【第5話】
目の前でネオ・東京のトップが【DOF】を飲むと、状況が変わった。
「ねえリヴ君さ」
「はい」
「お前さんのところの上司が、一体どんな【OD】か知らない?」
「噂程度なら知ってますよ。眠れる森の美女の魔女だったかと思います」
「ああ、フェアリー・ゴッドマザーだっけな。俺も映画で知っただけだけど」
メキメキ、という音を聞きながら目の前で膨張する何かをただ見つめるユーシアとリヴ。
暗闇の中でただゴトバガワラ・トシオミのいた箇所だけが変化する。ブルドッグみたいな顔をしたおっさんの身体が内側から膨張して、スーツが弾け飛び、何やらツヤツヤとした光沢のある身体に変わっていく。
かと思えば、それは見る間に巨大化していく。部屋に収まりきらず、天井が軋んだ音を奏でていた。次の瞬間には天井を突き破り、暗闇の中に瓦礫の雨が降り注いできたので、ユーシアとリヴは慌てて出入り口まで引き返す。
「ちょっと本当にこれ規格外じゃない? 本当にあの人って【OD】なの?」
「【OD】ですよ。【DOF】を飲んでいたでしょう」
「あれ本当に【DOF】だった? ユーリさんが作るような阿呆の薬じゃないの?」
ユーシアは、ゴトバガワラ・トシオミが服用した緑色の液体が【DOF】ではないと疑っていた。知り合いの【DOF】調合屋であるユーリカが金稼ぎ目的で好事家に販売する魔法のお薬の類かと思ったが、どうやらリヴが言うには立派な【DOF】らしい。俄かに信じられない。
そんな現実逃避も虚しく、ガラガラと雨霰の如く降り注いでくる瓦礫の数々が背後に容赦なく叩きつけられて耳障りな音を立てる。ヒイヒイと肩で息をしながらユーシアはリヴの背中を何とか追いかけて階段を駆け上がり、明るい場所に飛び込んだ。
直後に、今まで地下に伸びていた階段が瓦礫によって塞がれる。建物全体も揺れており、天井が悲鳴を上げていた。このまま建物内に留まれば、今度は崩落事故に巻き込まれそうである。
逃げなければならないというのは頭では理解しているものの、ユーシアの身体が追いつかなかった。
「も、無理……ヒィ……」
「相変わらず体力がないですね、シア先輩。少しは運動不足の解消でランニングでもしたらどうです?」
「生産性のない労働はお断りだよ……」
「それなら運動不足が祟って、いつか早死にしますよ。メタボリック症候群まっしぐらですね、おめでとうございます」
「誰が無自覚デブだって言いたいの?」
「えげつない表現をしてきますね、シア先輩。メタボのことをそう呼んでるんですか? 僕よりも言葉のナイフが鋭すぎません?」
その場でヘナヘナと座り込んだユーシアに、リヴが辛辣な言葉を浴びせてくる。疲労の苛立ちでユーシアも負けじと言い返すも、相手には何も響いていない様子だ。
座り込んだ床から建物が非常に危険な状況であることは判断できるが、今まで階段を駆け上がった影響が膝に出てき始めていた。ぶっちゃけ言うと立てないのである。頭では「逃げなきゃ」と促しているものの、足に力すら入らない。もう少しだけ時間がほしい。
リヴはやれやれと言わんばかりに肩を竦め、
「仕方がないですね、ほらとっとと立ってください」
「あー……」
首根っこを引っ掴まれて、無理やり起立させられるユーシア。呆れた表情のリヴの顔が、視線を下げた先にあった。
「行きますよ」
「現実逃避しちゃダメかな」
「ダメですね」
「ダメかぁ……」
ユーシアはため息を吐くと、ずっしりと重たいライフルケースを背負い直した。ライフルケースに括り付けたベルトが肩に食い込んで痛い。この痛みがユーシアを現実に引き戻す要素であった。
リヴの背中を追いかけるようにして国立議会所の廊下を駆け抜け、それからグラグラと揺れる建物から脱出する。脱出した途端に盛大な音を立てて崩落する、という最悪の事態は起きなかった。代わりに夜空を背景にして黒色の怪物が頭を覗かせていた。
巨大な頭部にキリンの如く伸びた長い首、ツヤツヤと輝く表面は紛れもなく爬虫類の鱗である。見上げるほどの巨躯の割には両腕は小さく、身体の両脇からちょこんと突き出しているのみだ。長い尻尾を振り回すと建物が呆気なく破壊され、夜空を覆い隠さんばかりに広げられた翼は立派なものだ。
