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盤上の遊戯 5


 壁際に二人の若者。

 その前には、将太くんが立っている。

 猿轡を噛まされてはいるが、拘束はされていないようだ。

 扉を蹴破る勢いで侵入した琴美は、その光景を見てすらいなかった。

 一直線に駈ける。

 大切な弟を誘拐した犯人へと向かって。

 蒼銀(ミスリルブルー)に染まってゆくセミロングの髪。

 瞳に宿るは怒りの焔。

 楽に死ねるなどと思わないでもらおう。

 握りしめた拳が突き出される。

 そしてそれは、佐藤の顔の二ミリ前で止まった。

 男の髪が風圧で逆巻く。

「……どうして拳を止めた? アンジー」

 顔を歪ませたままの質問。

「……あんたのためじゃない。将太くんが、殺さないでって言ったからよ」

 もちろん口を封じられている少年は喋れない。

 ただ真っ直ぐに琴美を見つめている。

 それだけ。

 なのに魔女の娘は攻撃を止めた。

「……最後の賭けも失敗かぁ。本当に君は何者なんだい? 将太くん」

 佐藤の手が将太の猿轡を外し、ゆっくりと頭の後ろで組まれた。

 後藤も同様のポーズを取る。

 抵抗しない、という意思表示である。

 次の瞬間、琴美が少年を抱きしめた。

「良かった。アンジーさんが手を汚さなくて。本当に良かったです」

「ばかっ ばかっ こんなに心配させてっ」

 入口から、実剛と絵梨佳が入ってきた。

 登場したときには事態が終わっている。

 間抜けさの極致である。

 とはいえ、仕事がないわけでもない。

「絵梨佳ちゃん。いちおう二人を拘束して」

「はいっ でも紐とかもってませんっ 足とか折っておきますかっ」

「……もうちょっとおとなしい方法でお願い」

「あの……これ使う?」

 申し訳なさそうに、佐藤がタオルを差し出した。

 将太くんに噛ませていたヤツだ。

 ちょっとよだれとかついちゃってるけど。

「あ、ありがとうございます」

 駈けよった絵梨佳が受け取って二つに裂き、佐藤と後藤の両手を縛った。

 なんだこの茶番って絵図である。

「佐藤さん。アンジーさんに自分を殺させることで、心的外傷(トラウマ)を植え付けようとしましたね」

 琴美に抱かれたまま、将太が指摘した。

 笑みを浮かべる若者。

「え? そうなの?」

 首をかしげる琴美。べつに人間を殺したくらいでトラウマなど背負わない。彼女は戦士だ。必要とあれば殺人を躊躇ったりはしないし、幾度も経験している。

 もちろん快楽殺人者ではないので、それを楽しんだことなど一度もないが。

「でも、怒りにまかせて人を殺せば、アンジーさんの傷になります。まして恋人……未満の人間に裏切られたというのが動機なら、なおさらです」

 台詞の途中に沈黙が挿入されたのは、微妙なオトコゴコロだ。

「だから僕を拘束せずに口だけ封じた。佐藤さんが死んだ後、人質にするつもりじゃなかったのが判るように。僕を守るために殺したんだって言い訳を自分にできなくするために。違ってますか? 佐藤さん」

