最終話「旅立ちの時」
城下町で行われるお祭りを、紅は絶えず笑顔で楽しんだ。
人々は歌い、踊り。
大人達は酒を酌み交わす。
平和と未来への旅立ちを誓った国の中で、明日への英気を養うかのように、楽しいひと時を全力で分かち合った。
やがて、陽が沈み、空には黒い幕が覆われ、夜の帳が下りる。
そこに、点々と輝く星々が舞う頃。
一同は、王都のテラスに集合していた。
テラスには絢爛豪華な食事が用意され、パーティ会場であるかのように華やかな装飾が施されていた。
白いクロスが敷かれたテーブルには燭台が並び、会場の隅には楽団によるささやかな演奏が演出されていた。
そこには、パーティドレスに身を包んだシリウスとエリオーネ。そして、アリーデも並んでいる。
テラスの淵にはダルクがもたれながら、琥珀色の酒が入ったグラスを片手に、たそがれていた。
その隣には、右腕を吊るしたイースが立っている。
結局、彼の腕は回復の魔術を使っても再生できなかった。けれど、彼自身は後悔していないと言う。
シャンクスは、我が物顔で王城の食事をかっ喰らい、ベアトリクスがそれを注意している。
マナとアイリーンは、グラン・マチレアと一緒にテーブルを囲み、久々の家族の集合に会話の花を咲かせていた。
リリィとジーク、そしてイネスを始めとする黒蠍盗賊団は、場違いな雰囲気に少し戸惑いながらも、宴を盛り上げている。
それを興味深いまなざしで、メールルとガイト、それに引率なのかセシア先生も立ち並び、様子を伺っていた。
みなは一様に、楽しい空気に包まれている。
そこに、紅がやってきた。
紅は、この世界にやってきたときと同じ、学校の制服を身に纏っている。
「みなさん、こんばんは!」
紅がテラスの真ん中に立つ。
背後には、満天の星空が広がっていた。
楽団による演奏は止み、一同は紅の事に注目する。
「今から少しだけ、少しの間だけ。私のお話を聞いてください」
そう前置きをする紅は、けれど笑顔で続けた。
「私は、ご存じの方もいますが、この世界の住人ではありません。もっと、遠くの場所から来ました」
「そして、こっちの世界にやってきてからは、毎日が冒険の連続でした」
紅はそういい、思い返す。
森でシリウスに出会ってから、こうして王都に辿り着くまでの怒涛の日々を。
「私は、この冒険を通じて、沢山の人たちと出会いました。ローアン・バザーのジーク、リリィ、イネス。黒蠍盗賊団の皆さん。マナ、ダルクさんにイースさん。メールル、ガイト、魔術学院のみんな。エリオーネに、アイリーンさん、シャンクスさん、ベアトリクスさん。それと、この場にはいないけれど、ゲヘナさん」
「そして、シリウス。みんなに出会えたことは、私の中の本当に宝物です。もう絶対に無くすことはありません」
「だから、私、もうすぐ帰ります」
その言葉を言ったとき、彼女は決意に満ちた目をしていた。
「紅……?」
けれど、シリウスはそれに動揺し、言葉を失った。
「……できれば、ずっとみんなと一緒に居られたらなって、思ったときもありました」
「でも、やっぱり私は帰ることになっているみたいです」
***
日中、みんなと宴を楽しみに繰り出す前のこと。アリーデに呼び出され、紅はこのテラスに向かった。
空を見上げながら紅を待つアリーデは、その姿を認めると再び申し訳なさそうに目を落とした。
「あなたは、気づいているかも知れませんが……」
「はい、もう、時間なんですね」
紅は、静かに頷く。
彼女自身も気が付いていた。自身の体が、元の世界へ引き戻されつつあることに。
「私がそちらの世界に移動したときの状況についてです」
アリーデは、唯一の異世界転移成功者として、その実体験をもとに現象を分析していた。
「私が魔力断層を突破して紅さんの世界到着した後、この身に宿る全魔力を一つの宝石に込め、それをあなたに託しました。けれど、魔力を託した瞬間から、私の体はこちらの世界に引き戻され始めました」
「つまり、魔力が無ければ、別の世界にとどまることが出来ないと推測されます」
アリーデの考えでは、本来の産まれた場所とは、別の世界に滞在するために魔力の存在が必要と結論付けた。
「そして、私が元の世界へ引き戻される際、紅さん。あなたをこちらの世界に連れて来てしまいました」
すべての冒険の始まりの出来事を思い返す。
「しかし、私自身が戻った先は、王都の地下。つまり、異世界転移を実行した場所です。けれど、紅さんがこちらの世界に訪れたのは、遥か大陸の南、ヴァーリスが拘束された森の中でしたね?」
「ええ。そうです」
