【第4話】
リヴが向かった先は、薄暗い廊下の行き止まりである。
「リヴ君、そっちに道はないよ」
「浅はかですね、シア先輩。『想像力を働かせましょう』と言ったはずですが?」
「むかつくなぁ」
ユーシアは黒い煙草を咥え、舌打ちを堪える。
真っ黒てるてる坊主に先導されてやってきた場所は、明かりの途絶えた薄暗い廊下である。壁の両側には絵画が飾られており、闇の中に浮かび上がるそれらはどこか不気味だ。この場所に来る前にも同じような廊下を通ってきたので、また絵画のどこかに開閉用のレバーが隠されているのだろう。
そう予想をつけていた矢先のこと、廊下の先が塞がれた状態でユーシアとリヴの2人を待ち構えていたのだ。曲がり角もないのでどう足掻いてもこの先に進むことは出来ないと示唆されている。この状況でやれることと言えば、来た道を引き返すことぐらいだろう。
「別の道はないの?」
「この道しかないですね」
「道順を知ってるリヴ君が来たから慌てて道を隠したとか?」
「そんな馬鹿なことをしますかね」
「面倒だから対物狙撃銃でぶち破ってもいいんだけど、こっちは」
「ここは日本ですよ。隠し扉ぐらいあるってことをご存知ではないですか?」
リヴは迷いのない足取りで、廊下の先を塞ぐ壁の前に立つ。
のっぺりした壁の表面に手のひらを乗せ、彼はグッと腕に力を込めた。壁の一部が凹み、それがスイッチとなったのかパネルのようなものが出現した。なるほど、随分と現代的な隠し扉である。
パネルに表示されたキーボードに指を滑らせるリヴだが、
「あ」
「うわ恥ずかしい」
「うるさいですね」
パスワードの入力を間違えたのだろう、パネルの小さな液晶画面には『パスワードが違います』と表示された。大事な場面でこれは随分と恥ずかしい。
ユーシアが揶揄うとリヴは忌々しげな視線を寄越してきた。大事な局面でパスワードを間違えるという初歩的なミスをやらかしたのだ。このいつでも涼しげな表情と態度を崩さない相棒でも、そんな恥ずかしいことをやらかすのかとユーシアはちょっと嬉しくなってしまう。
気を取り直してリヴは再びパスワードをキーボードで入力する。無機質な電子音が暗い廊下に響き渡り、それからビビッという拒絶するような音が続いた。どうやらまたパスワードの入力ミスが発覚したようである。
「リヴ君、しっかりしてよ。ミスタイプなんて疲れてるの?」
「その口を塞がれたくなければ黙っていてもらえませんかね」
「嫌だね。いつもは茶化してくるリヴ君の面白い光景が見れるんだから、ここはもう全力で茶化さないと」
ユーシアは「あ」と思い出したように言い、スマートフォンを取り出す。起動したのはカメラアプリだ。
「ほらリヴ君頑張って、お前さんの痴態は全部記録してあげるから」
「この野郎、夜這いをかけてやりますからね」
「それで『殺す』という考えに至らないのは何でかな」
「ここで殺すには惜しい人材だからですかね。狙撃なんてチマチマしたことは僕には到底真似できませんので」
「俺がお前さんを揶揄ったからご機嫌斜めか?」
狙撃のことを『チマチマした』とか表現されたのは初めてかもしれない。どこかで言われたことはあったとしても、記憶に残らなければこれが第1回目だ。
リヴは「全くもう」などとぶつぶつ文句を言いながら、三度目の正直を目論んで再びキーボードに向かう。今度は慎重な指運びでキーボードを叩いていき、記憶にあるパスワードを的確に入力していく。
しかし、全て入力し終えてから聞こえてきたのはビビッという拒絶するような電子音。小さめの液晶画面には『3回間違えましたのでロックがかかります。解除まで23:59:58』とご丁寧にも閉鎖されている時間まで表示された。よくあるパターンである。
「なるほど、パスワードが変更されていますか。こういうところは律儀ですね」
「こんな場所のパスワードってさ、そんな頻繁に変えるものなの?」
「頻繁に変更しないとこうしてあっさり通過してしまう馬鹿野郎がいますからね。使い回すのはよくないですよ」
「リヴ君はその馬鹿野郎の1人じゃん。しれっとしてるけどさぁ」
何をキメ顔で「パスワードを使い回すのはよくない」など言っているのだろうか。その使い回されたパスワードで、今まさに敵陣地の重要拠点を突破しようとしていたのに。
