第68話 先に落ちるのは影だ
7階へ入るのは2日目だった。
昨日持ち帰った言葉は、1本。
遅れるのは音だ。
入口としては充分強い。
でも、7階はそれだけで終わる気がしなかった。
遅刻廃都圏。
音だけで済む名前じゃない。
配信を始める。
遅刻廃都圏 / 7階 入口更新
同接は26。
大きくはない。
でも、昨日の続きとしてちゃんと人が残っている。
「天城結人です。
今日は7階をもう少し進めます。
今ある言葉は“遅れるのは音だ”。
これを崩さず、その先を見ます」
コメント欄が流れる。
炭酸:きた
通り雨:駅の続きだ
澪:お願いします
迷子の斥候:今日は上か下か
凪:順番が狂う階は、1本で済まない
「たぶんそうです」
結人も、同じ予感だった。
⸻
7階の入口は昨日より速い。
残刻犬。
動きが先。
音が後。
耳を切らない。
でも、先に信じない。
そこが立っているだけで、最初の数分はかなり楽になる。
今日はホームの先へ進む。
崩れた駅名板。
割れた照明。
落ちた看板の骨組み。
床には黄色い線みたいな塗装の剥がれ跡があり、その向こうに黒い線路が2本、長く伸びていた。
線路の間には砂利ではなく、黒い粉が積もっている。
炭みたいにも、古いブレーキの削れカスみたいにも見える。
天井は高い。
だがところどころ落ちていて、上階へ通じていたらしい空間が黒く口を開けている。
真壁が言う。
「駅っていうより、潰れた地下通路だな」
坂城は落ちた案内板へ視線を向けた。
「人を流すための形が残りすぎてる」
三枝は壁の地図らしきものを見ていた。
「進行方向の表示だけ、妙に綺麗ですね」
確かにそうだった。
文字はほとんど潰れている。
でも、矢印だけは妙に残っている。
進め、と言っているように見える。
かなり嫌だ。
⸻
ホームの先、階段を上がる。
そこには改札前の広場みたいな空間があった。
横に広い。
柱が多い。
天井からぶら下がる表示板は半分落ちていて、時刻表みたいなものが黒く焼けている。
床には壊れたベンチ。
その向こうに、閉じたまま歪んだシャッター。
まるで、街へ出る手前で時間だけが止まったみたいな景色だった。
その時。
頭上で、羽音がした。
いや、違う。
羽音がした気がした。
結人が顔を上げる。
柱の上。
暗がりの縁。
何か黒いものがいる。
次の瞬間、床に影が落ちた。
細い。
尖っている。
翼を広げた鳥の影。
だが、本体はまだ落ちてこない。
一拍遅れて、真上から黒いものが滑り降りてきた。
「上!」
坂城が即座に剣を振る。
黒い鳥の首が飛ぶ。
そのあとで、遅れて羽音がまとまって降ってきた。
かなり嫌だ。
結人は落ちた本体を見る。
鳥に似ていた。
大きさは鴉ほど。
だが、羽は羽毛ではなく、薄い黒い板片が何枚も重なっている。
切符の欠片や焦げた時刻表を束ねたような、紙とも金属ともつかない翼。
嘴は長く、先端だけが銀色に擦れている。
目の位置には、青白い小さな光が1つずつ入っていた。
遅灯鴉。
高所に止まり、広場や改札跡を見下ろして獲物を狙う小型の飛行種。
滑空自体は速く、鋭い。
だが厄介なのは本体の速度じゃない。
こいつは照明の切れた空間と残った照明の境目を滑る。
そのせいで、影が先に落ち、本体が遅れて届く。
実用的に言えば、
7階では、上を見る時も“最初に来たもの”を信じすぎない方がいい。
遅灯鴉は影が先に来る。
影へ反応すると、本体への刃が遅れる。
それが、7階の2本目になりそうだった。
⸻
「左柱、2羽!」
三枝が声を飛ばす。
結人は見上げる。
暗がりに、青白い点が2つ。
その下、床に影だけが走る。
影が先だ。
なら、本体はそのあと。
「影じゃない、本体!」
真壁が盾を上げる。
坂城が一歩遅らせて踏み込む。
次の瞬間、影のあとから黒い本体が滑る。
