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同接0人、時間だけが味方だった。  作者: TimeBender


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81/113

第81話 5になった日

次の日、結人は昼前に目を覚ました。


身体が重い。


9階の終点で受けた衝撃。

時差骸の長い脚を止めた時の踏ん張り。

最後に槍を押し込んだ右腕の張り。

全部が、遅れて身体へ返ってきていた。


布団の中で、しばらく天井を見る。


前なら、こういう日は落ち着かなかった。

休んでいいのか。

止まっていいのか。

今日潜らないと、何かが減るんじゃないか。


そういう焦りが、いつも少しあった。


でも今は違う。


灰石坑道圏を通った。

地下樹林圏を通った。

遅刻廃都圏も通した。


言葉も残った。

記録も残った。

誰かが、その言葉で少し奥まで行けた。


だから今日は、休む。


結人はそこでようやく上体を起こした。



顔を洗い、冷蔵庫を開ける。


中には昨日の帰りに買った卵、ハム、野菜のパック、ヨーグルト、それに少しだけ高いゼリー飲料が入っていた。

前より、冷蔵庫の中がちゃんとしている。


昔は、潜った翌日ほど空っぽだった。

安い飲み物と、何日か前のパンの残りだけ。

それで済ませることも多かった。


今は違う。


フライパンでハムエッグを焼く。

トーストを2枚。

パックのサラダを皿に開ける。

ヨーグルトも出す。


それだけなのに、妙に“生活している”感じがした。


食卓に並べて、ひと口食べる。


うまい。


疲れている朝に、ちゃんとしたものがある。

それだけで、人は少し落ち着く。


かなり大きいことだと、結人は思った。



食べ終わってから、昨日持ち帰ったドロップを机の上へ並べる。


割れた掲示板の核。

青白い数字が消えた信号灯片。

白線みたいな筋の入った胸殻。


遅刻廃都圏の終わりを、そのまま切り取ったみたいな並びだった。


結人はノートを開き、昨日の最後に書いた一文を見返す。


* 遅刻廃都圏は、“都市の正解”を信じると遅れる圏域


かなり綺麗にまとまったと思う。


7階で順番。

8階で道。

9階で合図と安全地帯。


その全部が、最後の時差骸に繋がっていた。


この“綺麗にまとまった”感じは、たぶんこの作品でもかなり大事だ。

ダンジョンは強いだけじゃなく、ちゃんと階層ごとに意味がある方がいい。


結人はしばらくその文字を見てから、ノートを閉じた。


今日は測定だ。



昼過ぎ、政府ギルドへ向かう。


休みの日の街は、探索の日と少し見え方が違う。

歩く速度が違う。

見える店も違う。


途中で、前から気になっていた靴屋の前を通る。

高い靴はまだ買えない。

でも、中敷きだけなら今のうちに替えておきたいと思えた。


少し迷って、耐久性のある中敷きを1組買う。

それと、汗を吸いやすい厚手の靴下を2足。


どちらも“贅沢品”じゃない。

でも、前なら後回しにしていたものだ。


必要なものを、必要な時に買える。


それだけで生活はかなり変わる。


袋を持って政府ギルドへ入ると、入口の近くにいた探索者が一瞬だけこちらを見る。

それから、小さく会釈した。


結人も軽く返す。


前なら、こういうことはほとんどなかった。

完全に視界の外だった。


今はまだ有名というほどじゃない。

でも、前とは明らかに違う。



測定室の前で少しだけ待つ。


廊下の向こうでは、売店の店員が別の職員に向かって話している声が聞こえた。


「7階の音のやつ、あの人の配信で分かりやすかったですよ」


「8階も正面じゃなくて左奥だったんでしょう」


「9階は、青で出ないやつ」


全部、自分の言葉だった。


結人は壁にもたれたまま、少しだけ目を閉じる。


かなり、不思議だった。


言葉を作っていたつもりはない。

生き残るために、見えたことを短くしていっただけだ。


でも今は、その短い言葉が別の誰かの中でも動いている。


それは、かなり重い。



相良環が扉を開ける。


「どうぞ」


個室へ入る。

椅子に座る。

相良が端末を持って向かいに座る。


「お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「身体の方は」


「かなり重いですけど、大丈夫です」


相良は小さく頷いた。


「では、測定します」


いつも通りだった。

派手な何かが起きるわけじゃない。

光も音もない。


ただ、短い静けさのあとに結果だけが来る。


それでも、この時間は少しだけ緊張する。


相良が端末から目を上げた。


「……上がっています」


結人の喉が、小さく鳴る。


相良は静かに言った。


「レベル5です」


その一言が、部屋の中でかなり深く響いた。


5。


この国で最高記録7。

その数字から見れば、まだ届かない。

でも、もう“低い探索者”の数字じゃない。


数字だけでどうこうなるわけじゃない。

むしろこの作品では、それだけじゃない方がいい。


それでも、5という数字は重かった。


ここまで来たのだと、はっきり分かる重さだった。


「……5ですか」


「はい。

前回よりさらに、状況理解と判断の一貫性が伸びています。