「私は、これは推測の域を出ませんが……紅さん自身の体は、まだあちらの世界の、同じ時間軸に取り残されているのではないかと」
アリーデは言葉を続ける。
「私が紅さんをこちらの世界に連れて来てしまったのは、紅さんの精神的なものだけであり、それが私の与えた魔力によって肉体を構成している……そんな気がするのです」
「これはあくまで、私の推測です。でも、本来魔力を持たなかった紅さんを連れて、私がこちらの世界への復路を無事渡れるとは思えません」
アリーデが異世界渡航を実行し、それに成功したのは、彼女自身が持つ膨大な魔力のおかげだった。
そして、それでもギリギリの感覚だったと、アリーデは言う。
だが、紅がこちらの世界の世界にやってきたということは、二人分の人間が渡航したことになる。
それでは、通行料のつじつまが合わない。
「……私は、正直なところよくわかりません。私の肉体はここにしっかりとあるような気はします。でも、習ってもいない言葉が理解出来たり、体に入ってきた毒を浄化出来たり、普通ではないことも確かです」
紅は自分自身の胸に手を当ててみて、感じたままの事を言った。
「……はい、けれど、もしそうなのだとしたら、今の紅さんの肉体を構成するための魔力は、あの戦いの中で失われてしまいました。今ここにあなたが居るのは、あなた自身の魔力があるからでしょう」
「でも、それももう時間的猶予はあまりないでしょう。あなたの魂は、貴方の体の元へ帰還する……」
アリーデは、紅を見据えてそう言った。
「……はい、わかりました」
それまでの時間で、やるべきことをやろう。
そう決意した時、後方からシリウスが歩み寄ってくるのが見えたのだった。
***
「そうか。少しの間、お別れだな」
そう言ったのは、テラスにもたれたダルクだった。
「はい。とってもお世話になりました。ダルクさん」
「フッ、俺の可愛いガールの一人だからな。また困ったときは、いつだって駆けつけるさ」
気障っぽく笑うと、ダルクは紅の頭にポンと手のひらを乗せ、そのままスルリと去った。
最後まで、変わらない彼の様子に紅は破顔する。
「……君のおかげで、祖国の無念を晴らすことが出来た。そして、君たちとの旅のおかげで、大切な仲間に出会えた。感謝しきれない気持ちだ」
イースが、その後に続き、感謝の念を告げる。
「私も、みんなと旅が出来て本当に良かった……何かと、助けてくれるイースも本当に頼りになったよ。腕、辛いかもしれないけど、そのおかげでみんなこうして笑っていられるんだって思う」
「これは、大丈夫だ。だって、これからはみんなが助けてくれるからな」
そういうと、イースは笑った。
彼の、屈託のない笑顔を、この時初めて見た気がした。
「……紅さん」
既に、涙を瞳一杯に溜めながら、マナが歩み寄る。
「ああ、もう。大丈夫だよ、マナ。私は消えて無くなるわけじゃないんだから」
「そうです、そうですげど……」
マナはもうこらえきれないとばかりに、ポロポロと涙をこぼした。
「でも、タロットカードによれば……未来は明るいのです。だから、きっとまた……」
「うん、必ず」
紅は、彼女のことを優しく抱きしめながら、強くうなずいた。
そうして、彼女を放すと、紅は一同に向きなおす。
「私は、大丈夫です。また、皆さんに会いに来ます。だって約束をしたから」
「そうだよね? シリウス」
その言葉に、シリウスは一歩前に歩み出す。
彼の顔には、もう迷いの色はなかった。
「また、あの場所で、一緒に夕日を見るって約束をしたからな」
シリウスは言い、紅はそれに笑顔で頷く。
「だから大丈夫です。それまで、少しの間だけ、お別れです。皆さん、本当にありがとうございました!」
そういうと、紅は頭を下げ、一同は拍手をした。
これまでの冒険を労い、そして、これからの彼女の旅立ちの無事を祈って。
紅はテラスの外へ続くガラスの扉を開けた。
眼下には、宴に酔いしれる街が見える。
明るい光に包まれ、人々は楽しそうに笑いあっている。
見上げると、夜空には星が瞬いていた。
幾つもの輝きが、紅の上に降り注いでいる。
紅は一歩踏み出し、涼しい夜風に包まれた。
シリウスもそれに続き、二人は並び歩く。
「紅。お前のおかげで、俺はすべてを取り戻すことが出来た。そして、未来に向かって突き進んでいく決意もできた。お前には、感謝してもしきれないほどだ。……だから、今度は俺が。お前の行く未来の無事を、俺は願っている」
「うん」
紅は頷いた。
「ねえ、シリウス。大好きだよ」
出し抜けに、紅が言う。
「ああ。俺もだ、紅。だから、絶対にもう一度会おう」
「うん」
紅の足元は、黒い影に沈み始めていた。
