第12話 君が優しいからだよ
「ひとみちゃん。朝ごはんできたから、持って行ってくれないかな?」
「うん。お兄さん。分かったんだよー」
ひとみが杉原に自分の過去を打ち明けてから数日後、朝食の支度をしながら、二人がそんな会話をしていた。
あの日以降、杉原は『秘留ちゃん』でなく『ひとみちゃん』と呼ぶようになり、ひとみもまた『杉原さん』でなく『お兄さん』と呼ぶようになった。
別に何も二人が分かり合ったというわけではない。そう簡単に分かり合えるなら、人と魔人はこんなにも敵対してはいないだろう。
少なくとも、ひとみは未だに人間にはいい感情を抱いてはいない。杉原のことも好きかどうかと聞かれると、どちらとも言えない。
助けてもらったことに対する感謝はあるが、人間に抱く敵意もある。たかが一度命を助けられ、一度心を救われたとしてもその程度で人間に対する評価は覆らない。
それでも、杉原に対して否定的な態度は取りたくない。いくら人間に傷つけられたとは言え、その程度には杉原に対し、ひとみは恩を感じていた。
そうした気持ちからひとみは呼び方だけでも親しくあろうとし、杉原もまたひとみに歩み寄ろうとしていた。
こうした思いから、彼らはお互いの呼び方を変えることにしたのだった。
「では、手を合わせて。いただきます」
「「いただきます」」
声を合わせ、有栖も含めた三人でご飯、味噌汁、卵焼き、漬け物という健康的な食事を始めた。
ちなみに料理は有栖と、杉原及びひとみペアが交代で作っている。
有栖は大抵の家庭料理程度なら作れる位には料理が出来、杉原も自分で食べる分には困らない程度の料理は作れるが、作るのは遅いためひとみと協力して作るようになった。
冬木は「料理なんて栄養が取れればいいですよ」の一言で切ってしまい、料理はあまり出来ない。
そのため、杉原達が作るようになった。
一応、今までこの建物を管理していた女性で、早蕨花という女性がいるのだが、彼女はただ冬木の知人であり、小遣い稼ぎ程度にこの建物を管理していただけなので家政婦でもなんでもない。そのため彼女は時おり杉原達のもとに食材を持ってきてくれたりはするが、あまり関わりはない。
子どももいるそうで、何かと大変だろうと判断した杉原達は、自分の身の回りのことは自分達で済ませている。
「しかし、師匠の帰り遅いな」
ご飯を咀嚼しながら杉原が呟いた。
今、冬木柊はここにはいない。
勇者教育所にいた勇者達、つまり服部知名達がそろそろ本格的に冒険者になるため、そのサポートに一度教育所に戻るとのことだった。
さすがに勇者教育所、言い換えれば有栖達の仲間の仇を輩出したようなところに、有栖達は連れて行けない。
また有栖達を置いていって、街の他の人間と面倒があっても困る。
結果として、杉原も街に残っていた。杉原と一緒ならば買い物程度で不具合はない。クエストには行けないが、むしろ杉原は有栖達と馴染む時間が要るだろうと言うことで、ここ数日はのんびり過ごしている。
「まあ、しょうがないんだよー。あの人、アレだけ強ければ食客でもなんでも受け入れ先はあるだろうしねー」
「そうね。寧ろどこぞの軍にでも属していておかしくはないわよ」
「いや、社会性ないから無理って本人は言ってたぜ」
「ああ、まあ変わってるわよね」
「四木々流に馴染める奴は大体そうらしいぜ。僕だってそうだし。社会性ってなんなのかよく分かんないもんよ」
「いや、ホントに四木々流ってどんな流派なの? 結局良く知らないんだけど」
「おお、そういやまだ見せてなかったか。対人戦が主流だから、機会無かったんだよね。今日、買い物に行ってから訓練しようと思ってたし、見せるよ」
「……私にそう簡単に手の内見せていいのかしら?」
「いいよ。別に。知らんけど」
「……あなた、何考えてんのか本当にわかんないわね」
「え? 今は純粋になんも考えてないよ」
