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スティングは金属同士が奏でる不協和音とともに落下していき、やがて静かになった。

一秒、二秒、そのまま静寂が訪れる。階段の下から聞こえる蒸気と歯車の音、そして木々が風で揺れる音がその奇妙な静寂さを助長させていた。

アレクサンドライトはしばらく片方だけの不自由な目のままティリとともに、銀色の機械人が消えた階下をぼんやりと見つめていたがやがてゆっくりと立ち上がる。隣でティリも己に手を貸しながら恐る恐る続いたのを見届けた後、二人は足音を潜ませながらそっと階段へと近づいた。


日が暮れかけて、ただでさえ薄暗い地下へと続く階段は先が見えにくくなっている。だがそれでも段の終わりで横たわっている銀色の装甲が鈍い輝きを放っているのがうかがえた。

その体はぴくりとも動かない。

打ち所が悪かったのだろうか?と少し心配になる。

アレクサンドライトはティリと一度顔を見合わせたあと、無言で階段を下りそっとスティングの顔を覗き見た。視覚センサーの輝きがまったく見えない様子を確認して、ティリが跪いてその体に手を当てる。

階段を転がったときについたのだろう細かな傷やへこみがあちこちについているが、それでも致命的な傷は見えないようだった。むしろ見てくれからすれば、アレクサンドライトの方が重症である。


「どうだ?ティリ」

「大丈夫。たぶん衝撃で停止ちちゃったんだろうけど、内部はちゃんと動いてるよ」


アレクサンドライトが尋ねれば、診察を終えたらしいティリが振り返り胸をなでおろしていた。どうやらお互い殺機械人(さつじん)はしていないらしい。

いけ好かない機械人だったが、流石にその動力を完全に止めてしまうのは胸が痛む。テトラトルでは意識のある機械を破壊する行為は人間の命を奪うことと同等の罪として扱われるし、スティングにいなくなってしまえとは思っていなかった。

ティリは奇妙な体勢で倒れてしまっているスティングの体を少し整えてから立ち上がり、「少しすれば目が覚めると思うよ」とアレクサンドライトを振り返る。


「次はアレクだよ。その目…の代わりになる物は今は無いけれど、胸の穴は一応塞がなきゃ」

「おう。…外に飛行機の収納庫があったぜ。そこに工具くらいあるんじゃねえか」

「じゃあ、それを借りさせてもらおうか。連絡もしたいから通信機もあるといいんだけど」


二人は足早に階段を上り、飛行場の隅に会った収納庫へとやってきた。

地下の施設とは比べ物にならないが、こちらもなかなか広い。真紅に塗られた大きな翼とプロペラを持った複葉機が一つ、奥に収まっていた。もう一台収納できるスペースがあったが姿は見えない。恐らく今はロイロットを乗せて空の上にいるのだろう。

目的の工具は壁際に整頓して置いてあり、頻繁に人が出入りしているのだろうかと思った。もしくはスティングとその主人が今日のために整理したのかもしれない。

ティリは収納庫の明かりをつけてあたりを見回し、難しい顔をして唸っていた。


「えーと、板金は一応あるみたいだけど…本格的な工具はどうかな?」

「とりあえずははんだでちゃっちゃと止めてくれればいいぜ。急がねーとな。…今からリングリラに行って間に合うかどうか」

「うん…どうやったってロイロット様には追いつけないだろうし、ね」


悩ましげに頷きながらティリは壁際に放置されていた手ごろなサイズの板金と工具箱の中からはんだごてを取り出して、アレクサンドライトを手招いた。すかすかした胸を押さえて彼女のそばに腰かけると、静かに応急処置が始まった。治療(しゅうり)中はやることがなく収納庫内を見回していると、ふと視覚センサーが残された飛行機をとらえる。

前述の通り二枚の赤い翼と大きなプロペラを持った、複葉機だ。操縦席の後ろにも席が設けられている、二人乗りタイプである。ここにあるということは元は戦争に使用されたものなのか、頑丈そうである。

