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『時計塔』全体が熱を持ち、このままでは己の制御の範疇を超えてしまうことはわかりきっている。

だが決して暴走はさせない。無論、己一人の力では大きな爆発は起きるはずもない。それでもスティングはリングリラ近くを飛ぶ飛行船と己を繋ぎつつ、慎重に塔の内部に収まりながら広大な施設で稼働している機械たちの電源を一つ一つ落としていった。

その都度体にかかる負荷は大きくなっていくが、熱で思考回路を暴発させないことだけを気にしていればよかった。しかし施設全体に分断されていた莫大な運動量と熱量…すでに己一人では支えきれないだろうことは理解している。

すでに体内の歯車はこれ以上ないほど激しく回転し、空管の中には収まりきらない蒸気が溢れ出ている。スティングが収まっている小部屋の扉…その窓はすっかり湯気で曇ってしまって外は見えない。

否、もうすでに、膨大な熱で視覚センサーがやられてしまったのか、少しの光さえスティングの目には届かなかった。


(…これさえ、終われば。ロイロット様はきっと無事にたどり着ける。これさえ終われば)


冷静に作業をしながらも、思うのは今は遠くの空の下を飛んでいるのだろう主人―――ロイロット・ウインドマリーの顔。

リングリラに到着したウインドマリー機械工の孫から、主人の乗っている飛行船の動きがおかしいと連絡を受けて、スティングはこの『時計塔』を再度稼働させることを決めた。

もとよりウインドマリー全体からリングリラ近くまでの物の動きを感知するための機械なのだ。ゆったりと動く移動用の飛行船の場所を突き止めることくらい容易だった。

『塔』の機能を使い繋いだ無線からわかった事態は己の予想より遥かに重かったが、まだ慌てるような範囲では無い。彼らを無事にリングリラまで連れて行くことが、スティングには出来る。


問題なのは―――と一抹の不安を胸に過らせたところで、胸部の歯車がかきん!と強い音を立てる。

高速で回りすぎて歯が欠けたのだ。人間であるのならば舌打ちの一つでもしたいところだったと薄く考えていると、ふと繋いだままになっている無線からノイズにまみれた音声が届いた。


『おい!スティング!スティング!!聞こえるか!?』

「…アレクサンドライト?私に構うな、集中して飛べ」


いまだ無事らしい聴覚センサーを壊しそうな勢いで届いたのは、己と同じ戦闘型機械人の声…ウインドマリーのアレクサンドライトだった。

スティングは彼の力…機能を借り、飛行船を運転してもらっている。手を貸してもらったのは「飛行の成功率を上げるため」とアレクサンドライトには説明したが、実際はそれほどの余力が自分に残されていないからやむを得なく、というのが本音だった。

先ほどからそれをこの機械人に感づかれている。歯車がかけた時の嫌な感覚も、繋がったアレクサンドライトは察したのかもしれないと考えながら「気にするな」とそっけなく告げる。

しかし血気盛んな若い機械人は、二度も黙っていてくれなかった。怒気をはらませながら唸るような声を出してスティングを詰める。


『お前、やべえんだろ!オーバーヒートしそうなんじゃねえか!?』

「…それがどうした?例えそうだとしても安心しろ。決してお前たちは落ちない。必ずリングリラまで届ける」

『馬鹿野郎!』


そうじゃない、と言いたげな怒鳴り声に、スティングは黙りこくるしかなかった。

わかっていた。この機械人なら…そして彼の傍らで常に一緒に行動していた少女ならば、己のしていることに異を唱えるだろうと予想はついていた。

スティングが今しているのは、命を削るやり方だ。『塔』をたった一機(ひとり)で動かすなど、例え動力として生まれた己でも無理な所業。他人を生かすために自分を捨てているようなものである。

平和な時代に生きる者たちには決して理解できない自己犠牲。―――それでもスティングには空の上で惑う彼らを助けるための手立てが、これ以上思いつかなかった。


「アレクサンドライト、聞け。これ以外に方法は無いのだ。その船を、ロイロット様をリングリラまで送り届けねば」

『馬鹿を言うな、スティング』


唐突に声が変わった。体が溶け出しそうなほど熱されているのに、頭がひゅっと冷えた感覚をスティングは味わう。

酷いノイズの向こうで発せられた声は間違いなくロイロット―――己の主人のもの。彼にだけは自分の現状を伝えないでくれとアレクサンドライトに懇願しようとしていたから、己にしては珍しくも上手に思考が出来なかった。

そもそも二人大声で話していたのだから、繋いでいた無線で全て聞こえることくらいわかりそうなものだったが…体をフルに働かせて熱がこもった思考回路はほとんど役立たずになっていることを、スティングは気づいていなかった。


「ロイロット様…ロイロット様…私は、私は…」

『スティング、お前は死ぬつもりなのか?私と同じ選択を取ってしまうのか?私が…お前をその道へ歩ませてしまったのか?』

「違う!違います!」


呆然自失とした声に、スティングは叫ぶように返していた。

過去の罪を一人で背負わせ、死すら覚悟した彼を送り出したのは己である。

真面目で誠実であろうとしたために、過去の罪をその背中に背負いその命を持って全てを清算しようとしているロイロット。

その姿を見るのは、あまりにも辛かった。この平和な時代に生まれ生きてきた若き辺境伯に、どうして死を覚悟するほどの罪があろうか。


「貴方のせいでは無い。この時代に生きる、誰のせいでもない…。私の、私たちのせいなのです。貴方たちは、私たちのための犠牲者だ…!」


本当に死して罪を清算すべきなのは、スティングたち過去の遺物である。

先々代ウインドマリー辺境伯は戦いの中で大きな過ちを犯し、過去を知る貴族や先代はそのすべてを隠してきた。その中でもスティングは過去を生き、過去を知り、隠蔽してきた最も罪深き存在―――本来一番に糾弾されるべき機械人のはず。

