬのだが、おまえは落ちるのが得意なようだから、そのままで乗っておれ」

 いえ、そんなの得意じゃないです。……ってか、なんですか? ポムポムって。巨大蜘になんつー愛らしげな名前付けてるんですかーっ。

「しかし、急な坂を上り下りするからな。ポムポムの糸に頼らず、しっかり余に掴まっておるが良いぞ」

 アレクの言葉どおり、ポムポムは暗闇を疾走した。言われるまでもなく、アレクの背中にしがみつく。

 うわぁぁぁぁ~。

 思わず絶叫する。恐ろしいくらいの急斜面を駆け下りたと思ったら、駆け上がる。それを数回繰り返したところで、前方に白い光の楕円が見えた。出口らしい。


 乗ったまま外まで出るのかと思ったら、入り口近くで、ポムポムは立ち止まり、そのまま蹲った。

 光が苦手なのかな。

「ポムポム、ご苦労だったな」

 アレクが愛おしげにポムポムの背中を叩くと、八つの目が順番にギラギラと輝いた。

 喜んでる……の?

「褒美だ」

 アレクがポムポムに何かを差し出した。アレクの手の中で何か黒っぽいモノがバタバタともがいている。ポムポムは、それを頓着することなく口に含むと、モゾモゾと闇の中へ消えていった。

「あれ、何だったんですか?」

「コウモリだ。ポムポムはコウモリが大好物なのだ」

 うわぁ、コウモリ。そりゃね、蜘蛛だもんね。肉食だもんね。肉食……。

「あの……ポムポムって、人を食べたりはしないんですよね」

「食べてるんじゃないか? 王族以外が城の地下に潜入して、無事に城内に入れた者はいないと聞いているぞ? たまに白骨化した死骸を見ることはあるな。しかも、いるのはポムポムだけではないしな。だから、そちも一人で地下には行かぬことだ」

 うわー、聞いておいて良かった。いざとなったら、あそこから逃げようと思ってたよ~。ってか、王族以外でってことは、王族には、蜘蛛を操るような何か特殊な能力があるってことなんだろうか。いや、そんなことよりも、ということは、アレクは衛兵ではなく、王族ってことじゃ……。

「ねぇ、じゃあ、アレクって王族なの?」

「そういうことになるな」

 楽しげに笑う、その麗しい顔に釘付けになる。

 王子様みたいだ。

 少しぼんやりと佇んだあと、先を行く背中を慌てて追った。

「ね、ね、アレクって、もしかして王子様?」

「いや、違うぞ」

 そう応えてから、アレクはハッとしたように、妃奈を振り返った。

「おぉ、そうだ。うっかりしていた。そちも、これを被った方が良い。そちの黒い髪は目立つからな」

「アレクの髪も、目立つから隠しているの?」

「あぁ。王族は、金色の髪をしている者が多いのだ。お忍びで町へ行くには、ちょっと目立ちすぎるからな」

 アレクは、皇帝と同じ金色の髪をしているらしい。


 アレク自身が被っている布は、生成のような白い布だが、懐から取り出して被せてくれた布は、深い青色の地に優美な刺繍が施されているものだった。

「すっごく綺麗~」

「そうか? 気に入ったのなら良かった。そちの黒い瞳に、よく合うだろうと思うてこれにした」

 え? 私の為に、この布を用意してくれていたの?

 丁寧に髪を布の中にしまってくれるアレクの手つきが妙に巧みで、なんだか自分が、年上の兄弟に面倒をみてもらっている小さな妹になったかのような錯覚に陥ってしまう。もしくは、恋人……とか?

 って、わわ私ってば、何、勘違いしてるのっ。

「あ、ありがとうございました。あとは自分で……」

 たじろいで後ずさると、アレクは、とてもよく似合うと言って破顔した。

 むぅ……その笑顔、反則です。


 薄暗い隧道を、少し歩くと外に出た。背後を振り返ると、急勾配の絶壁がそそり立っている。やはり、この城は山の上に築かれているのだ。でも、こんな風に抜け出すのではなく、普通に城へ行くにはどうやって登るんだろうか。どこかに階段でもあるのかな。

「どうした? 行くぞ」

「あ、はいっ」

 前を行くアレクの背中を、慌てて追いかけた。

 森の中で、アレクが口笛を一吹きすると、群青色の馬が茂みの中から駆けてきた。(たてがみ)がアメジスト色で、とても美しい。

「これに乗るの?」

「そうだ。ここから街まで歩いていたら夜になってしまうからな」

 どこから取り出したのか、アレクは、がっしりとした鞍を手早く取り付け始めた。

 あれ? アレク、鞍なんて持ってたっけ?