じっと飛行機を見つめる己の視線に気づいたのか、胸の穴を埋めるティリもふと手を止めてそちらを振り返る。お互いにしばらく赤く巨大な二枚の翼を見ていたが、同時に顔を見合わせて神妙な態度で口を開いた。


「…なあ、ティリ。あれ、動くのか?」

「…うん、私も同じこと考えてた」


言いながらティリは修理の手を再開させる。熱せられたはんだの感触が、装甲越しに伝わってきた。


「…お前、確か飛行機の運転習ったことあったよな?」

「うん。おじいちゃんとクラスタインさんに連れられて何度か試運転させてもらったことあるよ。大きいものじゃなければ動かせると思う」


機械工は車やバイクの修理時に試運転をするために様々な機械の動かし方を心得ている。直すならその動き方、働き方も学ぶべきだと言うのが、ティリの祖父であり師、トストの言葉だ。

流石に大型の機械兵器や飛行船は無理だが、あの程度の飛行機の操縦の仕方ならばウインドマリーの機械工ならば誰しも知っているだろう。蒸気と歯車の街で生まれた職人の特技であり、先輩から伝授されることは特権であった。

アレクサンドライトは今一度大きな翼の複葉機を見つめ、そして真剣な顔で作業をしているティリを見た。


「俺が乗って動くかな?」

「それはわからない。けど、ちょっと軽くしたらもしかして…」


二人で飛べるかもしれない。その意味を込めた彼女の視線が、ちらりとはんだから移りアレクサンドライトの片方しかない目を見る。

その後二人は無言で修理し治療され、足早に真紅の飛行機に近づいた。既に収納庫の外は薄暗くなっている。世界が完全な暗闇に閉ざされるのは時間の問題だろう。その事実が二人に行動を急かさせた。

ティリはアレクサンドライトの手を借りて解放型の操縦席に飛び乗ると、あれやこれやといじり「うん、大丈夫。これなら運転できそう」と頷く。動力、重量制限ともに問題無いようで、ただ心配なのはエネルギーがリングリラまで持つかということらしかった。


「ガソリンは途中では補給しなきゃダメかな?アレク、工具のところに地図があったはずだから持ってきて」

「おう」


指示されてアレクサンドライトが持ってきた地図はウインドマリー周辺のみならず、テトラトル全土からリングリラまでが記された大きなものだった。

それを広げて、ティリは飛行距離と給油地を調べている。搭乗用の階段に上り、アレクサンドライトもその手元を覗き込んだ。

己に説明するためか自分で理解するためか、彼女の細い指がとんとんと地図の表面を叩き、そして上の方へ向けてすい、と動く。


「現在地がここね。大きな街なら飛行機のエネルギー補給もしてくれるはずだから、一旦『ベンドル』に降りよう」

「『ベンドル』…ちょうど中間地点くらいか。大きい街っぽいな」

「うん。商業の街だよ。ここで通信機を借りておじいちゃんに連絡しよう。それに誰かの協力が欲しいところだけど…」

「…ん?ちょっと待てティリ」


説明を止めさせるとティリが「どうしたの?」と首を傾げて、アレクサンドライトをふり仰ぐ。が、己の視線は彼女では無く収納庫の開かれた扉から見える、暗く染まりかけた飛行場を見ていた。

片割れを無くした視覚センサーと、いまだ無事な聴覚センサーが来訪者の存在を伝えている。

映るのは銀色、届くのは影と草を踏み分ける聞き覚えのある足音。思い当たる来訪者に、アレクサンドライトはじゅう!と大きく蒸気を吹きだした。


「スティングだ!あいつ!もう起きてきやがった!!」

「急ごうアレク!乗って!!このまま出発しよう!」


慌てた様子でティリは地図をしまうとアレクサンドライトを促す。もちろん飛行機を飛行場に移動させてから飛ばした方がいいが、そこまでの時間は無い。アレクサンドライトはティリの後ろに座ると、座席にあったヘルメットをゴーグルをティリに手渡す。

