【第9話】
戻ってきて早々にネアから熱い抱擁を受ける羽目になった。
「おかえり!!」
「おげえッ、くッ、首がッ」
空を飛べる【OD】だからか、ユーシアの頭めがけて勢いよくすっ飛んでくるネア。おかげで彼女の身体を受け止めた際の衝撃が首に集中し、あわや取れるかと思った。
ついでに言えば、彼女の年相応に発達した膨らみもグイグイと遠慮なく押し付けられてくる。よほど怖かったのは理解できるが、だからと言って淑女にあるまじき行動はどうかと思う。
ユーシアは引っ付いてくるネアを慎重な手つきで引き剥がし、
「ネアちゃん、淑女にあるまじき行動だよ。お兄ちゃんはこれでも男の人なんだからね、男の人はみんな狼なんだよ」
「ごほーび!!」
引き剥がされたネアは、ふんふんと興奮気味に叫ぶ。
「ねあは、ごほーびがほしいです!!」
「お仕事頑張ったから?」
「うん!!」
確かに、ネアはドローン的な役割の為に空から頑張ってくれた。そしてその後の銃撃戦も怖かったろうに、逃げずに耐えたのだ。幼児退行した彼女からすれば十分に頑張ったと評価できる仕事ぶりである。
彼女の腰に括り付けられたリードの先端を持つスノウリリィも「ネアさん、頑張りましたもんね」と評価してくれる。これはご褒美をあげなければお姫様は永遠に拗ねることだろう。
肩を竦めたユーシアは、
「分かった分かった、ご褒美は何がいいの?」
「ぱんけーき!!」
「パンケーキ?」
「ちゃんと、おにーちゃんがやいたの!!」
「はいはい」
お姫様が頑張ったご褒美として、ユーシアの手製のパンケーキをご所望の様子である。『トーキョー・ステーション』に帰還を果たしたところでまずは材料探しなのだが、パンケーキの材料はあっただろうか。加えてパンケーキを焼く為の設備も心配である。
まあ、期待を裏切るような真似はしたくないので、ユーシアも出来る限りは努力するつもりだ。頑張ったネアの努力に報いるべきである。
すると、
「ィよう、死神ィ。ネオ・東京発電所を落としたか?」
「どうも、ラインバーツ少佐。おめおめ逃げ帰ってくることなんてないよ」
戦車から降りてきたヘルエストが、熊みたいな強面に笑みを乗せる。まだ彼の存在に慣れないのか、ネアが「ぴゃ」と甲高い悲鳴を漏らしてスノウリリィの背後に隠れてしまった。
「どうにも、そのお嬢ちゃんには嫌われてるみてえだな」
「慣れてないだけだよ。あと顔が怖いんじゃない?」
「酷え!?」
「事実でしょ。身長高いし、熊みたいじゃん。食べられちゃうとでも思われてるんじゃないの?」
「食べねえよ!?」
ネアに怖がられていると悟ったヘルエストは、しょんぼりと肩を落としていた。可哀想だが、面白いので助け舟は出さないでおこうと決める。どうせネアのことだから、見慣れたら自分で話しかけに行くぐらいはするだろう。
ユーシアは懐から【DOF】の箱を取り出し、黒い煙草を咥える。安物のライターで火を灯し、久しぶりの紫煙を肺いっぱいに取り込んだ。
潜入時は【OD】であることがバレれば即処刑される恐れがあった。だから迂闊に【DOF】の箱を取り出すことが出来なかったので、ようやく安心して【DOF】を吸う環境に戻って来れてよかった。出来れば二度と潜入任務はやりたくない。
「で? 何よ、ラインバーツ少佐殿。冷やかしにでも来たの?」
「いンや、これからのことだな」
ヘルエストが、闇の中でも輝きを失わない琥珀色の双眸を遠くに向ける。
その先に建っているのは、海面上にポツンと佇む建物――ネオ・東京発電所だ。あの警備兵は残らず殺してしまったので、今やあの重要設備は【OD】のものである。インフラ設備を敵に奪われるなど、ネオ・東京は随分と間抜けだ。
ただ、奪ったのはいいが問題はある。あの場所を警備しなければならないのだ。拠点から離れているし、わざわざ海の上をゴムボートで移動する手間もあるので頻繁に警備兵を交代することは出来ないだろう。世界的に【OD】も増えているが、ここでは同じ数だけ殺されている可能性も否めない。