大きく裂けた口から生え揃ったものは、細かい牙の群れである。肉食獣に相応しい、見事すぎる歯だった。
「どこからどう見てもドラゴンだよねぇ!?」
「フェアリーゴッドマザーって、ドラゴンに変身しませんでしたっけ」
「あれは映画の中のフィクションなんじゃないのかな!? 本当の『眠れる森の美女』はこんな敵なんていなかったよ!?」
ユーシアの知る『眠れる森の美女』の童話は、お姫様が呪いをかけられて100年ほどばかり眠っていたところに王子様が目を覚まさせてくれたという内容だ。その中に登場する敵役の魔女は、お姫様に糸車の呪いをかけた。「糸車に触れれば死に至る」みたいなことを言っていたが。
だいぶ脚色された映画が公開された当時はユーシアも観た記憶はあるものの、あれにドラゴンに変身するようなシーンはなかった。いやあったかもしれない。もう記憶にない。
そんな訳で、ネオ・東京の日本国大統領であらせられるゴトバガワラ・トシオミは見事にドラゴンへの変身を果たしましたとさ。
「夢なら覚めて!!」
「引っ叩きます?」
「ぶん殴るよ、リヴ君。現実逃避ぐらいさせてよ!!」
ユーシアは悲鳴を上げる。こんな状況で悲鳴を上げない方がおかしい。
「矮小な【OD】の貴様らなど、丸呑みにしてくれよう」
高みから睥睨するドラゴンが、唸るような低声で言う。
足先から血の気が失せていくような気がした。
ここはファンタジーの世界でもなければ、剣と魔法の世界でもないのだ。科学技術と【DOF】などと呼ばれる魔法のお薬が蔓延る世界で、ドラゴンと戦うとか本当に何を考えているのか。悪夢と呼ぶ方がまだマシである。
ユーシアが本気で死を覚悟したその時、ドラゴンの側頭部を砲弾がぶっ叩く。
『何だァ!? 効かねえぞコイツ!!』
「ラインバーツ少佐、まだ生きてたの?」
『助けてやったのに何だその言い草ァ!!』
戦車を操るヘルエストがマイク越しに胴間声で叫ぶ。
しかし、戦車の砲弾を受けてもドラゴンには傷ひとつなかった。ギロリと爬虫類特有の瞳で睨みつけられると、戦車はすごすごと撤退する。
かつて革命戦争では敵兵である【OD】を轢き潰して殺したはずの軍人様が、ドラゴンを相手に尻尾を巻いて逃走するとは笑える。出来ればユーシアだって逃げたい。
「おい逃げるな少佐ァ!!」
『だって弾がねえんだよ、他の装備も心許ねえし。ちょっと補充してくるから待ってろ』
「それ絶対言い訳だよねぇ!?」
言い訳をマイク越しにぶち撒けるとは、やはりあの軍人様は情けない。これで生きて帰ったら鼻で笑ってやろうと心に決める。
それなら奴を倒さなければいけないのは明白だ。何が通用するか知らないが、やるしかない。もしも相討ちでもいいから倒せたら、地獄の旅路の手土産にでもしてやる。
ユーシアは純白の狙撃銃をライフルケースから取り出しつつ、
「ねえ、銀製の弾丸とか効くかな」
「どうでしょう。ドラゴンですし」
「妖精は金属とか嫌いって聞いてたけどさぁ」
薬室に装填したのは銀製の弾丸だ。ユーリカから「何か特殊な【OD】と戦う時に使えるぞ」という理由で大量に押し付けられたのだ。要は不良在庫を押し付けられた訳である。
普通の弾丸が通用しない場合は弾代も馬鹿にならないので、どうせなら不良在庫を消費してやろう。こんなものを持って死にたくない。
純白の狙撃銃を構えたユーシアは、巨大なドラゴンに狙いを定めて引き金を引く。
「ぎゃあああッ!!」
銀製の弾丸は、ドラゴンの眉間に突き刺さった。こんな時でも眉間を狙えるとは狙撃手としての職業病は恐ろしい。
弾かれると思った弾丸は、見事に突き刺さって血潮を飛び散らせる。痛そうに身をくねらせる巨大なドラゴンに、ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせた。
これは、もしかして使えるのでは?
「リヴ君」
「シア先輩」
「「よし殺そう」」
2人の悪党は、その称号に恥じぬ悪い笑みを見せた。