解放型のコックピットならば絶対に必要なはずだ。自分は所詮機械だし、壊れたままの片目に風があたるのは少々不安だが大きな故障はしないだろう。

ヘルメットに短い金髪を収めてゴーグルを着用したティリがコックピットを操作し、プロペラが周り始める。途端に巻き起こった風が、収納庫内にあるものをがたがたと揺れ動かした。


「アレク!頭気を付けて!何か飛んでくるかもしれないから!」

「おう!お前も気をつけろよ!!」


唸る風に押されぬようがなりたてるように会話していると、赤い飛行機はゆっくりと前に進みだす。収納庫全体震え、内部の紙や書物など軽いものが舞い踊る。

異変に気づいたのだろうこちらに向かってきていたスティングが、慌てた様子で収納庫の扉の前に姿を現した。

銀色の機械人は飛行機に乗っている二人を見ると青い瞳を点滅させて、その動きを停止させる。アレクサンドライトはいけ好かない機械人に一泡吹かせてやったことを悟り、へへんと得意げに笑った。


「どけよスティング!俺たちはロイロットを止めにいく!お前が何と言おうと、絶対に死なせねえからな!!」

「ごめんなさい勝手に!必ず飛行機はお返しします!!それから、絶対にロイロット様を連れて帰りますから!どうかもう一度良く考えてください!!」


吹き荒れる風にも負けぬ大きな声で叫ぶ二人に、スティングの銀色の体が一度大きく震えたような気がした。

そうしている間にも飛行機はプロペラを回転させて進み、彼の方へと近づいていく。重量の機械人でも慄くほどの風量で体を煽られているというのに、スティングは微動だにしなかった。

ただ真っ直ぐに飛行機を…それに乗るアレクサンドライトとティリを見つめている。プロペラが当たれば、そうでなくともこの風は危険なのに動こうとはしない。

まさか、このままどかないつもりか…?―――二人がそう考えた時だった。


「ロイロット様は、リリーナ様の乗った飛行船を追いかけられた…!!」

「!」


スティングが大きく放った言葉に、今度はアレクサンドライトとティリが体を強張らせる方だった。唖然とした二人の様子に構うことなく、銀色の機械人はその冷静な青の瞳をただただ一直線にこちらに向けて続ける。


「飛行船にはリリーナ様だけでなく、ゴードンも乗っている。ロイロット様はそこでゴードンに罪を問い、そのままリングリラに連行するおつもりだ!!」

「スティングさん…」

「飛行船は途中の街…『ラシル』で一度降りるはずだ!ロイロット様はそこで乗り込むつもりだろう!そのルートで飛べ!!」


怒鳴りつけるように言って、スティングは飛行機の軌道から身を逸らす。冷え冷えとした青い瞳は、もうこちらを見ていなかった。

ティリももちろん混乱した様子だったが、何よりその行動の意味を理解できなかったのがアレクサンドライトである。

先ほど戦ったスティングは、頑として己の意見を変えようとはしていなかった。何が何でもロイロットの望みのままにロイロットを死ににいかせようとこちらを攻撃していたのに、今頃いったいどういうつもりだろう。

困惑したまま、背中を向けたままこちらを見ない銀色の機械人に、アレクサンドライトは「どうしてだ?」と小さく呟く。それを聞いたわけでは無かろうが、スティングはやはりこちらを振り返りもせずに叫んだ。


「早く行け!行くのだ!!私の気が変わらぬうちに!私が使命を思い出さぬうちに!!」


それに頷いたのは、アレクサンドライトでは無くティリだった。彼女は「ありがとうございます!」と叫ぶと操縦桿を握り、そのまま飛行機を進める。

やがて速度が速くなり飛行場を駆け抜けた飛行機は、見えない手に引き寄せられるかのように空へと飛び立った。

ただ、飛行機とスティングがすれ違った時に、風とエンジンの音に紛れた小さな声で「ロイロット様」と呟いたように聞こえたのは、アレクサンドライトの聴覚センサーのエラーだったのだろうか?

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