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ウインドマリー発フレイムミル行きの飛行船の内部はそう狭くも無いが広くも無く、メインの乗客エリアと手洗いくらいにしか客は入れない。

ゴードンから姿を隠し油断させるため、ロイロットはしばらくは乗組員しかこない荷物置き場に隠れていた。

怠慢とも言うべきだが幸いにも見回りはあまり厳しくなく、地面から離れてからは己以外に人の気配はない。時折ドアの外で乗組員が忙しそうにぱたぱたと走る足音が聞こえるのみ。ドアの隙間からちらりと廊下を見ても、見張りのようなものは見受けられなかった。

本来ならばこそこそとしなくてもいい身分なのだが、この場であまり事態を大きくする気は無い。目的の人物がここを通りかかるのを待つだけだ。


幾度か乗ったことのある機体なので、ある程度の間取りは覚えているロイロットは、荷物置き場の先に客用の手洗いが作られていることを知っていた。そしてゴードンが機械類に搭乗することを内心嫌がっており、水を多量に飲むこともわかっていた。


そして『ラシル』を飛び立って幾ばくかの時間が過ぎた後、神経質そうな靴音がこちらに向かってやってくる気配を聞いた。

光が届くぎりぎりの隙間から息を潜めていると、ロイロットの予想通り眉間にしわを寄せた不機嫌そうな老人がやってくる。彼はやがて己の目の前を通り過ぎると、突き当りにある手洗いのドアの奥に消えた。

用が済んだだろう頃合いを見計らって、ロイロットは荷物置き場から出ると素早く手洗いの中に入る。

がちゃん、と背後でドアノブが回ると、洗面台の前で手を洗っていたゴードンが鏡越しにぎょっと後ろを見つめた。驚く瞳と冷徹な瞳がかち合う。


「ろ、ロイロット様!?何故ここに…!?」

「静かにしろ、ゴードン。お前には色々と聞きたいことがある。ともにリングリラ国王の前に行ってもらうぞ」

「な、何を言って…!?」


慣れぬ空の旅のせいだけじゃないだろう、青い顔で振り返りこちらに食って掛かろうとしたゴードンの腕を後ろにひねりあげて、ロイロットは冷えた声で尋ねた。


「ゴードン、お前は置時計を無くしていたそうだな…」

「お、おきどけい…?」

「終戦30周年の記念時計だ。あの時計は大切なものだと言うのに無くしてしまうとは」


そう言われ、ゴードンの顔がさらに青くなりそして赤くなった。

痛いところを突かれた焦りか、それとも堕落した自分に追及されたくないという憤怒か?

腕を掴まれているせいで顔だけ振り返ったゴードンは、「何を馬鹿なことをっ!」とロイロットを怒鳴りつけたが、明らかに目が泳いでいる。探られたら痛いことがある表情だった。

ふう、と一つため息をつき、さらに恐ろしい声で老執事に問う。


「あの置時計は見つかったぞ、ゴードン。どこで見つけたと思う?」

「な…どこ、で…?」

「お前が贔屓にしているクラブ『アスター』でだ。ゴードン…お前はお気に入りのホステスにあの時計をくれてやったらしいな?」


低い声で「メルだったか?」と名前を告げるとゴードンの目はことさら泳いだ。狼狽している老人の姿はやや哀れなものがあったが、ロイロットは同情はせずにきつい態度で尋問を続ける。


「だが本当の目的はプレゼント、では無かった。あの時計に細工をしてリングリラの間者と密通のために使っていたのだな」

「は…?」

「私も『アスター』に通っていたことは知っているだろう。店に飾られていたあの時計は内部がくり抜いてあり、そこに手紙が忍ばせられるようになっていたことを確認済みだ」


肩越しのゴードンの目が幾度も瞬いた。

とぼけているのだろうと思い…しかしそれが何処となく演技にも見えない感触がして、ロイロットは眉間にしわを寄せながらポケットの中に入れておいた紙を取り出す。

何重にも折りたたまれたそれは上質な繊維で作られており、裕福層が好んで使う便箋だということがわかる。片手で便箋を広げてゴードンの前に突き出しながら、彼の様子を見守った。


