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同接0人、時間だけが味方だった。  作者: TimeBender


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第21話 まだこのまま

今日は潜らない。


断層喰いを越えた翌日くらい、ちゃんと止まって受け取った方がいい。

結人は朝の時点で、そう決めていた。


狭い部屋の机の上には、昨夜並べたままの物が残っている。


断層喰いの控え票。

換金票。

短槍。

包帯。

回復薬。

ノート。

端末。


そのどれもが昨日までと同じ物のはずなのに、少しだけ違って見えた。


壁を越えた。

その実感が、机の上の並び方まで変えるらしい。


結人は顔を洗い、短槍の穂先を一度だけ布で拭いた。

今日は測る日だ。

だからこそ、先に整えてから行きたかった。



政府ギルドの測定室は、相変わらず白くて静かだった。


認証を済ませ、所定の位置に立つ。

壁面の光が走る。

胸の奥を薄い振動が通る。


前回は、2になった。

今回は分からない。


断層喰いを越えた。

前半の型を場に残した。

3階層手前を、ただの恐い場所ではなく「越えられる壁」に変えた。


それでも、3はまだ早いかもしれない。

そんな感覚も、結人にはちゃんとあった。


測定が終わる。

部屋の外へ出る。


相良環が、窓口脇で端末を持って待っていた。


「確認されますか」


「はい」


端末を開く。


表示された数値を見て、結人はしばらく黙った。


レベル2。


上がってはいない。


だが、前回見た時とは、画面の印象が明らかに違った。

総合値の伸び幅が大きい。

3の中で、かなり深く進んでいる。


結人は少しだけ息を吐いた。


「……まだ2ですね」


悔しさは、思っていたほど強くなかった。

むしろ、かなり納得に近かった。


相良が静かに言う。


「はい。まだ2です」


それから少しだけ画面を見て続けた。


「ただ、かなり3に近づいています」


結人はそこで少しだけ目を上げる。


「近い」


「はい」


相良は短く頷いた。


「今回も、討伐数だけの伸び方ではありません。

断層喰い撃破の反映はありますが、それ以上に前半から3階層手前までの探索安定度、生存精度、適応の累積が大きいです」


結人は、その言葉をしばらく頭の中で転がした。


探索安定度。

生存精度。

適応。


どれも、自分がこの数週間ずっと積み上げてきたものに近い。


「……上がってなくても、かなり変わってますか」


「変わっています」


相良の答えは早かった。


「かなり、この数週間らしい伸び方です。

普通の戦闘職らしい上がり方ではありません。

でも、今の天城さんにはかなり自然です」


結人は、そこでようやく少しだけ笑った。


自然。

そう言われると、少し救われる。


「3じゃないのに、落ち込まないですね」


相良がそう言ったので、結人は少しだけ考えた。


「前なら、落ち込んだかもしれません」


「今は」


「……まだ3じゃないのも、分かるので」


それは本音だった。


断層喰いを越えた。

でも、まだ上位者のいる場所とは遠い。

坂城たちと並ぶにも、まだ少し足りない。

それでも、前より自分の見ているものが残るようになった。


その実感があるから、数字だけがすべてにはならない。


相良はほんの少しだけ表情を和らげた。


「それなら、今日はかなり良い測定だと思います」



測定室を出たあと、結人はすぐには帰らなかった。


今日は休みだ。

だから、少しだけ遠回りしてもいい。


政府ギルド前の売店で、結人はいつもより長く棚を見た。


回復薬。

包帯。

保存食。

端末スタンド。

靴底補修材。

手袋の替え内布。

安いノート。


今日は安いかどうかだけで選ばなかった。

次に要るか。

今の自分に残るか。

それで見た。


結局、結人は少し良い包帯を2つ、保存食を2つ、靴底補修材を1つ、そして細い記録用ノートをもう1冊買った。

前に買ったノートは、思っていたより使う。

次の壁に行くなら、記録の余白も欲しかった。


会計をしていると、後ろの若い探索者が友人に小声で言った。


「断層喰い越えた人だよな」

「多分」

「今日休みか」


結人は聞こえないふりをした。

でも、前ほどその言葉が重くはなかった。


「何か買う物増えたな」


売店の店員が袋を渡しながら言う。


「そうですか」


「前はその日を凌ぐ買い方だった。

今は次の探索まで見て買ってる」


かなり静かな一言だった。

でも、深かった。


結人は小さく頭を下げる。


「そうかもしれません」



昼前、部屋へ戻る。


まず洗濯を回す。

探索用のインナー、タオル、手袋の内布、普段着。

その間に短槍の柄布を少し巻き直し、靴底補修材を使って靴の擦り減った部分を整える。


前なら、まだ使えるで終わっていた。

今は、まだ使えるうちに整える。


その違いが、前より少しだけ自然になってきていた。


机の上も少し整える。

ノートを右。

