【第2話】
ユーシアが悲鳴を上げるのに疲れた頃、周囲の景色が変わった。
「……? 静か……」
「そうですね。ここは日本の政治関係の主要区画なので」
タクシーをスイスイと運転するリヴは、窓の外に一瞥をくれてやるだけだった。
後部座席にしがみつくユーシアも何とか周囲の様子を確認する。あまりにも静かすぎるし、それに加えて暗すぎるのだ。等間隔に配置された街灯にさえ明かりが灯っていない。
暗闇の中に沈んでいるのは、墓石を想起させる背の高い建物ばかりだ。『日本の政治関係の主要区画』と言っていたので、なるほど確かにクソ真面目でお堅い印象のある建物ばかりと言えようか。ビル内に足を踏み入れれば遊園地が広がってましたなんてオチはファンタジーである。
通行人すら皆無な外の気配に視線を巡らせ、ユーシアは「うへえ」と顔を顰めた。
「幽霊でも出そう」
「この辺りは警備が厳しいですよ。立ち止まっただけで職務質問とかされます」
「口振りが経験者なんだけど、何度か職務質問とかされた?」
「そりゃあ、この格好ですからね」
「諜報員時代からその格好は現役だったの?」
確かに真っ黒なレインコートで全身を覆い隠した邪悪なてるてる坊主など、立ち止まっただけで職務質問はされかねない。警備が厳しいと言われているこの場所だけではなく、ネオ・東京全体――いや他の場所でも職務質問をされそうだ。怪しさだけで言えばリヴは100点満点である。
運転しながら、リヴは「さすがに冗談ですよ」なんて笑い飛ばすが、信用できない。先程の声色は冗談を言う雰囲気ではなかった。そもそも出かける際もまともな洋服を着ずに真っ黒なレインコートを着て行こうとする阿呆である、レインコートの件に関して信用は出来ない。
暗闇の中を煌々と輝く赤信号を平然と無視するリヴの背中を眺めながら、ユーシアは何とはなしに暗闇の中へ視線を戻す。墓石のような建物が連なるつまらない景色を見ていると、
「…………」
「気づきます?」
「まあね」
リヴの質問に、ユーシアは簡素に答える。
首の辺りに触れるチリチリとした感覚に、思わず呼吸を止めてしまいそうになる。驚きのあまり息を止めるものではなく、狙撃手として獲物を狙う際に呼吸を最小限にしなければならないというユーシアの中での意識が自然と湧き上がってきた。
狙われているのだ、このタクシーが。真っ暗な闇に支配されたこの空間をさすがに無点灯で走行するのは危険だと感じているのか、リヴもタクシーのライトをつけている。暗闇を引き裂くようなヘッドライトの強烈な白が、潜む何者かの目印になっている。
純白の狙撃銃を抱え直したユーシアは、照準器を暗示用のものに取り換えながら言う。視線は暗い窓の向こうに固定したままだ。
「こっちも狙う? 狙おうと思えばやれるけど」
「弾代の無駄ですよ。雑魚を相手にしていても仕方がありません」
ハンドルを握りしめながら、リヴはいつもの調子で応じた。
すると、車のライトで照らした前方の車道に黒い影がふらりとした足取りで割り込んできた。酔っ払いのような千鳥足でふらふらと、リヴの運転する車の前に躍り出る。
リヴはブレーキを踏むことなく、その千鳥足で車道に入り込んできた黒い影を撥ね飛ばした。ドンと車内を揺るがす衝撃。撥ねられた影響で黒い影は宙を舞い、コンクリートの地面に叩きつけられて転がる。転がった場所がタクシーの進行方向上だったので、リヴは丁寧に再度轢き潰していた。
「バックしまーす」
「3回目だよ」
「丁寧に轢いておいて損はないですよ」
轢き逃げでもするかと思いきや、リヴはさらにレバーを切り替えて車をバックさせる。物凄い勢いで後ろに退がり、後輪でも丁寧に轢いていた。足元で何か大きな荷物に乗り上げるような感覚があった。
3回も轢かれることになった黒い影は、コンクリートの上で倒れたまま動かない。扉の消失したタクシーの後部座席から落下しないように身を乗り出して後方を確認すると、僅かな明かりに照らされる位置にコンクリートに赤い液体がベットリとこびりついているのが見えた。
すると、
――ちゅいんッ!!
