第十五話 サン・ルネの弔列
ルサント王国の王都サン・ルネは、喪に服した都市というより、喪を理由に互いを睨み合う都市に見えた。
城門には黒布が下がり、聖堂の尖塔には半旗が垂れ、通りの家々はどれも窓辺に慎ましい弔意を示している。
だがその裏側で誰がどの色を残し、どの群衆がどの馬車にざわめき、どの衛兵がどの紋章へ先に礼を返したかまで、すでに細かく政治になっていた。
悲しみとは本来、個人的なものだ。
だが王家の死は、すぐに公共物になる。
そして公共物になった悲しみは、だいたい長持ちしない。
別の感情がすぐに上塗りするからだ。
クラウスとハルトゥング少佐がサン・ルネへ入ったのは、葬儀前日の午後だった。
先に「先行献花列車」と名付けた短車二両が到着しており、王都駅の一角には黒布に覆われた花輪が整列している。
ベルヴァーニュ側の使節本体は王宮寄りの宿館に入り、儀礼随伴部は城外北営舎に待機中。
ノルトマルク側は王都西端の旧税関庁舎を仮の詰所としていた。
「街路が狭い」
とハルトゥング少佐は、到着して最初に言った。
馬車の窓から見るサン・ルネは、古い都市特有の不便さを美徳として保存していた。
通りは曲がり、石畳は盛り上がり、広場は見た目の威厳ほど広くない。
なるほど観光で来るには良いが、群衆には弱そうな通りであった。
「それと、広場が浅い」
少佐は続けた。
「大聖堂前のフォーシュ広場、図面で見たより奥行きがない。弔列、僧列、棺車、外国使節、評議会員、王都警備、群衆。全部を正面に押し込めば、帰り道を失います」
「帰り道を失う、ですか。この状況では、比喩にも聞こえますね」
「比喩だけならよろしいのですが。現実に馬車が回れなくなります」
◆
葬儀運営に関する最終協議は、その日の夕刻、サン・ルネ王宮に付属する古い司教文庫で行われた。
部屋は高く、暗く、本棚の革背表紙が年齢のぶんだけ空気を重くしている。
こういう場所で人はすぐ「伝統」を口にする。
これは格言というより経験だが、おそらくそう外れてもいないだろうとクラウスは思っていた。
出席者は多かった。
ルサント評議会議長マルセラン卿。
摂政派に近い宮内長官ベルティエ。
傍系継承派の老伯ヴァロワ。
ベルヴァーニュ首席使節アルジュー侯、ド・サン=クレール少佐。
ノルトマルク側からヴァルテンベルク上級大将、ヴィルマー中将、ハルトゥング少佐、クラウス。
さらに聖堂参事会の司祭が二人、王都警備隊長が一人、書記官が四人。
そして、黒い喪服の女性が一人。
あの王女殿下だ、とクラウスは思った。
今日は深い黒に、手袋も黒。
ただ首元にだけルサント王家の銀灰の細い色が入っている。
派手ではない。だが不思議と視線を集める。場に置かれた時の意味が強い人だ。
少し疲れて見えた。当然だろう。
父王の葬儀を仕切りながら、継承問題の当事者として全方位から見られている。
疲れないわけがない。
しかし気の毒だが、今の自分の仕事は「気の毒」を処理することではない。
明日の葬儀で誰も怒鳴らず、火種を生まぬようにすることの方だ。
会議の争点は三つあった。
弔列の順序。
外国使節の立つ位置。
武装した随伴兵が、どこまで「儀礼」として許されるか。
ヴァルモンの二両増しの件が頭をよぎった。
あの時ベルヴァーニュは「弔意の一部だから制限を受けない」で車両を足してきた。
今度は何を足してくるつもりだろう、と思った矢先だった。
ベルヴァーニュ首席使節アルジュー侯が、極めて美しく、極めて面倒な話し方で言った。