会話しながら、杉原達は食事をのんびりと終えたのだった。
その後は言っていた通り、まだ買い揃えていないいくつかの雑貨、足りなくなってきた食材を買うために、買い物に行くことにした。
街を歩き回ると、やはり杉原の首輪に注目が行くようである。
ただ、その情報も街ではある程度広まってきたため、以前ほどには注目を集めなくなってきたようである。
だが何にせよ杉原にとっては他人の眼など知ったことではない。
有栖とひとみの手を引き、買い物を続けていた杉原達の目の前に、群集を掻き分け、目立つ格好をした連中が現れた。
「……勇者!」
有栖が真っ先に反応した。
そう。彼らは勇者のパーティだった。五人組のパーティで、先頭には以前有栖達に食って掛かってきた斉藤健吾がいた。
「……スルーしてくれ。何言われても堪えてくれよ。もし、怒って君らがあいつらに傷でもつけようもんなら、君らをぼろ雑巾に作り変える口実を投げ込むようなもんだ。なんかあれば僕が対処するさ」
「……分かってるんだよー」
「善処するわ」
「おい。何政治家みたいなこと言ってんだ」
こっそりと会話しながら歩いて、勇者達をやり過ごそうとしていた杉原達だったが、何分魔人は、特にアラクネは目立つ。
怯えた表情のひとみ、眉間にしわを寄せた有栖、無表情な杉原達は容易く気付かれた。
「ああ、なんだオイ。この間の魔人どもかよ。加えてあの素人か。なんだ? 冬木様はどうしたんだよ? ああ!?」
斉藤はまたしても絡んできた。
まだ昼にもなっていないと言うのに、今日も酒を呑んでいるらしく、顔が赤くなっていた。
「やあ、どうも。師匠は居ませんよ。師匠はニュービーをチアしにトレーニングスペースに行きました」
「……ハァ!?」
杉原の分かりにくい答えに、斉藤は眉をしかめた。
「え? どういうこと?」
「新人の応援のため教育所に行きました、を分かりにくく言った」
こっそり質問してきた有栖に杉原は言葉を返した。
「で、何のようですか? ご用件がありましたらピーという音は流れませんので、ご用件を抱えたままお帰りください」
「お前!! マジ舐めんのも大概にしろよ!!」
「失敬な。僕が舐めたことがあるのは飴ちゃんとアイスと有栖ちゃんの首くらいのもんだよ」
「ちょ!? 人が忘れかけていたことを言うんじゃないわよ!!」
「いやあ、あの時言うべきことをまだ言ってなかったね。美味しかったです。ごちそうさまでした」
「そこは謝罪するとこでしょ!? 意味分かんないわよ!?」
「テメエらッ!! 訳分かんねえことで騒いでるんじゃねえ!!」
こうして杉原達がもめているうちに、ひとみはさっさと歩いていく。
そのひとみの姿を見て、有栖は杉原が自分に相手の意識を向けさせていたのだと気付いた有栖は、同じように気付かれないように歩き出した。
「訳がわからないってのはこっちの台詞ですよ。何キュベーターだよ、アンタは。グイグイ来てますけど、何? 契約して僕を魔法少女にしたいんですか?」
「だから意味分かんねえんだよ!!」
やがて、有栖達が少し離れたところで斉藤の仲間達がそのことに気付いてしまった。
「おい。健吾。魔人逃げてんぞ!」
「は!? ああ!? テメエらビビッてんのかよ!! 待てコラ!!」
斉藤は有栖達に怒鳴りつけたが、彼女達はそのまま歩き続けた。
まわりの市民が何事かと取り巻き、集まってきた。
「おい!! 待てや!!」
(……中学生かよ。こいつ)
自分より年上の人間の醜態など、見ていて気持ちのいいものではない。
さっさと切り抜けて、買い物を終わらせて帰ろう、そう考えどう切り抜けようかと考えていたところで、
「……へたれが。一族とまとめて死ねばよかったのによ。経験値になるくらいしか意味ねえだろ。てめらはよ」
という吐き捨てるような言葉が、杉原の耳に響いた。
(やべえッ!!)
