34
スティングの手ほどきにより無線機と己、己と操縦席の機械とを配線で繋いだアレクサンドライトは、不思議な感覚に陥っていた。
自分の体は確かに飛行船内にあるというのに、遠くにも自分が存在しているかのような不可思議な感覚。意識が多重になり、別の場所からこの飛行船を認識しているという感覚である。
恐らくこれがスティングが遥かウインドマリーの地で感じているものなのだろう。機械人ならではの体験に感動していると、『今まで他の機械人とリンクしたことが無かったのか』と硬質な声が響いてきた。
何処となく嫌味っぽいその声に、アレクサンドライトは小さな苛立ちが思考の中に宿る。
「あ?お前、スティングか?そんなこと専門職についてる機械人じゃねーとしねーよ。一般機械だぞ俺は」
『体験を共有することは機械人の権利であり義務だ。…まあいい。時間は無いぞ、操縦席の機械のセンサーを使え』
「ふん、わかったよ…」
もっと反論してやりたかったが、今は彼と言いあっている暇はない。他人の…たとえ相手が心の無い機械でも、目を使いものを見るというのは当然ながら初めてで上手く出来るか不安であったが、特別な技能は必要無かった。
自分とは違う視覚センサーがあるという感覚があり、それをたどるとまったく別の景色がアレクサンドライトの前に姿を現す。
一瞬のノイズ―――の後に見たのは流れる雲と漆黒の空。窓越しに覗くそれらは背後から覗き見たときよりもずっと広く暗く感じ、そこはかとなく恐ろしい。
慣れないセンサーの感覚をちかちか点滅させながら確かめて、その精度に思わず感嘆の声をもらした。
「ふーん。こいつ、結構いい部品遣ってやがるな。俺の目よりも感度がいいぜ」
『長時間の自動操縦に耐えうるだけの機械だからな…。よし、アレクサンドライト、こいつの自動操縦プログラムを解除する。少し待て』
「そんなこと出来るんならお前が直接運転すればいいんじゃねーか?」
『その場にいたものの方が操作が的確だ。少しでも成功の確率を上げねばならないからな。…よし、解除できたぞ』
何事も無いことのようにあっさりとスティングが言ったのと同時に、アレクサンドライトの中で今一つ体が増えたような感覚がした。スティングが『しっかり操縦桿を握れ』と忠告してきたので、新たな繋がれた体に集中し手に力を込める。
操縦席の景色の中で、己のものではない手がぎしりと音を立てて握りしめられたのをしっかりと見た。
他機械と感覚を共有することと同様に、飛行船の運転も初めてだったがなるようになれと考えて悪い予感を押し込める。それを後押しするかのように頭の中にこの船の操縦方法が流れ込んできた。恐らくスティングが自分の知識をアレクサンドライトと転送し始めたのだろう。
(それにしても成功率を上げる、か…こいつもマシな考えするようになったじゃあねえか)
ウインドマリー家の別荘地で死にに行くロイロットを見送った機械人と同一人物とは思えないほどの変わりようだった。そう言えば最後は飛行機を強奪した己とティリを送り出してくれたし、一体何がスティングの価値観を変化させたのだろう。
思考回路の隅でそんなことを考えていると、少しだけ苛立ったような『余計なことに気を取られるな』という声が響き渡った。
『それよりもお前自身の視覚は遮断しておけ。混乱されたらかなわない』
「…わかってるっつーの。それよりこのまま何処まで飛んでいく気だ?目的地はあるんだろうな」
『ああ。リングリラ郊外にある飛行場だ。もともとそこにこの飛行船は降りる予定だったからな。そこまで運転できそうか?』
「ふん、ガイドが悪くなきゃな」
恐らく嫌味だろうそれに皮肉を返せば、意識の外で誰かが笑った気配がした。スティングも笑うことがあるんだなと思うと、またしても『余計なことは考えるな』と声がした。
飛行船の旅は先ほどの騒動が嘘のように平穏で静かなものになった。操縦はアレクサンドライトの手に余る物かとも思われたが、サポートが付いていればさほど慌てるようなことも無い。
ほんの少しばかりの余裕を感じていると、呆れた様子のスティングが『難しいのは離陸と着陸だ』と忠告してきた。まるで物わかりの悪い子供に説教するような態度にむっとすると、背後で無線からやり取りを聞いていたらしいロイロットが堪えきれなかったように笑う。
「おい、ロイロット、笑うなよ」
「いや、違うんだ。アレクサンドライトくん。スティングが…驚いた…スティング、お前はそんな口もきけたのだな」
『申し訳ありません、ロイロット様。お聞き苦しいものを…』
「いや、いいのだ。…お前の声が聞けて良かったと思っている」
続けられた静かなその声に密やかな覚悟を感じてしまい、アレクサンドライトは彼がここにいる理由を思い出す。流石に振り返る余裕は無かったが、少しだけ咎めるような口調で若き辺境伯の名を呼ぶと、ロイロットは僅かに苦笑して「これが最後だとは思ってはいないよ」と己の考えを否定するように呟いた。
「先ほど彼女に…ゲルダに『命などと言う安っぽいもの』と言われてしまった。胸を打たれた…確かに簡単に投げ捨てられる命ほど安いものは無いだろうな…」
「ロイロット…」
『ロイロット様…』
「私は…ウインドマリー家は守るべき領民にそこまで思わせてしまったのだ。命が安いものだと、生きることが苦しいのだと。恐らく、そう思っている者たちはあの国にたくさんいるのだろう」
そこで一度、ロイロットは言葉を切った。言うべきことを考えているのか、それとも先ほど起こったことを思い返しているのかはわからない。
アレクサンドライトは操縦桿を握りながら、まさか自殺を図った老メイドに彼がそこまで言われていたとは思わずショックを受けていた。もしくはこれは、スティングが追い詰められた主人に対して感じた同情と愛情が伝わってきたものだったのかもしれない。
アレクサンドライトは思考回路の中で復讐に狂ってしまった女…ゲルダに成りすましていた彼女のことを思う。
50年前の事故のことは、自分は資料と昔語りの中でしか知らない。それでも平和に生きてきた己にとって、その出来事の記録はショッキングであったし、きっと実際に体験したゲルダたちの苦しみは思う以上のことだろう。
命が安いときっぱり言えることなど恐らくこれからもこないアレクサンドライトには、彼女の生き様と考え方を否定することは出来ない。
それでも…だからと言ってロイロットが全ての責任を感じて苦しむことは無いと思ってしまうのだ。
しかしそう言えばきっとこの若き辺境伯は黙って首を横に振るのだろう。
ロイロットは小さく息を吐き、そして言葉をひねり出すように続ける。
「苦しんでいる者たちを残して、私だけが死ぬことは許されない。ゲルダは私に苦しんで死ねと言った…。だから私は苦しみ、生きて、50年前の被害にあった全ての辛さが和らぐよう尽力せせねばならないのだ…」
それは全ての恨みや怒り、自分の先祖が犯した罪を背負っていくと言う辺境伯の覚悟であった。
温かい場所で家族とともに平和に暮らしてきたアレクサンドライトにはとても出来ない強い意志に、貴族と一般人のどうしようもない隔たりを感じて僅かに胸が痛む。これもまたスティングが感じた寂しさなのだろうか?
