BGB 第十話 「その神の名は」
「私はエペレ」
金髪の少女は言った。
神というものに、まともに相対したという経験をタイヨウは持っていない。
しかし、“世界”と接続しているがゆえにか、あるいは単純なまでに純粋
な人間の本能か。
いずれにせよ、問うこと自体がばからしくなるほどにその少女が人間ではなく神であると、身体が理解していた。
「……どうして、私の夢の中にいるの?」
「どうしてだろうな……」
目の前にたつ少女がこの状況をどう認識しているのかわからない。
夢の中の登場人物の一人として話しかけているのか、あるいは現実からまぎれこんだ実体だと認識しているのか。
そもそもその夢なる世界に自分がなぜ入り込んだのかさえ、わかっていないのだが。
「あそこにいるのは君の家族か?」
父と母と幼い娘。
三人の団欒に目を向けながら問う。
「……そうだよ。髭の人がお父さん。黒い髪の人がお母さん。小さいのが私」
過去の投影、だろうか。
それとも再構成なのか。
夢という世界はすべてが曖昧だ。
「ねぇ、タイヨウ」
不意に、神が問いかける。
「会うのは三回目だよね」
「……三回?」
その数字に違和感を持つ。
会ったのは、昼に湖で一回と、今の二回のはず。
頭の中で数えて
「一番最初、いつ会った?」
「今日の、朝」
やわらかく返され、タイヨウは思い出す。
今日の朝。
神器に触れて、見た光景。
湖の中、朝陽に照らされた姿。
裸身。
一瞬でその情景が脳を駆け巡った。
顔が紅潮する。
思わず、目の前の少女に背を向けた。
アレを、というよりあの状況下で―――どういう形かはわからないが―――自分はあの場にいたということか。
とんでもないものを、みてしまった。
「私が水浴びしているときに急に現れて、急に帰って行ったよね」
だから私驚いちゃった、と。
ほがらかに笑う。
そこに怒気はおろかマイナスの感情さえない。
その笑顔に毒気を抜かれたのか、あるいは油断したのか、タイヨウは思わず聞いてしまった。
「怒ってないのか……?」
「何を?」
「いや、その……」
ぽかん、といったような抜けたような表情。
心の底から、何を怒るのかわからないとさえ思っているような。
「見られたら怒るだろ普通……」
「なんで?」
思わず目を見開いた。
そこからか、と。
そして彼女の、少女の姿をした神をまじまじと見てしまった。
まだ成人すらしておらず、普段術式の修行にあけくれていたタイヨウにはあの裸身は刺激が強すぎた。
直に目にしたときは美しさに見とれ、それに支配されていた。
芸術を見ているような感覚だった。
思い出すと、そしてそれが生身の生物だったという現実が、タイヨウの捉え方を変じさせる。
天然。
あるいは羞恥という感覚がこの神にはないのか。
ハクの天真爛漫とはまた違った意味で男を困らせる。
「なんでって……なぁ」
言葉を濁す。
「む」
初めて、神は明るい表情からほんの少し変化をさせた。
いぶかしげに。
「教えてよ。なんでハダカを見られたら怒らなきゃいけないの」
まずい、とタイヨウは確信した。
このタイプの天然は相性が悪い。
好き嫌いの意味じゃない。
人間関係において―――神相手にこの言葉はどうかと思うが―――主導権を取りづらい。
そういう相性の悪さ。
「ええっとだな……」
そもそも、仮に羞恥という概念がないのであれば、ハダカを見られて怒るというその自然な感情を説明するのは難しい。
かといって煙に巻けるかというと。
「むー」
頬をふくらませている。
たぶん無理だ。
「……わかりやすく言うとな?」
言葉を選ぶ。
子供に対してどうやって家族が増えるのかと説明するような緊迫感。
「ハダカってのは大事な人以外に見せちゃダメなんだよ」
我ながらうまく説明できた、と。
タイヨウは少し悦に浸っていた。
「大事な人って?」
ほんとうに少しだけだった。
「えっとまぁ……家族とか?」
「じゃぁさ」
間髪入れすに少女は言葉をはさむ。
「私のハダカを見たタイヨウは私の家族になるの?」