咄嗟に体が動いた。
斉藤の言葉に反応した有栖が、瞳孔を開き、歯を食いしばり、その長い爪を更に伸ばし、貫手に構え、斉藤の眼球を貫くべく突貫した。
斉藤は、口の端を歪め剣の柄に手を伸ばした。
杉原の言うとおり、わざとかすり傷を負い、魔人を潰す大義名分を手に入れた後、死なせない程度に弄んでやるつもりだった。
(バカがッ!! ただのNPCが調子こいてんじゃ――)
だが、斉藤が有栖の爪をかわす前に、顔面に鮮血が浴びせかけられた。
「え……?」
驚愕し、眼を見開いた有栖と斎藤の口から、同時にそんな声が漏れた。
「駄目だよ。言ったじゃないか。言うたじゃあないか。堪えてくれと。君の気持ちもまあ、想像できなくはないけど、後先を考えてくれよ」
杉原はそう微笑んで言った。
左手を有栖の爪に貫かれたままに。
有栖は眼を見開いたまま、ゆっくり爪を引き抜いた。
「なんで……? あなた、怪我してるじゃない!? なんでそこまで!?」
「まあ、あのままだと君が危なかったからね。やれやれ。僕らが高レベルの勇者とまともにやり合って勝てるわけがないだろ。いやあ、斉藤さん。申し訳ないです。まあ、ここは僕の血に免じて平にご容赦いただけませんか?」
左手からぼたぼたと少なくない血を流しながら、笑顔で頭を下げる杉原に斉藤は暫く呆然としていたが、やがてハッとしたような表情で答えた。
「ふ、ふざけんなよ!! 人の顔血まみれにしやがって!! 土下座しろや!!」
「ハァ!? あんた、大概に――」
「申し訳ございませんでした」
有栖が文句を言う前に、杉原は土下座した。
頭を地面にこすりつけ、周りの目を気にせず、躊躇いなく土下座した。
周囲の観衆はざわざわ騒ぎながらその光景を見ていた。
「……杉原。あなた、そんな」
躊躇いなく土下座した杉原に、更に有栖は戸惑った。
左手から血を流したまま、杉原は地面に頭を擦り付け続けた。
「……わ、分かればいいんだよ。ボケ!!」
「おい、健吾。もういいだろ。行こうぜ。どんだけ絡んでんだよ」
「うるせえ! 雑魚をいびって何が悪いんだよ」
斉藤たちはそのまま歩き出した。
杉原もゆっくり立ち上がり、そこにひとみが駆け寄ってきた。
「お兄さん!! 大丈夫!?」
「ああ、怪我も大したことないし、頭下げるくらいどうってことないよ」
「……何でよ」
「うん? 何?」
「……何で!! 私が悪いのに、あなたがそんなことするの!!」
有栖は叫んだ。
杉原千華が不思議な男だとは思っていた。奇特な人間だとは思っていた。
しかし、ここまでとは思っていなかった。
これで、有栖が杉原に庇われたのは、ノームランス・カンパニーを受けたときと合わせて二度目だった。
「……何で? 何でそこまでするの?」
有栖が困惑の色を隠せずに、再度尋ねた。
「前言ったろ。僕が助けたいって思ったからだよ」
「じゃあ、二度も私を助ける理由はなんなのよ!!」
「……君が優しいからだよ」
「……え?」
思わぬ杉原の言葉に、有栖は更に困惑した。
ひとみはまだともかく、有栖は杉原に優しくした記憶などない。
何故、そんなことを言われるのか分からなかった。
「君は、ひとみちゃんを助けるために自分の命を賭けて強姦魔と戦った。弟のために苦しみに耐えた。ひとみちゃんや君の一族みんなのために怒った。それはまぁ、理由を他人に求めることは危ないよ。一歩間違ったら、自分の責任を誰かに押し付けてしまうから。でも君はそうじゃない」
「……」
「君は他人のために怒れる。行動できる。でも、他人のためって言い方をしない。それはすごいことだと思うんだ。他人に黙って、一人で頑張れる。……ねえ、弥蜘蛛ちゃん。本当は、勇者のことすごく怖かったんだろ?」
「……ッ!」
「そうだよね。自分の家族や仲間を殺した連中だもんな。怒りも憎しみもあるけど、何よりも、怖いよね」
有栖もひとみも、まだ一度しかギルド会館に入ったことはない。
クエストの申請は杉原と冬木が居れば出来る。そのため最初の猟獣登録以来、行く理由のない彼女達はユキナの店に置いていき、その間にクエストの手続きを済ませていた。