「……違ってない」

「そしてそんな手の込んだ仕掛けをしたのは、アンジーさんが今後、恋愛に臆病になるようにしたかったから」

 自らの死によって、琴美を縛る鎖となりたかった。

 死んでまでも彼女を縛りたかった。

「他の諜報機関にアンジーさんを利用させないために。もうつらい思いをさせないために」

 まっすぐに佐藤を見つめる将太。

 韜晦(とうかい)を許さない熱さが瞳にこもる。

「……どんだけ歪んでるんですか。あなたはスパイですか。それともただの男ですか」

「どっちなんだろうね。僕にももう判らないよ。だけど、アンジーを他の男に渡したくなかった。もちろん君にもね」

 それが最後の賭け。

 もし琴美が佐藤たちを殺していたら、彼は死によってギャンブルに勝つことができた。

「だから、僕も賭けたんですよ。僕を見てくれると」

 倒すべき敵ではなく、守るべき者を見る。

 それが澪の戦士。

 それが魔女の娘。

 最後の瞬間まで将太は目で訴えていた。殺してはいけないと。

 そして将太は賭けに勝った。

「なるほど。話は良く判らないけど、なんとなく判ったわ」

 ふむふむと琴美が頷く。

 そして当事者三人を眺め回した。

 笑っている。

 なんか、とても怖い。

「私を巡って、このバカ騒ぎをしたってわけね。ようするに」

 右手を差し出して、コンクリート打ちっ放しの床を示す。

 下目使いに。

 将太くんも佐藤も、後藤さえもその意味に気付いた。

 そこに正座しろ、と。

 処刑台に連行される死刑囚みたいな表情で、並んで座る男ども。

「私を蚊帳の外に置いて、私の話を進行させてるんじゃないわよっ」

 ごっちんと景気の良い音が三つ。

 三人が、頭に拳骨を落とされたのだ。

 悶絶している。

「や、アンジー姉さん。このぐだぐだな空気、どうするんですか」

 疲れたように実剛が声をかける。

 格好良く澪を飛び出したのに、出番なし。

 次期魔王でなくたって情けない気持ちになるだろう。

「知らない」

「知ってください。お願いです」

「じゃあとりあえず、澪に連行しよう。私の車で」

「それはただのドライブでは……」

「あぁん?」

「あ、さーせん。なんかさーせん」

 ぎろりと睨まれ、すごすごと引き下がる次期魔王であった。

 すすけたその背を、絵梨佳がさすってやっていた。

 平和なことである。




 状況終了の報はすぐにポークコマンダーにもたらされ、美鶴を経由して暁貴たちも知るところとなった。

「若い連中が一仕事終えたようだ。祝勝会用に酒場に電話をかけないとな」

 やたらと格好つけた仕草で、魔王が仲間たちを見る。

 さあ突っ込んでくれ、という表情だが、華麗にスルーされた。

「判ってるよ……マイナーすぎて俺でも突っ込みにくいよ。ごめんよ」

 副町長室の隅でいじけるおっさん。

 どうでもいい。

 ちなみに、とあるSF超大作の外伝に登場する台詞をもじったものだ。

 たぶんこの場にいる誰も知らないだろう。

「これでカードが一枚消えましたね。はてさて、あと何枚のカードがあることか」

 肩をすくめるのは高木総務課長。

 ポーカーなら配られるのカードは五枚と決まっているが、この深刻で滑稽なゲームでは、何枚のカードが配られたかも判らないのだ。

「私が対峙した相手が一人。ということは、少なくとももう一枚は埋もれているでしょう」

「それが、今回の相手だった可能性もあるがな」

 鈴木の言葉に、鉄心が苦笑を浮かべる。

 そのとき、沙樹が資料を抱えて入室してきた。

「解決したみたいだけど、いちおう情報は集まったわ」

 美鶴から依頼された、佐藤という学生は本当に函館みらい大学に在籍しているのか、という案件である。

 結論からいえば、ちゃんと在籍している。

 ただ、一年の夏以降、大学にもきておらず、顔を知っている人間もほとんど存在しないとのことだった。

「さすが内調の情報網ね。はやいことはやいこと」

「誰を調べるか判っていれば簡単なんですよ。この国には個人情報なんてものはありませんからね」

 鈴木が笑う。

 魔王陣営に帰属するための手土産として提供したもののひとつが、内閣調査室のデータベースへのアクセス権である。

 彼の行動が知られればすぐにロックされるだろうが、少なくとも現時点では有効活用しない手はない。

「消されて入れ替わったか、条件が良いので利用されただけか、にわかには判断がつかねぇな」

 デスクに戻った暁貴が下顎を撫でる。

 めそめそするのに飽きたらしい。

「まあ、琴美が連行してくるなら、そのへんは尋問すればよかろう」

 鉄心が告げる。

 細々と情報を集めるより、直接本人に聞いた方がはやい。

「連行? 殺さなかったのですか?」

 微妙な顔をする内調のエージェント。

「私が言うのもおかしなものですが、スパイなど生かしておいても良いことはなにもありませんよ?」

「うん。たしかにお前さんの言うこっちゃないな」

 からからと暁貴が笑う。

 鈴木自身がスパイなのだから。

「でもな。敵だから殺すってのは、俺らの流儀じゃねえんだよ」

 人は殺したくない。

 できれば、という範囲でだが。

「勝敗はついたしな。まずは喋ってみるさ」

 人たらしの魔王。

 そんな言葉を、鈴木は思い出していた。



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