一章 新たなる日々
春麗らかな昼間に、あたしはのんびりと庭を眺めていた。
友成と結婚をして、早二年が過ぎた。まだ、子はできていなかったが、あたし以外の妻も迎えずに友成はその状態を貫き通していた。
年はあたしが二十歳で友成は十九歳になっていた。
そうそう、弟の義隆にも奥方がいるのよね。基子姫という方で友成の一つ下の妹君なのだ。
二人とも、同い年の十八歳でつい、去年の三月に結婚していたのであった。ちなみに、今は弥生の終わりで下旬に入っていた。
基子姫も八月(八ヶ月)目に入っている。つまり、懐妊されたのだ。かなり、お腹が大きくなっているらしい。
後、一月と少し経てば、甥っ子か姪っ子が生まれる。あたしはそれを心待ちにしていた。兄である友成も嬉しそうに昨夜、報告してくれた。
昨夜の事を思い出しながら、つい、にんまりとしてしまう。今、あたしは太秦の別邸ではなく、東三条にいた。火事があって、一年近い間、太秦で暮らしていた。
手狭なお邸ではあったけれど、それでも、四季折々の景色が楽しめたのでそんなに不便さは感じなかった。
昨夜の事を回想してみた。
「…妹も後、一月と一週間が過ぎれば、臨月になると薬師が言っていたよ。まあ、おめでたいことではあるんだけど」
言いにくそうにしていたっけね。
それで、彼の話によると基子姫は初産だから、怖がっているらしい。
弟も慰めてはいるらしいんだけど、やはり、男だからか効果がなかった。
そんなことを考えていたら、さわさわと簀子縁から衣擦れの音がした。御簾をみんな開け放していたので、目を凝らしてみれば、それがすぐに誰かわかった。
「お方様、何をなさっておいでですか!」
当然の事ながら、怒られた。今年で二十五になる鈴鹿だった。
「何ってお庭を眺めてたのよ。今は桜が咲いてて、良い季節だし」
「そういうことではありません。お方様、早く中へ入ってくださいませ」
こんな端近にと言いながら、あたしの背中をぐいと押してきた。仕方なく、中へと入ったのであった。
もう少しだけ、眺めていたかったのに。仕方なく、言うとおりにする。
けど、鈴鹿は未だに独身かといえばそうではなく、清久と最近に付き合い出したらしい。三つ上の清久が火事の後、何かと気にかけて、鈴鹿のお局を訪れていたとか。
そのうち、二人は打ち解けあい、今に至るという事であった。以前では考えられなかった。
「…それと、お方様にお客様ですよ。二条のほうから、お文の使いの方がおいでになりました」
それを聞いたあたしは藤の縁ー女御様ではと思った。要は女御様のお文を携えて、高倉侍従辺りが来たということか。
だが、それにしては鈴鹿の様子がおかしい。
「お文の使いって、侍従が来ているの?」
尋ねてみると鈴鹿は目をそらした。
その態度にあたしはかちんときた。
「はっきり言いなさい。お使いで来たのは本当に侍従なの?」
「…あの。それが殿方でして」
しどろもどろになりながら、やっと答えたのであった。
「殿方ねえ…」
あたしが腕を組んで言えば、鈴鹿は慌ててこう付け加えた。
「実は今回のお使いの方は侍従殿ではないのです。来られたのはその、女御様の弟君です」
そして、鈴鹿は説明をしてみせた。
その後、鈴鹿の話を聞いたあたしはすぐに弟君を出迎えに行くように命じた。男とはいえ、弟君が使いになるというのもあり得る。
ちなみに、弟君はあたしのいとこで頭中将の藤原守時という。あたしよりも一歳上で二十一歳になる。さて、それよりも弟の義隆の北の方である基子姫は臨月に近いらしかった。実は基子姫は東宮妃候補の一人であったらしい。
だが、あろうことに彼女は義隆と文のやりとりをしていたのである。
それが噂となり、基子姫は入内しづらくなった。だが、意外なことに父宮こと兵部卿宮様は怒ったりしなかった。
下の妹君達と違って、母君が姫御子ー皇女の身分であられたので有力な後見がない。
曾祖父であられた太政大臣、あたしのお祖父様は既に亡くなっておられるし。ちなみに、基子姫の母君の女二宮様はあたしの父上の姪に当たられる。
二宮様の母君、基子姫のお祖母様が太政大臣のお祖父様の御娘で先々帝の妃であられたのだ。あたしからいうと、伯母様になる。
