盤上の遊戯 3
初夏の風が吹き抜ける内院。
ベンチに腰掛ける若者と少年。
遠くに学生たちの笑いさざめく声を聞きながら。
「まず、君は誰なんだい?」
「僕が誰か判らないまま、外で話そうとか言いだしたんですか? 佐藤さん」
「いやぁ」
「ほめてないよ!?」
どこまでもつかみどころのない人物である。
なんとなく次期魔王に似ているように感じた。
顔も背格好も、まったく似ていないのに。
「まあ、真面目に応えると、君の様子がとても切羽詰まっているように見えた。教室で一分二分話して終わりって感じじゃないなって思ったんだよ」
「そうですか……」
あらためて互いに自己紹介する。
佐藤に対して悪い印象を、将太は抱かなかった。
判ってはいたことではある。
琴美の人物鑑定眼を、少年は疑ったことなどない。
彼女が惹かれるほどの男性なら、まちがいなく傑物であろう。
そもそも本来であれば将太が口を出す筋の問題ではないのだ。
婚約者でも恋人でもないのだから。
「でも、将太くんの気持ちは判るよ。お姉さんを取られるような気分だったんだろう?」
ちがう、とは言い返さなかった。
曖昧に微笑する。
第三者からみれば、将太の行動はあまりにも滑稽である。
憧れの女性に憎からず思う相手ができたと思いこみ、その人物を確かめに行く。
むしろ異常であろう。
「アンジー姉さんのこと、どう思っているんですか?」
「素敵な女性だと思うよ。外見もそうだけど、内面っていうのかな。すごくしっかりしていて、とても強い女性だ」
「結婚したいとかは?」
「おいおい。僕はまだ二十歳だよ」
「そうですよね……」
まだまだ結婚を考える考えるような年齢ではない。
まして、澪の血族と結ばれるということは、その身を澪に縛られるのと同義だ。
たとえば稲積秀人のような存在を生み出すわけにはいかないのである。
では、結婚の覚悟もなく琴美に近づいたのかと責めれば良いのか、といえば、そういう問題でもない。
「どうだろう。僕は弟くんの眼鏡にはかなわないかな?」
佐藤が微笑する。
悪意のない、穏やかな笑顔だ。
警戒心を解きほぐすような。
もし将太が普通の高校一年生男子であれば、一発で心を開いたかもしれない。
しかし幸運なのか不幸なのか、彼は普通でなかった。
子供参謀たちのリーダーであり、魚顔軍師の愛弟子である。
ごくわずかな違和感に気付く。
佐藤という男、あまりにも自然すぎる。あまりにも好意的すぎる。
まともに考えて、将太のような存在は鬱陶しい。
血縁のない弟のような存在など、はっきりと邪魔なだけだ。非常に悪い言い方をすれば「こぶつき」ということになろうか。
将太だけでなく琴美に対する評価だって大きく低下するはずだ。子持ちの女でもかまわないから、と結婚を焦っているならともかく。
佐藤自身が結婚を考える年齢ではないと言明しているにもかかわらず、将太をも受け入れようとしている。
何故?
そうまでして琴美が魅力的だから?
