魔王な二人 7
「敵は、天帝だ」
煙草をくわえた依田が言った。
「なにいってんだろうね。この煙突ハシビロコウは。地上の話に主神クラスが出てくるわけないじゃないか」
すごく嫌そうな顔でこころが応じる。
天帝と一口にいっても、神話大系によって意味合いが異なる。
たとえば仏教では帝釈天のことだし、キリスト教なら主そのものを指す。
古代中国の神話では、天地万物を支配する神だ。
どの考え方でいっても、主神クラス。
日本神話なら天照大神とか、ギリシア神話だったらゼウスとか、そのへんにあたる。
「だれが煙突か」
「まずハシビロコウを否定しろよ」
依田のつっこみに、さらにつっこみを入れる暁貴。
なんかすごく気があっている。
幹部たちは、嫌な予感が鳴りやまない。
「中華神話やギリシア神話の神々は、やたらと人間的だからな。こういう話に首を突っ込んでも、べつにおかしくはないさ。八意思兼」
「そうだけどさ」
「事実、君も首を突っ込んでいるしな」
「私はバランスを取りたいだけだよ」
「ともあれ、動いたのは中華神話の大系だろうというのが、私と信二の見解だ。まだモノが現れたわけではないから、確実ではないだろうがね」
「むう……」
こころが腕を組む。
にわかには信じがたい話ではある。
ただ、信じがたいというなら、魔王の波旬の転生者が現れたこと自体、信じがたいことなのだ。
暁貴はバカだから気にしていないだろうが、魔王クラスが地上に転生するというのは、大変なことなのである。
「でもよ。こころちゃん。うちにゃカトルだっているじゃねえか」
なんにも考えていない男が発言する。
アステカの文明神ケッツァルカトル。
たしかに澪に帰属しているし、主神級である。
だがそれは、まったく意味が違うのだ。
彼は、ロシアのラスプーチンによって、むりやり現世に召喚された。
転生ではない。
「ううーん」
「狙いが読めないだろう?」
「まあね」
「だから私が澪に入った。彼らの狙いを知るためにな」
「いいんじゃねえか? 基本的にこの街はくるものはこばまねぇよ。魔王だろうがハシビロコウだろうが、敵対するつもりがないってなら歓迎するさ」
「感謝する。北辺の魔王よ。しばらく逗留させてもらおう」
「迎賓館を使ってくれ。まさか魔王をビジネスホテルに泊めるっちゅーわけにもいかねえからな」
先月落成したばかりの真新しい建造物だ。
こんな小さな田舎町に、どうしてそんなものが必要なのかという問いは、この際は無益である。
北海道知事や日本国首相が、ごく頻繁に訪れるような街なのだ。
ただ、最初の泊まり客は、この国の重鎮でも他国のVIPでもなく、魔王だった。
「判ったわ。手配しておく。食事は?」
「一緒に食う。五十鈴ちゃんたちに頼んでおいてくれ」
呆れ顔の秘書に依頼する。
どうやら今夜は、魔王どもの会食のようである。
あっという間に拘束される三人の男。
美鶴の作戦勝ちだ。
呆然と立ちすくんでいた女の子を、光が姫抱きして戻ってきた。
まあ、まさか脇に抱えたり肩に担いだりするわけにはいかないのだから、こればかりは仕方がない。
判っているのに、ちょっとだけ不機嫌になってしまう第二軍師だった。
「はいそこ。おりておりて」
どうやら三蔵法師らしい少女と風使いを引きはがす。
「ほほえましいねっ」
「微笑ましいで済ませて良いものなのかの」
ギャラリーに徹しているキクとたまちゃんの会話である。
ともあれ、妖怪三人組は光則の砂鞭でぐるぐる巻きにして抵抗力を奪った。あとは話を訊くのみである。
「で、あなたが三蔵法師なのね? 念のために確認しておくけど」
「そうよ」
ふてくされたような返答。
黒い髪と同色の瞳。
どことなくエキゾチックな雰囲気を持つ少女だ。歳は美鶴と同じくらいだろうか。
「あなた達の策は破れたわ。この上は潔く選んでもらうわよ」
淡々とした美鶴の口調が不吉に響く。
「降伏か死か? えらく不名誉な二択ね」
鼻で笑う三蔵法師。
物語の人物像とは大きく異なっている。