ややこしいけれど、友成と基子姫の二人はあたしのはとこ筋になるのであった。まあ、それはいいとしても、頼りにできるとなると父宮様や兄君達しかいない。それもあるから、どこかの有力な家の若君を婿に取る方がお得ではある。
さて、鈴鹿の足音と衣擦れの音が聞こえたと思うと居住まいを正した。
静やかに部屋に入ってきたのはやはり、直衣を着た公達であった。守時兄様である。
鈴鹿が部屋の外へ出ていくのを見送ってから、素早く座って手をついた。
「…今回はいきなりの無礼を許していただきたい。私が文の使いで来ることは予定外でしたから」
そう言って、頭を下げる。あたしは御簾の内で驚いていた。守時兄様が丁寧な言葉使いをしているのが珍しかったのもある。
「本当に兄様だったのね。女御様の御文の使者だっていうから、てっきり、侍従が来るものだとばかり思っていたわ」
すると、守時兄様は下げていた頭を上げて肩を竦めながら苦笑してみせた。
「侍従は訳あって、姉上につきっきりでね。とてもじゃないけど、文の使いにはなれなかったんだ。それで俺が代わりに来た」
あたしはそれを耳にして固まってしまった。侍従が女御様につきっきりだなんて。
「それでお文というのは…」
「ああ。ちゃんとある。こちらがそうだ」
すっと兄様は文箱を前に出してきた。あたしはそれを見て御簾の前までいざり寄った。兄様も膝をうまく使って、すぐ近くまでやってきた。そして、御簾を少しだけまくり上げると、手に持っていた文箱を中へ押し入れてくれた。
あたしが受け取ると守時兄様はすっと手を御簾から戻す。ぱさりと御簾が下りると兄様は小声でいった。
「女御様からのご直筆のお文だ。気分が優れない中でお書きになったのだからな。ちゃんと読むんだぞ」
「女御様は体調が悪くていらっしゃるの?」
あたしはとっさに聞き返していた。兄様は小さく頷いた。
「…あまりにも容態が長い間、良くならないから。主上に許可を頂いて、宿下がりをなさったんだ。薬師によれば、ご懐妊の時特有の症状らしい。まだ、公にはしていないがな」
えっとあたしは扇を取り落としそうになった。
藤壷女御様がご懐妊って。そういえば、友成がつい数日前に言っていたような。入内なさって、六年経ってようやくとか、何とか言っていた。
「ええ!姉様がご懐妊って。嘘でしょ」
つい、大声を出してしまっていた。確かに、おめでたいことではあるんだけど。いきなりすぎるというか。
「しっ。声が大きい。女房達に聞かれたらどうするんだ」
慌てて、兄様に注意をされてあたしは黙った。
兄様はため息をつくとそのまま、立ち上がった。
そして、礼もなしでさっさと部屋を出ていってしまった。
兄様が帰って行った後であたしはそっと、紐をほどいた。
蓋を開けてみれば、そこには白い檀紙の文が入っていた。
中身を取り出して、読んでみた。
〈香子姫、お元気でしょうか。わたくしも元気にしていると言いたいところなのですけど。
最近、気分が優れず、寝ている時の方が多いのです。
典薬頭などによると、身ごもったのではとの事でした。何でも、友成殿の妹君もご懐妊なさったと聞きました。無事にお生まれになるとよいですね。
それでは、姫もご体調には気をつけてください〉
という内容だった。あたしはそれにさらに驚いた。
まさか、典子姉様ー藤壷様までが身ごもっておられたとは。ご体調が優れなかったのも悪阻、ご懐妊の時特有の症状だったらしい。でも、お産も間近になりつつある基子姫には夫の義隆や友成、宰相中将の兄君達がいる。
けれど、女御様はまだ二月か三月ほどだそうだから、もしもの事があったら困る。
叔母上がおられるとはいえ、あたしも心配ではあった。
典子姉様に会いに行こうか。ふと、そう思った。
二条邸は近いし、お見舞いに行くのも良いかもしれない。姉様の体調が悪いとなれば、様子を見に行かなければと決めたのであった。
あたしの部屋にお付きの女房の鈴鹿がやってきた。
「ああ、戻ってきたのね。守時の兄様は帰ったの?」
「お帰りになりました」
やけにあっさりと答えが返ってきた。
あたしは苦笑しながら、鈴鹿に文を書くからと言った。
すると、黙って手早く、準備をしてくれる。簡単に、典子姉様こと藤壷女御様宛に返事を出した。
