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抵抗の無くなったゲルダを引き上げたあと、ロイロットとリリーナは倒れて動かないアレクサンドライトに駆け寄った。

顔を青くしたリリーナに「ピストルで撃たれたのです」と告げられて、ロイロットは慌てて緑色の機械人の元にかがみこんだ。体を何とか抱え起こすと、胸部と腹部の装甲にえぐられたように大きな穴が開いていることに気が付く。そこからしゅんしゅんと絶え間なく蒸気が漏れ出でていて、体内から聞こえる歯車の音は反比例して頼りなかった。


「アレクサンドライト君、大丈夫か?アレクサンドライト君!!」

「ろ、ロイロット…?あ、お前、大丈夫か…?」

「私?私は…私は大丈夫だ。君のおかげ…君がリリーナを守ってくれたおかげだ!!」


空飛ぶ飛行船の窓を破り登場した豪胆さは影をひそめている。そのくせにこちらを心配する機械人に、ロイロットは胸を強く傷ませながら叫ぶように答えた。

彼のこの献身的な態度に、どうしても故郷に残してきた忠実な従者である機械人の面影がよぎる。

過去の大罪を知りながらも全てを隠していたウインドマリー(じぶん)と同じ罪人。それでも親が子にするように慈しみ世話をしてくれた恩人。己の計画に協力して送り出してくれた銀色の機械人。

己が彼を思うように、アレクサンドライトにも同様に誰かに思われているはずだ。それを考えるとこのまま彼がここで倒れてしまうのを放ってはおけなかった。


「アレクサンドライト君、いますぐに修理(てあて)を!このままでは死んでしまうぞ!」

「ばかや、ろ。俺はいいんだよ!それより、とっとと無線直して来い!じゃなきゃみんな死んじまうぞ!」

「…!」

「頼む、早くしてくれ…。リングリラには、ティリがいるんだよ」


既に発声回路が上手く動かせないのか、アレクサンドライトは切れ切れにロイロットに懇願し、誰かの名前を呼んだ。

弱弱しく点滅する緑色の瞳を真っ直ぐに見つめて、唇を強く噛みしめる。確かに彼の言うことは正論であり、このままここでアレクサンドライトを修理すれば飛行船はリングリラへと激突し、何もかもが炎に包まれるだろう。

だが目の前で死に(こわれ)かけているヒトをすぐさま見捨てられるほど、辺境伯は非情にはなれなかった。

今一度腕の中の機械人に「はやくしろ」と促され、ロイロットは一呼吸ぶんだけ躊躇したあとゆっくりと彼の体を床に下ろす。いまだちかちかと小刻みに点滅している赤い瞳を見下ろしながら、ロイロットは手早く立ち上がった。


「無線は必ず直す。だからそれまで…君も死なないでくれ」


祈りのように告げると、アレクサンドライトはわずかに首を動かした。頷いたのかもしれない。

それを確認することはしないまま、ロイロットはリリーナに声をかけて銅線が置いてあるだろう荷物置き場へと急ぐ。婚約者は胸元で強く手を握りしめてしばし逡巡していたが、すぐに「わかりました」と頷き後へ続いた。


アレクサンドライトにああは言ったがしかし、ロイロットはもはや自分たちに時間が残されていないことを悟っていた。

一刻の猶予もないと言う意味では無い。そのレベルはとっくに超えている。無線を修理しても、どの道飛行船に乗っているものは死の運命が待ち受けているだろうという予感がロイロットにはあった。

当初ロイロットは無線を修理しリングリラへ連絡したあと、近場の飛行場から飛行機を飛ばし自分たちを回収させるつもりでいた。その際に飛行船の燃料を抜いて民家の無い場所へ墜落させればいいと考えていたのである。

しかし予定は大幅に遅れ、すでに目標の街までは目と鼻の先。窓から見えた景色にはちらほらとだがぼんやりと浮かぶ明かりが見えていた。小さな村々が増えてきたのだ。


(もはや私たちが脱出する時間は無い。リングリラへ連絡し近くの住民を避難させたあと、そのまま燃料を抜くしか…)