それは、余計なトラブルを避けるということもあるが、何より二人を怖がらせないためであった。
ひとみは怯えた様子だったため分かりやすかったが、有栖は怒りに恐怖を隠していた。
ギルド会館に入る前、睨み付けるような眼をしてはいたが、指先が震えていたことに杉原は気付いていた。
そして先ほど、勇者を見つけたときもひとみの指先は震えていた。
恐怖を必死に、怒りで誤魔化していた。
有栖本人には、気づいた様子は見せていなかったが、杉原と冬木は必要ない勇者との接触は避けるようにしていた。
「怖くても、張らなきゃなんない意地があるもんな。僕は君のそういう凛とした優しさ、好きだぜ。僕が君を助ける理由はそれさ。それで十分、いや十二分だよ」
杉原は左手の血が有栖の浴衣にかからないように、だらりと下げ、右手で有栖の頭を優しく撫でた。
「怖かったよね。本当は、勇者が怖かったんだよね。まだ16歳の女の子だもんな。……でも君は通さなきゃいけないものを通そうとしたんだ。それは偉いよ。だけどね、他人のために自分を犠牲にしちゃあ駄目だ。自分以外のみんなが辛くなるから。……君はもっと、自分のことを思っていいよ」
杉原は気付いていた。
有栖が攻撃的な姿勢を見せることがあるのは、人間が嫌いというだけでなく、ひとみには自分が付いているのだと示すための虚勢だったことに。
有栖がユキナの店ではしゃいでいたのは、もちろん単に嬉しかったということもあるが、それ以上にひとみを安心させるためだったことに。
それ以外での場でも、有栖はひとみに気を使い続けていたのだった。
「……うん」
頭を撫でられるうちに、有栖は俯いて、ぽろぽろと涙を溢していた。
杉原千華が二週間程度の短い時間の中で、自分をこんなにも優しい目で見ていてくれたのだと、はっきり分かったからだった。
「だけどまあとは言え、そんなすぐには変われないだろうからさ。そして、今は僕がムカついているんだ」
「え?」
泣いていた有栖が顔を上げると、杉原は歯軋りし、右目を見開き、左目を細め、開いた瞳孔で斉藤の背中を見つめた。
「お、お兄さん!?」
「まともにやって勝てねえってんなら、まともにやらなきゃいいんだよ」
その瞬間、風の刃が斉藤の背中を切り裂いた。
鮮やかな血が迸った。
「――つうことで、後ろから斬るッ!!」
「ぐッおオオオオオッ!!」
「斉藤!!」
「健吾ッ!!」
仲間が駆け寄り、慌てて治療した。
詠唱と共に、回復魔法が発動し、斉藤の背中を癒した。
「仲間に治してもらうのは計算してるよ。まぁ取り敢えずは一発ぶち込んだしな」
首を傾け、剣呑な目つきのまま杉原は言葉を繋げた。
「……テメエ。テメェッ!! 殺すぞ!! ぶっ殺すぞッ!! ああッ!?」
「殺す殺すって五月蝿いんだよ。いい加減、アウトローに憧れる中学生じみてうぜえな」
ずかずかと斉藤は歩み寄り、それに答えるように杉原は一歩前に出、右拳をまっすぐ伸ばし、手の平を上に向け、人差し指で空を指差し、言った。
「斉藤健吾。僕はお前に決闘を申し込むぜ」
「決闘、だと?」
その言葉に周囲がざわついた。
決闘とは、かつて日本という国家が滅び、人々が混乱の渦中の中で、少しでも暴力を統制するために生まれたものだった。
決闘は何らかの問題が起きたとき、お互いの同意の上で、一対一で戦い、勝者の主張を通すというシンプルなものだ。
かつては相手を殺しても過失はないとされていたが、国家が再建されたこの時代ではそうも言っていられない。
下手に相手を殺せば罪に問われることもある。
また審判も兼ねる平等な第三者の立会いが必要であるため、今では安全の配慮もそれなりにされることが多い。
だがそれでも、死人が出ない程度にであれば、決闘は血の気の多い冒険者の間では、今でもたまにあることなのだ。
「……レベル一桁が。正気か? もちろん、俺は受けるぜ。負けるわけねえだろ。テメエの求めるもんはなんだ?」
「僕達にこれ以上絡むな。そして、彼女達を侮辱したことに頭を垂れて謝罪しろ」