もっとこう、楚々とした聖人な印象だ。
なんだか台無しな感じの三蔵法師である。
「違うわよ。残念法師」
巫の姫の命名であるが、これでは名前にかすってもいない。玄奘が名で三蔵は役職。法師は敬称だ。
これでは残念な坊さんといっているだけ。そんなものは世の中にいくらでもいるだろう。
もちろん美鶴は承知の上だし、そもそも真剣に考えて名付けたわけでもない。
「死ぬまで戦うか、このまま立ち去るか、よ」
彼らの戦略目標は、もう果たせない。
それでも戦いたいというのなら、あらためて仕切りなおしてやろう。
次の機会を狙うために撤退するというのなら、それはそれとして今は見逃してやる。
美鶴はそう言っているのである。
「舐めてるの?」
睨みつける少女。
逃がしてやるといわれて怒るとは、なかなかに難儀な性格である。
「べつに舐めちゃいないわよ。ぶっちゃけ興味がないだけで」
通信橋を守るという澪の目的は達成した。
たまちゃんにも危機を伝えることができたし、今後の防衛は北海道の仕事だ。澪が動く必要はない。
であれば、ここで三蔵法師と愉快な仲間を無理に殺す必要もない。
捕虜にして澪に連れて帰る理由は、もっとないだろう。
どこへなりと立ち去れば良い。
「……おぼえておくことね。澪の血族。次はこうはいかないから」
歯ぎしりとともに捨てぜりふを吐いて踵を返す。
美鶴が視線で指示し、光則が砂の拘束を解除した。
肩を怒らせて去ってゆく四人。
琴美と佐緒里が、じっとその背を見つめている。
戦闘態勢を解かずに。
彼女らがおおきく息をついたのは、完全に姿が見えなくなってからだ。
「やれ。汝は暁貴や実剛とは違った意味で度しがたいの。美鶴や」
苦笑混じりに、たまちゃんが口を開いた。
「なんのことか判らないんだけど?」
嫌な顔をする第二軍師。
伯父や兄と比較されるのは、なんというか耐え難い屈辱だ。
恥辱プレイの域に達しているといっても良い。
「へいとを稼いで、連中の目を札幌ではなく澪に向けさせる。これで奴らは、通信橋を破壊するという当初目標より、汝らを殺す方を優先するようになるじゃろうな」
「…………」
「今回はたまたま処理が上手くいったが、何度も繰り返せば市民に被害が出る可能性がある。そう考えたのじゃろう?」
手を伸ばし、少女軍師の頭を撫でるたまちゃん。
「汝は優しい娘じゃの。じゃが、我らの安全のために、汝らが憎悪を肩代わりする必要などない」
「……べつにたまちゃんのためじゃないわ。澪以外に被害が出るのは、結局は澪の不利益になるからそうしただけよ」
「頑固じゃの。まあ良い。今回は借りておこう」
無表情に告げる小学生。
「そのうち返してもらうわ。多少の利息は覚悟してね」
憎まれ口を叩く中学生だったが、どうにも負け惜しみの域を出ていないようであった。
微笑ましく見守る仲間たち。
うち二名ほどは、ただぼーっとしていただけだ。
戦闘が終われば、澪の戦士たちはこんなものである。
「さって、凱旋だねっ」
元気にキクが宣言した。
軽く頷き、仲間たちが周囲に集まってくる。
「んんっ? どしたのっ? みんなっ」
「どしたのって。縮地するんでしょ? キク姉」
「しないよっ」
「なんでっ!?」
「もう疲れたもんっ 帰りはJRだよっ」
縮地は万能のチカラではない。使えば当然のように消耗する。
まして六人で一緒にテレポートしたのだ。
とてもそうは見えないが、キクは疲れ切っている。
ゲーム的にいうなら、マジックポイントがないような感じである。
「え、いや、ちょっと待ってよ姉さん」
片道切符宣言に、冷静な少女軍師が狼狽した。
キクはまだ良い。平服だから。
問題は彼女たち五人だ。
野戦服である。自衛隊払い下げの。
もう、いまからサバイバルゲームをはじめたってまったくおかしくないくらいの戦闘装備なのだ。
この格好で札幌駅まで移動し、特別急行に乗って澪に帰るというのか。
「嫌すぎる……」
美鶴の嘆きが、川面を渡る初夏の風に溶けていった。