自分を信じたリリーナを、みんなを死なせるなといったアレクサンドライトを裏切る結末になってしまう。しかし今考えられる中で、これがもっとも被害の少ない方法だった。

彼らには何と言って伝えたらいいのだろう…銅線を手に入れ、再びコックピットへと戻ったロイロットは、この旅路の目的地が絶望へ向かうことを口に出せずにいる。己の思った通り銅線を繋ぐと無線は息を吹き返し、静かに雑音を拾うようになった。

これでリングリラに連絡できる―――だが、その前に真実を背後にいる婚約者へと伝えねばならない。一呼吸して意を決し振り返ると、無線が生き返ったことに目を輝かせていたリリーナが見えた。彼女に絶望を伝えなければならないことに、身が引き裂かれそうになる。


「…?ロイロット様?」

「リリーナ、少し話しておきたいことが―――…!」


ロイロットが最後まで言い切る前に、背後の無線が大きな音を立てて鳴り響く。砂嵐のような雑音と例えようもない耳障りなの混じり合いにぎょっとして、二人の視線は無線へと移った。

一瞬どこかの通信を拾ったのかと思ったが、ノイズに混じるのは、どうやら誰かに呼びかける人の声のようだった。砂嵐の向こうでくぐもるその声は聞き覚えがあり、ロイロットはまさかと思い慌てて小さな無線機を再び手に取る。


「こちらウインドマリー家所有『オリンピア号』だ。聞こえるか?応答してくれ」

『…ます、き…ています…、聞こえていますか?ロイロット様、応答をお願いします』

「その声、やはりスティング!」


長年月日を共にしてきた従者の懐かしき声に思わず声を張り上げた己に、無線の向こうでそれを拾ったのだろう彼が『ロイロット様!』と叫んだのを聞く。

その銀色の装甲と同じくらいに堅苦しい喋り方は間違いない…ウインドマリーの別荘地に残してきたはずの機械人、スティングだった。

もう二度と聞くことは叶うまいと思っていた親しんだ音程に一瞬涙腺がゆるみそうになるも、すぐに気を引き締めて無線に向けて告げる。


「スティング、今すぐにリングリラに連絡を。この飛行船は、もう、駄目だ」

『ロイロット様?どういうことでしょう?』

「飛行船は医師の無い機械に操縦桿を握られている。これを動かすことは不可能だ、数十分後にはリングリラへと墜落するだろう。その前に私はこの飛行船の燃料を抜き、墜落させる。リングリラ手前の住民に避難勧告を出すように国王に伝えてくれ」


きっぱりと言い切ったロイロットに、スティングが戸惑いを感じさせただけでなくリリーナもひゅっと息を飲んだ気配がした。静観の喜びから一転、死の運命にショックを受けたのだろう。こんな形で彼女に伝えることになってしまったことを悔やんだが、今は一刻を争う。

従僕である機械人に繋がったことは幸運だった。彼と連携を取りながら、飛行船を落とすことが出来る。酷く個人的なことだが、スティングが相手なら心情的に安心できた。

こちらが今飛んでいる座標を伝えるべく口を開きかけたロイロットだったが、それより前にショックから立ち直ったらしいスティングが無線機の向こうで珍しく焦った声で尋ねてきた。


『ロイロット様、そこに機械人が…アレクサンドライトと言う機械人がいませんか?』

「いるが…彼は今動けない。私のせいでスパイに銃で撃たれてしまったのだ」

『なんと…ですが今は彼の力が必要なのです。最も被害を少なくするためにはアレクサンドライトに助けてもらうしかない』


何を言うのだ、と思ったが、スティングの口調は全く迷いがない上にこちらを急かしてきたので、ロイロットは少し迷った後リリーナを引き連れてアレクサンドライトがいる客室へと戻った。

先ほどと変わりない体勢で緑色の装甲を持つ機械人は寝そべっており、いまだに弱弱しくだが蒸気を噴き出している。まだ息があってくれたことに安心し、彼のそばにひざまずきながら声をかけた。