ロイロット自身もきっとスティングを恨んだことだろう…しかし、彼はついにそれを口にしたことは無かった。そのことがまた、存在しないはずの心が壊れかけの歯車のように軋む。


「貴方がたを生かすことが罪の清算になるとは思えません…ですが、ですがせめて…」


このまま『時計塔』を動かすことを許可してもらいたい。己がそうしたように、死にゆく覚悟を見送ってもらいたい。

熱して暴走気味になっている思考回路は、もはや泣き言のような哀願しか作り出さなかった。ロイロットたちを助ける方法がこれ以外にない以上、自分の選択を選ぶしかないように思う。

一瞬の間の後―――スティングには随分時間が経ったように思えた―――、ロイロットは先ほどとは打って変わった、努めて冷静さを保っているような声でこちらに向かって告げた。


『スティング。死の贖罪などこの時代にもう意味は無いのだ』

「…ですが!」

『お前の覚悟を無駄にしてすまない。しかしひっそりと迎える死が、傷を抱える者に対してどれだけ誠実だろうか』

「…!」


主人の声に何か思いつめたものを感じ、スティングは言葉を無くす。

ロイロットの言葉は、アレクサンドライトとティリと相対したときに感じたそれと同様だ。50年前の戦いはいまだに過去のものとはならないが、それでも血なまぐさい贖いの仕方に人々は美も真心も見出さない。

内密に、貴族だけで物事を覆い隠すことも、エリウットは良しとしなかった。まだ少年の域を出ない小さな弟君は、平穏な場所にいたからこそ冷静な判断を下せた。

その兄であるロイロットもまた彼と似た声で『私はこんな単純なことに気付けもしなかった』と小さく声を漏らす。


『私たちは苦しむしかないのだ。苦しんで苦しんで、傷を受けた者たちの心を少しでも癒す方法を探すしか…』

「ロイロット様…私は、わ、私は…」

『私たちには責任がある。貴族として、罪を犯した者として。今もなお、過去が国を、そして人々を苦しめるのなら…それを少しでも償うためには生きて清算するしかない』


悲しくもきっぱした主人の言いざまに、胸の歯車がきしりと鳴った。


『頼む、私とともに、生きてくれ。スティング』


その言葉にはっと顔を上げたスティングの視界は、不思議に開け明るくなる。蒸気にまみれ熱せられた、人間が入れば一溜りもないだろう小部屋。それでも小さな窓からは薄っすらとした明かりが僅かに入ってきている。

動いた拍子に視覚センサーの回路が繋がっただけだろうが、スティングはまるで天啓を受けたかのような心持ちになった。

自分と、罪を犯しそれを覆い隠してきたいっかいの機械人と、彼は生きたいと言ってくれたのか。ウインドマリー別荘地でスティングが感じたものと同じように、ロイロットもまた自分との生を望んでいてくれるのか。


今の気分をどう言えばいいのか、スティングにはわからなかった。

ただ組み立てられた直後、言葉をインプットされていない機械人のように「あ、あ」と言葉の断片を繰り返すしか出来ない。

まったく頼りない己を受け止めるかのように、無線の向こうでロイロットが小さく笑った。


『おい、ロイロット!これ以上はスティングの体の負担になるぜ!そろそろ無線切っとけ』

『ああ、そうだな。スティング、生きてくれ。必ずだ、生きてくれ。私たちは『時計塔』に頼らずとも生き残って見せる』

「あ…!」


一瞬の沈黙を遮ったのは今まで黙っていたアレクサンドライトで、ロイロットはそれに頷いたあと無線の電源を落としたらしい。止める間もなく自分と飛行船の通信が遮断されたのを感じた。

自身と『時計塔』の力を使えばまた彼らにコンタクトを取ることが出来るだろうが、何よりも敬愛する主人がそれを望まないだろう。アレクサンドライトは通信で自分と繋がり、飛行船の運転に関する記録を読んだはずだから、おおむね理解しているはずである。

ならば彼らを信じて、自分は待つしかないのか。


「こんな罪深い私が、貴方と生きてもいいのですか?それが償いになると…?」


古びた機械が軋む音の中で掻き消えそうな声を、ぽつりとスティングは洩らした。

それに反比例するように、一つ一つ機械たちの稼働が止まって行き『時計塔』は声を潜めていく。もはや全てを稼働させるだけの力が、スティングには残っていなかった。


―――先々代には国のために51年前の事故の秘密は必ず守れと言われた。

―――先代にはロイロットたち兄弟のため、国のためにどのようなこともしろと言われた。


その願いを成就するために、スティングは動いていた。無論、今もそのつもりだ…と、自分は考えているが、本当の意思がどこにあるのか最早わからない。

ロイロット、ウインドマリー家のために自分は生きてきた。それは変わらない、つもりだった。

だが守るべき目的はいつの間にか…目の前の事実から逃げるための口実になっていたのかもしれない。


(私は…結局死して許されようとしただけなのだな…。私も、ロイロット様も…同じく)


本来ならば、全てはこの平和の時代に生きているもののために必死にならなければならなかったのに。

しゅ、と短く蒸気を吐き出し、スティングは静かに『時計塔』と己を繋ぐ回路を閉じた。ゆっくり、ゆっくり、歯車の音が静まっていく。

やがて51年前の悲劇の場所はまつわる怨念と執念に反比例するように、あまりにもあっけなく呼吸を止めた。

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