ですぺら〜と☆くわく 聖杯探索のその横で(序)
安息日前の満月の夜ともなれば、小鬼たちでなくとも騒ぎ出す。
祭りともなれば準備は大々的になり、村中が大騒ぎするのだが、月に一度のお楽しみ程度であれば、そこまで手間暇をかけるわけにはいかない。とはいえ、手間を惜しみつつも楽しみたいという思いは、誰もが同じだ。だからこそ、人々は自然と宿屋へと繰り出してくるのだ。
だが、今日はそれ以上に妙に皆が浮かれていた。
それも当然のことだろう。来週の安息日には、年に一度の収穫祭が控えているのだ。収穫の疲れと実りの喜びを胸に、誰もが待ちわびた祭りの到来に心を弾ませている。それに加えて、今年の祭りには、何年かに一度しか見られない催し物が予定されているという。
宿屋の店内には、既に一仕事終えた百姓たちが何人も集まり、麦酒片手に、にぎやかに談笑していた。後からやってきた夫婦連れと和気藹々と挨拶を交わす姿も見える。普段と少し違っていたのは、奥まった宿泊客用の席がほぼ埋まっていることだった。これ自体、奇妙というほどではない。とはいえ、宿泊客の大半はホールに出て地元の客たちと一緒に飲み騒ぐことを好むため、少し珍しい光景である。
ただ、席についている宿泊客がご婦人であることに気づくと、皆一同に納得していた。
この宿は、男爵の館から馬でおおよそ半日という位置にあり、馬車で旅をする貴族や富裕層の利用も多い。
通常、日没後の訪問は、主の指示がない限り無礼とされるが、この宿はその絶妙な立地のおかげで時間調整に好都合なのだ。
客室はそれなりに整っているが、若い騎士たちなどは、食事時には百姓たちに混じって羽目を外し、楽しむことが多い。
そんな客たちの間を、大きなお腹を前掛けで包んだ店主が、跛足を引きながら注文を取って飛び回っていた。椅子の間隔が広めに取られているのも、店主の動きやすさを配慮してのことだろう。
「シュナプスかい、すぐに持ってくるよ!」
「おい、スタウトのいいやつが入ったぞ。珍しいだろう?」
「なんと、新鮮な小蝦があるんだ。一ついかがだい?」
「奥様、食前酒はいかがですか?」
少女が料理を運ぶ中、店主は陽気に声をかけ、客たちを楽しませていた。
食堂の中央にある囲炉裏で豚肉が焼き上がり、芳しい香りが立ち込める頃、店内の賑わいは最高潮に達していた。
「オヤジ、また話をしてくれよ!」
誰からともなく声が上がり、同時に「お話!」という声があちこちから湧き上がる。これこそが、この宿に人々が集まる最大の理由だ。
冒険者として各地を巡った店主の逸話は、内容そのものが大変面白いだけでなく、彼自身が元共和国の宮廷道化師だったこともあり、その話術は大変巧みだった。彼の話を聞いていると、いつの間にか夢中になってしまう。
「おいおい、来週は祭りだろう? 今日ぐらいいいじゃないか!」
店主は、冒険中に折ったという大きな団子っ鼻に浮かんだ汗を、袖口の布きれでぬぐうと、満面の笑みを浮かべながらもどこか困惑したように周囲を見渡した。その時、宿泊客用の席に座っていた婦人が声をかけた。
「あら、素敵ですね。ぜひ聞かせていただきたいわ」
「奥方の曲馬団の出し物のほうが、よっぽど喜ばれますよ」
婦人は軽く杯を持ち上げ、にこりと微笑んだ。彼女は今度の祭りに呼ばれた曲馬団を率いる女団長であり、帝都でも評判の興行師だった。
もともとは准男爵の後添えであり、夫の戦死後、家臣の軽業師たちを集めてサーカスを結成したという。その収益で継子を帝都の寄宿学校に通わせているという。
賎しいとされるサーカスを準貴族が率いるなど、非難の種にもなりかねない話だが、継子の件もあって美談として伝わっている。
「でも、軽業とお話とは別物でしてよ」
婦人はわずかに目を細め、杯を傾けた。
そして婦人が艶やかな微笑みを浮かべると、店主は肩をすくめ、周囲の客たちを見回した。
「でしたら、私が今日はおごりますわ」
そう告げる婦人に、店主は慌てて応じたものの、結局、婦人の申し出に甘えることになった。客たちが歓声を上げる中、店主は頭を掻きながら話を始めた。
「では、どういった話がご所望ですか?」
「そうですね。駆け出しの勇者のお話なんてどうかしら? 強い方の冒険談もいいけれど、少し変わったお話を聞きたいわ」
店主は少し考え込むようにしてから、一杯のエールを飲み干した。
「……犬歯虎退治はこの間したとこだし……」
店主はそう呟いて、ふっと息をついた。
「よし、それじゃあ一つ、吟遊詩人から教わった、勇者の影の話を聞かせよう。
――これは、偽物が本物になった物語だ――」




