閑話 奇跡の少女は今
マールス教における『神託の聖処女』とは、『神託の奇跡』を教会にもたらす聖人を指す言葉である。
この場合『聖処女』とは言われるが、男性がその役割を担っていた事もあるという。これは『神託の奇跡』と呼ばれる能力を発揮するのが、必ずしも性別に依るわけでは無いからだ。マールス教においては初めて『神託の奇跡』を身につけたのが女性だったため、『聖処女』という呼び名になったわけだ。
なお魔術師界隈では、この奇跡を『魔法』あるいは『予言の魔法』と呼び習わしている。
魔術に依らないこのような解明不能な『異能』については、教会側も魔術師側も実はかなり取り扱いかねていて、今もなお喧々諤々の、議論という名の論戦が繰り広げられている。
というのも、このような『異能』には、所有者が困るほどの利便性や高い能力を発揮する場合が多いからだ。例えば、(元)魔皇討伐隊に所属していた神官戦士のサムスは『治癒の奇跡』を持っているがために、一ヶ所に半年と定住出来た試しが無い。どこかに腰を落ち着けると、そこには『治癒の奇跡』を求める人々が訪れ出し、そして『奇跡の奪い合い』が起こってしまうからだ。
「神官ならば教会に保護を求めれば良いでは無いか」と思う人も多いだろう。しかしそれは、教会が清貧を尊び権力欲と無縁だった場合にしか成立しない話である。サムスが逗留した教会では必ずと言っていいほどサムスの身上を廻る暗闘が発生し、実際に教会内部や、あるいは教会対領主軍といった対立にまで発展する事がほとんどだった。
サムスはそのような紛争の末にとある領主に捕縛され、領主から『不老不死』を要求されるに至って、自分がまともに安らげる場所はどこにも無いのだという事を理解させられた。その領主から逃亡して以来、サムスは放浪を続けていた。
ちなみに現在は、ダナン領のマールス教教会で司祭をしている。『治癒の奇跡』を持っている事は誰もが知っている話のはずなのだが、どういうわけか奇跡に頼って来る人が少なく、司祭としては実に平々凡々な日々を送れていて疑問に思う毎日が続いていた。
まあ、これは『枯野の平原』で魔皇陛下こと柳二郎が『火渡り一〇〇歩』を成し終えた時に、二郎に対して『治癒の奇跡』を施したのだが、ほとんど効果が無かった事が領民に知られたためであったりする。「ああ、奇跡って言ってもその程度なのね」というのが、ダナン領に住まう者たちの、おおよその見解であった。
なおこの話を広めたのは、二郎の兄、皇兄殿下である柳太一郎と言われている。彼がどのような意図をもってその話をしたのかは分からないが、おかげでサムスは平和な日々を送れているわけだ。
さて、今代の『神託の聖処女』は女性である。いや、であった。
彼女はすでに幾つもの『神託』を発し、そしてそのことごとくが実現した。そして彼女が最後に発した『神託』が、「神託騎士の資格者たる者が現れた」であった。彼女はその『資格者』の特徴と名前と年齢を言い、そして満足そうにこの世から旅立った。
死因は老衰である。『聖処女』と言われているが、実はすでに齢五十を過ぎ六十手前まで生きての大往生であった。
そしてその条件に合致したのが、当時ただの教会修道女だったラヴィンである。
彼女は、少々やんちゃではあったが、善良なマールス教徒であった。しかし突然教会にやってきた名も知らぬ枢機卿に「君は神託騎士に選ばれた」と言われ、中央の教会に連れられ半年ほど『修行』する事になった。
その頃、ダナン領では魔皇兄弟が、図書館の料理書を元に『食文化』を広め始めていた時分であった。
ラヴィンの剣術などはこの時に身につけたもので、礼儀作法なども含めて極めて付け焼き刃感が拭えないものが現在でもある。ダナン領『領主』として「偉そうにしてくれ」と皇兄殿下に言われるのも、その辺りが理由だと思われる。
