彼の夢
「……活気がないと思わないかい?」
突然、小守はそんな言葉をかけられた。
「なにがです?」
「この国っていうべきか、この世界って言うべきかわからないけど、活気がないんだよ。外を歩いているとね、いつもそう感じるんだ」
通りでは、車が行き交ったり、人がすれ違ったりしている。
だけどその中に愉快な会話なんてほとんどないのだ。
車が小汚い空気を吐き出している。携帯電話で業務連絡ばかりするOLがいる。親に厳しくしつけられて泣きじゃくる子供がいる。生きるために有意義なことばかりして、人間としての本来の姿を見失っているように高梨には見えている。
「だから一発、僕がこの世の中にどんと飛び出して活気を与えてやろうと思った。僕が音楽をやりたいと思ったきっかけは、そんな些細な理由だったんだ」
それから高梨は、ゆっくりと時間をかけて語り始めた。
音楽が、世の中を動かすのに最も最適で、一番の近道だと思っていた。
まだ高校一年生だった頃の話だ。
幸いにも彼は、友人から歌声を賞賛され、自分には音楽の才能があると思ってまずはギターに手をつけた。
本当にゼロからのスタートだった。
そもそもギターを買うお金がなかった。悩んだ挙句訪れたのは、『羨望駅』近くにあるおじいちゃんの家だった。するとおじいちゃんは、笑顔でお金を貸してくれた。
「でも大学生になったら、自分で稼ぐんだぞ?」
優しいおじいちゃんで、彼はよく懐いていた。
ギター、ピック、アンプ、シールド、チューナー……。
とにかくありとあらゆるものをかき集めて自宅で練習を始めた。ギターを弾きならすとわくわくして、よく未来の自分を想像した。歓声に沸くドーム状の暑苦しい会場で、もっと熱くなれと促す自分の姿があった。だから、その夢を叶えるために一生懸命練習に励もうとした。
でも応援してくれるのは離れた家に住むおじいちゃんだけで、両親は違った。
「ガチャガチャうるさい! 他の場所でやりなさい!」
母に、ギターを初めて一時間もたたないうちにそう咎められて、彼は家での練習を諦めた。
ならばどこでやればいいのだろうか。
その答えは単純明快で、たった一つしかない。
学校だ。
彼が通っていた高校には吹奏楽部やブラスバンド部や軽音楽部など、音楽関係の部活はなかった。野球部やサッカー部のようなメジャーなものはあったが、予選の第一試合で敗退してしまう弱小チームばかりで、部活には無頓着な学校だった。どの部活も、同好会程度の内容でしかないのだ。
だからだろうか。放課後、学校の空き教室でギターの練習ができないか担任に訊いてみたところ、あっさりと校長の許可が下りた。
「つまり、軽音楽部を作りたいってことだろ? やってもいいらしいから、適当に頑張ってみなよ」
担任にそう後押しされて、彼は次の日からギターを背負って学校へ通うようになった。
放課後に一人で部室に足を運んで練習した。
がむしゃらだった。教本だけでは理解できず、学校にあるパソコンを駆使して幾度となく調べた。つりそうな指を何度も開いて弦を押さえつけて、ようやく完璧な音を出せた。
感動した。
ギターってこんなにもいい音を出すんだ。
生演奏はきっと世の中を変えてくれる。練習すればするほどバリエーションが増えていつかソロのアーティストとしてやって行ける日が来る。
そう感じて、勉強を放ってまでギターに執着していた。いつも気づけば夜だった。
それから数カ月がたったある日のことだ。
日課となっているギターのチューニングを終え、肩慣らしにパワーコードをリズムよく掻き鳴らしていると、誰かが部室の扉をノックする音がして、演奏をとめた。
そこにいたのは、ギターを持った二人の高校生だった。
「俺らも一緒にやらせて下さい!」
夢は伝染病なんだなと、彼はこのとき感じた。
学年が一緒だったということもあり、三人は仲良くギターの練習に精力を注いだ。
あとからやってきた二人はギターやドラムの経験者らしく、既にバンドを組めるほどの実力を兼ね備えていたのだが、ボーカルが見つからずに困っていたらしい。高梨は自分がボーカルを務めるから一緒にバンドを組まないかと持ちかけて、ついに三人はバンドを結成した。
それでも、折角おじいちゃんからもらったお金を無駄にしたくなかった。高梨は二人からギターを教わっていた。そんなとき、ふと彼は呟いた。
「クマに由来するバンド名がいいなぁ」