彼女の体は、少しずつ、元の世界への旅に向かう。
紅は最後に、笑顔で全員に手を振った。
一滴の涙を、その場に残して。
***
紅へ。
この手紙がいつの日か。
お前の元に届くことを祈っている。
あの日から、俺は王都の王位を継ぎ、国王となった。
初めは、国民達はとても混乱していた。
だけど、残った騎士団のジェイドとステラシェイトや、ダルクやアイリーン、イースを始めとした者の働きによってそれも徐々に収まってきた。
特にグリフォンクローだった三人には、王都の幹部として、これからも俺を支えてもらっている。
マナはグラン・マチレアの下で占い師として修業中だ。
最近じゃ、ババアよりよく当たるって評判だぜ。
またいつか、王都に反抗する勢力が現れるかも知れないが、俺たちなら大丈夫だ。
シャンクスやベアトリクスのおかげで、ワイルクレセント国との関係も良好になってきた。
二人は今回の戦いにおける功績で、ワイルクレセント国で官僚になったらしい。
……たまに、あのシャンクスとやらがエリオーネに会いに来るのが気になるが。
エリオーネの目も回復して、普通に生活を送っている。
だから、今は少しでもアリーデと一緒に居て、家族三人の時間の時間を作るようにしている。
そして俺は、異世界転移魔術の研究を大々的に推し進める方案を提案した。
魔術学院と協力して、未来の世界がもっと便利なものになると信じて研究を進めている。
あの、メールルも学院を卒業して、王都で研究員として働いてもらっているんだ。
だから、紅。
お前に会える日も、そう遠くないかもしれないぜ。
いつか必ず、会いに行く。
いま、この手紙は異世界転移魔術の試験の一環として、まずは物体の転移が成功するように試しているんだ。
だから、何度でも手紙を書くよ。
この先、どれくらい時間が経ったとしても。
あの日の約束を、果たすために。
***
意識が戻ると、そこは懐かしい景色だった。
駅前の広場。
紅が最後に居た場所だ。
「紅、大丈夫?」
心配そうにのぞき込んでいるのは、宮本香織だ。
「うん。大丈夫。私、ずっと寝てた?」
「ううん。さっきまでそこに立ってたんだけど、急に倒れて。一瞬意識を失ってたのかな? 本当に大丈夫? 救急車をよぼうか?」
その言葉に、紅は手を借りながらも立ち上がった。
懐かしい情景。
元の世界の空気を、胸いっぱいに紅は吸い込んだ。
「いや、本当に大丈夫だから。いこ?」
「……でも、だったらどうして泣いているの?」
香織は指摘する。
紅の瞳には、涙が零れていた。
とめどない、涙が流れ続ける。
「少しだけ。寂しいんだ。でも、大丈夫だから」
それをそっと、手のひらで拭うと、紅は顔を上げた。
「だって、いつの日か。また会えるから」
信じていれば、必ず。
魔術のように、不思議な出会いが訪れる。
紅は胸にかかるペンダントの、赤い温もりを手に再び歩き出した。
紅蓮の天狼 FIN.
あとがき。
紅蓮の天狼
最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございます。
初投稿時から約12年の月日が流れての、最終話の投稿となりました。
色々な意味で、自分の中で特別な作品になったと思います。
この物語の始まりとして、おそらく自分がまだ中学生とか下手したら小学生ぐらいの時に、好きだったゲームや漫画のことを思い浮かべて色々夢想した内容が詰まっていると思います。投稿を始めた頃は高校生でしたが。
途中更新が止まってしまったり、今読み返してみると、上手いことをやろうとして失敗していたり、荒んだ感情があふれているなぁと思う場面もありますが、それはそれでいい思い出だと自分自身では納得することにします。
けれども、その中でも、荒削りながらも光るものもあったのかなと、思ってみたりもします。
更新を再開させてからは、ほとんど自分自身の為に書いたようなものでした。
しかし、この先の経験に、三十万字以上の物語をかき上げたんだぞ!というのは密かな自信にしてもいいかなと思います。
最期になりますが、当時からに限らず、再投稿が始まってからでも、ここまで読んでくれた方がもしいるのであれば、それはありがとうございます以外の何物でもありません。誰かが少しでも楽しんでくれたのであれば、それ以上の喜びはないと思います。
今後、特にこのアカウントから新作が投稿されることは無いと思いますが、完結した作品は残り続けます。またいつか、暇になった時にでも読んでやってください。また何度でも、冒険に旅立つことが出来るのだと思います。
最期まで、お付き合い頂き、本当にありがとうございました!




