18
ウインドマリー家の別荘は近くで見れば一段と大きく、瀟洒に見えた。
御者に待ってもらうように伝え、アレクサンドライトはティリは屋敷の周りの探索を始める。石畳で舗装されているのは屋敷の玄関までで、あとは芝生で覆われていた。が、野山の草木のように伸びっぱなしというわけではないので、誰かが定期的に手入れしているらしい。
しかし紫色の花畑をのぞむ屋敷は人気が無く、静かだった。窓から覗いて中を観察するが、カーテンが閉まり切っていて明かりも灯っていない。管理人でも住んでいるのではと予想していたが肩すかしである。
屋敷の裏まで回ったが、めぼしいものは何も無い。聴覚センサーも微細な物音すら捕えることが出来ずに、アレクサンドライトは首を振ってティリに視線を向けた。
「おいティリ、ロイロットもいそうにねえし…入れ違いになったかな…」
「うーん…そうなのかな…?せめてロイロット様がここで何をしていたかくらい知りたいんだけど…」
眉を垂れ下げるティリは、諦めきれないと言った様子できょろきょろとあたりを見回した。と、言っても当たりにあるのは広い花畑と遠くに見える森林のみで、手掛かりになりそうな物はありそうにもない。
アレクサンドライトも流石にここまで来て無駄足だったらやりきれないと、視覚、聴覚センサーの感度を上げて、鮮やかな紫色の花々をぐるりと観察した。さやさやと流れる大気が草木を撫でる優しい音が聞こえる。隣ではティリの呼吸音、自分の歯車の音、蒸気を吹きだす音…いや、それとは別の稼働音を聞いた気がして、アレクサンドライトははっとティリの方へと顔を向けた。
「俺以外の機械がここにあるな…」
「え…?」
「でも、何処だ?なんかくぐもって聞こえるぞ…遠い、のか、近いのか?」
「…?あ、アレク!あれ!あの人じゃない?」
己の言葉に促されるように再びあたりを見回したティリが、何かを見つけた様子ですっと遠くを指さす。彼女の細い指の先を目で追えば、花畑の中を細長い影がこちらに向かって歩いてくる様子が見えた。
アレクサンドライトが視覚センサーの感度を上げてやって来る影を凝視すると、その正体が背の高い機械人だというのがわかった。
細長い顔つきで手と足もまた細く長い。背中に散水用のタンクとホースを担いで、手には農具を持っている。恐らくこの花畑を管理している機械人だろうとアレクサンドライトは予想づけた。
見るからに武器を持っている危険な感じは無かったので、手を大きく振って「おーい!」と声をかける。己の仕草と声に気付いたのか、のっぽの機械人は歩む足を速めてこちらに近づいてきた。
「おたくら、誰だい?お貴族様って感じじゃないねえ」
黄色の瞳をちかちかさせて話しかけてきた機械人は随分と気安い口調だった。
間近で見ればやはり全体的に細長く、鋼色の体はあちこち土に汚れていることがわかる。今まさに水やりをしにいったばかりなのか、ホースにわずかに水滴が滴っていた。
しかし、近くで見てアレクサンドライトは違和感を感じる。先ほど聞いた機械の稼働音は、果たして彼のものだっただろうか?
