(7/7)お前は人として信用できない
「――お前は私に首斬ってくれって言う割に、それに近しい殺され方をする努力をしなかった。生きてるどころか五体満足ってそういうことだろ? いくらここにいるのは理性飛ばした雑魚だらけだっつっても、お前自身が死に物狂いで戦わなきゃそうはならねェ。傷だってしっかり手当てしてあるしさァ……それくらい必死に生きようとしたってことじゃねェか。泥水啜って恥も誇りも全部捨てて、無様に這いつくばるように逃げ回って、ただひたすら生にしがみついたんだろ?」
麗の切れ長の瞳が、鋭利に光る。
「ならお前の言ってることはただの詭弁だ」
そう言って麗は壱政の顎に指をかけると、目を背けることは許さないとばかりにその顔をくいと持ち上げた。
「騙されたのはお前が悪い。それで家が滅んで身内が死んだのもお前が悪い。打首を受け入れられなかったのも、逃げるために見張りだか誰かを殺したのも、その後に目的失って誰彼構わず殺しまくったのも全部お前が悪い。全部全部お前の弱さが原因だから」
一つ一つ、言い聞かせるように。
「だけど一番悪いのは、お前がその弱さを認めないことだ」
最後に麗が断言すれば、壱政の喉がゴクリと動いた。
「刑罰ってのが何のためにあるか知ってるか? やったことを精算するためだよ。『反省してますごめんなさい、やったことに見合う苦しみを味わうので許してください』ってのが刑罰。でもお前のは違う。『悪いのは自分じゃないけど首ぶった斬ってもらえば格好がつくのでよろしくお願いします』、みたいな? それのどこが罰なんだよ。ンでそのためにこの私の手を煩わせようとするとか何様なワケ? そんなクソみたいな遊びに私が付き合ってやると思ったら大間違いなんだよ」
うんざりとした顔で麗が溜息を吐き出す。壱政の顎にあった手を腰に当て、座る相手を立ったまま見下ろす。二人の間には僅かしか距離がないせいで、ほとんど瞼を下ろした麗の目は侮蔑の念すら感じさせる形となった。
いや、実際にその感情は抱いているのだろう。彼女の眼差しは冷たく、突き放すようなもの。それを向けられた壱政は、何も反論できなかった。
それでも、問いたいことはある。
「なら何故、お前は……俺の首を……」
今の話を聞く限り、麗はこの首を斬りたいとは思っていなかった。それなのにどうしてわざわざ自分の頼みを聞いたのか――分かるのに、分かりたくなかった。
しかしそうと気付いた時にはもう、遅かった。
「そういう約束だったし、その方がお前が状況を理解するだろ」
麗の答えは、壱政が分かりたくないものと同じだった。
「お前はもう、首を落とされたところで死ぬとは限らない。つまりテメェの弱さを認められないお前の逃げ道はなくなった。だからさっきからキレてたんだろ? ざまァみろ」
麗の言葉が、壱政に現実を直視させる。……そして、理解した。
彼女の言うとおりだったのだ。何もかも指摘されたとおり。
麗に首を斬ってくれと頼んだのは、逃げるためだ。同時に、逃げようとする弱い自分を隠すためだ。
強者に殺されることを望んだのは、それならば仕方がなかったと思えるから。中途半端な力の者に殺されることを厭うたのは、この弱さの証明になってしまうから。
この胸に渦巻いていたのは兄に騙されたことへの悔しさではない。家族を奪われたことの憎しみではない。兄によってもたらされた己の状況に、兄の思惑に気付けなかったこの愚かさに耐えきれずに癇癪を起こしていただけだと、認めなければならなくなってしまうから。
それを隠すための手段は、もうない。
「……そこまで分かっていたなら、どうして俺なんかを生かした」
こんな自分は、その価値などないはずなのに。
「それ本当に聞きたいか? 生かされた意味があるって思いたいだけじゃねェの?」
「…………」
「ねェよ、意味なんか。前にも言ったけど私の仕事は蛙集めだ。お前がここで斬りまくってきたような蛙を集めてる。お前は奴らの命に意味を見出したのか?」
壱政は答えられなかった。意味を見出すどころか、顔すらも見ていなかった自覚がある。
その沈黙を彼の答えと取ったのか、麗は「そういうことだよ」と鼻で笑った。
「お前が勘違い野郎でも、そこそこ腕が立つなら拾わなきゃならねェから拾っただけ。それ以外に理由なんてない。ま、好きなだけ戦場で逃げまくっときな。時間は腐る程ある。この戦争もよっぽどのことが起こらない限り終わらない。だから死ぬほど生きてみろ。そうすりゃァ嫌でもお前の弱さが見える」
そう告げる麗の目は遠くを向いていた。その先に広がるのは戦火だ。この三月の間、壱政が必死に逃げてきた火の粉を撒き散らした大元。