〈女御様、お元気でしょうか。私にお文をくださったので驚きました。
何でも、ご体調が良くないとか。もしよろしければ、そちらへお伺いしてもいいでしょうか。
お嫌であれば、はっきりと仰ってくださっていいので。では〉
とりあえず、ご懐妊の話は省いておいた。簀子縁に控えていた鈴鹿を呼んで、文を届ける準備をさせた。
鈴鹿は慌てて、文箱などを用意すると手早く整える。家人の清久にこちらへ来るようにと声をかけた。
「何用でしょうか、姫様」
しばらくしてやってきた清久にあたしは言った。
「文を届けてほしいのよ。頼めるかしら?」
「はあ、どちらにお届けすればよいのでしょう」
「二条の女御様よ。お文を頂いたから、お返事を出そうと思ったの」
簡単に説明をすると、清久は仰天したようだった。
「二条の…」
「そうよ。あたしとあちらの女御様が従姉妹同士なのは知っているでしょう?」
「存じてはおりますが」
まあ、仮にも帝のお妃であられる女御様といえば、雲の上の存在といっても過言ではない。そんな高貴な方にお文を届けるなんて大役には違いない。
「…私ではなく、弟の少将様にお頼みされた方がよろしいのではないでしょうか。私のような地下人がお文を届けるなど畏れ多い事です」
あたしは清久の言い分に仕方ないかと思った。
文のご使者としてやってきた頭中将こと守時兄様は帰っているし。
あたしは脇に控えていた鈴鹿に小声でもう一度、兄様の事を尋ねてみた。
「頭中将様を呼べるかしら?」
「はあ。よろしいのですか?」
「いいのよ。まだ、邸には着いてないだろうから」
あたしはあることを思いついて、清久に命じた。
「…頭中将様をこちらへ呼び戻してちょうだい。お返事の文を渡すわ」
「わかりました」
清久はすぐに立ち上がると部屋を退出した。
あたしは鈴鹿のいる方へ近寄ると話しかけた。
「姉様がご懐妊だなんてね。未だに信じられないわ」
「まあ、女御様が。それはおめでたいですわね」
二人して笑いあった。
「では、姫様。お召し替えをなさいますか」
鈴鹿は立ち上がるとあたしの身支度の準備を始めた。あたしはその後、唐衣と裳を付けて、正装ーけの装束に着替えた。女房の先導で守時兄様がやってきた。
ちょうど、着付けが終わったところだった。
「姫、御文の用意はできましたか?」
「ええ。できました」
あたしは返事をした。目配せをして、女房を退がらせるように鈴鹿に合図を出した。
すぐに気がついて、鈴鹿は御簾の中から出ると先導の女房と一緒に部屋を退出した。
「兄様。これから、二条邸に行きたいと思っているの。唐突に呼んで悪いとは思っているけど」
「…おまえ。女御にお会いするつもりか?」
「うん。やっぱり、おめでたいって言ったって。ご体調が悪いと聞いたらいてもたってもいられなくてね」
守時兄様は考え込んでしまった。
「…わかった。連れて行こう。その代わり、姉上と話をしたらすぐ帰ること。それが約束できるのだったらいいぞ」
兄様は軽くため息をつきながら、了承してくれた。あたしはそれを聞いて、御簾から出ようとした。
「な、ちょっと待て!」
制止の声をかけられた。けれど、無視して外へ這いだした。やれやれと言いながらもあたしは兄様を促して、牛車の停めてあるところー車宿りまで歩いていった。
たまたま、持っていた扇で顔を隠した。
「姉様と久方ぶりに会えるのね。何年ぶりかしら、こうやってお話するのは」
浮き立つ気持ちを抑えながら、一緒に乗り込もうとした。
けれど、兄様は外で見張るために馬に乗ると言い出した。あたしはいとこといえど、男である兄様とは一緒に乗るわけにはいかないのだと今更ながら、気がついた。
厩舎から従者が馬を連れてくると、兄様は身軽に乗ってみせる。
さすが、武官だと歓心した。
牛車が動き出すとあたしは扇を開いた。今から、藤壺女御様のお見舞いに行くのだ。自然と扇を握りしめる手に力が入った。
東三条から二条まではすぐの距離である。
がらがらと車輪の音がする。あたしは前を見据えていた。
小半刻ほど経って、従者が二条に着いたと告げてきた。
がたんと音がして牛車が止まった。
