太陽の季節 4
じりじりとさがる太公望。
莫大な憎悪と、ごくわずかな恐怖を瞳に浮かべて。
神雷を受けて無傷なモンスター。
謎の方法で切断された右腕。
意味が判らない。
こいつらはいったいなんなのだ。
「疾っ!」
鋭く踏み込んだ絵梨佳が回し蹴りを放つ。
超ミニのワンピースをまとっているような状態なので、生足が眩しい。
むろん太公望はそんなものに見とれたりしなかった。
充分な余裕をもって回避。
なのに、軍師の胸元が大きく裂かれた。
「またか! 風の剣は封印したのに!」
「へ?」
何を言ってるのか判らない、という顔をした絵梨佳だったが、ややあってぽんと手を拍った。
「これ?」
右手に握られるかたちで現れる揺らぎ。
見えない風の剣。
「なっ!?」
「剣みたいに握ると使いやすいからそうしてるだけで、べつに剣じゃないですよ。これ」
左手からも、両足の爪先からも膝からも、揺らぎが現れる。
絵梨佳の力を具現化しただけのものだから、べつに場所は限定されないし形だって自由自在だ。
光則の使う砂と同じである。
パンチダガー、槍、石筍、鎧、飛礫。どんな形だって作ることが可能なのだ。
「せっかく出したから、もったいないんで、切り刻まれちゃってください」
言うが早いか放たれる見えない刃。
必死に空中へと逃げる太公望を存分に切り裂く。
無数の傷を負い、左足を膝から失い、血みどろの肉塊となった男が、どちゃりと地面に落ちた。
圧倒的な差。
これでも絵梨佳は手加減している。
スラヴ神話の邪神チェルノボグなど、彼女の蹴りが二発と一回の踏みつけで消滅したのだ。
「どうやら勝負あったようだね。太公望」
黒いTシャツと野戦ズボンという、ちょっとワイルドな格好をした少年が語りかける。
ものすごくえらそうだが、こいつ自身は刀の一本も振るったわけではない。
ただ突っ立っていただけだ。
「澪の血族……っ!」
憎々しげに血にまみれた顔を向ける太公望。
眼光だけで人を殺せそうだ。
「君の負けだ。降伏しなよ」
唐突な降伏勧告は、それをおこなう余裕が澪の側に生まれたということである。
顔を巡らし、必死に周囲を眺めやる。
いない。
戦っていた味方を、視認できない。
武吉も、竜鬚虎も。
それどころか、哪吒や二郎真君の気配すらなくなっている。
「まさか……まさか……」
「ご想像の通りだよ。もう君の味方は残っていない。以後は掃討戦に移行するだろう。これ以上の戦闘は無意味だから、降伏してくれるとありがたいかな」
肩をすくめてみせる澪の次期魔王。
誇るでもない。
事実を事実として語っているような口ぶりだ。
三分。
この若造が戦場に到着してから、わずか三分で転生者たちが全滅。
ありえることではない。
「貴様……」
「正直、もう血に飽きたんだよね。降伏するなら命は助ける。もちろんいくつかの条件を呑んでもらうけど」
むしろ優しげな声。
哀れみを含んで。
不意に太公望は赫っとした。
これほどの奇跡の大逆転を演出しておきながら、淡々としているこの若造に。
「貴様が! 貴様さえいなければ!!」
びっくり箱のように跳びあがり、片手片足の姿で実剛へと襲いかかる。
微動だにしない次期魔王。
寄り添った絵梨佳も動かない。
ただ哀しげな視線を向けるだけ。
動いたのは別の者たちだ。
「義兄上のご温情をむげにするとは」
影のように走った仁のPKニンジャブレイドが胴を薙ぐ。
「同情の余地なしですね」
よろめいた太公望の両肩に突き刺さるPKナイフ。
跳躍し、馬乗りのように若者の身体に着地した紀舟陸曹長だ。
そのまま後方宙返りで飛び降りる。
「ア……ガ……キサマだけハ……」
腹から内臓をこぼれ落とし、両肩に光の刃を生やした男が腕を伸ばす。
灼けつくように。
もはや瞳に映るのは、憎き次期魔王だけ。
その腕が付け根から切り落とされた。
御劔の長剣によって。
「どうあっても、ともに天を戴けなかったようだな。残念だ。中華の軍師よ」
掬いあげるように振るわれたロングソード。
空中で軌道を変える。
両手持ちへと。
「さらばだ」
袈裟懸け。