「そうかよ。じゃあ俺はテメエが自分で自分の腕をへし折ることを要求する」
「ああ、いいよ。どうせ叶わない夢だ」
「……あ!?」
酔いも相まって、斉藤の怒りも相当なものになってきたようだ。
そんな斉藤から目を逸らし、代わりに周囲に目を向けた。
周りの観衆の中から、こういう状況になれているであろう勇者ではない冒険者らしき人間を探した。
そして杉原は、中年の冒険者らしき男に声を掛けた。
「すみません。そこの方。良ければ立会人になってもらえませんか? もちろん、斉藤の仲間でなければですが」
「え? ああ。構わんよ。まあ同じ冒険者で、しかも相手は勇者だからな。俺は斉藤の顔を知っているが、話したことはないぞ」
「お兄さん。その人の言うことは本当だよー」
「おっけ。ありがとう。ひとみ」
「オイ!! 待てよ!! その男がお前らの仲間じゃないってどうやって証明すんだよ!!」
「喧嘩売ってきたのはお前らだろ? 予め仲間を配置してるわけはねえし、この街に来て日の浅い僕らに、仲間と街中でそう簡単に会えるはずもないだろ」
斉藤の言葉に杉原が面白くなさそうな表情で返した。
そして斉藤もまた不機嫌な表情を露にした。
「……ちッ!! まあ、そうだな」
「分かったんだって言うんなら、それでいいな。では立会人、お願いします」
「ああ、いいだろう。では確認だが、……杉原千華、斉藤健吾の二名はお互い同意の上で決闘、ということで良いな?」
シーイングで二人の名を確認した男は、そう問いかけた。
「ああ、そうッスよ」
「ああ」
「では、杉原千華の要求は、『自分達に対する不干渉、及び謝罪』であり、斉藤健吾の要求は『自らの腕を折る』。……斉藤のほうが、要求が重い気がするが、構わないか?」
「僕は構いませんよ」
「さっさと始めろ。おっさん」
面倒なことに巻き込まれたとは思いながらも、仕方なく、立会人の男は右手を振り上げ、決闘を始めようとしたが、そこで気付いた。
「……杉原。アンタ、左手は治さないのか? 片手使えないのは不利だろ? 治せないなら、誰かに治してもらえ」
杉原は未だに左手からぼたぼたと血を流していた。
だが、杉原は気にしていないようで、左手をぶらぶらと下げたまま応えた。
「ああ、これッスかぁ? いいんですよ。これで。これぐらいが。……なあ、斉藤さん。これぐらいのほうが、丁度いいだろ? ……ハンデにはな」
「テメエッ!! いい加減にしとけよッ!!」
「待てッ!! まだ決闘は始まっていないぞ」
怒りのまま駆け出そうとした斉藤を、立会人が止めた。
斉藤は舌打ちしながらも、そこで踏みとどまった。だが、ぎりぎりと音を立てて歯軋りしている。
その状態で、二人は3メートルもない程度の距離で対峙した。
そして斉藤の様子を見ていた杉原は、にやりと口の端を歪めた。
「では、このままで決闘を始めるぞ!! 十秒カウントした後、俺の宣言と共に始めとするッ!! 10ッ! 9ッ!」
「……なあ、斉藤さんよォ。アカネさんとは最近どう? 上手く行ってるの?」
「……お前は、アカネのこと知らねえだろうがよ」
案の定、杉原にアカネという人間のことを出されると、斉藤は快くはないようだ。
(やっぱ恋人とかかなー。関係性としては。まぁ、そこはどうでもいいや。……揺さぶれるならな)
「ああ、まあね。知らなかったよ。あの時はな」
「……あぁ?」
「前、君に名前を教えてもらったからね。いやあ、覚えていて良かったよ。名前と君との関係性が分かっていれば、……探せるよね?」
「ま、まさかッ!! お前ッ!?」
「まさか? まさかってなんだい? 君は一体、僕と彼女の間に、男と女の間に、何が起こったと思ったんだい?」
「テメェッ!! ぶっ殺してやる!!」
「0ッ!! 決闘、始めッ!!」
激昂した斉藤と開始の合図が重なった。
斉藤は腰の剣を引き抜き、一気に駆け出そうとした。
「なあッ!?」
だが、一歩目を踏み出した瞬間、足が地面を踏み抜き、穴に足がはまり込み、体勢を崩して転んだ。
(ぐッ!! 落とし穴だとッ!? 何時の間に!!)
