第四話 既読の速度
その夜から、
澪とのLINEが続くようになった。
頻繁ではない。
でも、
途切れない。
映画。
酒。
コンビニ。
“飲むカレー”。
どうでもいい話ばかりだった。
『今日、
会社のエレベーターで知らない人に挨拶された』
『いい会社じゃないですか』
『いや、
私普通に別フロアの人だった』
『ホラーですね』
『最近なんでもホラーにするよね』
榊は、
スマホを見ながら少し笑う。
こういう、
意味のない会話が、
思ったより嫌じゃなかった。
むしろ、
少し落ち着く。
ただ、
榊は最近、
少し困っていた。
返信を考えてしまう。
送って、
消して。
また打って。
結局、
最初の文章へ戻る。
今までも、
人との連絡はそうだった。
温度を間違えないように。
距離を詰めすぎないように。
軽すぎないように。
重すぎないように。
その夜も。
榊は、
スマホを見ながら止まっていた。
『今日、
最悪だった』
澪からのLINE。
その下に、
コンビニのぐしゃぐしゃになったサンドイッチの写真。
榊は少し笑う。
でも、
返信が止まる。
何て返すべきか。
慰める?
笑う?
共感?
数分考えて、
結局、
『重力に負けましたね』
と送った。
送信したあと、
少し変だったかもしれないと思う。
数秒後。
『それ、
今までで一番マシ』
榊は、
少し拍子抜けして笑った。
それから数日後。
二人は、
またBAR LANTERNに来ていた。
今日は、
客が少ない。
店内には、
静かに
Waltz for Debby
が流れている。
「今日はブラック?」
澪が聞く。
「約束でしたから」
マスターが、
静かに
Four Roses
のブラックを置く。
丸氷。
琥珀色。
イエローより、
少し深い色。
榊は、
グラスを静かに回した。
カラン。
ブラックは、
最初、
少し硬い。
でも、
ほんの少し氷が溶け始めると、
急に香りが開く。
角が丸くなる。
甘さが遅れて出てくる。
榊は、
その変化が好きだった。
「何?」
澪が笑う。
「いや」
榊は少し笑う。
「今、
ちょうど美味しくなったので」
澪は、
グラスを持ったまま少し笑った。
「榊さんって、
そういう瞬間好きだよね」
「変わる瞬間ですか?」
「うん」
澪は氷を見ながら言う。
「でもさ、
榊さん自身は、
変わるの怖そう」
榊は少し止まる。
図星だった。
カウンターの奥では、
常連の男が競馬新聞を読んでいる。
店内には、
小さな生活音が流れている。
完全に静かじゃない。
その感じが、
最近少し好きだった。
「ねえ」
澪が、
ストローで氷を回しながら言う。
「榊さん、
LINEめっちゃ考えるでしょ」
榊は苦笑する。
「バレます?」
「なんとなく」
「そんなに変ですか」
「変というか、
一回ちゃんと会議してそう」
榊は吹き出した。
「脳内で」
「そう。
“この返信は適切か”
みたいな」
かなり近かった。
澪は少し笑ったあと、
静かに言う。
「でもさ」
「はい」
「最近ちょっと、
適当になったよね」
榊は、
グラスを見る。
氷が少しだけ開いている。
「そうですか?」
「うん」
澪は笑う。
「前より、
人っぽい」
その言葉が、
なぜか少し嬉しかった。
その時。
マスターが、
小皿を置いた。
ミックスナッツだった。
澪が一粒食べて言う。
「この店、
たまに塩強いよね」
マスターが静かに答える。
「酒が進むから」
澪が吹き出す。
「商売上手」
榊も少し笑った。
BAR LANTERN は、
相変わらず静かだった。
でも最近、
その静けさの中へ、
少しずつ生活が混ざり始めていた。