「我が国はエレオノーラ王女殿下との縁をもって、故王への弔意を最も近親の礼において表したい。従って、我らがベルヴァーニュ儀礼随伴部は、大聖堂正面前庭において、棺車到着時の栄誉礼を行うべきである」
ヴァルモンでは国境駅のホームに武装兵を降ろそうとした。
今度は大聖堂の前庭へ武装兵を立たせようとしている。
ここまで露骨だと、むしろ人はその無礼さを指摘することを忘れる。
「前庭に武装兵を立たせるのは困ります」
と評議会議長が言った。
「葬儀はルサントのものです。外国の軍装が正面を占めれば、街がそれを別の意味に読みます」
「軍装ではありません。礼装です」
とアルジュー侯。
「帯剣した礼装ですな」
と王都警備隊長が遠慮なく訂正した。
侯は鼻を鳴らすだけで、反論も同意もしなかった。
ヴァルモンでも同じやり方をしていた。
言い方だけ変えて、同じものを持ち込もうとしている。
一貫している。
一貫しているということは、計画的だということだ。
人の葬儀でくらい静かにしてほしい、とクラウスは思ったが、それを言った瞬間に、言い争いが今度こそ衝突へ変わることも分かっていた。
ハルトゥング少佐がその間ずっと市街図を見ていた。やがて顔を上げた。
「前庭へ武装した儀礼部を入れると、棺車の転回余地が消えます」
全員が彼を見た。
「フォーシュ広場は見た目より浅い。棺車は正面階段前で停車する。僧列は左右に開く。喪主車列は南寄りで降りる。そこへ武装儀礼部を二列立てれば、群衆の逃げ道がなくなる。さらにベルヴァーニュ本体車の退路と王都警備隊の巡回線が交差する。政治以前に、動線として不可能です」
完璧に正しい言だった。
そして完璧に正しいからこそ、アルジュー侯の顔が硬くなった。
「不可能、とは強い言葉ですな。図面で全てを語るとは。現地ではもっと柔軟な運用をすることで――」
「図面の上で不可能なものは、現地ではもっと不可能です」
正しい。
流石に少佐も明確な敵意を言葉には載せていない。
しかし「不可能」を二度言ったら、もう交渉にはならないのが人間だ。
今回も、構造はまた同じだ。
皆が「前庭に立つ」を一つの行為として争っている。
だが実際には、そこには別の欲望が三つ混ざっている。
見えたい。
武装していたい。
正面にいたい。
三つを同時に満たそうとするから詰まる。
「……前庭に“立つ”ことを、同じ意味で扱う必要はないかと存じます」
何人かが露骨に疲れた顔をした。
またか、という顔だ。
分かっている。芸がないのは。
とはいえ、このために呼ばれているのだから仕事をしているだけである。
嫌なら呼ばないで欲しい。喜んで石炭管理の仕事をするから。
「続けたまえ」
とヴァルテンベルク上級大将。
「大聖堂前庭に必要なのは、まず静粛です。ですから正面階段前は、ルサント近衛隊による列だけにする。武装していても、役目は秩序保持であって儀礼ではありません」
ここまでは、警備隊長の顔を立てる。
「ベルヴァーニュが望んでおられるのは、おそらく“見える弔意”でしょう。ならば前庭左右の柱廊下に、無武装の弔旗列として立てばよろしい」
そして、アルジュー侯の「見えたい」を満たす。
「帯剣した儀礼随伴部は、前庭ではなく東門内側の“国境引継礼線”に置く。そこなら王都入りの栄誉も保て、正面も塞がない」
最後に、「武装していたい」と「正面にいたい」を切り離す。
「つまり――前庭正面は静粛線、とでも。柱廊下は弔旗列。東門内は国境引継礼線。“立つ”という同じ見た目でも、役目を分ければ、全てを同じ場所に押し込まずに済みます」
三つの線。
三つの名前。
三つの場所。
ハルトゥング少佐が、ほとんど即座に地図へ書き込み始めた。