狼狽える斉藤の顔を見て、杉原は唇を歪めた。
難しい話ではない。杉原は相手の意識を自分に向けさせている間に、地精霊に魔力を与え、代わりに斉藤の前に落とし穴を作らせていたのだ。
注意深く見ていれば、僅かに地面が動いていたことに気付けたかもしれなかったが、激昂していた斉藤にはそんな注意力は残っていなかった。
斉藤が体勢を崩したうちに、杉原は駆け出し、その勢いのままに。
「オラアッ!!」
杉原はサッカーボールを蹴るような勢いで欠片の躊躇なく、装甲を纏った右足で斉藤の頭を蹴りぬいた。
「ぐァあッ!?」
斉藤の頭が後方に弾き飛ばされ、大きく仰け反った。同時に甲高い音が響いた。
「魔法崩し(マジックディスターブ)。つってもこのレベル差じゃあ一発では、テメエの装甲は壊せねえか」
唇を歪めたまま、杉原はそう呟いた。
いくら激昂していたとは言え、斉藤は装甲を発動していた。全身に強固な魔力の鎧をまとってはいたため、今の攻撃では大したダメージはなかった。
しかし、その装甲に罅を入れる程度は出来た。
「まあ、一発じゃ駄目ならその装甲が砕けるまで叩けばいいだけだ」
「……ほざくんじゃあねえぞッ!! 雑魚がッ!!」
後ろに弾かれ、たたらを踏みながらも体勢を直し、斉藤は剣を振りかぶった。
だが、遅かった。
斉藤が剣を振り下ろす前に、杉原がその懐に潜り込んだ。
(間合いが近すぎるッ!? 剣を振り回せねえ!! こいつ、俺が剣を持っているってのにビビッてねえのか!?)
斉藤はどう行動すべきか逡巡した。その隙を見逃す杉原ではない。
「四木々流一式!!」
という声と共に杉原は、腰を落とし、右手の拳を矢のように引き絞り、左手を前に出し、構えた。
(フン!! 一発目は引っ掛かったが、お前は四木々流の弟子なんだろ!! ならばテメエらのやり口は知っている。罠と毒や麻痺のような状態異常系の攻撃を使う狡い流派だ!! だが、お前のレベルじゃ、こっそり毒ナイフでも使うか、さっきみたいな罠しか使えない。そして罠を二つも仕掛ける時間はなかったはずだ。ならテメエの攻撃なんて当たらなきゃいいんだよ!!)