あの火の理由を、壱政は未だ知らなかった。襲ってくる者と言葉など交わさなかったし、そもそも彼らが口にしていた言語は壱政の知らないもの。それでも戦火に近付けばもしかしたら知りたいことが聞こえてきたかもしれないが、その勇気は出なかった。自分に払えるのは火の粉だけで、火そのものに近付いてしまえば簡単に焼き殺されると分かっていたから。あそこに強者がいると、分かっていたから。
それなのに近付けなかった。その理由は、今ならもう分かる。
「見てどうする……そんなもの、見たところで何も変わらない」
己の弱さを見たところで何にもならない。現にその弱さを自覚した今でさえ、あの戦火に飛び込みたいなどと微塵も感じていない。
死にたいと、思っていない。
……けれどそれは、道理に合わない。大義もなく大勢を手にかけておいて、この愚かさのせいで家族に死を招いておいて、その罰から逃れたいと思うだなんて。
「だから格好つけんな。何も見えてねェからまだ生きてるんだろ?」
麗の言葉が壱政には不快だった。その物言いのせいではない。本当のことを無遠慮に暴いてくるからだ。
そしてそのことに不満を持つ理由も分かってしまうからこそ、一層苦しく感じる。
「そんなモンかどうかは見てから決めな。想像だけで満足して見限るのは、自分が賢いと思い込んでる馬鹿のすることだ」
つまらなそうに大欠伸をする麗の姿を見ながら、壱政は痛みのなくなった首に手を添えた。
§ § §
途方もない時間を壱政は戦場で過ごした。しかし多くの同族にとっては、ほんの少しうたた寝する程度の短い時間。
自身の感じる時間の流れもそれに近しいものになってきたと壱政が自覚した頃、彼を取り巻く環境は大きく変わることとなった。
「お前、ノストノクスに入るんだって?」
ノクステルナにある、とある街のとある店。そこで食事をしていた壱政の前に突然現れた麗は、彼のカップを奪い取りながらそう問いかけた。
「逃げるのは飽きたか」
つまらなそうに言って、ゴクリゴクリと赤いそれを飲み干す。いつもの光景に壱政は新しいものを店員に頼むと、「まあな」と小さく頷いた。
けれどそこに心はこもっていない。これはただの相槌であって、同意ではないのだ。何故ならノストノクスに入ることは壱政の意思ではなく、麗よりも更に上の者からの指示。実際のところ壱政がどう思っていようが断れるものではない。
麗もそれを承知しているからこそ、気のない壱政の返事に目くじらを立てることはなかった。それどころか「しっかしジジイも面倒臭ェな」とどこか壱政の本心に同調するようにこぼしている。くぷ、と小さくゲップをして、かと思えば重たい溜息を吐き出した。
「勢力均衡を図るなんだか知らねェが、折角人が集めた戦力をノストノクスだなんて組織の狗にさせるなんて無駄の極みでしかねェじゃん。ラミアの奴もエルシー=グレースも戦争抜けてあっち行っちまうしよぉ……遊び相手がどんどんいなくなる……」
テーブルに項垂れる麗は本気でそう思っているのだろう。壱政はラミアのことは名前と肩書以外に知らなかったが、エルシーについては多少知っている。いつだったか戦場で目にした彼女は、麗と同じ、自分ではまだ到底勝ち目のない強者だった。
それから鍛錬は積んでいるものの、どこまで届くようになったのかは分からない。麗の言葉どおり、エルシーは戦いを抜けてしまったからだ。麗のように戦いに楽しみを見出しているわけではないが、確かに少し残念に思う。
戦いに明け暮れていた強者達は、この二〇〇年で随分少なくなった。そのほとんどは命を落としたが、エルシーのように自ら戦場を離れた者もいる。
彼らは何故、戦いから身を引いたのだろうか――想像しようにも、そもそも彼らが何故戦いに参加していたのかすら壱政は知らなかった。
「……案外無駄じゃないのかもな」
彼らにとってはそれくらい大事なことだったのかもしれない。壱政がぽつりと言えば、麗は不可解そうに「あ?」と眉をひそめた。
「ノストノクスが? あんなモン無駄だろ。私らみたいなのを逆らえる余地を残した規律でどうにかしようとするだなんて」
「〝あんなモン〟かどうかは見てから決めるべきなんだろ? お前が自分で言っていたことだ」
「……そんなこと言ったっけ?」
はて、と麗が首を傾げる。その顔は本気で覚えていないと分かるものだ。
壱政は知っていたとばかりに小さく息を吐くと、「やっぱり適当に言っただけだったか」と新しく届いたカップに口を付けた。
「喧嘩売ってんのか?」
「いや? 思い出しただけだ」
カップから口を離し、唇についた真っ赤な液体を軽く舌で舐め取る。何の偶然か、その血はいつか飲んだものと同じ生き物のそれだった。
「――お前は人として信用できない」
相手を嘲笑するように告げる。その壱政の口角は、ほんの少しだけ楽しそうに上がっていた。
【断章】幽鬼篇 −終−