「静粛線を八名ずつ二列。柱廊下は無武装旗手のみなら広場奥行きを食わない。東門内の引継礼線は、城外北営舎からそのまま入れて南へ抜けさせれば詰まらない」
この人の計算の速さは、いつ見ても頼りになる。
王都警備隊長が安堵した。
「前庭正面を我々だけで取れるのなら」
評議会議長も同意した。
「外国武装兵が大聖堂正面に立たぬのであれば」
アルジュー侯はまだ不満そうだった。
「…聖堂正面はルサントの兵のみだと?だいたい、君の言う"弔旗列"とやらが無武装である必要は?」
「前庭において必要なのは、弔意の可視化であって、戦力の可視化ではないかと。弔旗とは別に銃が必要な理由はありますか?」
その一言で、侯は反論しにくくなった。
反論すれば「自分は弔意ではなく戦力を見せたがっている」と認める形になる。
ド・サン=クレール大佐が、薄く笑った気がした。
結局、いつもと同じだ。
相手の建前を使って、相手の本音を封じている。
◆
その後も細々とした隊列などが話し合われた。
エレオノーラ殿下は、この議論の間ずっと黙っていた。
末席の近く。
黒い手袋の指先を、無意識に折っている。癖なのかもしれない。
そして議論が決着しかけた時、殿下が初めて口を開いた。
「大筋はライフェンベルク大尉の案でよろしいかと存じます」
部屋が少し静まった。
王女が発言すること自体が、この場では政治的な重みを持つ。
「ただし、一つだけ」
声は静かで、よく通った。
「弔旗列の旗は、せめて故王の御紋章の喪旗としていただきたいです。弔意であるならば、弔われる方の紋章を掲げるのが順序かと」
アルジュー侯の顔が微かに動いた。
何も言われなければ、素知らぬ顔でベルヴァーニュの国旗を出すつもりだったのだろう。
だが「弔意であるならば弔われる方の紋章を」と言われると、反論は難しい。
反論すれば「自分は故王への弔意ではなく、自国の旗を見せたいのだ」と認めることになる。
「では、異論がなければ、そのように」
と評議会議長がまとめた。
異論はなかった。
◆
会議後、ハルトゥング少佐はそのまま夜まで現場を歩いた。
東門の石幅、前庭柱間の寸法、棺車の車輪間隔、群衆止め柵の位置、司祭院路地の抜け道。
「少佐殿。東門内の引継礼線、雨だと滑りませんか」
「滑ります。ですから明朝までに砂を入れさせます。ついでに排水溝を一本掘らせる」
「…そこまで読んでいたなら、最初から会議でそれを言えばよろしいのでは」
少佐は、クラウスが差し出した測尺棒を受け取りながら、淡々と言った。
「排水溝の話から始めて、アルジュー侯が聞くと思いますか」
そのあんまりな言い方に、クラウスは笑った。
少佐も笑った。
◆
現場の確認が一段落した後、司教文庫の裏手の薄暗い廊下を歩いていたら、前方から人影が来た。
エレオノーラ殿下だった。
侍女が一人ついている。
喪服はさっきと同じだが、手袋を片方だけ外していた。
外した方の手で、額を軽く押さえている。
こちらに気づいて、手が下がった。
すぐに姿勢が戻る。
王女の顔に切り替わる。
切り替えが速い。慣れている人の速さだ。
「ライフェンベルク大尉」
「殿下」
クラウスは一礼した。
「先ほどの案は、よくできていました」
「恐縮です」
「また恐縮なさるのですね」
少し、笑いが混じっていた。
観察する目だ。
エレオノーラ殿下は少し間を置いてから言った。
「明日、群衆が荒れるかもしれません」
「はい。少佐殿がそのための動線を確認しています」
「ハルトゥング少佐は、頼もしい方ですね」
「ええ。僕よりずっと」
その言い方に、殿下が少しだけ首を傾げた。