タクシーの後部座席から身を乗り出したユーシアを狙ったものか、闇の中から飛来した弾丸がコンクリートを掠めて火花を散らせる。
慌てたように身体を車内に引っ込め、純白の狙撃銃を構える。暗視用の照準器を覗き込むと、すぐ側のビルに人影を確認できた。暗闇の中に沈む狙撃銃を構えており、銃口は真っ直ぐにユーシアたちへと向けられていた。
すぐに応戦しようかと思うも、運転席のリヴに「止めた方がいいですよ」と制されてしまう。前方を睨みつけるリヴだが、視線がバックミラーなどに移動したりと忙しない。窓の向こうに広がる暗闇を探るように、彼は視線を巡らせている。
その理由がようやく分かった。止まったタクシーを取り囲むように、数人の人が立っているのだ。よく見れば、先程轢いたばかりの黒い影もふらふらとした足取りで立ち上がっている。
「何この人たち。まさか全員【OD】って訳?」
「そのまさかですよ」
「分かるもの? まだ異能力を使われていないのに」
「分かりますよ」
リヴはハンドルから手を離すと、
「だってここはすでに、僕の前の職場の領域ですからね」
「……つまり日本国大統領直属の諜報機関の『カゲロウ』だっけ?」
「ご名答です。よくご存知でしたね」
つまりは、周囲に立っている彼らはリヴの元同僚かあとに入ってきた後輩ということになる。
この【OD】を完全に排除した空間でも平気でいられるということは、彼らだけは例外的な存在なのか、そもそも表通りが大変な目に遭っているからようやく外の世界に出てこられたのかの2択が考えられる。おそらく前者だろう。日本国大統領ならば自身の保有する諜報機関の諜報員を除いた【OD】を仕留めるようにシステムを作り上げるはずだ。
純白の狙撃銃と一緒に、ユーシアは懐から自動拳銃を引っ張り出す。まだ残弾数はある。
「敵の懐に入り込んで、こんな寒気を覚えたのは初めてかもしれないな」
「『革命戦争』の時には感じなかったんですか?」
「感じる訳ないでしょ。俺は狙撃手だよ、後方支援が主な仕事なの」
軽口の応酬を繰り広げていると、轢かれたあの黒い影が滑るように移動して後部座席の開きっぱなしになっている扉部分に取り付いた。節くれだった指先が枠組みを掴み、ぬうっと顔面を車内に押し込んでくる。
額や頬に血の跡が残る、中年の男だった。傷が回復している。おそらく歌うことによって傷の治癒が可能なラプンツェルの【OD】だろう。この異能力は非常に厄介なことであると、ユーシアは身を以て知っている。
純白の狙撃銃を槍のように持ち直したユーシアは、その銃身部分を男の喉元めがけて突き出した。男の口からくぐもった悲鳴が漏れる。
「おっさんとキスをするような趣味はないよ、バーカ!!」
「自分もおっさんじゃないですか」
「うるさいな!!」
コンクリートの地面に仰向けで倒れ込んだ中年の男に自動拳銃を突きつけ、特に何も考えることなく引き金を引く。夜の闇の中を銃声が轟き、銃弾が今まさに起き上がろうとしていた男の眉間に突き刺さった。すぐさまいびきが聞こえてくる。
自動拳銃を後部座席に放り出し、ユーシアは純白の狙撃銃を構える。暗視用の照準器を覗き込み、こちらを狙う敵狙撃手に獲物を定める。相手が息を呑んだのも束の間、すぐに引き金にかけた人差し指を屈伸させた。
銃口が火を吹き、銃弾が射出される。放たれた弾丸は墓石のように聳え立つ建物の窓ガラスに突き刺さり、その向こうに控えていた敵狙撃手の眉間を正確にぶっ叩いた。傷つけることはないが、心地よい眠りは届けられたことだろう。
「リヴ君、出して!!」
「やっぱり最高ですね、僕の相棒様は!! こうでなくちゃ!!」
弾んだ声を上げるリヴは、ハンドルを力強く握り直してアクセルペダルを踏みつける。風のように発進したタクシーは進路を邪魔していた元同僚の諜報員たちを撥ね、夜の闇の中を駆け抜けていった。




