ゲーム・スタート 1
ジジ、というかすかな音を立て、煙草が燃えてゆく。
小さな小さな火種。
深夜の公園に男の顔を浮かび上がらせた。
昼間、暁の女神亭を訪れた客だ。
「出てきたらどうだ? 気付かれていないと思っているわけじゃないんだろ?」
虚空に声をかける。
応えはない。
姿をもっては。
「どうして自衛隊が介入する? お前らに任務はくだっていないだろう」
いずこからともなく聞こえる声。
男のものとも女のものともつかない、機械的な響き。
「隣家の庭に毒虫が発生したら駆除の手伝いくらいはするさ」
こっちにまで被害が出ても困るしな、と付け加える。
「澪に付くつもりか。自衛隊」
「俺たちは日本を守るのが仕事だ。澪だって、当然のように日本に含まれているぞ」
「世迷い言を」
声が笑いを含む。
澪の戦士たちは、自衛隊に守ってもらう必要がないくらい強い。
親切の押し売りも度が過ぎるというものだろう。
「世迷い言は貴様だよ。毒虫野郎。澪の連中を怒らせるような真似をするんじゃない」
澪を守るというのは、じつは日本を守るのと同義だ。
心優しきモンスターたちが本気で怒ったら、対澪特殊部隊程度では止められない。
冗談抜きに、この地に戦略核ミサイルを撃ち込むくらいしか方法がないのである。
むろん、できるわけがない。
もし仮に、そんな暴挙をおこなったとして、それで澪の血族が根絶やしにできるという保証もない。
だからこそ、新山首相はなるべく争わず、共存する道を選択した。
「その弱腰で舐められることなった」
「血を流し合うより、舐められる方がずっとマシだ」
「戦争と平和しかないのか。見事な鰯の頭だな。自衛隊」
「平和は謀略の時間だと考えるような連中よりはずっと上等さ。毒虫」
空気が帯電する。
一触即発の危機を孕んで。
沈黙を破ったのは姿なき声だった。
「同国人のよしみで警告してやる。自衛隊。退け。次は殺す」
にやりと笑う男。
「次ね。次なんてものを、澪が用意してくれると思っていたんだな」
次の瞬間、夜風が哭いた。
矢羽が大気を切り裂く音。
驚く暇もあればこそ、数本の矢によって服を貫かれ立木に縫いつけられる若い男。
声の主。
左手から変声器が落ちる。
「先ほどぶりです。山田シェフ。夜中に逢い引きだなんて、妬けてしまいますね」
闇の中から現れる美しい娘。
左手で無造作に持った弓。
澪一番の射手である女勇者だ。
「五十鈴シェフ……どうして……」
「光則さんと佐緒里さんは調査担当ではありませんよ。あなたを調べていたのは、私です」
澪の大シェフが微笑する。
「そして、俺が美鶴ちゃんから連絡を受けて罠を張った。光則君たちが現れたことで油断したな」
田中二尉も笑った。
第二軍師と対澪特殊部隊は、最初から連携していたのである。
暁の女神亭で演じたのも茶番だ。
山田を惑わせるための。
「あなたの料理には一点の曇りもなかった。だから、本当にただの料理人かもしれないって思いが、半分はあったわ」
女性の声が響いた。
五十鈴より幼く、だが自信に満ちた声の主は、むろん美鶴である。
「や。美鶴ちゃん」
「お久しぶり。二尉。あなたがきてくれて良かったわ」
「まさか能力者じゃない俺が派遣されるとは思わなかったけどな」
田中と親しげに会話を交わす。
面識があるのだ。
具体的には御前との最終決戦。
美鶴と光が搭乗した九六式装甲車を操縦していたのが、田中である。
以来、プライベートでも連絡を取り合うようになった。
そういう間柄だ。
澪とのシンパシィも強く、仲も良いため、三浦陸将補は彼を選んだのである。
「対澪部隊は中立じゃなかったのか……」
立木に縫いつけられたまま山田が呻く。
「陣営としては中立。でもその中に友人がいたって、べつに不思議ではないでしょ」
「そんな情報はなかった……」
くすりと美鶴が笑った。
さすがのスパイも、対澪特殊部隊の隊員と澪の幹部が、同じネットロープレを遊んでいて、同じギルドに入っているとは思うまい。
何も携帯端末やメッセンジャーソフトだけが連絡を取り合う手段ではないのだ。
「俺を殺すのか。モンスター」
屹っと美鶴を睨みつける山田。
応えたのは少女軍師ではなく、五十鈴である。