「あなたは、ご自分をいつもそう仰るのですか」
「事実ですので」
「事実であることと、そう仰る必要があることは、別ではなくて?」
中々に痛いところを突く、とクラウスは思った。
「…そうかもしれませんね」
「ふふ、明日は―いえ、この騒ぎは葬儀の後も続くでしょうね。よろしくお願いいたします」
「はい。なるべく、揉めずに済むようにいたします」
「揉めずに済むように」
殿下はその語を繰り返した。
「この状況でそれを成し遂げたら、奇跡ですわね」
いかにも愉快そうにそれだけ言って、侍女とともに去っていった。
◆
葬儀当日の朝、サン・ルネの空は高く曇っていた。
群衆は早くから広場に集まり、黒布と低いざわめきが石壁に貼りつく。
東門ではベルヴァーニュの武装儀礼随伴部が引継礼線に沿って整列し、柱廊下には無武装の弔旗列――故王の紋章の喪旗を掲げた列――が立ち、大聖堂正面ではルサント警備隊が静粛線を作っていた。
見た目は、ぎりぎり美しかった。
エレオノーラ殿下は静粛線の内側に立っていた。
深い黒の喪服で、微動だにしていない。
この人は今日、父親を送る。
それと同時に、この葬儀がどう見えるかを管理しなければならない。
棺車が前庭に入った瞬間、北側の群衆から小さな波が起きた。
誰かが「エレオノーラ殿下に」と叫び、別の方角から「アドル伯に」と返る。
声はまだ小さい。
だが群衆は、声より先に体で反応する。
北側が一歩押せば南側は二歩詰まり、広場の浅さが露骨になる。
「北側が寄りすぎています」
王都警備隊長が叫んだ。
ハルトゥング少佐はすでに動いていた。
「司祭院路地を開けろ。北柵を一間引いて流せ。静粛線は前へ出すな、横へ広げろ」
同時にクラウスは、東門寄りで動揺しかけていたベルヴァーニュ弔旗列の先頭へ歩き、低い声でアルジュー侯に言った。
「旗列を半歩、外へ」
侯が眉をひそめた。
「退けと?」
「いいえ。弔意を見送る形に変えるだけです」
旗列が半歩外へ動けば、北側の群衆圧が抜ける。
必要だったのは、その半歩だった。
数分後、広場は再び静けさを取り戻した。
棺車が止まり、僧列が開き、弔鐘が鳴る。
大聖堂の大扉がゆっくり閉じると、ようやく本来あるべき種類の沈黙が降りた。
エレオノーラ殿下は、父王の棺が目の前を通っても表情をほとんど動かさなかった。
だがクラウスは一瞬だけ、黒手袋の指先が小さく折れるのを見た。
この人は、父親の葬儀を政治として処理しているのだろう。
そう処理しなければならないから。
◆
葬儀が終わった夜、ルサント評議会から非公式の招きが届いた。
明朝、評議会小委員会に出席を願いたい。
議題は、王位継承承認会議の座次と発言順について。
ついでに、外国弔問使節の立会範囲の整理についても意見を求めたい。
紙を読んだハルトゥング少佐は、ひどく嫌そうな顔をした。
「ついに、列車どころではなくなりました」
「ええ。今度は人そのものを並べるようです」
「あなた向きだ」
「少佐殿には向きませんか」
「私はたぶん、半数を怒らせます」
「では僕は、全員を少しずつ不満にさせます」
「それで済むなら、まだましですな」
窓の外では、サン・ルネの夜気が石畳に降りていた。
葬儀は終わった。
だが喪はまだ政治をやめていない。
むしろ本番はこれからだ。
席順、発言順、承認順。そして王位という巨大な空洞。
その周囲に、人々は次にどの名札を貼るかで揉め始めるのだろう。
『この状況でそれを成し遂げたら、奇跡ですわね』
ふと、王女殿下の言葉が浮かんだ。
まったくその通りだ、とクラウスは思った。