「…ロイロットは堕落した。暗殺の予定を変更しウインドマリーを脱出する。…G」


読み上げるとゴードンの顔面は再び青ざめる。

便箋の中には見慣れた神経質な字で間違いなくそう書かれているのである。はっきりと名前は記されていないが、この手紙が忍ばせてあった件の置時計の元の持ち主のことを考えれば、一目瞭然だった。

そのことはゴードンにもわかったのだろう、顔に脂汗を浮かせ先ほどとは打って変わった慌てふためいた様子で口を開く。


「ち、違います!これは私が書いたものじゃない!!私はこんなこと考えていない!!」

「違う?ならば誰だ?父の暗殺も、お前が手引きしたのではないか?」

「そんな恐ろしいこと…!!し、知らない!私は何も知らないんです!!」


老執事は激しく顔を横に振り、自分の無実を訴えた。

目が血走り、顔は汗でてかり、その様子は演技で作り出されるものにしては迫力がありすぎる。先ほど覚えたものと同一の違和感に、ロイロットの眉間のしわはことさら深くなった。

確認するように今一度鋭い声で「お前ではないのか?」と問うと、今度は言葉は無しに首を横に振られる。

違和感が、嫌な予感に変化したときだった。ロイロットはふと目の前の鏡の中で、扉がゆっくりと開かれていく様子をとらえる。

誰かが手洗いに入ってこようとしている―――その事実を認識し、慌てて振り返ったが侵入者の行動は彼よりも早かった。


ひょう、と何か鋭いものが空気を切り裂く音がする。殺意とともに迫ってきたそれを鼻の先寸前で交わすと、ぎらりと生々しい光が瞬いたことを確認した。

一突きすれば心臓まで到達しそうな長さを持ったナイフ。それをロイロットに向けて振るう女の顔には見覚えがある。


「な、おまえ、は…!?」


驚き目を見張る間に、女はその年齢と身分に似合わぬ身のこなしで第二打を放った。鈍い銀色に光る切っ先がロイロットののど元に迫り、慌ててゴードンの腕を開放して横に飛びのく。

所詮飛行船内の手洗い場で戦闘の場には不向きだったが、一撃を避けられれば打つ手はある。自分たちは二人であるし、ロイロットは護身用のピストルを懐に入れていた。ナイフよりも銃の方が殺傷能力は高い。