聴覚センサーが捕えた音は、ずっと遠くで鳴り響きくぐもって唸るようだった。しかし目の前の機械人の鋼の心臓はかたかたと規則正しく、己と同じように動いている。もちろんくぐもった音も唸るような音もしはしない。
疑問が重なり口に出そうかと思った瞬間、ティリが一歩前に出てすぐ機械人に「突然お邪魔してすみません」と話しかける。
「私はティリ、こっちはアレクサンドライトです。ウインドマリーからロイロット様を尋ねに来たんですけど…」
「え?ロイロット様?うーん、ついさっきまでいらっしゃったみたいだけど…」
機械人はきょろりと花畑を見回して、「何処に行ったのかねえ」と独り言のように呟く。
「俺はウインドマリー家に雇われてこの花を毎日手入れしてるんだが、今日は何故だかロイロット様が様子を見に来てくれてなあ。や、嬉しかったんだが珍しいこともあるもんだね」
のんきに語る機械人を横目に、アレクサンドライトとティリは顔を見合わせる。先ほどまでいた、ということはやはり入れ違いになってしまったのか。
慌てて「ロイロット様はもうお帰りですか?」とティリが尋ねると、機械人はうーん…と首を傾げて悩ましげに答えた。
「たぶんまだ帰ってないと思うがねえ。ずっと見ていたわけじゃあないからはっきりとは言えないけど…」
「でも、馬車も車もねえじゃねえか。乗って帰っちまったんじゃねえか?」
「いや、ロイロット様は来てすぐ馬車を返しちまったよ。てっきり屋敷に泊まるんだと思ったんだが…」
居ねえのかい?と問い返す機械人に、アレクサンドライトとティリは頷いて屋敷を振り返る。カーテンは閉め切られて明かりも灯さず、中から些細な音すら聞こえてくる気配もない。しかしこの花畑の何処にも人の姿は無く、ロイロットが果たして何処へいったのか皆目見当がつかなかった。
もう少しここを探すか、それとも他を当たったほうがいいのか決断しかねた二人に、機械人が「ああ、そう言えば」と何かを思いついたように声をかける。
「ロイロット様があと行くとしたら、ここの管理小屋かねえ。あすこにいるかもしれないよ」
「管理小屋?それは、何処に?」
「この花畑の端っこだよ。普段は農具とか肥料とか入れているところなんだが」
ほら、あっち、と機械人は長く細い腕をのばして遠くを指さす。その指の先が示すのは紫色の花の海の向こう…ちょうど森と草原の境に当たる部分に小さな家のようなものだった。
ぎりぎりティリの視力でもとらえることが出来たようで、彼女は目を細めながら「あ、本当だ」と声を上げる。
もちろんアレクサンドライトの視覚センサーもその存在を見ることが出来たが、よくよく見なくともあれはほったて小屋である。貴族の坊ちゃんが好んで足を運びそうな場所にはとても見えない。
首を傾げながら、疑問にぶしゅうと蒸気を吐き出した。
「あんなところに辺境伯様が行くのかよ?何にもなさそうだぜ」
「ううん、確かにね。でもロイロット様は何度かあの小屋に足を運んでねえ。ああ、先代様もそうだったよ」
「先代様も?」
「ああ。農作機の調子を見るんだって。ここに来られるたびに足を運ばれていたよ」
その言葉を聞き、アレクサンドライトたちは遠くにぽつりと建つ小さな小屋を凝視した。
やはり何の変哲もないただの小さな小屋にしか思えない。だがロイロットも先代も、足しげくあそこに通っていたという。
何かある―――そんな予感が脳裏をよぎるのは仕方のないことだった。
二人は機械人に礼を言ってから足早に小屋に向かって歩き出す。「いるかな?」「いるといいけどな」と短く会話を交わした。
近づけば近づくほど、小屋は瀟洒な別荘とは正反対の遠い古めかしい作りになっているのがわかる。ただ木造と言うわけではなく骨組みは鉄骨で、それなりに大きく頑丈な建物のようだった。
二階建てのようだなと見上げていたアレクサンドライトだったが、にわかに奇妙な音を聞きとがめてふと歩みを止めた。
「アレク?どうしたの?」
「いや…。なあ、ティリ。やっぱり他にも何か機械があるぜ。さっきの機械人だけじゃねえ、もっと大きな機械だ」
「え…?」
こちらを振り返ったティリが、眉間にしわを寄せて首を傾げる。
アレクサンドライトは彼女を足早に追い越して小屋に近づくと、聴覚センサーの感度を上げて周囲を見回す。小屋の周りには音源となるような機械もしくは建物は無かったが、くぐもった音は先ほどよりも大きくなっていた。
