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軍師の帰還 澪の危機 9

「という次第だ。納得したか? 盗人」

 佐緒里が唇を歪める。

 太公望の手に現れる鞭。

「やる気満々だな」

 砂剣を構えた光則も一歩前に出た。

 もはや一言も発せず、青年が戦闘態勢を取る。

 だが、

「ここで戦ってやっても良いが、貴様を倒す権利は当主に譲ることにした」

 左手を前にして右手を引き絞る。

 投擲体勢だ。

「貫け! 聖槍(ゲイボルグ)!!」

 放たれる深紅の光!

 太公望が身構えるが、彼女の狙いは人間ではなかった。

 轟音とともに、床に大穴が空き、大黒柱を貫く。

 建材が宙を舞い、家が傾いてゆく。

「屋敷ひとつ。魔王の伴侶を誘拐した代金としては格安だな」

 鬼の哄笑。

 もうもうたる爆煙が晴れたとき、佐緒里の姿も光則の姿も、跡形もなく消え去っていた。

 ぎり、と、太公望が奥歯を噛みしめる。

 してやられた。

 まんまとしてやられた。

 すべて計算尽くだったというわけだ。

 警官が来訪したときから、奴らの作戦は始まっていたのだ。

「紫宇っ」

 ゆっくりと沈みゆく屋敷の階段を駆け上がり、女子高生が駆けつける。

 二郎真君の転生者だ。

朱里(あかり)か。完全にしてやられた」

 ぎらつく目を向ける太公望。

 ここまで人を小馬鹿にしたような戦いは、彼の人生でも多くない。

「どうする?」

「迂闊だった。奴らが北海道警察とも繋がっていたとは」

「太公望。分析は後でいいよ」

 厳しい声を放つ。

 裏をかかれた事情など、いま考えても仕方がない。

 どうやってこの屋敷を割り出したのか、どうやって捕虜のいる部屋を割り出したのか、そんな分析は後でも良いのだ。

 悔いて時間が戻るなら、いくらでも悔いれば良いが、現実はそんなに甘くない。

「今後どうするか、それだけ決めて」

「……ああ、悪かった。赤城王」

 大きく息を吐き、太公望が目を閉じる。

 この屋敷はもう駄目だ。

 さっきの攻撃で、たぶん基礎まで砕かれているだろう。

 つまり彼らは、日本における拠点を失ったことになる。

 ホテルなどを利用するという手もあるが、これまで以上に自由に動ける、ということにはならないだろう。

 となれば、あらためて拠点を探すか、一度本国に帰還して作戦を練り直すか。

 しかし、澪はもう彼らの存在を知っている。

 ゆっくり第二撃を待ってくれるだろうか。

「……仕掛ける」

「いまから?」

「兵馬俑どもの損害は?」

「ないよ。出撃体勢だったのが幸いしたね」

「それなら、ここは攻めの一手だ。あいつらは縮地できないんだからな」

 切り替えよう。

 人質がいなくなっただけ。

 戦力の分断には成功している。

 函館から澪までは、ざっと一時間だ。

 まさか魔王の伴侶を救出する作戦を、砂使いと槍使いのみで実行したとは考えにくい。

 目に付かないところで、それなりの兵力を動かしたはずだ。

「五名から十名、というところかな」

 黒髪をかきあげる。

 そして、重要度の高い作戦なればこそ、量産型で挑んだとは考えにくい。

「澪はいま、がらんどうだ」

「ん。いい顔になったね。軍師さま」

「私たちはまだ負けたわけじゃない。すぐに飛ぶぞ」

 自信を取り戻した表情で青年が踵を返す。

 にやりと笑った女子高生が、それに続いた。




「私たちは、まだ勝ったわけじゃないんだよ」

 無線機を置き、こころが言った。

 たったいま、ポークコマンダーから、作戦成功の連絡が入った。

 囚われていたキクとぴろしきは無事に救出された。

 歓声を爆発させる副町長室に、天界一の智恵者は冷水を浴びせる。

 かるく頷く美鶴と楓。

 現状、澪は戦力分散の状態である。

 キクの救出に向かったメンバーは、まさに選りすぐり。

 次期魔王、主席軍師、芝の姫、勇者隊のリーダー、忍者隊のリーダー、そしてビーストテイマーと鬼姫と砂使い。

 装甲車を操る運転手すら、量産型能力者の中ではトップクラスの戦闘力をもつ紀舟陸曹長なのだ。

 主力部隊といって過言ではない。

 それほど重要な作戦だったのである。

 かつて沙樹が拉致されたときに編成された救出隊と同様だ。

 守りのことなど度外視で、絶対に失敗は許されない。

「人質を失った彼らは、どのように考えるでしょうか」

「勝利の得がたさを思い知って、ぴーぴー泣きながら中国に帰るってのが、最高なんだけどね」

 第三軍師の言葉に、第二軍師が肩をすくめてみせる。