液晶画面に表示されている時間は、ゆっくりとその数字を減らしていく。見えない扉のロックが解除されるのは24時間後の様子だ。この部屋に閉じ込められた人間は丸1日はここから出られない計算になる。まあ隠し通路ぐらいは用意しているだろうが。
とはいえ、ここで律儀に24時間も待つような愚かな悪党は存在しない。
「シア先輩」
リヴが真っ黒なレインコートの裾を持ち上げる。
さながら舞踏会で王子様相手にダンスパートナーを申し込むお姫様の如く、指先で摘まれたレインコートの裾からゴトンと音を立てて一抱え以上の箱が落ちてくる。ユーシアの対物狙撃銃が収められたライフルケースだった。
これを取り出してきたということは、この壁を壊せということだろう。まあ、壊せば突破は容易い。
ユーシアはライフルケースの蓋を開け、中から純白の対物狙撃銃を取り出す。冷たい銃把に頬を寄せ、
「ファイヤー」
「いえーい」
引き金を引く。
薬室に込められた弾丸が射出され、隠し扉を破壊する。パスワードで管理されているぐらいなら防御も強固なものだと思っていたが、対物狙撃銃の弾丸1発で隠し扉が吹き飛んでいた。
あの小さなパネルが埋め込まれていた壁にはポッカリと穴が空き、その向こうには果ての見えない闇が顔を覗かせる。よく目を凝らすと、地下に向けて階段が伸びていた。
「暗ぁ」
「転げ落ちないでくださいよ。狭いんで僕まで巻き込まれますから」
「わざと転げ落ちてやろうかな」
「そうなったら回避しますのでご安心を」
「どこが?」
そんな軽口の応酬を経て、リヴはユーシアに振り返る。
「行きましょう」
☆
地の底まで落ちるような、長い長い階段。
カツンコツン、と2人分の足音が落ちるのみ。先を見通すのもやっとの中、ただ静かに進んでいくのみ。
やがて前後左右すらも曖昧になる深淵に辿り着き、ユーシアとリヴを暗闇の主が出迎えた。
「ようやくここまで辿り着いたか。待っていたぞ」
その声は、威厳に溢れていた。
例えるならば、数多の人類の頂点に立つ王様のようである。深みがあり、落ち着き払っており、それでいて精神的にどこかむかつく声音だ。
ぼう、と暗闇に誰かの姿が浮かび上がる。
「久しいな、織部理央。――いいや、今はリヴ・オーリオだったか?」
ユーシアとリヴの前に現れたのは、スーツ姿の壮年の男だった。
暗闇の中に溶け込む黒髪を整髪剤で後頭部に撫で付け、顔中には年齢を感じさせる皺が刻み込まれて、極め付けには頬がまるでブルドッグのように垂れ落ちている。分厚いレンズの眼鏡をかけ、小さな黒曜石の瞳がユーシアとリヴを真っ向から見据えている。
ピンと伸びた背筋は、本人からすれば威張っている風には見えないのだろう。何故かその姿勢は悪党にとっては嫌味ったらしく思えてくる。国立議会所で演説をしている姿も何度か写真で見かけたことがある。
日本国大統領、ゴトバガワラ・トシオミだった。
「…………織部理央ってどなた?」
「僕ですが」
聞き覚えのない人名が出てきたので相棒に問い掛ければ、しれっと彼はそんな答えを返してきた。
驚きである。今までリヴは偽物の名前を使っていたのだ。というかどこかで聞いたことのある名前だが、それは今この状況では思い出すことが出来ない。
驚くユーシアをよそに、リヴは「どうも」と挨拶を返す。
「殺しにきましたよ」
「お前ならそうするだろうと思っていた」
ふん、とブルドッグ野郎は鼻を鳴らす。
「他人のことを考えず、自分の快楽のみを優先する駄犬め。飼い主の元から勝手にいなくなったかと思えば、今度は野良犬を一緒に連れて飼い主の手を噛みにくるとはな」
そう言って、ブルドッグ野郎はスーツの上着から何か小瓶のようなものを取り出した。小瓶に揺れている液体は緑色をしており、前後左右すら曖昧にする暗闇の中にはっきりと浮かび上がっている。
まさかとは思うが、この局面で取り出してくるものは分かっていた。
投与すればおとぎ話にちなんだ異能力を獲得できる魔法のお薬――【DOF】である。この【DOF】が廃絶されたクリーンなネオ・東京の街中で、まさかのトップが【OD】だとは笑えてくる。
「どちらが格上か、教えてやろう」
ブルドッグ野郎――ゴトバガワラ・トシオミは小瓶に詰め込まれた【DOF】を一気に飲み込んだのだった。




