BGB 第十二話 「接近」
耳がつぶれるのではないかというほどの轟音。
思わずタイヨウは耳を塞ぎ、眠っていたハクは飛び起きた。
そのまま少女は一点をみつめる。
タイヨウからすれば右後方。
そのはるか遠く。
「大丈夫か、ハク」
轟音に揺らされた頭に意識を乱しつつ、ハクに問う。
「オレは大丈夫……なぁ、今の……」
「敵だろうな。いてて……」
思った以上に音の衝撃が強かったらしい。
その音自体は一瞬だったが、あまりに大きすぎた。
「やっぱり。ソイツ、一個外にいるぞ」
「外ぉ……?」
凝視して、その焦点を変えることはない。
ハクのソレはもはや臨戦態勢といっていい。
明るい陽だまりのような雰囲気は消え、冷たい水の、さすようなものへと変わっていく。
「一個外ってどういうことだ?」
「……タイヨウに呼ばれたときに見たんだけど、この世界、外に二つ、なんていうか余分なところがあったんだ」
「外に二つ……ってことは敵は一つ中に入ったってことか」
「ちゃんと見たわけじゃないからわかんない。たぶん門みたいな感じだったと思うんだけど」
タイヨウも、ハクの視線の先を見つめる。
といってもただただ広がる青空しか見えないわけだが。
「お前はなんか見えてんのか?」
「ううん。なんかいるっぽいだけだぞ」
世界という隔絶された境界の外を肉眼で認識できるとすれば神程度だ。
いくら神性があるとはいえ、神に近いとはいえ、それは竜にとって不可能の領域。
「空に異変があるわけでもなし……今はこっちからはどうしようもねぇな」
できることならさっさと対処したいところではあるが、どうしようもないことはどうしようもない。
今は先を急ぐべきだろう。
「さっさと行こう。変に勘違いされてるかもしんねぇ」
タイヨウの頭の中にあったのは三本足の大烏が暴れる姿だった。
昨日はその大烏のはばたきだけで吹き飛ばされたのである。
全く準備のなかった昨日とは違い“砲台”によって符をとばしていることから恐らく対応はできるだろうが、敵ではない者相手に無駄な消費はしたくない。
できればその烏がいないことを祈りつつ、タイヨウは術式の速度を少し上げた。
それから10分としないうちに、昨日の湖にたどりつく。
少し高いところから見ると、その湖は思ったより広かった。
ドーム何個分、などと広さを例えられそうなほど。
「術式は生きてたな……」
昨日湖に訪れた際に残していた術式。
要は道しるべのようなものだが、烏によって吹き飛ばされていないかが不安だった。
特に壊れている様子もない。
「さて、エペレはどこにいるかね」
夢の中で出会った少女。
神は己をエペレと名乗った。
「エペレ……?誰だそれ」
「あぁ、昨日会った金髪の女の子いたろ。あの子の名前だと」
「……アイツ、名前言ってたっけ……?」
うーん? と首をかしげ空に目をさまよわせながらハクが思案する。
そこでようやくタイヨウは理解した。
「あぁそうか。あの後ちょっと色々あってな、名前を……」
その事実を再認識する。
あるいは自分のおかした失敗にようやく気付いたというべきか。
己の名を、真名を、神に直接告げていたことに。
青ざめる。
急に嫌な汗が全身からふきだした。
「タイヨウ?」
そこらへんの術者相手ならばどうってことはない。
たとえ、神が相手だとしても、例えば祭壇やあるいは絵馬なんかのように何かを介していればそれでいい。
しかし、だ。
ここは神の異界で、さらに言えばタイヨウは自らを強制されるわけでもなく名を告げていた。
神という存在に明確な定義はない。
しかしだいたいの理解としては「世界を創造してしまうほどの純粋な力の塊」という大雑把なものでいい。
そんな者相手に己のすべてを示す名を与えることは何を意味するか。
力ある者が知る、ということは領る、すなわち支配を意味する。
つまりは、完全な無条件降伏。
幸いなことに敵対関係ではないということ、そしてタイヨウがその神の名を神自身から聞いているという事実がある。
そのエペレも悪神の類ではないようにタイヨウの眼にはうつっていた。
「師匠に知られたらボコボコにされそうだな……」
「おい、タイヨウ」
ペシリと背中がはたかれる。
はたいたのはハクの尻尾で、当のハクは少しむすっとしていた。
「色々ってなんだよ」
なぜだか半眼で、タイヨウをじっとねめつける。
「色々っつうのはまぁ……そのまんまの意味だよ、うん」
なぜかはわからないが、正直に夢で逢ったとここで話すと逆鱗とまではいかないまでもハクの怒りを買う気がした。
「むー」
少しうなりながら尻尾をいらだたしげにゆらす。
「……大したことじゃねぇよ、気にすんな」
言いながらハクの頭をわしわしと撫でる。
「ちぇー」
少し目をやわらかく細めながらも、頬はまだ膨らんでいた。
ぺシペシと尻尾がタイヨウの背に軽く触れる。
「まずはエペレを探してからだ」
移動術式を操作しつつ、周囲に眼をこらす。
「何か見つけたら言ってくれ」
「……はーい」
思えば約束こそしたものの、どこで会うかなどとは一言も交わしてはいなかったのだ。
「神の気を探るなんて無理だしな」
術者、というより人間を探る方法はある。
人間に限らず、生き物は大小はともかくとして力を有している。
そしてその力には各々の特徴がある。
タイヨウの使う術式の体系にのっとっていうならば、たとえば水に寄っているだとか、陰の気が強いだとか、そういったようなものだ。