 そんな可能性はない。

 ゼロだ。

 すぐに発想を切り替えるだろう。

「つまり私たちはいま、各個撃破の危機にあるんだよ」

「すぐに攻め込んでくる可能性があるってことかい? こころちゃん」

「あるってことだよ。暁貴さん。そして彼らは厄介なチカラを持ってる」

「縮地かっ!」

「はい正解。でもって、暁貴さんはどこに立っているように言われたっけ? 太公望に」

「庁舎前広場……やべえな」

 敵は、澪の心臓部に直接乗り込むことができる、ということだ。

「すぐに非戦闘員を地下シェルターに避難させろ。あと住民たちも避難だ」

 顔色を変えた魔王が、高木に指示を出す。

 だが魔王の腹心は動かなかった。

 じっと窓の外を見ている。

「おたか?」

「どうやら、間に合わなかったようですよ。副町長」

 指をさす。

 庁舎前広場。

 いくつもの黒い球体が出現していた。




 車内に、どんと衝撃が伝わる。

 佐緒里と光則が、疾走するポークコマンダーに追いつき、屋根に着地したのだ。

「お疲れ。ふたりとも」

 上部ハッチを開けて顔を出した次期魔王がねぎらった。

「屋敷にダメージは与えてきた。じきに崩壊する」

「おけ」

 まずは鬼姫が、

「一応確認しながら逃げたけど、追撃はなさそうな感じだ」

「おけおけ」

 つづいて砂使いが車内に身体を滑り込ませた。

 任務は完璧に成功した。

 だが、無事に帰還してこその勝利だ。

 その意味では、まだ彼らは勝っていない。

 澪までの約五十キロを逃げ切らなくてはいけないのである。

 所要時間でいうなら、だいたい一時間だ。

 ポークコマンダーの最高速は時速百キロだが、まさか一般道をずっと百キロで走り続けることもできない。

「追撃はなかったですか……こいつは悪い方の予測が当たりましたかね」

 信二が腕を組む。

 できれば、こちらをしつこく追い回して欲しかった。

「どういうことです? 信二先輩」

 訊ねる実剛。

 もちろん魚顔軍師は説明するつもりである。

 敵が追いかけてこない理由は、ふたつほど考えられる。

 ひとつは深刻なダメージがあって物理的に追撃が不可能な場合。

 もうひとつは、他にやることがあるので追撃をしないという場合だ。

「問題は後者なのですが、撤収準備に忙しくて、という極小の可能性を除けば、どうして忙しいのかは自明でしょうね」

「澪への攻撃ということですか!?」

「そういうことです。御大将、現在俺たちは兵力分散の愚を犯している格好ですから」

 もともとたいして多くもない戦力を二分している。

 一方、敵はまとまって行動できるわけだ。

 これを各個撃破の好機だと考えない人間がいるとすれば、その人は少なくとも軍師とは名乗れないだろう。

「でも信二先輩。少人数で澪の中枢に乗り込むのは無謀だっていってませんでした?」

 次期魔王が右手を下顎にあてる。

 彼のチームがいないからといって、澪の戦力が払底(ふってい)しているわけではない。

 沙樹もいる。光もいる。広沢やカトルもいる。

 鉄心や酒呑童子だって健在だ。

 そうそう簡単に食い破れるような守りではない。

 事実として、初めて現れたとき、太公望も二郎真君も哪吒も、成すところなく敗走しているのだ。

「それです。俺の考えも、そこがネックでした」

 少数で中枢部を襲ったとしても撃退されるだけ。

 太公望ほどの軍師が、その程度の計算すらできないわけがない。

 となれば、なにか打開する手をもっている。

「すごい新兵器とか、そういうヤツですかね?」

「まさか」

 声を立てずに笑う魚顔。

「そんなものは漫画かアニメの中にしか存在しませんよ」

 封神演義の軍師が用意するとすれば、それは新兵器ではない。

 澪の把握していない戦力だ。

「他にもいるのではないですかね。転生者が」

「三人だけじゃないってことですか……」

 実剛が唇を噛む。

 太公望たちの戦力を、転生者が三で計算しているのだ。

 たとえば、数が二倍の六だとすれば、別の計算式が必要になってくるだろう。

「とにかく、急いで戻りましょう」

 ふうと息を吐き、運転する紀舟陸曹長に依頼する。

 まずは帰還する。

 車内でいくら駆け足したとしても、それで速度が上がるわけでもない。

「了解です」

 ぐっとアクセルを踏み込む女性自衛官。

 いつもと変わらない態度のリーダーに、ごくわずかな焦りを感じながら。



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