 首を傾げていると、鞍をつけられた馬が、勇んで足を踏みならした。

 うわぁ、なんて美しい生き物なんだろうか。近くによると、その毛並みの美しさが更に良く分かる。惚れ惚れと見とれて、思わず手を伸ばし、馬の首筋をそろりと撫でた。ベルベットのような手触り。しかし、その瞬間、馬が妃奈を睨みつけた気がした。

 ん? 睨まれた?

「気をつけよ。こいつは、ポムポムと違って気が荒いからな」

「え、そうなんですか?」

 慌てて手を引っ込めたが、次の瞬間、その馬は、妃奈の顔に鼻面を近づけた。

 ブヒックション!

「うわぁ」

 盛大に鼻水を浴びせられる。

 え~。びしょびしょ。くさーい。

「こら、ネプトゥヌス」

 困った奴だと言いながら、アレクが、自分の被っていた布で妃奈の顔を拭う。

「あ、あわわ、ありがとうございます。でも大丈夫です。ごめんなさい。アレクの布が汚れちゃう……」

「なに、構わぬ。布など拭く為にあるのだ」

 いえいえ、それはちょっと違うような……。

 妃奈は苦笑する。

 来い、そう言って妃奈の腰に手を回すと、アレクは妃奈を抱いたまま鐙に足を掛けた。

 え? えっ、え!

 グンと持ち上げられて、気づけば、アレクに抱かれて横座りした状態になっている。

「走るぞ」

 えーっ。いきなり走るんですか? こ、心の準備が、まだ出来ていませんっ。しかも、こんな横座りのまま馬に乗ったことがないのですががが……。

 ネプトゥヌスは、深い森の中を風のように疾走した。妃奈の不安を笑うように、その走りはとても滑らかだ。まるで、地に足が着いていないかのように、滑らかで安定した走り。ほとんど揺れることがない。美しいだけでなく、不思議な馬だと思う。

 妃奈は、ホッと一息つくと、アレクの胸にそっと頭をもたれさせた。

 たっぷりと日を浴びた木々の匂い。

 ねぐらを目指す鳥たちの声。

 暮れ始めた青磁の空に白磁の月。

 規則正しいアレクの鼓動。

 世界の中で、アレクと自分だけになってしまった気分になる。それが不安なわけでも不快なわけでもなく、ただ、何もかもが夢のように美しくて心地よい。

「どうした? やけに静かだな。さっきのようにキャーキャー言いながら、余にしがみつかぬのか?」

 黙り込んでいると、少し不満そうな声が降ってきた。

「私、キャーキャーなんて言ってないですよ。それに馬に乗るくらいでは、騒ぎません」

 妃奈は口をとがらせる。

 あれは、蜘蛛なんかに乗ったのが初めてだったから、少し取り乱してしまっただけだ。乗馬経験なら少しはある。苦手だったけど。

「そうか? ならば少し急ぐぞ?」

 グッとアレクが手綱を引くと、それに応えるようにネプトゥヌスは嘶いて、グンと地面を蹴った。軽い衝撃と強い浮遊感。次の瞬間、ネプトゥヌスは木々を蹴って、深い森を浮上した。

 きゃーーーーー。

 あたかも大地の上であるかのように、ネプトゥヌスは樹海の上を軽やかに疾走した。

 なになになになに~。翼もないのに、なんでこの馬は森の上を走ってるのぉぉぉ? 重力無視ですか? なによ~。なんなのよ、この馬~ぁぁぁ。

「怖いのならば、余にしっかり掴まっておくが良いぞ」

 活き活きとした声が、頭上から降ってくる。

 そんなこと言われるまでもない。高い所が苦手なのだ。

 妃奈は、再びアレクにしがみついた。


「馬に乗るくらい、平気だと申しておったではないか……」

 地上に降りてから、ずっとふくれっ面で口をきかない妃奈に、アレクは弱り切った顔で釈明する。

「少し急ぐって、あれのどこが少しなんですか? 馬が樹の上をひょいひょい走るなんて、ありえないでしょお?」

「あの程度では少しであろ? そちの国では、馬は走らぬのか?」

「走りますよっ。地面の上をねっ」

 森の中は障害物だらけゆえ、地面を走っていては、ちっとも急いだことにならぬではないか、とかなんとかぶつぶつ言っているアレクを、とりあえず無視する。

 だって怖かったんだもん。


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