第89話 欠けた所に寄るな
10階へ入るのは 4日目だった。
ここまでで立った言葉は、もう 5本に届きかけている。
* 白い道は道じゃない
* 分かれ目に立つな
* 途切れた先が口だ
* 輪の中に立つな
* 輪の外で動け
かなり強い。
かなり、入口の言葉としては揃ってきている。
ただ、昨日の最後に見えた“欠けた輪”だけは、まだその 5本に収まり切っていなかった。
輪の中に入らない。
輪の外で動く。
そこまではいい。
でも、輪が最初から閉じていないならどうなるのか。
欠けているなら、その空いた所は安全なのか。
たぶん、違う。
結人はそう思いながら、売店で水を 2本、回復薬を 2本、塩飴を 1袋、ゼリーを 2本買った。
会計を待っていると、後ろの探索者が連れに向かって言った。
「10階、輪の中は駄目で、外も帯が駄目なんだろ」
「じゃあ欠けてる輪は逆に安全なんじゃないか?」
結人はその会話で、ほんの少しだけ目を細めた。
その発想が、たぶん危ない。
相良環の窓口へ向かう。
「今日は、欠けた輪ですね」
「はい」
相良は端末を見ながら言った。
「今朝の報告でも、そこが多いです。
『閉じた輪は避けた。
でも欠けた輪の空いた所へ寄ってやられた』という形です」
かなり近い。
かなり今日見るべき場所に近い。
「ありがとうございます」
相良は小さく頷いた。
「10階は、閉じている形だけじゃなく、“開いているから安全そう”な形まで噛みに来ていますね」
かなり、その通りだった。
⸻
入口前には、坂城迅、真壁遼真、三枝透。
今日は後ろにつく探索者が 5人。
昨日と同じだ。
坂城が短く言う。
「今日は欠けた輪だな」
「はい」
真壁が続ける。
「道。
分かれ目。
終わり。
輪。
帯。
そこまでは見えた」
三枝も小さく言う。
「10階の次は、“閉じていない輪”ですね。
開いてるなら抜け口に見える。
だから危ない」
かなり良い。
かなり話が早い。
結人は頷いた。
「輪の中に立たない。
輪の外で動く。
その先で、欠けてる輪が“ここなら出られそう”に見えます。
今日はそこを見ます」
坂城が即答する。
「空いた所を見るな」
真壁も頷く。
「出口に見える所を疑う」
三枝が前を見たまま言った。
「欠けた形ほど、そこへ寄りたくなる」
それで十分だった。
配信を始める。
終路深界圏 / 10階 欠けた輪
同接は 68。
大きくはない。
でも、もう“10階の続き”として見に来る人間が残っている数字だった。
「天城結人です。
今日は 10階で、欠けた輪を見ます。
入口の 4本と、その先の“輪の外で動け”を崩さず、その先を拾います」
コメント欄が流れる。
炭酸:きた
通り雨:今日は欠けた輪か
澪:お願いします
迷子の斥候:そこ絶対危ない
凪:閉じた輪を疑えたなら、開いた輪も疑え
結人は、その最後の 1行に小さく頷いた。
「はい。今日はそこです」
⸻
10階へ入る。
白い空間。
黒い線。
遠さの狂った広さ。
入口の 4本は、もうかなり場に残っている。
最初の太い線。
後ろの探索者が言う。
「真ん中じゃない、縁!」
坂城がそこへ剣を入れる。
線蛇が裂ける。
Y字の分岐。
別の探索者が言う。
「分かれ目の上に立たない!」
真壁が盾を差し込み、岐路蜘蛛が浮く。
細く消える線。
さらに別の探索者が、少しだけ震えた声で言う。
「先、口です!」
終端蟷が開く。
結人の槍がそこへ入る。
輪。
今度は、誰も輪の中へ入らない。
環路羊が首を上げる。
だが、その輪を外から回る。
帯。
昨日まで見た継ぎ目へ、もう自分から視線が向く。
渡輪鹿がそこから裂ける。
坂城の剣が先に入る。
かなりいい。
10階はまだ嫌だ。
でも、入口とその先が“通る景色”に少しずつ変わり始めている。
三枝が小さく言う。
「かなり残ってますね」
結人も、その通りだと思った。
⸻
そこから少し奥へ進む。
白い柱の残骸がさらに増え、輪の置かれ方も複雑になってくる。
小さい輪。
大きい輪。
輪と帯。
重なった輪。
そしてその先で、昨日ちらりと見えた形が、今日ははっきり見えた。
欠けた輪だ。
完全な円じゃない。
黒い輪が 7割ほどだけ描かれていて、1か所だけ大きく開いている。
そこだけ白い床が見えている。
しかも、その開きはちょうど人 1人が抜けられそうなくらいだった。
かなり悪い。
あそこなら入らなくて済む。
あそこなら閉じ込められない。
そう思わせる大きさをしている。
真壁が低く言う。
「……抜け口に見えるな」
坂城も短く続ける。
「だから危ない」
三枝は開いている口の両端を見ていた。
「黒が少しだけ厚いですね」
かなり、その通りだった。
輪の外周全体じゃない。
開いている口の左右だけが、少し濃い。
そこだ。
結人はそこで足を止めた。
「欠けた所、見ます。
まだ寄りません」
⸻
次の瞬間、開いた口の片側が上がった。
鹿に似ていた。
だが輪座鹿よりもっと低く、前へ滑り出る形をしている。
脚は長い。
胴は細い。
胸から腹にかけて、黒い弧が途中で切れている。
角も左右対称ではなく、片側だけが欠けていて、その欠けた側がちょうど輪の口の方向を向いている。
欠輪鹿。