左の肩口から右脇腹へと抜ける。
ふたつに分かたれた太公望の身体が塵となり消えてゆく。
断末魔を残すことすらなく。
まただ。
また共存を拒まれた。
バンパイアロードのときと同じく、柄頭で揺れるえべチュンが泣いていた。
「あらら。負けちゃったわね太公望。口ほどにもない」
鉄扇で口元を隠した竜吉公主が言った。
どことなく楽しげである。
実剛は太公望に味方は全滅したと告げたが、それは事実ではない。
シスター・ノエルと戦う竜吉公主が健在なのだ。
しかも無傷で。
ただ、戦局全体には、まったくなにも影響していない。
むしろ戦いにすらなっていない。
ノエルが攻めれば完璧な防御で凌ぎきり、カウンターを繰り出す。
だが自分からは攻めない。
ノエルが味方の援護をしたり、兵馬俑を倒そうとすれば邪魔をする。
だが自分に向かっている限りは、何もしない。
人を食ったような戦闘姿勢だ。
なにをしに戦場に出てきたのかと訊きたいくらいである。
竜吉公主が宣言したのは千日手。
完全に手詰まりとなったシスターは発想を逆転することにした。自分が足止めされているのではなく、竜吉公主を釘付けにしているのだ、と。
自身が戦った手応えでは竜吉公主はかなり強い。
沙樹や絵梨佳と同格だろう。
それを、ノエルが引き受けているのだから、澪としての採算は大きな黒字だ。
ポーンでクイーンを止めることができれば、それだけで戦略的な意味は大きいのである。
そのため、戦いの後半において、ノエルと竜吉公主はただ対峙していただけだった。
ときおり雑談などを交わしながら。
えらく暢気な話であるが、こればかりは仕方がない。
戦っても勝てず、退かせてももらえないとすれば、他にできることもないのだ。
「ぜんぜん残念じゃなさそうね」
「そりゃあ、ぜんぜん残念じゃないからね。妾はこんな戦には反対だったし」
「そうなの?」
「もし澪が圧政を敷いたとかならね。封印する理由もあるとは思うんだけど」
肩をすくめ、鉄扇をおろす竜吉公主。
露わになった顔は、同性のノエルでさえはっとするほどに美しい。
「澪は、街の人々のためにいろいろ頑張っているわよ」
「いまはね。むしろシスター、建国の当初において、民のことをナイガシロにした国なんてないの」
どこのどんな王国だって、民のためにと起った者によって築かれる。
それが堕落し、腐敗してゆくのだ。
どれほど高邁な建国王の理想も、いつしか官僚たちに都合良く解釈されるようになり、一部の者たちにとっての国へと、民は奴隷へと変わってしまう。
「澪の魔王は一角の人物だと思う。その後継者もね。だけどその次の世代は? もっと後の世代はどうなのかしら?」
歌うように問いかける美女。
ノエルには応えられない。
竜吉公主がふたたび微笑した。答えを求めての問いではない。
「妾たちが動くのは、魔王の治績も、次期魔王の理想も忘れられ、澪がただ力に溺れるだけの存在になってからで良いと思っていたのよ。何百年先のことか判らないけれど」
「…………」
それは、闇だ。
ノエルたち闇を狩る者にとって、駆逐すべき闇である。
つまり澪とは、闇に堕する過渡的な危険を、つねに内包した存在だということだ。
「でもまあ、将来の危険性なんてものを考えてたら、きりがないじゃない」
将来的に人類の敵となる可能性があるから、いま処断する。
それはいささか乱暴にすぎる。
いずれ脅威となるかもしれないからという理由で、隣国に戦争を仕掛けるようなものだ。
「なのに太公望ったら、天帝に、手に負えなくなる前に潰すとか、格好いいことを言上して、このていたらくなんだもの」
くつくつと笑う。
なんともいえない顔をするシスター。
一枚岩の組織など存在しない。中華神話もまた例外ではないということだろう。
ただ、竜吉公主の言動の意味を、ノエルには推し量ることはできない。
「それじゃ。戦いも終わりだろうし妾は帰るわ。なかなか楽しかったわよ。唯一神の使徒」
縮地しようとする。
「ちょっと待って。今の話、聴かせたい人がいるんだけど」
サクラマサクスを収納したシスターが押し止めた。




