秀才は凡庸に縛られる運命を受け入れる
『王太子殿下、影を動かし子爵令嬢の実態を把握。婚約破棄は実行しない確率高し』
公爵令嬢キリは、報告を読み、淡々と呟いた。
「確率が高い根拠は?」
専属侍女は、キリの乱れひとつない髪を更に完璧に整えながら、
「王太子は、子爵令嬢も側近も遠ざけました。王宮では、新たな側近選びが始まり、側近方の各御実家では、後継者の変更乃至は王宮から遠ざける手続きが始まっております。子爵令嬢の実家には、近衛が踏み込み、徹底した捜索が始まった模様です」
表面上は何も起きない。
個別案件として処理され、殿下が婚約破棄をするかもしれなかった、という件はなかったことになる。
「なるほど……殿下は踏みとどまってしまいましたか。思うようにはまいりませんわね」
侍女であり、彼女の私的な諜報網を率いる乳姉妹に、
「進めていたことは、跡形もなく消しなさい」
「……了解しました」
それは、婚約破棄に備えての、密かな打診だった。
「……残念でございましたね」
侍女が少しだけ無念そうに言った。
だがキリは、
「考えようによっては喜ぶべきことでありましょう。我が王国にとっては」
「……」
「殿下は完全な愚者ではなかった。影を動かして真実を知り、知ったうえで、それを信じない、というほどの愚者では」
「ですが、お嬢様にとっては」
キリは侍女が言わんとすることを理解していた。
その心を嬉しく感じる程度の情は彼女にもまだあった。
特にこの特別な侍女に対しては。
だが、それだけだった。
「こうなる程度には、知恵があることは判っていましたから」
キリはひそやかに笑った。
殿下は凡庸な自分が王太子に縛り付けられていることを、重荷にしか思っていないだろう。
だが彼もまた気づいていないのだ。
殿下が嫌うわたくしもまた、殿下というくだらなく凡庸な存在に縛り付けられているのだと。
「殿下は、これを機に努力されたりは……」
キリは即座に断定した。
「しませんわ。だって、あの方は、努力をして……諦めましたもの」
「諦めずに努力を続けられれば……」
「諦めないのは、一種の才能ですわ。努力しても努力しても、何も得られないことが何年も続いて、それでも努力を続けられるのは稀少な才能ですわ」
「……」
彼女の側にいる侍女はそういう人間だった。
努力して、キリ専属の唯一の侍女の地位を勝ち取り、隣にい続けることを選び続けてくれた。
そのひたむきさをキリはこの上なく好ましく感じる。
この冷たく整った世界の中で、たったひとりだけの近しい存在。
だが、それは、例外でしかないことを、キリは知っていた。
「それに、あの方がいくら努力をしたところで、大したことはありませんわ」
残酷だった。
才能あるものが才能なきものへ下す。正確な判断。
「……なら始末されるので?」
「その必要はありませんわ。代わりがおりませんもの」
キリは自分の未来が見えていた。
殿下が急死でもしなければ、自分は殿下と結婚し、王妃となる。
そこには、馬や犬とおなじような血統を繋げる役目があるだけだ。
政治も妊娠もその手段に過ぎぬ。
そして、自分は淡々と仕事をこなし。
愛も知らずに死ぬのだろう。
「それでも、わたくしはまだ殿下よりは幸せかもしれませんわ」
この侍女は、わたくしのために哀しんでくれる。
殿下にはそんな人間さえいないのだから。
キリは『だから貴女だけはわたくしの側にい続けて』とすら言わなかった。
ふたりの間でそれは口に出す必要すらないことだった。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
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