杉原の動きからそう判断した斉藤は、確実に攻撃を避けるべく、杉原の拳に意識を集中させた。
一方杉原は以前、服部知名とした会話を思い出していた。
「四木々流のゲーム時代の戦い方、ですか?」
「うん。そう。四木々流ってゲームだったころはどういう扱いだったのかなって。ほら、この世界との差異とかあるかもしれないし」
「えーと、そうですね」
知名は顎に手を当てて、思い出しながら答えた。
「……確か、状態異常やトラップ系の魔法や技を繰り出してくるかなり厄介なキャラって感じですね。ゲームに出てきていたのは、冬木柊さんじゃなくて、夏木榎という男のキャラでしたが。冬木さんの戦い方もそういう感じなんですか?」
「んーと、そうだね。僕はまだそんなには使えないけど、そう言う戦法もあるよ。でもまあ……」
「でも?」
「それだけじゃあ、ないぜ」
杉原は腰を回転させ、全身のバネを使い、
「岩砕拳!!」
という掛声と共に。
左手で斉藤の胸倉を掴み、思い切り頭突き(ヘッドバット)をかました。
鈍い音と共に、斉藤の頭が再度弾き飛ばされた。
「がッ……!?」
装甲のおかげで痛みはないが、揺れる視界で斉藤は頭を回転させた。
(なんだ!? 何なんだ!? 今のは!? フェイント通り越して詐欺だろ!! あんなもん!!)
だが、それだけでは終わらない。
「マジックディスターブ!!」
更に甲高い音が響き、斉藤の装甲が剥がれ落ちていく。
「ぐおッ!! マジックディスターブなんて多用しやがって!! クソ!! チートが!!」
「それで言ったら、テメエら勇者もチートだろ!! 魔力ちょっと寄越せ!! このボケ!!」
そう叫びながら、杉原は更に追撃する。
今度は両手を軽く握り顔の前で構え、半身の姿勢になった。
「四木々流二式!! 竜迅脚!!」
(クソ!! 今度は蹴りか!? それともまたフェイン――)
「シッ!!」
迷いを見せた斉藤の顔面を、杉原の左ジャブが打ち抜いた。
「グハッ!!」
同時に、再度甲高い音が響き、そしてガラスの割れるような音と共に斉藤の装甲が砕けた。
「マジックディスターブ3回か。まあ上等だ」
(……コイツ!! なんで左手を!? さっき怪我してたじゃねえかッ!?)
疑問と共に杉原の左手に、斉藤は眼を向けた。
確かにその腕には血が付着していた。しかし、既に乾きつつあった。
「お前ッ!? 何時の間に治した!?」
「ああ、ついさっき。僕が無詠唱で魔法使えるのはさっきの落とし穴で気付いてたろ? だから決闘が始まってから治しておいた」
会話してはいても、杉原は斉藤の懐から離れはしない。
剣の斉藤の間合いとしては近過ぎ、徒手空拳の杉原の間合いとしては十分、それが杉原にとっては理想の間合いなのだ。
(クソ!! 装甲が解かれた今ッ!! 直接マジックディスターブを決められたら、いくら俺でも効く!! なんでも良いッ!! 間合いを、間合いを一旦取らなくてはッ!!)
土煙を巻き上げながら、思い切り地面を蹴飛ばし、斉藤は後方に下がった。
レベルで強化された肉体により、斉藤は一気に数メートルの距離を開けた。
両足を広げ、斉藤は綺麗に着地した。
「おっと。間合いをあけられたか」
杉原は深追いせずに止まる。
下手に近寄れば斉藤の剣の餌食だ。
一撃でも食らえばこのレベル差では冗談抜きで、杉原は死にかねない。
(今のうちに、乱れた魔力を練り直して、装甲を再発動しなくては……)
杉原の動きに注意しながらも、斉藤は装甲を再発動させる準備には言った。
片膝をつき、深呼吸し、呼吸と魔力を整える。
「……お前がそのつもりなら、こっちも奥儀を出してやるよ」
そう言うと、杉原は腰を落とし、両手を一度大きく広げると、演舞のように大きく手を回しながら、呪文のようなものを唱えだした。
「一二三四五六七八九十、布留部、由良由良止、布留部」
そして、両手を重ね合わせ、ゆっくりと開いていくと、掌の間からどす黒い塊が出現した。
まるで意思を持った闇のようなものが、ぞわぞわと動き出した。
「春に咲き、夏に葉を広げ、秋に染まり、冬に枯れ、重ねることは幾夜であろうか。踊れ、踊れ、さあ、踊れ。布留部、由良由良止、布留部」
そして、その闇の塊を杉原は両手で包み、半身の姿勢になり、腰の辺りで両手を構える。
まるで、その闇の塊を斉藤に目掛けて射出しようしているかのように。
(なんだッ!? あの魔法は!! 見たことがない。いや、もしかしてアレが、様々な流派の中で奥儀や秘儀と呼ばれる、特殊な魔法か!? だが、あんなにレベルの低い奴が!?)