彼らにかけられる言葉など自分が持つわけがないとわかっていたが、どうしても声をかけたくてアレクサンドライトが口ごもっていると、にわかに背後から足音が響いた。
「ロイロット様…。そのお覚悟は本当に、苦しく辛いものとなります。恐らく様々な方から責められ、認められることは難しいでしょう。それでも…?」
リリーナ、とロイロットがその声の主の名を呼び、足音は静かにロイロットに近づいてくる。
いつの間にか姿を消していたが何処に行っていたのかと気になってちらりと視線だけ投げかけると、麗しき令嬢は腕に救急箱を抱えていた。どうやら怪我をしてそのままになっている婚約者のためにこれを探しに行っていたようだ。
いつまでも手元から目を離せないアレクサンドライトが再び前を向くと、僅かにたじろいでしまったらしいロイロットが一拍置いて「ああ」と肯定する。
「認められることが目的では無いよリリーナ。苦しんでいるウインドマリーの…いや、50年前のことを今も抱えている者たちの苦しみを少しでも軽減するために私は生きなければならない」
「わかりました…、ロイロット様がおっしゃるなら」
戸惑いながらもきっぱりと言い切ったロイロットに、深窓の令嬢は朗らかに頷いたようだった。
その後リリーナが「座って、手を見せてくださいまし」と言ったきり、二人の会話は途絶える。怪我の手当てをし始めたらしい。アレクサンドライトも遠くにいるスティングも、何となくしばらく黙って操縦を続けていた。
そのまま、何事も無く飛行していたが、―――ふと頭の中にちりりとノイズが走ったような感覚が走る。
一度目は気にならなかったが、それが二度、三度、と繰り返されその間隔が短くなってきて、流石に違和感を覚えた。
通信障害だろうか?『時計塔』と自分たちの距離が遠くなっているからか?それとも応急処置的な修理をした無線の調子が悪くなってきたのか?様々な考えが過ったが、胸の中で嫌な予感が歯車とともに回ったような気がして、アレクサンドライトはスティングを呼んだ。
「スティング?聞こえるか?」
『…』
「スティング?」
『…大丈夫だ。そのまま飛行を続けろ』
応答まで一瞬間があったことに、きりりと嫌な予感は加速する。
スティングの声は冷静だ。冷静なことに酷く違和感があった。まるで努めて隠しているような気配を、無線の向こう側に感じてしまったのだ。
やや怒鳴るような声で「本当か?」と問い返すと『本当だ』と返る。その声はやはり無機質なほど冷静だった。『時計塔』で対峙したときの、全てを跳ねつけるような彼に戻ってしまったかのようだった。
「いや、やっぱり様子が変だぜ?何かあったのか?…まさか、『時計塔』が?」
最後の方は声を潜めて訪ねる。流石に今消沈しているだろうロイロットに余計な気苦労はかけたくなかった。スティングもそれをわかっているのか音量を下げて『違う』と否定する。
『これは、私の問題だ。『時計塔』は関係ない。例え関係あったとしても…絶対に昔のような暴走はしないと誓える。このまま操縦してくれ』
「…、おまえ、の?―――っ、まさか、お前!!」
お互いに繋がる感覚で、スティングの状態がどうなっているのか察しがついてしまったアレクサンドライトは思わず声を張り上げた。
ロイロットが慌てて「どうかしたのか?」と立ち上がりかけたが、それより前にスティングが『なんでもありません』先ほどよりもずっと大きな声で遮る。不審そうな態度を残していたがロイロットはこちらに視線を向けたまま口を噤む。
アレクサンドライトは混乱を胸の中に抱えたまま、しばし無言で操縦桿を握りしめた。
スティングは今、たった一人であの巨大な『時計塔』を動かしている。
戦闘型の巨躯とはいえ、あれほどの塔を動かせるほどの動力があるわけがない。周りに設置してある機械たちに手助けしてもらっても、彼らは半分破壊されているのだ。
あの銀色の機械人に今どれだけの負荷がかかっているのか、果たして彼はリングリラまで持つのか…それを考えてアレクサンドライトの歯車はきりりと回った。