煙草を吸いながら、ユーシアは嫌そうに顔を顰める。
「俺は嫌だからね、あんな場所の警備なんて。娯楽なんて何もないし、退屈ったらありゃしない」
「あそこの警備は他のコミュニティーと、ウチから裸の王様の【OD】を出すことに決定したとボスが言ってた。だからテメェが配属されることはねえよ」
「うわマジか」
ユーシアは反応に困った。笑っていいものかどうかも分からない。
陥落したネオ・東京発電所に配属される警備兵は、まさかの裸の王様の【OD】である。いや確かに連中は【OD】の中でも特に秀でた防御力を兼ね備えている。拠点防衛を任せるのであればこれ以上ないほどの逸材だ。
ただし、裸の王様の【OD】は脱げば脱ぐほど防御力が上がる仕組みである。全裸になれば最強だ。つまりあのネオ・東京発電所は全裸祭りを年中無休で開催する変態会場と成り果てるのだ。
絶対に近づかないと心に決めたユーシアは、
「あっそ、俺たちは帰るから。あとは頼んだよ」
「おう」
「あとあの設備、【OD】を燃やした熱で発電してたんだってさ。死体でもいいならネオ・東京軍の警備兵を残してきたし、燃やせば?」
「おいちょっと待て、それどういう意味だ? おいコラ!?」
背後からヘルエストが何事か叫んでいたが、ユーシアは気にせず乗ってきた車を目指すのだった。もう疲れているので頭を使うような会話はしたくない。
☆
「息が詰まるかと思った」
「そうですね」
「リヴ君はいつのまに着替えたの?」
拠点に戻る道すがら、伽藍とした夜の高速道路を1台の車が風を切って走っていく。
運転しているのはもちろんリヴだ。ユーシアは助手席で眠気を払うように欠伸をする。ネアも今日は疲れたようで、車に揺られているうちにスノウリリィの肩を枕にして眠っていた。
ハンドルを握るリヴの姿は、ネオ・東京軍の軍服からいつもの真っ黒なレインコートに変わっていた。知らない間に着替え終えていたらしい。とっととこの軍服を脱ぎたいユーシアから見れば、自分の着替えを縮めて隠し持っておけるなど羨ましいことこの上ない。
ユーシアは軍服の襟元を緩めながら、
「リヴ君、俺の服は?」
「ないですね」
「何でよ」
「持ってきてないからですね」
「持ってきておいてよ、そこは。何で自分だけ」
「どうせコートしか特徴がないんだからいいじゃないですか、あろうがなかろうが」
「酷い言いようだな」
リヴは慣れた手つきでハンドルを操作しながら、
「それにしても、インフラ設備を陥落させたら次はどうするんでしょうね。ネオ・東京を攻めてみますか?」
「そうだな、ネットを断ち切ったら今度はこっちが危ないもんなぁ」
ユーシアは車の窓を開け、真っ黒な煙草の箱を取り出す。リヴが嫌煙家なので、窓を開けて換気しなければ喫煙を許してくれないのだ。実際、今もちょっと表情が嫌そうである。
さて。
次なる手はどうしたものか。インフラ設備を奪い取った現在、次に狙える手段はどうするか。
「一般人かな」
「一般人ですか」
「【DOF】を流行らせてあげよう。ネオ・東京の路地裏なんかにたむろしてる不良たちに【DOF】を無理矢理にでも飲ませて広めて、ネオ・東京の内部で【OD】を増やそうか」
【OD】を増やせる手段はいくらでもあるが、可能であれば三匹の子豚の【OD】がいれば容易になる。彼らの作り出すお菓子は一般人には強烈な依存性を引き出すので、【OD】を作り出すには最適な手段と言えようか。
そうでなくても、お菓子型の【DOF】に整えるのも調合の知識を持つユーリカたちなら可能だろう。やりようはいくらでもある。インフラ設備を整えて、次に一般人を人質に取ってネオ・東京を陥落させようか。
世界が壊れていく様を見るのは、楽しい。至上の娯楽だ。
「一般人を救った英雄様が、今や世界の破滅を望む死神様ですか」
「何よリヴ君、そういうのは嫌い?」
「いいえ、最高です」
正面から視線を外したリヴは、口の端を持ち上げて笑う。
「だからアンタの隣にいるのは飽きないんです」




