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ロイロット・ウインドマリーの乗った飛行機は、テトラトルとリングリラの道半ばにある都市『ラシル』に降り立った。

予定にはない到着だったからか、飛行場に勤める警備員や技術者たちはウインドマリー辺境伯の姿を見ると驚いた様子で、それでも恭しく出迎える。飛行機から下降したロイロットは彼らに急ぎの用事であると伝え、リリーナの乗った飛行船がどこにあるか尋ねた。


「今はあちらの広場で点検をしております。リリーナ様達は今お食事をとっておりますが…お呼びしましょうか?」

「いや、いい。誰にも知らせないでくれ。私から話すから大丈夫だ」


僅かに狼狽した様子の彼らに礼を言って、ロイロットは足早に教えられた整備場へと急いだ。

『ラシル』は大きな街ではないが、貴族が多く滞在する品の良い都市である。両国の中間地点のため車や飛行機、飛行船で立ち寄る裕福層が多く、整備場が広く部品工場も多数存在し技術者も豊富だ。

ロイロットが降り立ったのは『ラシル』唯一の滑走路。巨大な整備工場も隣に立っており、リングリラへの旅路にウインドマリー家は常にこの場所を利用している。リリーナとゴードンを乗せた飛行船は間違いなくここに立ち寄っていると推測していた。


技術者の他にも貴族らしき身なりのいい者たちがいて、ウインドマリー家の長子であり辺境伯の己が歩いていても不振に思われることは無い。何も言われることなく悠々と場内を探索することが出来た。

目的の飛行船は専用の大きな広場に駐機していた。あたりを慌ただしく技術者が走り回っているが、顔見知りの貴族はいない様子に静かに胸をなでおろす。

ロイロットは何食わぬ顔で彼らに近づくと、ゴンドラのプロペラを点検している中年の技術者に声をかけた。


「ルッツ、仕事中に済まない。少し話をさせて貰えるか?」

「え?あ!ロイロット様…!?」


驚き、はっと振り返った男は慌てて脚立から降りると恐縮した様子でロイロットの目の前に立った。

ルッツはここ数年『ラシル』にてウインドマリー家の飛行船の点検を担当してくれた技術者で、ロイロットとも顔見知りである。白いものが混じり始めた髪の毛をかいて、男は「どうしたんですか?」と先ほどの技術者と同様に慌てた様子で問う。


「今日はロイロット様はお出でにならないと聞いていたんですが、予定が変わったんですか?」

「ああ、そうだ。共にリングリラへと行かねばならなくなってな。…あと一人乗っても大丈夫か?」

「ええ、大丈夫ですよ。リリーナ様とゴードン様と、後警備とメイドが数人ですから。…リリーナ様にお知らせしましょうか?」

「いや、いい。誰にも何も言わないでくれ。リリーナたちが戻ってきてもだ。私がいるとは言わないでくれ」


首を横に振って申し出を拒否すると、ルッツは少しだけ奇妙な顔をしたあと「わかりました」と一応は納得した。貴族間の面倒くさいやり取りを長年見てきたからだろう、深く首を突っ込まない姿勢が有難かった。

ロイロットは先に飛行船に乗り込んでいることを伝えると、技術者は了承する。

彼に礼を言い無人の飛行船に搭乗すると、辺境伯はゆっくりと表情を消す。そして己の中の憂鬱を吐き出すが如く大きく吐息を漏らした。



ロイロット・ウインドマリーが全てに決着をつけるため乗り込んだ飛行船が出発したのと同時に、アレクサンドライトとティリは『ラシル』に到着した。

本来ならば物価の安い隣の商業都市『ベンドル』に降り立つつもりだったが、目的の人物がここにいるのならば仕方がない。『ラシル』の燃料や部品は貴族が滞在しているためか質はいいものが多いが、庶民には少し敷居が高いのである。

技術者に提示された一リットルあたりの燃料の値段に、アレクサンドライトは片方しかない目をちかちかと瞬かせた。


「ちぇっ…これじゃあガソリン入れるだけで小遣いは無くなるな。まあ、どうせ目なんか直してる暇はないか…」

「うん、もうすっからかんだよ。それに一足遅かったみたいだし、急がないと」


複葉機のタンクにガソリンを入れているティリが、肩を落としながら静かに呟く。ちなみに整備場を借りる金も無く、赤い飛行機は滑走路をわずかに外れた道路で給油をするほか無かった。