はっきり聞こえるようになってわかったが、吐き出される蒸気と回る歯車の音の大きさから、並大抵の機械や機械人のものではないと察する。
「この中にでけえ機械があるのか?音はこっから聞こえてるみたいだぜ」
「え?え…?でも、さっきの人はこの中には農具と肥料しかないって…」
「…入ってみようぜ」
佇む小屋を睨み上げながら、アレクサンドライトは宣言した。
あまりにもきっぱり言い切ったためかティリは一瞬驚いた顔をしたが、自分と小屋とを交互に見つめてやがて決心したように頷く。
どのみちここにロイロットがいなければ、ふりだしに戻るのだ。それに自分たちはウインドマリー家の醜聞に巻き込まれて罪人となった身である。不法侵入したところで、これ以上立場は悪くなるまい。
二人は緊張した面持ちで、言葉も無く小屋の扉に手をかけた。
扉を押すと、それほど力を込めずとも前方へ動いていく。どうやら鍵はかかっていないようで、アレクサンドライトは小さく「不用心だな」と呟いた。
中の様子を確かめながら侵入する、が、人の気配は感じられない。あの機械人の言う通り、奥には作業用の農具と花畑にまく肥料の袋が積み上げられている。全体的に薄暗くやや埃っぽい印象を受けるが、整頓されており壁際には二階へ上がるための階段が設置されていた。
部屋の中にぐるりと視線を這わせて、ティリが「ん?」と首を傾げる。
「誰もいないし、何にもないね…でも、なんかこの小屋変じゃない?」
「そうか?何処が変なんだ?」
「んんん?何処、かあ。うーん…。どっか変なんだよなあ」
「まあ調べようぜ。…やっぱりこっから機械の音が聞こえるな。どこにあるんだ?」
違和感を解消するようにきょろりとあたりを見回すティリを横目に、アレクサンドライトは聴覚センサーの感度をさらに上げながら唸った。
センサーには確かに巨大な歯車の音や蒸気が吹き上がる音が断続して聞こえるのに、その正体がわからない。ここにある機械たちは動いていないし、今自分が感じ取っている音を出すほど馬力があるとも思えなかった。
それにアレクサンドライトには、もう一つ気持ち悪く感じていることがある。
「何か音がちょっと遠いんだよ。ここらへんで鳴っていることは間違いねえんだが、なんか間に挟まっているみてーな…くぐもって聞こえるんだ」
「…間に何か?」
言ってみても疑問が解決するわけではなく、アレクサンドライトはぎしぎしと床板をきしませながら小屋の中を歩き回った。無論むやみやたらに見て回っても、目的の物が発見できるわけではない。
回路が熱暴走しそうなほど悩んでいる己の背後で、ティリは真顔で口元に手を当てて何事かを考えていた。
「間に何か…でもここには何か遮る物なんて…、あ、まさか…」
ぶつぶつと呟き、ティリはアレクサンドライトとは別の方向…会談がある壁際へと歩き出す。
彼女はその階段と二階へ繋がる天井、そして農具が置いてる壁を見つめて「あ!」と小さく声を上げたあと、慌てた様子で階段に足をかけた。
その声と行動に、アレクサンドライトは気づいて振り返る。
「どうした?」
「この小屋…一階部分が外観に比べてちょっと狭いよ。たぶん、二階から地下に降りる階段があるんだ!」
「はあ?マジか?あ!さっきお前が感じた違和感って!」
「そう!部屋の広さ!それに音がくぐもって聞こえるってことは、ここじゃなくて別の場所…例えば地下に部屋があるんじゃないかと思う!」
言われてアレクサンドライトもティリの後を追い、階段の手すりに手をかけて階段を駆け上がった。
どたどたと二人で足音を鳴らしながらたどり着いた二階部分は、一階よりも薄暗く、簡素なテーブルや椅子などの家具とチェストや棚などの収納がぽつんと置いてあるだけの場所だった。やや天井が低く作られていて、下よりも狭く感じる。そのぶんだけ酷く寂しい。
ティリは目を凝らしながら暗い部屋の中を睨みつけ、そして自分の腰あたりまでの高さのチェストに目をつけると、歩み寄ってためつすがめつよく眺める。
「動かすか?」
「ううん。これ下に固定されて…あ!」
にわかに声を上げたティリは何かに気づいた様子で、チェスト上部に手をかけ思い切り引く。アレクサンドライトがまさかと感じた刹那、ごとん、と重い音を立てて上部の板が外れた。
中を見下ろした少女は目を見開き、そして呆然とした声で呟く。
「ここだ…。ここが階段になってる…」
チェストの中身は戸棚の様相では無く空洞になっていた。否、中には階段が作られており、それが下に…一階よりもはるか深い場所へと繋がっているようだった。




