第59話 二周目の答え
最終話です。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
午前一時半。
鎌倉の家に着くと、玄関の明かりが、煌々とついていた。
車のドアを開けるより先に、玄関の扉が開いた。
ミサキが、裸足のまま、雨の庭に飛び出してきた。
「ショウゴくん!」
ミサキは、そのまま俺の胸に飛び込んできた。
小さな体が、震えていた。
「……帰ってきた」
「帰ってきた」
「零時、過ぎたよ」
「過ぎた」
ミサキは、俺の胸に顔を埋めたまま、声を上げて泣いた。
二十六年前、図書館の帰りに、銀杏の下で告白したときと同じ、小さくて少し冷たい手が、俺の背中を、ぎゅっと握っていた。
玄関には、残りの四人が立っていた。
アリサは、腕を組んで、泣くのをこらえていた。ユイは、もうぼろぼろに泣いていた。カオルさんは、目元をハンカチで押さえながら、静かに微笑んでいた。
俺の後ろから、レイコさんと真壁さんが、車を降りてきた。
「零時四分、無事を確認しました」
レイコさんが、いつもどおりの声で言った。
それから、少しだけ声を詰まらせた。
「……記録しておきます」
◇
その夜、七人は、リビングで朝まで起きていた。
暖炉に火を入れて、毛布にくるまって、温かい紅茶を飲みながら。
ホームで起きたことを、俺は全部話した。
田中のこと。走ってきた男性のこと。熱を出した子どものこと。
二十六年前、俺の背中を押したのは、悪意のある誰かではなかった。子どものもとへ急いでいた、ただの父親だった。
「……恨んで、ないの?」
ユイが、毛布の中から聞いた。
「恨んでない」
俺は、暖炉の火を見ながら答えた。
「あの人が押してくれなかったら、俺は、ずっと一周目のままだった。四十八歳の、貯金三百八十万の課長のまま、たぶん六十歳まで同じ毎日を続けてた」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。
「あの夜があったから、みんなに会えた」
ミサキが、俺の肩に頭を乗せた。
「……私、一周目のショウゴくんにも、会ってみたかったな」
「やめとけ。ひどい男だったぞ。四年間、好きな女の子に一言も話しかけられなかった」
「知ってる。二周目のショウゴくんから、何回も聞いた」
ミサキは、くすくすと笑った。
「でもね、一周目のショウゴくんがいたから、二周目のショウゴくんがいるんでしょ。一周目のショウゴくんが、深夜二時に、あの小説を読んでくれたから」
ミサキは、毛布の中で、俺の手を握った。
「だから、一周目のショウゴくんにも、ありがとうって言いたい」
◇
窓の外が、白み始めていた。
雨は、いつの間にか止んでいた。
庭の桜の古木が、一夜のうちに、つぼみをほころばせていた。
「……咲いてる」
ユイが、窓に駆け寄った。
アリサが、その隣に並んだ。
「日本の桜、初めて咲く瞬間を見たわ」
カオルさんが、毛布を肩にかけたまま、ゆっくりと窓辺に立った。
「七人で見る桜は、格別ね」
真壁さんが、窓の外の桜を見ながら、小さく言った。
「長野の桜は、まだ二週間先です。……でも、こっちの桜のほうが、きれいに見えます」
レイコさんは、手帳を開いて、何かを書き込んでいた。
「何を書いてるんだ」
「今日の記録です」
レイコさんは、手帳を俺に見せた。
――2026年3月28日。午前5時42分。鎌倉にて、桜の開花を確認。全員、無事。
その下に、もう一行。
――佐伯ショウゴ、二周目を完走。
◇
窓辺に、七人が並んだ。
朝日が、海の向こうから昇ってきた。桜の花びらが、朝の光の中で、淡く光っていた。
ミサキが、俺の腕に、自分の腕を絡めた。
「ねえ、ショウゴくん」
「ん?」
「国家予算、稼いだね」
「稼いだ」
「次は、何するの」
俺は、少し考えた。
一周目の記憶は、もうない。昨夜の零時四分を過ぎた瞬間から、ここから先の未来は、俺も知らない。
宝くじの番号も、株価の動きも、何も分からない。
ただの、四十八歳の男だ。
国家予算を稼いだ、ただの男。
「……分からない」
正直に答えた。
「ここから先は、俺も、何も知らない」
ミサキは、目を丸くした。それから、ぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、やっと、みんなと同じになったんだね」