ともあれ半年の修行を終えてしばらくし、装備も含めて神託騎士としての体裁が整った頃、ラヴィンは『教皇』であるヴォータンに謁見し、そして「『魔皇討伐隊』の首長として魔皇を見事討ち滅ぼしてみせよ」と、勅命を受けたわけである。結果、魔皇兄弟の生命を奪うことにはならなかったが、彼女は『魔皇兄弟を調伏し忠誠を捧げられ、ダナン領の領主として現在に至る』、という事になっている。
あくまで表向きは。
実際は、巡見士のブリンク曰く「あれは神輿に担がれたというんだよ」という言葉通り、野心家のヴォータン『教皇』、あるいはヴォータン『国王』に対する『障壁』として、ダナン領を治めていると言ってもいい。
事実、ダナン領はラヴィンの故郷であるグリフ王国とはほとんど没交渉で、『東方三国同盟』としてダナン領に攻め込んできたデリア王国やバルミット王国の方が、輸出入での商品や商人の出入りがはるかに多い。
ダナン領は多種族国家なので人の出入りは少ないが、ヒト族以外の産品には他国が眼を見張る物が数多くある。例えば、分かりやすいところでは森人族の作る弓や、土人族の打つ鋼の武具がそうだ。
森人族の弓は現在複合弓というテコの原理と滑車を用いた機構式弓が主力になってきており、土人族には『鋼鉄』という素材と『折り返し鍛錬』という金属錬成技術がもたらされ、それらの武具はヒト族国家で非常に高価で取引されている。
複合弓などは、機構をそのまま真似ればヒト族国家でも作れそうなものだ。だが、形を真似ても可動部がすぐ壊れて使い物にならなくなり、ヒト族国家の弓職人の中では『森人の呪い』などと言われている。
実はこれ、可動部の軸受けに土人族の『鋼鉄』が使われており、機構も実は土人族との共同製作なのだ。もちろんこれらの技術をこの世界にもたらし、そしてあまり仲の良いとは言えない森人族と土人族の仲を取り持ったのは、魔皇陛下である。
他にも酒類や薬品類など、魔皇陛下由来の物も含めて、ダナン領はジワジワとその商業圏を広げている。
それまで『マールス教教皇ヴォータン』の無言の圧力によってダナン領と没交渉だった周辺国も、これら『異種族の産品』を知って以降はダナン領に商売に行く行商人たちを黙認するようになり、現在のところはダナン領に富が集中し始めた辺りだ。
そしてその影響は、『ダナン領領主』であるラヴィン・ケイマンへと集中するのだった。
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──明日は休みだ!
と、『ダナン領領主』である神託騎士ラヴィンは、処理しなければならない書類を一枚一枚確認し、許可あるいは確認済みを意味する『印章』を押していた。ラヴィンの『印章』は、神託騎士を象徴する山百合の花押に、細剣をあしらったものである。
はじめは一枚一枚の書類にサインをしていたラヴィンだが、やがて彼女の右手が毎日サムスの『治癒の奇跡』が必要になるほど酷使されるようになるに至り、皇兄殿下が急遽手配し現在のようになったという代物だ。
この『印章』制度はダナン領の『文民省(皇兄殿下が担当している事務部署)』に即座に広まり、すぐに『武兵省』などでも使われるようになった。
そして、明日は休みである。
ダナン領では最近、『九労一休』という公休制度が制定され、公的機関は十日に一日は休みを設ける事になっている。もちろん最低限の人員は残すが、いくつかの『至急案件』以外は基本的に翌日に持ち越して良い事になっている。
もちろん、領主であるラヴィンもその休みの対象だ。魔皇陛下の提案にラヴィンは、預言を携えた聖人を見るような表情を浮かべていたと言われている。
ちなみに魔皇陛下こと柳二郎の言によると、本当は『週休二日』なるものを実現したかったらしい。
