第01話 12億円のニュース
深夜三時です。
2作目は「宝くじの当選番号を全部覚えていた社畜が、過去に戻って億万長者を目指す」お話です。
稼ぐ快感と、どんどん増えていくヒロインたちを楽しんでもらえたら嬉しいです。
※この物語はフィクションです。実在の宝くじ・企業・団体とは関係ありません。
午前一時十二分。
終電一本前の車内は、酒の匂いと疲れた溜息で満ちていた。
俺、佐伯ショウゴ、四十八歳。中堅SIerの課長。独身。社会人になって二十六年。
吊り革につかまったまま、スマホの画面を親指でなぞる。今日も十四時間働いた。明日も同じだけ働く。たぶん、明後日も。
「……ん?」
ネットニュースの見出しが目に留まった。
――ロト7、1等12億円が出る。キャリーオーバー発生中。
「じゅうにおく」
思わず声に出ていた。隣のサラリーマンがちらりとこっちを見て、すぐに目を閉じた。
十二億。
俺の年収が七百万だから、ええと、百七十年分か。一生どころか、二回生まれ変わってもまだ余る。
記事を開く。当選者は一口。どこの誰かは当然書いていない。ただ、売り場の写真だけが載っていた。どこにでもある駅前の小さなブースだ。
「こんな普通のところで……」
普通の人が、普通に買って、十二億。
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
◇
翌朝。
「課長、すみません。昨日のバッチ、また落ちてました」
席に着くなり、部下の田中が青い顔で駆け寄ってきた。入社三年目。真面目で、真面目すぎて、いつも寝不足の顔をしている。
「ログ見せて。……ああ、これ客先の仕様変更の影響だな。俺が直すから、田中は午前中だけでも寝てこい」
「でも」
「いいから。倒れられる方が困る」
田中を仮眠室に押し込み、自席に戻る。モニターには未読メールが八十二件。そのうち三件は、堀部長からの「進捗どうなってる?」だった。
――二十六年、ずっとこれだ。
学生の頃は、自分がこんな大人になるとは思っていなかった。いや、何になりたいかも、たいして考えていなかった。気づいたら内定が出て、気づいたら課長になって、気づいたら四十八歳になっていた。
昼休み。気づけば俺は、会社近くの宝くじ売り場の前に立っていた。
「ロト7、一口」
三百円。マークシートの塗り方も分からず、販売員のおばちゃんにクイックピックを勧められた。機械が勝手に数字を選んでくれるらしい。
「当たるといいですねえ」
「はは、まあ、話のタネに」
嘘だった。俺は本気で当たる気でいた。
十二億あったら何をするか。会社を辞める。まずそれだ。次に海の見える家を買う。それから――それから、なんだろう。
考えてみたら、やりたいことが特に思いつかなかった。二十六年、仕事しかしてこなかったからだ。
その晩、珍しく実家の母から電話があった。
『ショウゴ、正月も帰ってこなかったでしょう。元気にしてるの?』
「元気だよ。忙しいだけ」
『お父さんがね、車がそろそろ限界だって。でも年金暮らしだから、もう買い替えは無理かねえって笑ってたわ』
「……そっか」
親父の車。俺が高校生の頃から乗っている、白いセダンだ。もう二十年以上になる。
買ってやれよ、と頭の中の誰かが言った。でも、口座の残高を思い浮かべた瞬間、その声は小さくなった。三百八十万。老後のことを考えたら、手をつけるのが怖い数字だった。
「今度、帰るよ」
『そう言って、いつも帰らないじゃない』
母は笑っていた。責める声じゃなかった。それが、余計にこたえた。
電話を切ったあと、俺はしばらく天井を見ていた。十二億あったら、何をするか。少なくとも一つは、はっきりした。
結果は、かすりもしなかった。
それでも、次の週も買った。その次の週も。ロト6も、ナンバーズも、ミニロトも。一か月で三万円が消え、当たったのはナンバーズ3のボックスが一回、八千円ちょっとだけ。
「世の中、そんな甘くないよなぁ」
アパートの六畳間で、外れ券の束を眺める夜が増えた。
それでも、やめられなかった。毎週、抽選結果を見るあの数秒間だけ、俺の人生に「もしかしたら」が生まれる。四十八年の人生で、そんなものはとっくに失くしたと思っていたのに。
◇
きっかけは、深夜二時に読んでいたネット小説だった。
『タイムリープした俺、宝くじの当選番号を全部知ってるので億万長者になります』
身も蓋もないタイトルだ。でも、面白かった。主人公は死んで過去に戻り、覚えていた当選番号で一発逆転。会社を作り、女の子に囲まれ、嫌な元上司を見返す。
読み終えたとき、俺は布団の上で正座していた。
「……これだ」
深夜テンションというやつだ。分かっている。人は死んでも過去には戻らない。小学生でも知っている。
でも、もし。万が一。億が一、戻れたとして、番号を覚えていなかったら?