『ラシル』に着陸した二人は、真っ先に仕事をしていた技術者を捕まえてロイロットの行先を聞いた。だが時すでに遅く、彼はリングリラ行きの飛行船に乗り込み出発した後だった。

空の旅人になった辺境伯はもう黒幕であるゴードンを追いつめているだろうか?だとしたら、彼らより早くリングリラに行ってフレイムミル侯爵…もしくはもっと上の立場の人間に面会する前に説得しなければならない。


「アレク、ガソリン入れるまで、おじいちゃんに連絡してきてくれない?たぶん、整備工場の中で通信機は借りれると思うし」

「おう、わかった」


これから更に長い旅路となるだろうし、トストの手助けも必要になってくるだろう。ウインドマリーで何か進展があったかもしれないと考えながらアレクサンドライトは頷き、通りかかった技術者に声をかける。

仕事中の若い男は通信機を貸して欲しいと言う己の頼みに少しだけ面倒くさげな顔をしたが、文句を言うことも無く工場内に連れて行ってくれた。


工場内は天井が高く、小さな商店街ならすっぽりと入ってしまうのではないかと思えるほど広い。中央には巨大な飛行機が駐機しており、数多の技術者が行き来していた。

アレクサンドライトは整備工場の休憩室に案内されて、壁に備え付けられていた通信機を指さされた。受話器と送話機が別についており、深いアイボリー色が使い込まれていることを示している小型のタイプだ。

若い技術者はぶっきらぼうに「自由に使っていいぞ」と言い残して、踵を返し去っていく。無愛想なやつだぜ、と悪態をつくより早く、アレクサンドライトは通信機の受話器をあげてダイヤルを回した。

数秒の間ののち、がちゃりと向こうの受話器が上がる気配を感じとる。


『はい、トスト機械工務店です』

「あ、トストか?俺だ、アレクサンドライトだ。今ちょっと『ラシル』まで来ているんだ?」

『アレク?ラシルと言えば飛行機の街だな…。何故そんなところまで』


送話器から聞こえてきた声はくぐもっているものの、聞きなれた家主のそれに間違いない。一日も経っていないのにしばらくぶりな気がして、アレクサンドライトはほっと息を吐きながら受話器に向かって説明した。


「俺たちはロイロットを追ってきたんだ。色々あったんだけどあいつ、リングリラに命がけで謝罪に行くらしい」

『なんだと?どういうことだ?』

「おう、ちょっと長くなるんだけどよ…」


アレクサンドライトは今まであったことを掻い摘んでトストに語った。口下手な己の為に老職人は時折合いの手を入れたり的確な質問や指摘をしてくれて、比較的長い話はスムーズに終わった。

受話器の向こうで何かを考えていたのかしばし口を閉ざしていたトストだったが、やおら口を開いて『なるほど』と頷く。


『わかった…。そうか、あの戦争でそんなことが…』

「トスト、あのよ…」

『いや、いい。何も言うな。それよりアレク、伝えたいことがある。少し待っていなさい』


トストは50年前の戦いの経験者であり、今回アレクサンドライトたちが突き止めた事実は彼にとって重すぎる真実に違いない。しかし電話の向こうの老職人は気遣おうとする己の言葉をきっぱりと打ち切り、平坦な声で短く告げるとその場を離れた。

あまりに冷静なトストに、労わりを続けることも出来ない。もっとも言葉の足らないアレクサンドライトにまともな慰めなど出来なかっただろうから、情けないような切ないような何とも言えない気持ちになってしまう。

受話器から聞こえてくる足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ぶしゅう、と深く蒸気を吐き出した。


『待たせたな。…どうした?』

「いや、何でもねえ。それで?伝えたいことって?」


やがて戻ってきたトストの声にはやはり痛ましさは感じられない。ならばアレクサンドライトがあれこれ言う権利は無いだろうと割り切り、努めてからりとした声で尋ねた。

己の気持ちを理解してか小さなため息が聞こえたような気がしたが、すぐにトストは『ウインドマリー家の番号だ』と告げる。


『ウインドマリー家の使者が先ほど来てな。お前たちの冤罪は晴れそうだとおっしゃってくれた。…それに、別荘地で何かを発見してようだから聞いておいた方がいいんじゃないか?』