閉じていない輪のそばに立ち、“ここなら抜けられる”と思わせる口そのものに重なる 10階の中位種。
こいつは輪の中央を守らない。
あくまで、開いている所だけを本体の走路にする。
だから人は、“出口だと思った場所”へ自分から足を出してしまう。
実用的に言えば、
10階では、欠けた所ほど危ない。
閉じていない輪は安全地帯じゃない。
空いた口そのものが、本体の突進路になる。
それが、10階の次の言葉だった。
「口、危ないです!」
結人が叫ぶ。
前にいた探索者の足が、開いた所からほんの少しだけ外へ戻る。
その直後、欠輪鹿の前脚がそこを切った。
かなり危なかった。
もし“ここなら抜けられる”と寄っていたら、そのまま喉か腹を貫かれていた。
真壁が盾を口の前へ差し込む。
欠輪鹿の角がそこへ当たる。
坂城の剣が脇へ入る。
結人も輪の外側から槍を差し出した。
黒い液が、白い床へ細く飛ぶ。
かなり嫌だ。
でも、かなり分かりやすい。
閉じた輪。
大きい輪。
帯。
そして、欠けた輪。
10階は立ち位置と動線の全部を噛みに来る。
⸻
「10階、欠けた所も安全じゃないです」
結人は配信へ向けて言う。
「輪が閉じていないからといって、そこが抜け口になるわけじゃありません。
むしろ空いてる口そのものが危ないです」
コメント欄が流れる。
炭酸:やっぱり
通り雨:出口に見える所が口か
澪:かなり強いです
迷子の斥候:閉じてなくても駄目か
凪:欠けた所に寄るな
かなりいい。
短い。
強い。
そして、この形の嫌さをそのまま言っていた。
結人はその言葉を胸の中で転がした。
欠けた所に寄るな。
かなり、そのままだ。
でも、今の 10階にはその短さの方が合う。
「……たぶん次の言葉はこれです」
三枝がすぐに頷いた。
「かなり共有しやすいです」
真壁も低く続ける。
「閉じた輪を避けたら、次は開いた輪も避ける」
かなり、その通りだった。
坂城が欠輪鹿の死骸を見下ろしながら言う。
「結局、輪の形全部が怪しいな」
かなり、その通りだった。
⸻
そこで終わらなかった。
少し奥へ進むと、今度は欠けた輪が 2つ、向かい合うように置かれていた。
口が向き合っている。
その間に、細い白い空間ができている。
かなり悪い。
人が“ここを抜けるしかない”と思いやすい形だった。
結人はそこで喉が少しだけ冷えるのを感じた。
「ここ、かなり危ないです」
三枝もすぐに言う。
「口と口の間ですね」
真壁が盾を少しだけ上げる。
「通り道に見える」
坂城も短く続ける。
「だから怪しい」
かなり、その通りだった。
次の瞬間、左右の欠けた輪の口から、欠輪鹿が 2体同時に滑り出た。
やはりだ。
口と口の間は、抜け道じゃない。
両側の突進路が交わる、いちばん危ない場所だった。
「真ん中、入らない!」
結人が叫ぶ。
真壁が左。
坂城が右。
結人は正面へは出ず、少し外側から槍を差し込む。
かなりいい。
欠けた所に寄らない。
その言葉が、そのまま形になって通る。
⸻
今日はそれ以上進まなかった。
10階の入口の 4本。
その先の“輪の外で動け”。
さらに今日、“欠けた所に寄るな”まで見えた。
ここまで見えたなら十分だった。
結人は配信へ向けて短く整理する。
「今日はここまでにします。
10階は、閉じた輪だけじゃなく、開いた輪も安全じゃありません。
空いてる所ほど、むしろ口になります。
今のところ、次の言葉は“欠けた所に寄るな”でかなり通ります」
コメント欄が流れる。
炭酸:かなり見えてきた
通り雨:10階の嫌さ深いな
澪:入口の先がまとまりましたね
迷子の斥候:輪関連だけでかなり強い
凪:立つな、動け、寄るな。位置に関する言葉が増えていく
かなり、その通りだった。
⸻
政府ギルドへ戻ると、相良環はすぐにメモを開いた。
「どうでしたか」
結人は答える。
「欠けた輪です。
閉じてないから安全そうに見えるんですけど、その空いた口に鹿型が重なります。
輪の出口に見える所が、そのまま突進路になります」
相良の指が止まる。
「……閉じていない方が、逆に危ない」
「はい。
次の言葉は“欠けた所に寄るな”でかなり通ると思います」
相良はすぐに打ち込む。
「かなり綺麗です」
その一言が、かなり嬉しかった。
「10階、道を疑う階から、位置の形全部を捨てる階へ深くなっています」
相良は小さく頷く。
「この圏域、かなり“場所”の選ばせ方が嫌ですね」
かなり、その通りだった。
⸻
部屋へ戻り、ノートを開く。
* 10階
* 入口の 4本はかなり通る
* 輪の外を繋ぐ帯
* 欠けた輪
* 4本
* 白い道は道じゃない
* 分かれ目に立つな
* 途切れた先が口だ
* 輪の中に立つな
* 次の言葉
* 輪の外で動け
* 欠けた所に寄るな
* 欠輪鹿
* 輪の口に重なる
* 出口に見える所が突進路
* 開いている方が逆に危ない
最後に、1行だけ足した。
* 10階は、“安全そうな位置の形”を全部潰してくる階
書き終えてから、結人はペンを置いた。
かなり嫌だ。
でも、かなり進んでいる。
入口の 4本が残る。
その先の 5本目と 6本目も見えた。
その手応えがあるなら、まだ進める。
今日は、そのことがかなりはっきりした日だった。