「同じ?」
「明日のこと、誰にも分からない。それが、普通の人生でしょ」
ミサキは、窓の外の桜を見上げた。
「ショウゴくんは、二十六年間、ずっと答えを知ってる人生を生きてきたんだよね。でも、今日からは、私たちと同じ。答えを知らないまま、一緒に生きていくの」
レイコさんが、手帳を閉じた。
「答えのない数字を数えるのも、面白いですよ。佐伯さん」
アリサが、肩をすくめた。
「市場は、常に正しい。でも、その答えは、誰にも分からない。それが、本来の投資よ。ようこそ、ショウゴ」
カオルさんが、優しく微笑んだ。
「これからは、勘じゃなくて、本当の勘で生きるのね」
ユイが、涙を拭いて、笑った。
「台本のない人生って、ドキドキしますよ。私、毎日そうですから」
真壁さんが、少しだけ口元を緩めた。
「記録は、これからも、私と桐谷さんでつけておきます」
六人の顔を、順番に見た。
一周目の俺は、四十八年間、誰とも、こんな朝を迎えたことがなかった。
「……悪くないな」
俺は、小さくつぶやいた。
ミサキが、俺の腕を、ぎゅっと握った。
「一番最初は、私だからね」
「知ってる」
「これからも、ずっとだよ」
「ずっと、覚えてる」
窓の外で、桜の花びらが、一枚、朝の風に舞った。
◇
四月の初め。
両親を連れて、箱根の温泉に行った。六年前、家にこもっていた春に、電話で約束した旅行だった。
宿の露天風呂で、父と並んで湯に浸かった。七十八歳の父の背中は、昔よりずいぶん小さくなっていた。
「ショウゴ」
「ん?」
「いい湯だな」
「ああ」
それだけの会話だった。
一周目の俺は、父とこうして湯に浸かったことが、一度もなかった。
湯気の向こうに、山桜が咲いていた。
風呂から上がると、母が、宿の売店で買ったという小さな土産物の袋を三つ、俺に差し出した。
「お嫁さんたちに。六人分は重いから、二つずつ入れてあるわ」
「……母さん、知ってたのか」
「テレビで、あれだけ騒がれればね」
母は、少しだけ呆れたように笑った。
「お父さんがね、全員大事にしてるなら、それでいいって。あんたの顔見たら、分かるって」
◇
一か月後。
ガード下の焼き鳥屋で、村井に全部話した。
村井は、ビールを三杯飲む間、一言も口を挟まなかった。
話し終えると、村井は、焼き鳥の串を皿に置いて、長いあいだ黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「……中身は親父って、本当だったのかよ」
「本当だった」
村井は、天井を見上げた。
それから、声を出して笑った。二十六年前、ゼミ室で笑ったのと、まったく同じ笑い方だった。
「お前の話で、信じなかったこと、これで一つもなくなったわ」
村井は、ジョッキを掲げた。
「二周目、おつかれさん」
「ああ」
ジョッキが、ガード下の喧騒の中で、小さく音を立てた。
頭の上を、電車が通り過ぎていった。
終電一本前の電車だった。
現在資産:116,300,000,000,000円
――完――
『タイムリープした俺、宝くじの当選番号を全部知ってるので億万長者になります』、これにて完結です。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
深夜テンションで当選番号を覚え始めた社畜が、二周目の人生で国家予算を稼ぐまで。
全59話、約二十六年分の物語でした。
一周目の主人公が深夜二時に読んでいた小説と、この作品のタイトルが同じなのは、最初から最後まで仕込んでいたネタです。
第55話で回収できて、作者としてはほっとしています(笑)
ミサキ、レイコ、カオル、アリサ、ユイ、シズカ。
誰も去らない六人のヒロインを、最後まで書ききれてよかったです。
もし過去に戻れたら。
そんな「もしかしたら」を、少しでも楽しんでいただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。
最後に、ブックマークや☆☆☆☆☆での評価、感想をいただけると、次の作品を書く大きな力になります。
「このヒロインが好きだった」「この場面がよかった」など、一言でも大歓迎です!
それでは、また次の作品でお会いしましょう。
深夜三時でした。