「口を慎みなさい。山田シェフ。あなたはいま、澪の王女の前にいるのですよ」
無礼は許さない。
「王女っていうか姪だけどね」
女勇者を軽く手を挙げて制し、美鶴が若いスパイと正対する。
「どういう目的で潜入したのか、語るつもりはある?」
「ない。仮に語ったところで、それをお前らは信用するのか?」
「残念ね。ここで語っておけば、伯父さんに引き渡されずに済んだのに」
「…………」
山田がわずかに青ざめる。
澪の魔王。
もちろん彼に面識があるわけではなく、為人についても知っているわけではない。
だが、諜報員として多少の情報は把握している。
味方には寛大だが、ひとたび敵と認識した者に対しては容赦がないとか。
東京を日本地図から消してやると発言したこともあるとか。
この国の法律など認めないと語っているとか。
情報からイメージされる人物像は、けっして良いものではない。
人間の命や尊厳などに、薄紙一枚ほどの価値すらも見出していないだろう。
まさに魔王だ。
「美鶴ちゃんが一番の常識人なのに、わざわざまともな人への証言を拒否するんだな。蛮勇に感服するぞ」
人の悪い笑みを浮かべて肩をすくめる田中。
「世の中には、虎の尾を踏みたくて仕方がない人間もいるのでしょう」
冷めた目で見つめながら矢を引き抜き、五十鈴が山田を連行する。
もはや抵抗は無意味だ。
魔王の姪と女勇者、そして自衛官。
最後の一人だけなら振り切って逃げることも不可能ではないだろうが。
「短い付き合いでしたが、有意義でしたよ。山田シェフ」
それは、まるで別れの言葉のように、山田には感じられた。
「シグマのおかげで作戦がうまくいったよ。ありがとう」
「ノアールとミリアのためだからな。一肌でも二肌でも脱ぐってもんさ」
澪町役場へと移動した一行。
副町長室で握手を交わす暁貴と田中。
えらく格好いい名前で呼び合っているが、これはオンラインゲームでのキャラクター名だ。
シグマとは田中のことで、暁貴はノアール、美鶴はミリアである。
「ノアールの回復魔法には何度も助けられてるからな。これで少しは借りが返せたか?」
「なにいってやがる。俺だっていつもシグマの剣に助けられてんだ。お互い様じゃねえか」
とてもとてもどうでもいい。
「で、そいつがスパイ大作戦か」
「そうよ。私への証言を拒否したから、あとは伯父さんがやって」
肩をすくめてみせるミリアこと美鶴。
ちなみにゲーム内では魔法使いだ。
「簡単に押しつけてくるなあ。べつに実剛でも良いだろうが」
ため息を吐いた暁貴が、どうして良いのかわからないという表情の山田をソファへと導く。
来客用のものだ。
敵方のスパイに供されるようなものではない。
「んで、お前さんは誰に雇われてるんだい?」
煙草に火をつけながら問う魔王。
じつにストレートな質問である。
苦笑する山田。
「答えるとでも?」
「答えてもべつに困らないだろ。仕事はもう終わってんだから」
暁貴が唇を歪める。
山田に、もう浮かぶ瀬はない。
もし仮にこの囲みを脱しようと、このまま澪に居続けることはできないからだ。そして帰る場所があるのかといえば、そんなものはない。
どこの組織に雇用されているのか知らないが、一度でも澪に捕縛された山田を諸手を挙げて歓迎はしてくれないだろう。
心に闇を抱く者は常に蔭に怯える。
スパイを送り込むような連中である。
相手が同じことをしない、などと考えるわけがないのだ。
山田が万難を排して戻ったとして、待っているのは良くて解雇、悪くすれば処分だろう。
「スパイだってバレた時点で、お前さんの仕事は終わりさ。あとは今後の身の振り方ってやつだ」
「…………」
黙り込む山田。
やはり魔王と異名を取る男である。状況認識が鋭く、展開予測もシビアだ。
これを出し抜けるなどと思っていた上役どもの不見識に歯噛みする思いである。
選ばなくてはならないだろう。
沈黙を守り虜囚たるに甘んじるか、それとも……。
「YOU! 語っちゃえYO! いまならうちに再就職ができちゃうZE!」
変なポーズをとりながら、なぜか抑揚をつけて促してくる人外どもの王。
台無しだ。
最悪だ。
これに負けたなど、絶対に報告できない。
「死ぬしか……ないかな……」
絶望の表情でぽつりと呟く山田だった。