特に遅刻廃都圏での言語化と、その場での共有が大きいです」


結人は小さく息を吐いた。


レベル5。


かなり嬉しい。

でも、ただ浮かれる感じじゃない。


“ここからまた上へ行くんだな”という、静かな実感に近かった。



個室を出ると、廊下の景色が少し違って見えた。


レベルが上がったから壁の色が変わるわけでもない。

誰かに数字を言うわけでもない。


でも、自分の歩き方だけが少し変わる。


それが不思議だった。


売店の前で、昨日も見かけた若い探索者が声をかけてきた。


「天城さん」


「はい」


「9階、まだ入口しか無理ですけど、7階と8階かなり通りやすくなりました。

本当に助かってます」


結人は一瞬だけ、何と返すか迷った。


大きいことを言うのも違う。

軽く流すのも違う。


「よかったです。

でも、無理はしないでください」


そう言うと、相手は強く頷いた。


「はい」


短い。

でも、それで充分だった。


前なら、こういう会話は起きなかった。

今は、自分の記録が誰かの探索速度や生存率に触れている。


助けられる側から、少しずつ助ける側へ。


ノートに書いた言葉が、廊下の会話になって戻ってくる。


かなり大きい変化だった。



帰り道、結人は少しだけ遠回りした。


家電店に寄って、小さめの卓上ライトを見る。

今の部屋の照明だけだと、ノート整理の時に少し暗い。

前から欲しかった。


高すぎるものは買わない。

でも、今日は迷った末に1つ選んだ。


白くて細い、折りたたみ式のライト。

高価ではない。

けれど、以前の自分なら“なくてもいい”で済ませていたものだ。


それからスーパーで、少しだけいい肉と野菜、ヨーグルト、ゼリー、スポーツドリンクを買う。


休む日の買い物が、前よりちゃんとしてきている。

潜らない日でも生活が崩れない。


それが今は、かなり嬉しい。



部屋へ戻る。


買った卓上ライトを机に置いてみる。

点ける。

ノートの上がかなり見やすくなった。


ただそれだけなのに、机が“作業する場所”になった感じがした。


前は、ただ狭い部屋の机だった。

今は、記録を整理して次へ行くための場所に少しずつ変わっている。


かなり小さい変化だ。

でも、かなり大きい意味がある。


夕飯は、少しだけちゃんと作った。


肉を焼く。

野菜を炒める。

味噌汁もつける。

それにヨーグルト。


6階を通した時もそうだったが、圏域を1つ越えたあとには“食えるものが少し良くなる”方がいい。

強くなったことが生活にも戻ってくる感じがするからだ。


結人は食べながら、スマホで配信サイトを開いた。


アーカイブのコメントが増えている。


遅刻廃都圏のまとめ、かなり好き


7階〜9階がちゃんと繋がってて良かった


9階の“正しい方へ寄るな”が一番刺さった


追ってて楽しい


この人の配信、攻略の言葉が残るのが強い


最後の1行で、結人は手を止めた。


攻略の言葉が残る。


それは、かなり嬉しかった。


火力が高いわけじゃない。

派手なスキルで画面が映えるわけでもない。

でも、自分には自分の強みがあるのかもしれない。


その強みが、少しずつ形になって見え始めている。



夜、上位者の配信も見る。


今日は皇玲司の戦闘アーカイブだった。


画面の中の景色は、結人の今いる場所より遥かに先の階層だ。

人が近づくだけで空気が変わるような場所。

攻撃の規模も、判断の速さも、圧も違う。


《統圧》の使い方は、相変わらず異常に上手い。

空間ごと敵の選択肢を狭めていくような戦い方で、見ていて無駄がない。


遠い。

かなり遠い。


でも前ほど、“遠いから無理”とは思わなかった。


むしろ、何を見て何を捨てているかを、前より少しだけ拾える。


たとえば皇は、敵の派手な動きより、その前の“選択肢の減り方”を見ている。

実際に来た攻撃じゃなく、その攻撃しか来られない形を先に取っている。


結人はノートの余白へ短く書く。


* 皇は結果より選択肢の減り方を見る

* 派手な動きの前に、逃げ道を消している

* 見る順番が自分より1段前


書いてから、少しだけ息を吐いた。


遠い。

でも、前より見える。


見えるなら、まだ進める。



食後、ノートを開く。


* レベル5

* 遅刻廃都圏踏破

* 生活

* 卓上ライト

* 中敷き

* 靴下

* 休みの日の食事が整った

* 反応

* 7階8階9階の言葉が他人の会話に出ている

* 助かったと言われた

* 攻略の言葉が残ると言われた

* 自分の見え方

* 低い探索者のままではない

* でも、まだ遠いものは遠い

* 遠い相手を見て、拾えるものが増えた


最後に、1行だけ足した。


* 強くなるのは数字だけじゃなく、生活と見え方も一緒だ


書き終えてから、結人は新しく買った卓上ライトの光の中で、その文字をしばらく見ていた。


レベル5。

遅刻廃都圏踏破。

言葉が残る。

生活が少し良くなる。

周りの目も少し変わる。

自分の自分への見え方も変わる。


全部、ちゃんと進んでいる。


今日は、潜らない日だった。

でも、こういう日の方が、前へ進んだことはよく分かる。

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