「ないな」
内心に呟き、高速稼働をはじめる将太の脳細胞。先ほどまでの年上の女性に憧れる少年のものではない。
澪を支える頭脳集団のトップとしての彼が目覚める。
琴美は魅力的な女性だ。
だがそれは、外見に起因するものではない。
蒼銀の魔女の一人娘として生まれながら、母親ほどの才能を持たなかった少女は、不断の努力によって子供チームトップクラスの戦力となった。
けっして諦めない強い心。敗北から学び次なる勝利へと結びつける姿勢。年少者に優しく、自ら最大の危険を買って出る勇気。
これあらばこそ、街の幹部たちも、子供チームも、魚顔軍師さえも、魔女の娘に一目置くのだ。
それを佐藤は知らない。
まだまだ外面しか知らないはずなのに、澪のイナカモノにすぎない少女に対して、東京のシティボーイの評価が高すぎる。
都合の良い遊び相手、という態度ではない。
「あと、落ち着きすぎ。突然こんなガキが現れて、冷静に対応とか。実剛兄さんじゃあるまいし」
脳裏のパズル。
次々とピースが埋まってゆく。
将太が現れるのは計算に入っていた。むしろ待っていたというべきだろう。迷わず佐藤の元へ誘導するため、道案内まで用意して。
親切なお兄さん。
あれは仕込みだ。
学内で無差別に聞き込みなどをさせないための。
すっとベンチから立ちあがる将太。
正面から佐藤を見据える。
「あなたは、いえ、あなた達は何者ですか? 何の目的があってアンジーさんに近づいたのか、教えていただきますよ」
問いながら、ポケットから携帯端末を取り出す。
いつでも澪に連絡できるように。
しかし、その手から端末が滑り落ちた。
くたりと力が抜ける身体。
意識を失う寸前、少年は背後にあのお兄さんが立っているのを見た。
音もなく、気配もなく近寄られていたのだ。
深夜になっても将太くんが帰らない。
一報を受け、澪町役場は騒然となった。
夜遊びなどをするような子ではない。遅くなるならなるで、必ず連絡を入れるだろう。
端末も繋がらず、深夜になっても帰宅しない。
事件や事故に巻き込まれたのではないか。
大人チームも子供チームも同じように考え、主だったメンバーが孤児院に参集した。
つめかけた面々に、ほたるちゃんが泣きながら事情を説明したのである。
「なんてこったい……」
額をおさえる実剛。
軍師たちの見解では、佐藤という男は諜報員の可能性がある。
調査をはじめようと思っていた矢先の出来事だ。
「私のせいだ……っ」
声を詰まらせた琴美が孤児院を飛びだしてゆく。
すぐにエンジン音が聞こえる。
単身で将太くんを捜すつもりなのだと悟った美鶴が、
「兄さん。追って。単独行動をさせちゃいけない」
次期魔王の背を叩く。
「わかった。絵梨佳ちゃん」
「はいっ」
婚約者に声をかけ、連れだって出てゆく。
ふたたびのエンジン音。
軽自動車のものより重く腹に響く。
実剛の愛車であるシャドウスラッシャーのものだ。
彼は雪が溶けるとすぐに中型二輪免許を取った。
そして手に入れたのが、ホンダのシャドウスラッシャー。
排気量三百九十九ccの単車である。
高校生が乗り回すようなマシンではないが、馬力がなくては戦場を駈けることはできない。
特殊能力面で仲間たちを助けることの難しい実剛が、自らに課した役割は、足である。
二人乗りのバイクが遠ざかってゆく。
「わたくしたちは善後策の策定ですわ」
窓から見送った楓が、孤児院に残った一同を見渡した。
将太くんは拉致された。
そういう前提のもとに次の手を打つ。
「佐藤ってやつは、これで終わりよ。スパイだとばれたスパイは、死んだのと同じ」
形の良い下顎に右手を当てた美鶴。
冷静に分析するが、内心は穏やかではない。
作戦の失敗を悟った佐藤が将太くんを害する可能性はけっして低くはないのだ。
「伯父さん。みらい大学を調べてもらえる? 本当に佐藤なんて学生がいるのか」
「まかせとけ。でもよ。そんなもん調べてどうするんだ? 美鶴。いてもいなくても、いまさら関係ないだろ?」
姪の要請に頷きながらも、暁貴が疑問を呈した。
彼の権力を使えば、かなり細密な調査が短期間で可能だろう。
ただ、佐藤がスパイなのはほぼ確定だ。偽学生だろうがなんだろうが、わりとどうでも良いのではないか。
「ピンなのか、他に仲間がいるのか、探っておきたいから」
「わかった。鉄心。沙樹」
盟友と秘書を引き連れ、魔王が去ってゆく。
「光則さまと佐緒里さまは、もともとの容疑者の監視を続行してくださいませ。この機に乗じて何か動きを示す可能性があります」
「了解だ」
「是非もない」
頷く砂使いと鬼姫。
敵の動きが単独のものか、他との連携があるのか、それすらも現状では判らないのだ。
警戒を怠るわけにはいかない。
「……長い夜になりそうね」
ぼそりと、少女軍師が呟いた。