「落ち着け!! 斉藤!! またフェイントだ!!」
場外から仲間の声が斉藤に飛んできた。
斉藤は仲間の声にハッと我に帰った。
(そうだ!! どうせ、またフェイントだ! 装甲を張りなおして――)
だが、そう考える斉藤の眼に映ったのは、額に汗を流し、荒い息をする杉原の姿だった。
(疲れている!? 嘘には見えねえぞッ!? まさか、それほどに体力を使うのなら強力な魔法なのか!? 装甲で耐えれるのか? アイツはマジックディスターブを使うんだぞ!! さらに特殊なものが使えてもおかしくは――)
迷い、悩み、葛藤する斉藤の目に、杉原の膝が笑っている様子が映った。
(――いけるッ!! この俺が時間稼ぎなんかしていられるか!!)
「うおおおおおおおッ!! 死ね!! 杉原がッ!!」
好機と判断し、斉藤は剣を構え、突貫した。
対し、杉原は右手で闇の塊を掴み、勢い良く斉藤に目掛けて突き出し、射出した。
「ハアッ!!」
気合一閃。
その闇が高速で発射されたが、斉藤に当たる前に霧散した。
「なッ!? しまった!! まだ僕じゃあ扱えなかったのかッ!!」
「……!! ははッ!! 俺の勝――」
杉原の狼狽振りに斉藤が自分の勝利を確信した瞬間、上空から飛んできた風の刃が斉藤の背中を切り裂いた。
「――かッ!?」
「……なァんてね。残念だったな。僕が使ったのは奥儀なんかじゃねえよ。まあ希少な技術だけどね。『同時並行魔力演算』って言うのさ。魔力の効果が重複することはあっても、同時に複数の魔力を発動することは難しい。でも、訓練次第でできなくはないんだぜ。僕も師匠に教えてもらったから出来るしな」
杉原は笑ってそう言った。
以前、杉原が四木々流を名乗ることを許された際、冬木が言っていた『あの技』とはこの技術のことだったのだ。
別に四木々流の専売特許というわけでもないが、高等技術ではあるものだ。
「て、テメエ……。卑怯なことばかりしやがって……」
装甲を纏わない肉体では初級魔法でも致命傷だ。
杉原は初級闇魔法でフェイントを仕掛け、同時並行で空中の風精霊に魔力を渡し、空中で風魔法を発動、斉藤を切り裂いたのだった。
「卑怯? 弱者が強者に勝つための知恵だぜ。それに君は知らなかったのか?」
「……あ?」
杉原とて、一方的には見えても快勝だったわけでもない。
回復魔法、落とし穴、三度のマジックディスターブ、闇魔法、風魔法、決闘前の風魔法を含めて、杉原は魔力を相当に失っていた。
残りの魔力は2割程度だ。
正直、もう一度斉藤が立ち上がっていれば、負けていたのは杉原だった。
地面に倒れ伏した斉藤に、それでも精一杯の虚勢を張り、杉原は口の端を醜く歪め、左目を吊り上げ、右目を細めて、ひどく愉快そうに言い放った。
「四木々流の理念はこっきり一つ。『千手必勝』だ。どんな手段を使おうが、勝てばいいんだよ」
その言葉を聞いた斉藤は呻きながら、地面に頭を擦りつけた。
「……勝者!! 杉原千華!!」
立会人の声が当たりに響いた。
何時の間にやら見入っていた観衆から歓声が巻き起こった。
低レベルの冒険者が高レベルの勇者に勝利するという番狂わせ(ジャイアントキリング)に観衆は大いに盛り上がっていた。
そんな中、有栖とひとみだけは冷静に「悪役面ね」、「だねー」と頷きあっていた。