端末を中央。

包帯と回復薬は棚の上段。

保存食は下段。

買い足したノートは、断層喰いまでのまとめの隣へ置く。


狭い部屋のままだ。

急に立派になったわけではない。

でも前より、「次へ戻ってくるための部屋」になってきている。


洗濯が終わる。

干す。


それから、今日は昼も少しだけまともにした。

肉の入った弁当。

味噌汁。

小さいサラダ。

前なら弁当だけで終わっていた。

今はサラダも戻さなかった。


結人はそこで、少しだけ箸を止める。


レベルはまだ2。

でも、生活は前より明らかに違う。


前の自分なら、3じゃなかったことばかり考えていたかもしれない。

今はそうでもない。


まだ2。

でも、前よりちゃんと持ち帰れている。

前よりちゃんと整えられる。

前よりちゃんと休める。


その実感の方が、今日は大きかった。



午後、結人は端末を開いて、一ノ瀬綺羅のアーカイブを流した。


休みの日に上位者の配信を見るのは、もう前ほど苦くない。

遠い。

差は大きい。

でも、ただ遠いだけではなくなってきている。


綺羅は今日も綺麗だった。

終わりが整っている。

処理後の立ち方まで含めて、崩れない。


火澄圭の切り抜きも続けて見る。

こちらはもっと鋭い。

崩れる前に終わらせる。

迷いを長く残さない。


結人はメモを開く。

•綺羅

•終わりが綺麗

•火澄

•終わりを押し切る

•自分

•崩れる線を拾う

•崩れた線をずらす


前より少しだけ、最後の2行がしっくりくる。


断層喰いを越えた時、自分はただ見ていただけじゃない。

閉じる線に槍を入れて、死ぬ形そのものをずらした。


それはかなり大きい。

でも、まだ3じゃないのも分かる。


もっと速く、もっと深く、もっと広く読めるようにならないといけない。

だから、今は2のままでいい気もした。


まだ足りない。

でも、ちゃんと前へ進んでいる。


その見え方に変わったことが、今日の1番大きい変化かもしれなかった。



夕方、政府ギルドの前を軽く歩く。


休みの日に少し外の空気を見るのは、前より大事になっていた。

部屋の中だけで整えるのではなく、今どう見られているかも少しだけ知っておきたかった。


入口前で、昨日3階層手前にいた探索者が声をかけてくる。


「天城さん、今日は休みですか」


「はい」


「良かったです。

昨日の断層喰い、かなり助かりました」


言い方が前より自然だった。

持ち上げすぎない。

でも、ちゃんと助かったと言う。


別の探索者も少し離れたところから言う。


「今度3階手前まで行く前に、昨日のアーカイブ見返します」


結人は短く頷く。


「前半は飛ばしても大丈夫です。

断層喰いのところだけでも」


相手が少し笑う。


「最近、配信者っぽいこと言いますよね」


その一言に、結人は少しだけ不意をつかれた。

だが、嫌ではなかった。


配信者。

前は数字だけ小さい、ただの潜行記録だった。

今は少なくとも、誰かが探索前に見返すものになり始めている。


その違いはかなり大きい。


少し離れた場所では、別の2人組が小声で話していた。


「断層喰い越えたの、やっぱあの人らか」

「灰石坑道の天城って人」

「配信残ってるらしいぞ」


今度は、言葉だけじゃなく名前も少し混じっていた。


結人は聞こえないふりをした。

でも、胸の奥では静かに熱が残った。



夜、部屋へ戻る。


洗った服は乾いている。

机の上には新しいノート。

棚には少し増えた保存食。

靴底は整っている。

包帯も回復薬も前より余裕がある。


結人はノートを開き、今日のことを書く。

•まだ3

•でも4にかなり近い

•包帯を買い足した

•靴底を直した

•ノートをもう1冊買った

•肉の弁当

•小さいサラダ

•次を見て買える

•断層喰いのアーカイブを見返される

•名前でも少し呼ばれ始めた


そこまで書いて、少しだけ止まる。


それから、最後に1行だけ足した。

•まだ2でも、前の2とは違う


書いてから、しばらくその文字を見ていた。


それが今日の全部だった。


上がらなかった。

でも、止まってはいない。

前より、自分を雑に扱わない。

前より、次を見て物を買う。

前より、休む日にちゃんと休む。

前より、周りも自分を「見ている人」として扱い始めている。


それなら、2のままでも十分前進だ。


結人は端末を開く。


今日の配信はしていない。

でも、昨日のアーカイブにはまたコメントが増えていた。


レベル上がったかな


休み回いいな


灰石坑道の人、ちゃんと整えてる感じ好き


まだ先ありそうで良い


結人は最後の1行で少しだけ目を止めた。


まだ先ありそう。


そうだ。

今はそれでいい。


結人は端末を閉じる。


次からは、断層喰いを越えた先を見る。

壁の向こうに何があるか。

そして、次の壁が何なのかをまた拾いに行く。


狭い部屋の中で、机の上だけが少しずつ整っていく。

その静かな変化が、今日は妙に嬉しかった。


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