「アレクサンドライトくん、起きているか?」

「…?ロイロットか、修理は、終わったのか?」

「ああ。無線はしっかり繋がった。繋がったのだが…スティングが君に頼みがあるようだ。立てるか?」


片目しかない瞳が己の従僕の名が出ると少しだけ点滅したが、しかし彼はすぐに「手を貸してくれ」とロイロットに頼む。機械人の体重は一人では流石に抱えられないものだったが、リリーナの手も借りてコックピットへと連れて行く。

からからとか弱く歯車を回すアレクサンドライトが心配になったが、人の手を借りれば歩くことも出来るようだった。休んだから体力が回復したという人間的な理由では無いだろうし、無論命の危機に瀕していることは間違いないはずである。

細心の注意を払ってゆっくりと彼を床に座らせると、無線を聴覚センサーの元まで持っていく。自分で無線を持とうとはしたようだが、どうやら腕は動かせないらしい。しぶしぶながらロイロットの助けを受け入れ、無線の向こうの相手へと声をかける。


「おい、俺だぜ…何の用だ、スティング」

『アレクサンドライトか?随分手酷くやられたようだな。…お前に協力してもらいたいことがある』

「俺は今体動かせないぜ。何をやらせようってんだ?」

『体を動かす必要はない。アレクサンドライト、この無線とお前の思考回路を直接繋げ』


無線から聞こえてきたスティングの声に、アレクサンドライトだけでなく傍らで聞いていたロイロットもそしてリリーナも意図を理解できずに驚いた。一同の驚きを現したかのように「どういうことだ?」と、呆然とした様子で緑色の機械人は尋ねる。

スティングは無線機の向こうで少しだけためらった様子をみせたが、しかしすぐにはっきりした声でそれに答えた。


『私は今、時計塔を動かして飛行船の動きを観測し、無線につないでいる。今の私は無線に意識を繋いでいるようなものだ』

「時計塔…!スティング、あれは…!」


苦い思いとともによみがえるその名前に反応したのはロイロットである。思わず無線を握る手に力がこもる。

『時計塔』…ウインドマリー家別荘地の地下に眠る、50年前の大事故の原因となった場所だ。当時の事故規模と被害を考えれば、あの場所は二度と使うべきでは無い。あの悪夢が再び起こったらと考えると、迂闊に稼働させていい装置では無いのだ。

すぐ近くに己がいることに気が付いていたのか無線の向こうのスティングは酷く冷静に、『ロイロット様、大丈夫です』となだめるように答えた。こちらに語りかける様子に、思わず己のそばに無線を持ってくる。


『私一人程度の動力では、とてもここを暴走させるには至りません。万全を尽くしています』

「しかし…」

『ロイロット様、この方法が一番被害が出る確率が少ないのです。お願いします、やらせてください』


スティングの声が珍しくこちらに懇願するかのような物になり、ロイロットは思わず息を止める。長年彼とともに同じ時間を過ごしてきたが、この機械人が微量にでも感情を表に出すところは見たことが無かった。

凪いだ水面(みなも)の如く静かに佇む姿しか脳裏に思い浮かべないのに、音声だけの彼は何処か必死だ。その必死さに彼なりの自信と成功するだけの根拠を感じる。


―――しばし間を置いて、ロイロットは小さく頷いた。


「わかった、だが大きな被害が出そうだったらすぐに計画を中止してくれ。あの悲劇は二度と繰り返してはならない」


無線の向こうから安堵するかのように『ありがとうございます』と声が聞こえた。その声にまたしても感情が乗っていることに驚きながら、ロイロットは再びアレクサンドライトへと無線機を向ける。


『アレクサンドライト、無線機に思考回路を繋げば、私の記憶を読み取ることが可能になる。私の中には飛行船の操縦の仕方が記憶してあるはずだ』

「あ?おまえ、まさか…」

『そうだ。操縦桿を握っている機械とお前を繋ぎ、お前が飛行船を運転するのだ』


スティングの提案にアレクサンドライトは驚き、目を点滅させていた。

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