そして名づけられたのは『ウルス』だった。フランス語でクマを意味する言葉。
名付けたのは、
「よう。いい名前だろ? あたしがつけてやったんだぜ?」
なんの断りもなく部室にやってきた一人の女子生徒だった。
しかも軽音楽部の誰も知らない、赤の他人。
「この学校つまんねぇよなぁ。校則厳しいくせして部活は総じてクズだ。お前らには期待してる。うん、ウルスっていいだろ? な? なっ?」
丸め込む形で問いかける女子生徒の名前は、九条マリアだった。
呼んでもないのに毎日部室に来ては、監督さながらに野次を飛ばす男勝りな女性。
実際にバンドを組んだのはいいが、ドラムがない。三人とも出資するお金がなくて困り果てていたところに九条が言った。
「じゃあ、あたしがドラム提供してやるよ」
三人は言葉を失ったが、一週間後、九条はドラムを部室へと運んできた。
どうやら本当に三人を応援しているらしい。
金持ちなんだろうなと高梨は思っていた。
でも違った。
その翌日、昼休みに廊下で九条とすれ違ったとき、高梨は軽く挨拶をしてみた。
「あ、九条さん」
「……」
九条はそれに気づかず、彼の横を通り過ぎていった。
その日から、九条は部室に現れなくなった。
またも昼休みに廊下で声をかけてみるが反応がなく、不審に思った高梨は放課後、部活動を休みあとをつけてみることにした。
そしてたどり着いたのは小さなアパートだった。年季の入ったこげ茶色の住宅だ。
どうやってドラムを手に入れたのか。それが不思議なほど小さな家。
なにかただならぬ事情を察した彼は、九条が入っていったアパートの二階にのぼり、インターフォンを押した。
出てきたのは母親だった。その母親に事情を話すと、むっとした顔を作った。
「あの子、家のお金盗んだのよ。それがそのドラムに変わったんだと思う。理由はどうしても話してくれなかったけど、まさか音楽機材を買うためだったなんて……」
衝撃だった。
まさか親のお金に手をつけているなんて思わなかったから。
必死に謝ってみたが、それはあとの祭りだ。
九条の母親は、「私の娘がやったことだから」と高梨を咎めることもせず扉を閉めた。高梨はその場でしばらく放心状態だったが、次第にとぼとぼ歩きだして帰路についた。
なんで。
どうして。
疑問のフレーズが頭の中で渦巻いて、練習に身が入らなくなった。
そんな日々がしばらく続いたとき彼は決心した。
直接、彼女の口から聞くしかない。
放課後に九条の教室の前で待ち伏せして捕まえた。抵抗はしなかったが一応その腕を掴みとり、誰もいない屋上へと連れていった。
どうして親のお金盗んでまでドラムを買ったのか尋ねた。
「どんなに学校がつまらないからって、そこまですることないんじゃないの?」
返事はいたってシンプルだった。
「本気だったから」
「え?」
「本気でアーティスト目指してるって、お前言ってただろ?」
「それだけ?」
「んだよ、不満かよ!」
「いや、そうじゃないけど……」
返事に困った高梨に、九条は言った。
「あたしがウルスのファン一号になってやる。だからお前も、もっと本気でアーティスト目指せよ。お前たちを応援したいだけなんだよあたしは!」
そう言ってそっぽを向いた。
「約束するよ。約束するけど」
「けどなんだ!」
「本当にそれだけ?」
「え?」
高梨はそう繰り返し、九条の顔を覗き込んだ。
「本当にそれだけなのかなって」
「それだけだよ! ほんっと鬱陶しいなお前、もう帰るからな!」
力強い足取りで九条は屋上から去っていった。
それから更に数年が経ち、高梨は大学生になった。音楽で世の中を活気づける。そんな目標から、激しいパフォーマンスを要するビジュアル系のバンドを目標にしていた。相変わらず音楽は続けていたが、そのせいでいくつか単位を落とし、親にこっぴどく叱られる羽目になった。
それでも、おじいちゃんならわかってくれる。
そう思っておじいちゃんの家を訪ねてみたのだが、
「音楽やってて成績が下がっただと? アホ抜かせ! 男のくせに下らない化粧なんかして出しゃばりおって! さっさと音楽なんぞやめて就職しろってんだ!」
おばあちゃんはその暴挙をとめにかかっていたが、おじいちゃんの怒りは収まらず、高梨は逃げるようにその家を出ていった。
あのときのような優しいおじいちゃんは、もうそこにはいなかったのだ。