前簾を上げて、守時兄様が自ら、あたしが牛車から下りるのを手伝ってくれた。足を置く台の上に履き物が用意されている。それをはき、扇で隠しながら、二条邸の門の内へと入った。
小股で早めに進んでいると、守時兄様は従者の代わりにこちらだと言って案内役をかって出てくれた。
そこは几帳や他の調度品などが白一色だった。中にいる女房達も御簾越しではあるが、あまり派手な格好はしていない。あたしも真っ白な衣装を着ている。
お産にはほど遠いといえども二条邸では早くも準備を整えていたらしい。
階を注意をして上がる時に兄様に手を添えて、手助けしてもらう。そして、庇の間に入った。
「俺が案内できるのはここまでだ。後は女房に頼んでくれ」
小声で言った後、あたしはお礼を述べた。
「ありがとう、兄様」
笑顔でいったら、兄様はふいっとそっぽを向きながら、去っていった。
庇の間を進むと女房達も気づいたようだった。一の女房である高倉侍従がすぐに出てこない。
あたしは御簾をくぐり、さっさと中へ入った。年かさの女房が慌てたように側へとやってきた。
「…まあ、東の姫君ではありませんか。何の連絡もなしにいらっしゃるとは…」
「女御様がご体調が悪いらしいって聞いたから参りました。頭中将様に連れてきていただいたんです」
兄様の名を出せば、女房は眉をしかめて訝しげな顔になる。
「いくら、いとこに当たられようともお連れいただくようなご身分の方ではございませんよ」
あたしはそれを言われて、答えに窮した。すると、押し問答が聞こえたのか、聞き慣れた声がした。
「あ、香子姫ではございませんか!」
驚きの表情を顔に貼り付けて高倉侍従が小走りでこちらへやってきた。年かさの女房は黙って、あたしから離れていった。
「侍従、いきなり来てごめんね。文のやりとりばっかりじゃ、もどかしくって。頭中将の兄様に頼んで連れてきてもらったの」
侍従はそれを聞いて、ため息をついた。
侍従はあたしがこちらへ、連絡もろくすっぽしないでやってきたことに怒ったりはしなかった。ただ、困ったように苦笑すると奥へと連れて行ってくれた。
部屋まで来るとあたしは居住まいを正して座った。
直に床に座って、女御様が来られるのを待った。人の気配が御簾の向こうでしたかと思えば、緩やかな声で呼びかけられた。
「あら、急な来客だということでどんな人かと思えば。お懐かしい顔だこと」
あたしは女御様の昔と変わらぬ声を聞いて、少し、鼻の奥が痛くなる。手をついて、平伏しながら我慢した。
「お久しぶりでございます。連絡もろくにしないで急に来てしまって。申し訳なく思っております」
丁寧にいえば、女御様は困ったようにお笑いになったようだった。
「いいえ。そんなことありませんよ。久方ぶりにあなたに会って、気分が悪いのも吹き飛んでしまったようだわ」
御簾越しなのでお顔色がどうなのかわからないけど。思ったよりお元気そうだった。
「そうでしたか。あの、ご体調が悪いと伺ったものですから。弟君にお願いして連れてきていただいたのです。義隆中将に頼んでも良かったのですけど」
あたしはおずおずと言ってみた。
ちなみに義隆は今、左近少将から権中将に出世をしている。
「…わたくしが頼んだのです。姫であれば、すぐに来てくださると思って」
「私がですか?」
逆に問い返すと女御様は侍従に言った。
「侍従、東の君だけを残して。皆は退出しなさい」
それを聞いた女房達は黙って、この部屋を出ていった。
その後、女御様はあたしに声をかけてきた。
「香子姫、御簾の中へお入りなさい。ここには聞き耳を立てる者もいませんから」
あたしは言葉通りに膝立ちでいざり寄ると御簾をくぐった。扇も使わずにゆったりと座っておられた。
脇息に寄りかかって、お顔色も青白く少し、やつれていらっしゃる。けれど、その様子がかえって、透明感のある儚げな美しさを醸し出していた。
「女御様。お久しぶりですね。今回はご懐妊、おめでとうございます」
さらに丁寧に言うと、女御様は照れくさそうにはにかんでお笑いになった。
「…身ごもったといっても。まだ、様子見の段階で。薬師などはどうもそうじゃないかと言っているくらいでして」
困ったようにおっしゃる。
あたしは話題を反らした方が良いかと考えた。