剣がちょうど首を裂く。
もう1羽は真壁の盾に激突し、遅れて羽音が広場へ散る。
遅い。
全部が少しずつ遅い。
でも、その遅れ方が毎回違う。
犬の時は音。
この鳥は影。
7階は、“届く順番が狂う階”というより、
届く順番を信用させてからズラす階なのかもしれない。
結人の背中が少し冷えた。
嫌な階だ。
でも、かなり強い階でもある。
⸻
広場を進む途中、遅灯鴉は何度も来た。
柱から柱。
案内板の上。
割れた時計の陰。
影が先に床を走る。
本体は半拍遅れて落ちる。
慣れてくると、見える。
影が伸びる角度。
青白い目の位置。
滑空の起点。
「右の影は浅い、奥です!」
「上、次は2枚後ろ!」
「真壁さん、そのままで!」
声を飛ばすたび、間に合う。
坂城の剣が届く。
真壁が受ける。
三枝が次の位置を拾う。
そして結人の中で、また言葉が立つ。
影は先に来る。
短い。
使いやすい。
7階の広場で何度も確かめられた。
コメント欄が流れる。
炭酸:影先か
通り雨:気持ち悪いなこの階
澪:音と影でズレ方が違うんですね
迷子の斥候:耳も目もずらされる
凪:先に落ちるのは影だ
結人はすぐに頷いた。
「はい。
たぶん2本目はこれです。
先に落ちるのは影だ」
三枝も短く返す。
「かなり共有しやすいです」
坂城が次の鴉を斬り落としながら言う。
「音と影。
どっちも“先に来た方が本物じゃない”」
真壁が低く笑う。
「素直に受けると遅れるわけだ」
かなり、その通りだった。
⸻
広場の奥には、上へ続くエスカレーターの残骸があった。
動いていない。
半分崩れている。
それでも、上へ向かう形だけははっきり残っている。
その横の壁に、細いひびが何本も走っていた。
そこから、遠くの音が遅れて響く。
ガタン。
カン。
バキ。
今の音じゃない。
どこか別の場所で鳴ったものが、遅れてここまで来ているみたいだった。
結人は立ち止まり、少しだけ奥を見る。
まだ行ける。
だが、今日はここまででいい。
7階はまだ入口だ。
なのに、もう音と影の順番が狂っている。
この先はきっと、もっと嫌になる。
「今日は戻ります」
真壁がすぐに頷く。
「十分だ」
坂城も剣を収める。
「入口としては強い」
三枝が広場を見回した。
「まだ“位置”はズレていない。
でも、そのうち来そうですね」
結人も同じことを考えていた。
音。
影。
この次にズレるのが何か。
考えたくはない。
でも、たぶんそれがこの圏域の核心に近づく道だ。
⸻
政府ギルドへ戻ると、相良環はいつもより早くメモを開いた。
「どうでしたか」
結人は短く答える。
「入口の先に、改札前の広場みたいな空間がありました。
そこで新しい鳥型が出ます。
影が先に落ちて、本体が遅れてきます」
相良の目が少しだけ細くなる。
「影が」
「はい。
7階は、遅れるのが音だけじゃない。
上を見る時は“先に落ちるのは影だ”が使えます」
相良はすぐに打ち込む。
「遅れるのは音だ。
先に落ちるのは影だ。
……並びが綺麗ですね」
「どっちも“先に来たものを信じすぎない”って話だと思います」
相良は小さく頷いた。
「7階らしいです」
その言い方が、少しだけ可笑しかった。
でも確かに、7階らしかった。
⸻
部屋へ戻り、ノートを開く。
* 7階
* ホームの先に広場
* 改札前のような構造
* 柱が多い
* 上下の視線が増える
* 残刻犬
* 遅れるのは音だ
* 遅灯鴉
* 影が先に落ちる
* 本体は遅れて滑る
* 先に落ちるのは影だ
最後に、1行だけ足した。
* 7階は、“先に来た情報”を疑う階
書いてから、結人はペンを置いた。
音。
影。
次は何がズレるのか。
嫌な予感はある。
でも、それを言葉に変えられる限り、7階はまだ通せる。