それを取り出すべく手を動かす…しかし女には己の行動などお見通しだったのか、こちらから視線を逸らさずに長いスカートのすそをまくりあげ、金属で作られた脚を触った。

刹那、鋼色に輝く脚から押し出されるように何かが飛び出す―――ゴードンに向かって。


「ゴードン!」

「っ!ロイロット様!?」


慌てて老執事の眼前へ躍り出たロイロットだったが、間を入れず腹に強い衝撃が走ったのを感じる。ぐらりと体がふらつき、ゴードンを巻き込んで強か床に体を打ち付けた。

刹那感じたのは、先ほど衝撃を受けた腹にたまっていく灼熱の如き痛み。

顔に冷や汗を浮かべながら腹部を触ると、痛みの源である部分に細い何かが突き刺さっていた。服を貫き素肌を傷つけているそれは、果物ナイフよりも小さな刃物であった。

だがそれでもひどく傷み、身体の力が抜けていく。


「ぐ、う…!!」

「即効性の麻痺毒ですわ。良く効くでしょう?」


うめくロイロットとおろおろ自分を見つめるゴードンに、女は悠然と言い放つ。

彼女の言う通り毒のせいかぼんやりするまなこで見上げると、口元にいやらしい笑みを浮かべた女がこちらを嘲るように口を開いた。


「愚かな辺境伯様。お国で酒でも飲んでいらしたら命だけは無事でしたのに…!」

「貴様…何故!?」

「何故!ほほほ、そうですわね。これから説明しますわ。リリーナ様とご一緒にお聞きくださいな」


仕えるべき主人とその婚約者をまったく敬っていないことがわかる表情で、義足の老メイド―――ゲルダは笑った。



ロイロットがゴードンに肩を貸されてふらつきながら乗客エリアに入ってくると、深窓の令嬢リリーナは「ああっ!」と口元に手を当てて悲鳴を上げる。

どうして、何故、とそのすみれ色の瞳は疑問に揺れていたが、自分たちの後ろに続いて入ってきたゲルダがナイフを持ち二人を脅している姿を見て、さらに顔を青くさせた。

駆け寄ろうとしたためか席から立ち上がりかけた彼女の肩を、隣にいた護衛が抑える。自分の代わりにロイロットを助けてくれるのかと見上げたリリーナが見たものはしかし、主人を守ろうと動く守護者の姿ではなかった。

深く帽子をかぶった護衛はにやりと口元を歪めると、懐から小型のピストルを取り出しフレイムミル令嬢のこめかみに押し当てる。


「ひっ!」

「リ、リリーナ!貴様、リリーナに何をする!?」

「おやおや、どうやらロイロット様の放蕩は演技だったようだ。婚約者がまだ大切なようですね」

「ぐっ…!」


己の叫びを笑ったのは背後にいるゲルダでも件の護衛でも無かった。運転席に向かう扉の前に立っていた男が、顔色を変えたロイロットをにやにやと見つめている。

護衛のための人間は全部で3人乗っていたが、全員がこちらに明確なる敵意を向ける者たちばかりである。

まさか、全員が―――と察したロイロットは、だんだんと動かなくなっていく体に鞭打ちゲルダを振り返った。


「ええ、ええ、そうですわ。護衛も、パイロットも、その助手も!全員私たちの手のものですわ!!」


柔らかい微笑を浮かべた優しい老メイドの姿はそこにはなく、悪魔が如く邪悪な笑みを浮かべた女はきっぱり言い切ってロイロットとゴードンを突き飛ばす。

二人分の体重を支え切れなくなった老執事はふらつき、主人ごと固い床に再び体を打ち付けてしまった。痛みで一瞬呼吸が詰まり目の前が白くなりかけるも、遠くで己の名を呼ぶリリーナの声に引き戻される。

悲痛な嘆きを上書きする「ほほほ」というゲルダの上品な笑い声があたりに響いた。


「大丈夫ですわ、リリーナ様。悲しまなくともいいのです。これからはロイロット様とずっと共にいれますのよ」

「そんな、ゲルダ!何故!?」

「何故?決まっているでしょう。復讐…いえ、正統なる仇討ですわ」


僅かに冷えた声に、やはりと察したロイロットは目を伏せて、同様に何の『復讐』なのか心当たりのあるゴードンはがたがたと震え出す。

ゲルダ…彼女も確かに『機械の暴炎』の被害を受けた地域の出身だ。真相を知れば自分たちを恨むのも頷ける。

沈黙する二人をよそに、ただ一人事情をわかっていないのだろうリリーナだけが、「仇討?」と恐怖で真っ白になりつつも首を傾げながら老メイドに尋ねた。

ぎらり、と手にしたナイフよりも鋭い視線が育ちのいい令嬢の純粋な疑問を貫く。彼女が何も知らないことを責めているのだろう、その目から喜色が消える。


「『機械の暴炎』!それを引き起こしたウインドマリー家への復讐!それを隠そうとしたゴードンや貴族たちへの復讐!そして何も知らずにのうのうと暮らしているテトラトルとリングリラ両国民への復讐です!」


渾身の力を込めてゲルダが告げた言葉は烈火の炎のような熱が込められていた。そしてそれを聞いていたロイロット、ゴードン、リリーナの鼓膜を切なく焼く。

誰一人として逃がすまいとする復讐者がまとう気配は、飛行船内の空気ごと荒れ狂っていった。

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