「ウインドマリー…エリウットか…」


ロイロットによく似た赤毛の少年の面影を記憶回路から呼び出して呟くと、受話器から『その通りだ。色々と調べてくださっている』とトストが頷いた。

恐らく辺境伯の弟君も、兄を追い事件を解明するために動いているのだろう。別荘地と言うことは、スティングにも会ったのだろうか?ならば彼の言う「自分たちの冤罪が晴れた」と言う言葉も嘘ではない。

僅かにほっとしたものを回路の中に感じながら、アレクサンドライトは「わかった」と送話器に向かって話しかける。


「俺たちのこと気にかけててくれたみてーだし、エリウットにも礼言っとかねえとな。ありがとよ、トスト」

『いや、気にするな。それよりもアレクサンドライト…。くれぐれも気をつけろ。破損(けが)だったら治してやれるが、命までは元通りにならない』

「おう…」


その言葉に燃えるような夕焼けの中泣いている少年が思い起こされて、アレクサンドライトは胸がぐっと重くなった錯覚とともに頷いた。

トストは「ティリにも伝えておけ。お前たちは無茶をしすぎる」と続ける。その言葉の端々には先ほど戦争のことを語った時にはなかった感情が多く含まれており、彼の心を占める自分たちの割合が大きいことを悟らせた。


やはり、冤罪を受け入れずに反発して良かった―――あのままスティングの要望を受け入れていたら、きっとトストを悲しませていただろう。


それを改めて理解しながら、アレクサンドライトは「絶対に二人で生きて帰るぜ」と大事な家族に告げる。姿こそ見えないが、老職人は静かに微笑んだようだった。思考回路の中に柔らかい笑みを目元と口元に浮かべているトストが浮かぶ。

その後、名残りを惜しみつつも電話を切り、アレクサンドライトはダイヤルを伝えられた番号の通りに回す。電話番がいたらしく、数秒も待たされなかった。

電話に出たのは若い女性で、しどろもどろになりながらアレクサンドライトは応える。電話番は起きた事柄は全て承知の上だったのか、すぐにエリウットに変わってくれた。

耳元ですぐに年若い…少年と言ってもいいはりのある声が聞こえてくる。


『もしもし、エリウット・ウインドマリーだ。…アレクサンドライトさん、でいいのだろうか?』

「お、おう!…じゃねえや、はい。えっと、別荘地でなんか発見があったって聞いたんだけど。あ、俺は今『ラシル』にいるぜ」

『『ラシル』か…。それで、兄は?』

「いや、すまねえ。入れ違いだったみたいだ。もう先に出ちまってて」


告げると、エリウットが落胆した様子で『そうか…』と呟いた声が聞こえ、それを取り繕うように『いや、良くやってくれた。礼をしてもしきれない』と落ち着いた声で続けた。


「俺たちはまだロイロット…様を追いかけるつもりだぜ。それで、発見ってのは?」

『ああ、そうだったな。実は他に何か手がかりが無いかと貴族の別荘地を調べていたら…過去『機械の暴炎』に巻き込まれた村でとんでもないものが出たんだ』

「とんでもないもの?」


再度尋ねると、辺境伯の弟は言いよどむように少し呼吸を止めた後声を潜めて、静かに答える。


『死体だ。それも数人のな…。もう白骨化していて身元も年齢もわからない』

「は…?」


一瞬意識が追い付かず、アレクサンドライトは蒸気とともに裏返った声を返してしまう。

こちらがどういう反応を返すかなどわかりきっていたのだろうエリウットは、『事故の被害者ではないようだ。わかるのは骨格から男性か女性かだが…今確認している』とこちらを落ち着かせるようにゆっくりと説明を続けた。


『その村はすでに誰も住んでいないが、所有者はいる。しかもウインドマリーのものでも、ましてやテトラトルのものでもなかった』

「ってことは…」

『ああ、リングリラの貴族の所有になっている土地だった』


今度こそアレクサンドライトは言葉を失った。因縁の土地で、因縁の相手が所有する土地から死体が出るとはあまりにもキナ臭すぎる。

今回の事件との関係を頭の中でぐるぐると考えていると、またしても一段階声のトーンを落としたエリウットが、何処となく硬質な声で『そしてこれが一番重要なことなのだが』と言った。


『発見された死体の中に、小柄な女性と思われる…片足のないものが見つかったのだ。アレクサンドライト、私はウインドマリー家に関わる者で、片足のない人物を知っている』


アレクサンドライトは混乱によって体の中に溜まった熱が、ぞっと冷えて行ったのを感じた。

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