それほど悔しいことはない。
「覚えるだけなら、タダだしな」
翌日から、俺の日課が一つ増えた。
過去の当選番号の暗記だ。
ロト6の第1回は2000年10月。そこから毎週欠かさず、二十六年分。ロト7、ミニロト、ナンバーズ3と4。公式サイトには全部の結果が残っている。
通勤電車で一回分。昼休みに五回分。寝る前に復習。スマホのメモ帳には、自作の暗記表がびっしり並んだ。
自慢じゃないが、記憶力だけは昔から良かった。中学の頃は円周率を三百桁言えた。何の役にも立たなかったが。
不思議なことに、これが楽しかった。
数字にはリズムがある。連番が来る回、末尾がそろう回、十番台が固まる回。それぞれに表情があって、覚えるほどに愛着がわく。1等の当選口数や金額も一緒に眺めていると、その回の空気まで見えてくる気がした。
会社の飲み会で「趣味は?」と聞かれ、「当選番号の暗記です」と答えたら、場が凍った。それ以来、誰にも聞かれなくなった。
田中だけが、帰りのエレベーターでこっそり聞いてきた。
「課長、あれ本当なんですか。当選番号の暗記って」
「本当だよ。2000年の第一回から全部言える」
「……なんのために?」
「死んで過去に戻ったときのためだ」
田中は三秒くらい固まって、それから、久しぶりに声を出して笑った。
「課長、疲れてますよ」
「知ってる」
◇
半年が過ぎた。
俺の頭の中には、ほぼすべての当選番号が入っていた。ナンバーズは自信がないところもあるが、ロト6とミニロトは完璧だ。
そして、季節は年度末の繁忙期。
炎上案件。客先の無茶な仕様変更。田中がとうとう倒れて、その穴を俺が埋める。三日で睡眠六時間。堀部長からは「課長なんだから何とかしろ」の一言だけ。
その夜も、終電だった。
ホームの白線が、ゆらゆら揺れて見えた。
まずいな、と他人事みたいに思う。足がうまく前に出ない。頭の中では、なぜか第一回ロト6の数字が勝手に流れていた。疲れると出てくる、俺の癖だ。
そのとき。
背後から、ばたばたと走ってくる足音がした。
「すみませんっ――」
どん、と背中に衝撃。
体が前に傾く。踏ん張ろうとした足が、白線の向こうの何もない空間を踏んだ。
落ちる。
視界の端で、電車のライトが近づいてくる。
――ああ、これ、走馬灯ってやつか。
大学のキャンパス。告白できなかったあの子の横顔。内定通知を握りしめた春。上司に頭を下げ続けた二十六年間。
なんにも、してこなかった。
やりたいことも、欲しいものも、全部「いつか」に回して。
――やり直したい。
心の底から、そう願った。
――もう一度。今度こそ、全部。
轟音。
そして、何も聞こえなくなった。
現在資産:3,812,450円
第1話を読んでいただき、ありがとうございます!
深夜テンションで始めた趣味が、まさかの展開に……。
ちなみに作中のネット小説のタイトルと、この作品のタイトルが同じなのはわざとです(笑)
次回、第2話「知ってる天井」。
目覚めたら2000年。全財産は5万円。でも、来週の当選番号は知っている――。
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