「そういえば、弟の義隆が兵部卿宮家の姫と去年に結婚したでしょう。もう、奥方の基子姫はおめでたになっているらしくて。産み月も近いと聞きましたけど」
「まあ、そうでしたの。だとすれば、年の近い子ができて良いかもしれませんわね」
「どういうことですか?」
あたしが問いかければ、女御様は微笑まれた。
「だって、義隆殿に子が生まれて、わたくしの子が男の子だったら。家臣として助けてくれるかもしれないでしょう?」
「…そりゃ、姉様の御子様が男の子であればでしょう。もしかしたら、女の子かもしれませんし」
すると、女御様はさらに笑みを深められた。
「だったら、わたくしの御子のお妃になってもらおうかしら。まあ、女の子同士だったら、お話相手にでもなってもらえれば良いかもしれませんわね」
いかにも、幸せそうな母の顔をしておられた。あたしは少しだけ羨ましくなった。弟夫婦や女御様達は既におめでたになっているのに。
どうして、あたしにはできないのだろう。もともと、できにくい体質なのだろうか。
「…姫、どうかしたのですか?」
女御様のお声ではっと我に返った。
「いえ。何でもありません。考え事をしてしまって」
慌てて、あたしは取り繕う。
けれど、女御様ー典子姉様は怪訝な表情をする。
「…何でもないようには見えませんよ。どういうことを考えていらしたの。もしや、お子のことかしら?」
さすがに、勘の鋭い方なだけあって、ずばっと言われてしまった。
「やっぱり、わかっていらしたんですね」
「そうではないかと思っただけよ。わたくしだって、あなたの考えそうなことは大体はわかります。赤子の時から知っているのですから」
そう言って、くすりと微笑まれた。
あたしはその後、女御様の御前を辞した。
あまり、長い時間話し込んでいると、守時兄様に怒られるし。何より、女御様のお体に負担がかかる。
それがわかっていたのでついでに、明子の叔母上に会いに行った。北の対屋に女房に先導されながら、向かう。
庇の間に同じように通された。
すぐに叔母上は気がついてくれたようで几帳越しでの対面となった。
「まあ、香子殿ではないの。お久しぶりですね。ほんに、ずいぶんと大人らしくなられて」
「あたしの方こそお久しぶりです。叔母上、このたびは女御様の事ではおめでとうございます。ご懐妊なさって、本当によかったと思っています」
あたしがそう言えば、ほほと叔母上は嬉しそうに笑った。
「ええ。こちらこそ、弟君の奥方のご懐妊、おめでとうと言いたいわね。確か、兵部卿宮家の一の姫なのですって?」
「はい、そうです。一の姫は大層、美しい方だそうで。ご性格も穏やかな方だそうですよ」
そうなのと言う叔母上にあたしはさらに話した。
「…もともと、東宮様の妃がねになっていたそうで。けれど、弟と文をやりとりしていたのが噂になったんです。それで、入内話も立ち消えで。一の姫は結局は義隆と結婚する事になったとか」
「だとすれば、兵部卿宮様がお怒りになったのではないの?」
叔母上は眉をしかめながら、そう問いかけてきた。
「そりゃ、普通はお怒りになったでしょうね。けど、兵部卿宮様は反対なさらなかったと聞いています。一の姫は母君が皇女様に当たられるし。後見がない状態で入内するよりも公卿のご子息と結婚した方が良いとの事でした」
もっと、簡単にいえば、一の姫こと基子姫の後見人というと、兵部卿宮様か兄君達ー宗明大将、参議の友成達がする事になる。
兄君の宗明の大将が中納言以上の位についていたら、有力な後見になっていただろう。
「…そう。義隆殿だったら、性格も真面目な方だし。後宮に入られて、頼りない身の上になられるよりも良いかもしれないわね。けど、普通だったら、東宮様に申し訳ないとして寺へ無理矢理連れて行かれたでしょうね」
確かに、お寺へ無理矢理でも連れて行かれて、出家ー尼にならされるのが常である。
まあ、うちの弟が相手だったから、兵部卿宮様もお許しになったのだろう。あたしはそう思った。
「…では、私はこれで失礼いたします。叔母上、また頃合いを見て来ますから」
手をついて、頭を下げる。
叔母上も笑いながら、わかったとおっしゃったので部屋を出た。
外はすっかり夕焼け空になっていた。




