07 教皇の返還(終戦)
『枯れ野の平原』という場所は、『文字通りの野戦』しか出来ないような、広大な平原である。
開墾すれば良い耕作地になりそうだが、ダナン領では長らく空白地帯であり、遊牧民や半人半馬のケンタウロス族のような遊牧種族が、一時的に逗留する程度しか利用されていない。
『枯れ野』と言うわりには緑は多く、小ぶりの花も多く咲いており、『魔皇の罠があるはずだ』と疑心暗鬼で進軍してきた三国混成軍は、あまりにものどかかつ何も無いために逆に困惑を隠せなかった。
何せグリフ王国の陣中深くに突然魔皇軍は現れ、彼らは本陣に痛打を与えて、あざやかに教皇を奪い去っていったのである。鬼没はともかく、その神出ぶりはすでに証明されていた。
そして、それ以上に困惑するような事態が進行中だった。
教皇返還の使者が、グリフ王国軍の暫定指揮官となったギルボア枢機卿の下に、一通の書簡を届けてきたからだ。
そこには教皇の名前で、『枯れ野の平原で公会議を開催する』という旨が書かれていた。
しかも連名には、死んだはずの神託騎士、ラヴィン・ケイマンの署名があったのである。
ギルボアとしては、すでに死んだはずの人物が舞台に登場するという、教皇本人に意見を求めたい事態であった。
無論、その人物は今、捕らわれの身で不在である。
ところで『公会議』とは何か?
公会議とは、端的に言えば『宗教の判断を決めるための会議』である。
聖典やその他、さまざまな解釈や異論異説あるものから、『これを正統とする』ということを決めるものだ。
教皇が発令した公会議であれば、それは正式なものになる。
慣例では、マールス教の教会で行うものだ。
だが公会議開催で一番困難なのは、場所よりも公会議開催の規定に足る資格者の参集である。通常は開催より何ヶ月も前に各方面へ使者を送り、日程を調整して準備するのが普通だ。
しかし、現在この『枯れ野の平原』には、枢機卿の一人であるギルボアを含め三国の王権と神権が集中している。ヴォータン教皇が欠けているが、人物さえ揃えば、成立しないこともない。
問題は、その『議題』であった。同様の書簡は他国の王族貴族や枢機卿にも送られているはずだが、ギルボアには理解しがたい議題だった。
『ダナン領総領事である通称魔皇こと、漂来者ジロウ・ヤナギの異端審問を行う』
『異界人が異端はのは当たり前』というのは、宗教人であるギルボアにとっては至極当然の話だった。しかし現状は、当初の想定をはるかに超えた状況になっている。
まず、聖戦の発令者であるヴォータン教皇が捕縛されていること。
そのような事態が想定外であるし、また貴人の捕虜は何らかの代価、つまり身代金をもって交換する風習はあるが、書簡にはグリフ王国の王権とマールス教の神権に見合う代価の要求が無いため、相手の思惑が読めない。
そして、本来『殉教者』として祀り挙げられるはずの神託騎士の存命。
これは聖戦の大義名分を失ったも同義で、二十万もの動員をかけた軍備が、全て意義を失うことになる。
一番困るのは不意打ち同様に抜け駆けしたグリフ王国で、他の同盟国から『無駄足を踏ませた上に名誉を損なう戦に手を貸させるつもりか』と、外交的に批難を浴びる状況だ。
そこに、教皇からの公会議開催宣言と、その内容である。
添付された書簡には『魔皇討伐隊が教皇猊下の助命を成立させた』と匂わせる記述があり、つまるところギルボアとしては、うかつに動けなくなってしまったのだ。
むしろギルボアは、宗主であり義理の息子であるヴォータンを助けるためにも、他国を含めた諸侯を抑えなければならなくなってしまった。
「と、とにかく公会議用の教会を用意せねば」
ギルボアは他国の枢機卿と共に、公会議に必要な設備を整えた。平原の一部が平らに均され、板張りの床が張られて、過去の公会議で決められたように祭壇が配置された。
過去、屋内でしか行われなかった公会議だが、神前会議であることが前提なので、開催のために緊急の神殿が建てられたのである。
結果、形式には則っているが、まったく教会らしくない施設が出来上がってしまった。
神官戦士のサムスは「教会というのは荷馬車一つ分もあれば設備が足りるのか」と言い、ブリンクは「残りは全部、権威や見栄ってやつだよ」と皮肉ったものである。
とりあえず形式を取り繕い、三カ国軍はそれぞれの陣営を、急造の神殿を中心に扇形に配置した。
最前面に従軍司祭、次に貴人や将軍、次に騎士で、その後ろには膨大な平民の兵たちである。
予定の日、予定の連絡通りにヴォータンが現れた。
周囲は護衛のように『魔皇討伐隊』が固めており、先頭は噂の神託騎士、少女ラヴィンがきらびやかな軍装で行列を引率していた。
その姿は誰が見ても『神託の聖女』であり、その後ろを行く輿の上のヴォータンの姿が、色あせるほどだった。ヴォータンの衣装は正式な教皇衣なのだが、実のところ目新しいものではないというのもある。
その後ろから、さらに来る数騎。その先頭に見慣れぬ黒衣の少年の姿を見て、四十万個の目と二十万の頭脳は、現状把握がまったく追いつかなくなった。
「魔皇か?」
と、誰が言い出したのか分からないが、疑問が二十万の軍勢に広がってゆく。
多くは『千の賢者、万の武将、百万の軍勢』と共に、『怪物のように恐ろしげな風体の魔皇』が現れると思っていたのに、どこから見ても『異国の服を着た、ただの子供』でしか無かったからだ。
しかも、護衛としても少ないほんの数騎。かろうじて全員騎馬ではあるが、それも軍馬のようないかめしい装備ではない。
二十万の疑問は、すぐに二十万の動揺になった。
兵士達からはそこかしこで「まだ子供じゃないか」という声がささやかれ、騎士達からは「これでは討ったとしても手柄にならん。むしろ不名誉だ」と言われ始める。
そんな異様な雰囲気の中を抜けて、文字通り全軍の視線が集中する中、一行は公会議場へ到着した。
ラヴィンが、表面上は鷹揚に笑っている教皇ヴォータンの手を取り、輿から降ろす。
「大義である」
「恐縮に存じます」
ヴォータンとラヴィンが短いやり取りをするが、一方は暗殺を命じ、一方は暗殺を命じられた方である。
現在平穏であるほうが、おかしいと言えばおかしい。
「ヤナギー総領事、では、口上を」
グロースが、捕虜返還の形式手続きに、合図を出す。二郎は短く「はい」とうなずくと、大きく息を吸い込んだ。
「マールス神に仕える聖なる戦士たちに告げます! 私はダナン領総領事、柳二郎! 我らが討ち取りしヴォータン教皇陛下を、神託騎士ラヴィン・ケイマン卿の請願により助命し、お返しします!」
しばらく、沈黙があった。そのあと、感情が破裂したかのように喝采があがった。
敬謙なマールス教徒は教皇の帰還を喜び、百万の軍勢との死戦を覚悟していた兵士達は、戦争が回避できたと知って喜んだ。
この瞬間、『聖戦』は事実上終了したのだった。
つづく
だいぶ間隔が開きましたが、再開します。
がんばって、まずは完結を目指します。
2016年6月26日 全面改稿