声は年相応、あるいはそれより少し大人びているのに、言っていることは無防備な子供のソレだった。
「はい?」
「大事な人以外に見せちゃダメなんでしょ?ならハダカみたタイヨウが家族になればいいんじゃないの?」
と、さも百点満点の解答を書き終えた時のような満面の笑みをたたえながら少女はいう。
その逆説は明らかになりたたない。
何も知らない純粋無垢にありがちな逆転の発想。
「君なぁ……」
「それ!」
ビシっ、と音が聞こえてくるほどに神は指をさす。
「その言い方!君っていうのやめてよ、タイヨウ」
「……ならどう言えばいい?」
名前は聞いた。
その神の名をタイヨウは知っている。
知ってはいるが、神の名を口にすることは術者にとってはそれなりの意味を持つ。
それが神でなくとも、例えばハクとタイヨウのように、竜と人間という神にははるか及ばない程度の神性、聖性であっても、真名を交わすことは見えない強固なつながりを生む。
そこでタイヨウははたと気づいた。
自分は神に、この少女に真名を教えていたということに。
「言ったでしょ。エペレでいいよ、タイヨウ」
神は許可する。
名を呼ぶことを。
それは正式な契約ではない。
しかし神の行動は人間の思考領域をはるかに凌駕する。
ただ呼ぶことさえ、それは強い絆となり、神自身がそれを認めるということは
「いいんだな?」
確かなつながりになる。
それは、十七年しか生きていないタイヨウにとって未知の領域であり、そして同じく十七年の大半をほとんど一人で過ごしたエペレにとって初めての経験だった。
「うん。だから呼んで?」
瞳を虹にきらめかせながら、その言葉を待つ。
「エペレ」
口にしたその響きは、世界に響く。
広がっていく音に、世界が答えていく。
「なぁに?タイヨウ?」
心の底から嬉しそうに、エペレは微笑んだ。
その笑みに、タイヨウの体から力が抜けていく。
「いや」
なにも理屈を説明する必要はない。
というよりも、エペレという神相手に理屈が通じると思っていた方が、術者の思い上がりだった。
「なんでもない」
「えー。せっかく呼んでくれたのに。それはないんじゃない?」
楽し気にエペレは言う。
気づけばその世界は月光の明るい湖になっていた。
さっきまであった団欒も、周囲には見当たらない。
不思議と驚きは、なかった。
「ここ、タイヨウは来た事あるよ」
湖。
神のいる湖など、心当たりは一つしかなかった。
「昼のとこか……エペレと会ったあの」
「そう、私の家の近く」
つい数時間前にあった出来事を思い返す。
神、エペレとの、実世界での邂逅。
そしてカラス。
「なぁあのカラスって……なんなんだ?」
黒い大烏。
三本の足を持つ獣。
「あの子は時々私の家に来てくれるの。今日あったのはたまたまだと思う」
「あのカラスも神だったりするのか?」
「ううん、あの子、自分は神じゃないって言ってた。それなのに『神はこうあるべき!』とか色々言ってくるの!」
ぷりぷりとかわいらしく怒る。
「なるほど……」
となるとあのカラスは八咫烏ではない。
神性がないわけではなないだろうが、神ではくとも神性を持つ存在は世界に遍在している。
ハクをはじめとした竜と言われる種族もそうだ。
そして術者の中には、人の身のまま神性を得た、人と神の境界を行く存在さえいるという。
それは噂でしかないが、そういったものがまことしやかにささやかれる程度には神性を持つ生物、存在は術者の近くにいる。
神となると話は別だが。
「あいつみたいなの、この世界にほかにいるのか?」
神ではないにせよ、知性を持つ存在。
正確な広さまではわからないが、それなりの広さを持つこの世界に、あのカラス以外のそういった存在がいてもおかしくはない。
「ううん、いないよ」
首を横に振り、少し寂し気に目を落とす。
「だからずっと、お話しする相手がいなかったんだ」
その言葉で、タイヨウは師匠の言ったことを思い出した。
「俺の友人がずっと前に死んじまってな」
話相手がいないとエペレは言った。