ラヴィンの知る『週』というのは『神が世界を創造した七日間』だが、聖典によると神が休んだという日は最後の一日だけである。領主業の実態を知ったラヴィンは「二郎の異世界では週が三十日ぐらいあるのかも」と、ちょっとした勘違いが発生し、後々に誤解が解けた時に「何それ素晴らしい!」と悲鳴にも似た声を上げる事になったとか。
ともあれ、明日はその『一休』の日だ。
そしてラヴィンにとっては、数少ない『魔皇を自由に出来る日』だ。
魔皇兄弟は、この『九日一休』で休む日を重複させる事が無い。
通常サイクルの『一休』では弟の二郎が休み、兄の太一郎は最低限必要な人数の官僚と共に文民省に出勤し、別の日に休んでいる。つまり、『至急案件』に備えた体制を作っているわけだ。
そして、明日は魔皇と共に出かける約束を、ラヴィンは取り付けていた。ゆえに『魔皇を自由に出来る日』なのだ。まあ、実際は表にも裏にもラヴィンを護る護衛が居て、外聞や他人の眼を機にする事なくはっちゃけられるわけでは無いのだが。
ともあれ、今日のこの仕事さえ終われば、ベッドに飛び込んで明日を待つだけ──。
「魔皇陛下! 『至急案件』です!」
──は?
伝令の竜人族の言葉に、ラヴィンは思わず思考が停止してしまった。そばに付いていた二郎が、伝令からの書類を受ける。魔皇兄弟はまだこの世界の文字を完璧に読めるわけでは無いらしく、すぐに文民省の官僚を一人捕まえ、自分の読み合わせに間違いが無いか確認を取った。
そしてそのまま、文民省の奥まで行く。そこには太一郎が居るはずである。そして数分後、二郎は真剣な表情でラヴィンの元に戻ってきて、前書きを一切述べずに言った。
「ラヴィン領主。エータの町に続く街道で、崖崩れが起きたそうです。今の所被害者は居ませんが、エータの町側の方は分かりません。僕は事態の収拾のために、現場に向かおうと思います。グロースさんとブリンクさん、それと現在バ・ドムさんが訓練中の第三師団をお借りしたく願います」
「わ、分かりました。ただちに出発して下さい。書類などの手続きは事後に」
「かしこまりました」
そう言うと二郎は、やや早歩きで『武兵省』へと向かって行った。その後ろに魔人族の少女、『魔皇の婿』サラールが続く。相変わらず現れ方がおかしい。
ラヴィンは大きな、本当に大きなため息をつくと、書類との格闘を再開する事にした。この分だと、明日の約束は守ってもらえそうに無さそうだ。
「でもまあ、しょうがないか。『魔皇様』だし」
そう言ってラヴィンは、自分を慰めるのだった。
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ちなみに崖崩れの原因であるが。
「おまっ。道が無くなってしまったではないか『破壊王』ヴェロキ!」
「まあ『賢王』パーテンさんよ、気にするな。俺もお前さんも飛べるからいいじゃねーか。ガハハハ」
「バカモーン! 貴様は相変わらず自分の破壊力をわかっとらん! これだけぶっ壊すと、元に戻すのにいったいいくらかかるか……」
「その辺は今代の『魔皇陛下』に丸投げだなー」
『旧漂来王二人組がなんだかよく分からない理由で道を吹っ飛ばした』という報告をラヴィンが聞いた時、ラヴィンはにこやかな笑顔で直ちに執務室に二人を呼び出したという。
その時、締め切った室内で何が行われたかは二郎にすら知られて居ないが、室内から解放された『賢王』と『破壊王』が、顔色を完全に無くしていた事だけはここに記しておく。
なおこの件に限っては、サラール女史も笑顔を若干引きつらせながら、このような発言を残している。
「絶っっっ対に話したくない」
久しぶりに書いてみたくて書きました。
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