その特徴さえ分かっていれば居場所を探ることはできる。
警察犬にとっての匂いといえばわかりやすいか。
しかしそれが通用するのは人間相手の話である。
神相手に関してはわからない。
そもそも力の濃度、純度が高すぎるはずだ。
さらに、夢でおぼろげに出会い、この世界の特徴を“城”を通して解析はしているがそれでたどれるほどではない。
神器が手元にあればどうにかなるかもしれないが。
そう思いながら右腕の痕を見る。
「こいつでいけるか……?」
昨日はこの痕から夢にとんだ。
今手元にあるつながりといえば、これだけだが……。
「力は温存しとくべきだな。敵もそこまで来ているようだし」
世界をゆらすほどの、敵。
神を葬ろうとする。
その敵。
強大でないはずがない。
“城”と“砲台”で準備はすすめている。
連鎖術式の下ごしらえは殆どできてはいるが、それを発動さえる肝心な力がなくては困る。
今現在も、昨日一昨日と行使しつづけているせいで全快とはいいがたい。
「しかたねぇな。肉眼で地道に探していかなきゃな……」
なにか目印のようなものがあれば探すのも楽であろうが、見渡す限り木々と湖だけだ。
どうしたものか
。
「あ」
隣のハクが不意に声を上げる。
「どうかしたか、ハク」
「うん、あっちの方」
眼を細めて、指をさす。
「あそこらへん。たぶんいる」
ハクの指の向きをたどり、タイヨウも眼をこらすが、やはり木しか見えない。
「よし、とりあえず行くか」
木々しかないせいで距離感覚がおかしくなるが、ハクの示した先はおおよそ2kmほど先だった。
数分とかからないうちにその地点に近づく。
「……おい、なんもねぇぞ」
「おかしいなぁ……確かにみたんだけど」
そこには湖に繋がっている小さな川があった。
しかしそれ以外にはなにもない。
「小さな動物とか見たんじゃねぇか?この異界にそんなのがいるのかわかんねぇけど」
「うーん……人だったと思うんだけどなぁ……」
「その子の言っていることは間違いじゃないよ」
タイヨウとハクの会話に第三者が入り込む。
決して大きくはないが、よく響くきれいな声。
そのきららかな声は後ろから聞こえた。
タイヨウとハクが同時にふりむく。
ほんの少し、下。
木の天辺にその少女はいた。
うすい浴衣と袴を組み合わせたかのような、白を基調としたどこかの民族衣装をまとう少女。
たなびく金髪にそれを割るようにぴょこっと生えている丸みを帯びた二つの耳。
「やぁ!タイヨウ」
「おう、来たぞ、エペレ」
「うん、約束どおりだ」
ニコニコと、その顔に笑みをのせる。
「こいつはハクだ。俺の契約した竜」
「こんにちは」
「おう。ハクだ。よろしくな」
「私はエペレ。こちらこそよろしく」
金髪をゆらし、ひょいと木からタイヨウののる術式へと軽やかに移る。
「私の家に行こうか。すぐそこだし」
その家は、家というよりはむしろ神社だった。
少し普通の神社と違うのは家を中心として四方に向かって道がのび、それぞれに鳥居があるということくらいか。
「……この広いとこに一人で住んでんのか」
タイヨウがそう聞いてしまうほどにその敷地は広く、またほかの気配がしなかった。
「とりあえず、中に入って?」
移動術式を解除して地におり、言われた通り家の中へと踏み入れる。
てっきり祭壇や祭具などがおかれているかと想像していたが、その想像とは裏腹に、広い空間には何もなかった。
床と扉と、天井しかない。
空間以外の何物もない。
まさしく伽藍堂。
学校の講堂ほどはあろうかという広さの空間をてくてくと歩き、中央あたりに少女はすれる。
「さ、お話ししようか。ハクちゃん、タイヨウ」
にこにこと新しい玩具を与えられた子供のように笑っていた。
この部屋の異常なモノの無さは住んでいる彼女にとっては当然なのだろう。
しかし、普通に人間として生を得て過ごしてきたタイヨウからすれば、恐怖さえ感じるほどに、おかしな光景だった。
「どうしたの?座って?」
綺麗な声が、タイヨウの意識を目の前の少女へと引き戻す。
「あぁ……」
その少女から少し離れたところにタイヨウとハクは腰を下ろした。
「ここ、いい空気だな!気持ちがいい」
先に言葉を発したのはハクだった。
座りながらも手と背をのばし、くぅ~と身体をリラックスさせている。
「“山”に似てる気がする」
大きく息を吸い込って、ぷはぁと息を吐く。
ハクはこの場を気に入ったらしい。
「エペレ、ここには一人で暮らしてるのか?」
「うん、そうだよ。たまにあのカラスさんが来るけど、ずっと私だけ」
こともなげにエペレは言う。
その声には寂しさすらない。
「普段は……なにしてんだ?」
気になることがふとタイヨウの胸にわき、気づけば口にしていた。
そもそも目的が神に会うだけであって、そこからどうするかは決めていなかったがために仕方ないことではあるのだが。
「いつもは寝てるか、狩りしてるか、かな」
「狩り?」
「そう。近くに川があったでしょ?あそこで魚とかをね。たまにほかの動物とかも狩るけど、魚の方が楽。そうだ、今日の朝とってきたやつがあるんだけど、食べる?」
と、ニコニコしながら立ち上がろうとした刹那。
バン!と強烈な音をたてて扉が開く。
「そこにいるのは誰だッ!」
その先にいたのは三本足の大烏だった。