この夢の世界で最初に在ったあの家族はエペレとその両親の過去の姿だったのだろう。
そしておそらく、その両親はこの世にはいない。
一人の時間はどれほど長かったのだろう。
その寂しさはどれほど深かったのだろう。
「お父さんとお母さんはしばらくどこか行っちゃったみたいなの」
その視線は地を捉えているが見えているものは、きっと別のものだ。
「もう、帰ってこないのかな……」
ポツリと、言葉を漏らす。
それが意味するのは、死を知らないという事実。
あの師匠が無意味な嘘をつくとは思えない。
「あのカラスさんがね、時々お父さんたちが今何してるかって教えてくれるんだけど」
「……カラスはなんて?」
「ここじゃないどこか遠いところで、なにか大事なことしてるんだって」
いじけたように言う。
そのカラスがどういう存在かは、まだはっきりしない。
ただ、数時間前、タイヨウを吹き飛ばしたのは、大切なものを守ろうという姿勢だった。
何かの意図があの大烏にはあるのだろう。
「なら元気にやってんじゃねぇのか?きっとそれは大切なことなんだろ。親父さんたちにとっても、エペレにとっても」
タイヨウにその思いは壊せない。
「……タイヨウもそう思う?」
少し上目がちに、ほんの少し、恐る恐る。
エペレは確かめる。
「あぁ、きっとな」
それは、たぶん嘘だ。
心が痛む。
純粋無垢な存在に、こんな嘘をつかなければいけないという状況に。
そしてその嘘はいつか必ずタイヨウの前に現れる。
そんな単純なことをわかっていても。
「ホント?」
その笑みから哀しみをなくしたかった。
「おう」
この痛みを、人は罪悪感と呼ぶのだろう。
「そっか」
満足、とは少しちがうかもしれないが、その顔によく似合う笑みを、エペレは浮かべていた。
「ねぇ、タイヨウ」
「ん?なんだ?」
「タイヨウのお父さんとお母さんってどんな人?」
「あー……知らない」
それはとても自然な問いだ。
自分の親を思い出した。
なら、相手の親はどうか、というそれだけの問い。
「え……?」
「覚えてるときにはもういなかったんだよ」
その言葉に、エペレがはっと顔をゆがませる。
「ごめんなさい……」
「いいよ、親はいなかったけど寂しくはなかったしな」
「えと……どうして?」
「家族の血はつながってねぇけど、そう呼べるやつがいたからな」
最近あまり会ってないその顔を思い出す。
元気にやっているだろうか。
「どんな人なの?」
「どんなっつうと……やかましいやつだよ。ほっといたらずーっとしゃべってるようなやつ」
「へぇ……ねぇ、いつか私も会えるかな?」
身を乗り出し、目を煌めかせ、エペレが聞いてくる。
不意に詰められた距離に思わず心臓がはねる。
「いつかな、いつか」
「じゃぁ約束してくれる?」
右手の小指をエペレは突き出す。
「おう」
小指を合わせる。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたらはりせんぼんのーます」
ゆーびきった、と。
小指を離す。
「お母さんがね、教えてくれたんだ。指切り」
嬉しそうに小指を見つめる。
その喜びにタイヨウは見覚えがあった。
脳裏に浮かぶのは白い竜、ハクだ。
少女の姿をした竜も、指切りをして喜んでいた。
神性の高い生き物は約束が好きなのだろうか。
そう思ったときに、ふと視界がぶれた。
見ると、身体の輪郭が揺らいでいる。
「何だこれ……時間切れか?」
身体がどこかに吸い込まれていく感覚。
「ッ」
エペレが手をのばす。
「タイヨウ!またお話しできるよね?!」
少し悲痛をにじませた、願いのような問い。
その手に答えながら
「大丈夫だ、すぐ会える」
タイヨウは夢の世界を去った。
次に見えたのは“城”の中の風景だ。
白い光の筋と、ところどころに浮かぶ符。
「痕は特に変化なし……と」
右手の痕は夢にとぶ前と変わらず、残っていた。
「……結局神器がどこにあるのかわからなかったな」
なんにせよ、今日は疲れた、と。
タイヨウは家のベッドへ歩き出した。




