【第5話】
『ッたく、こんな若え連中も辺鄙な孤島の餌食になっちまうなんてな。可哀想に』
長い長い廊下は静謐に満たされており、酔っ払った中年男性の声が静寂を破る。
ユーシアとリヴは現在、酔っ払いから施設案内を受けている最中だった。
と言っても、施設案内とはいえ先程から説明を受けるのは、このネオ・東京発電所内の設備ばかりだ。ランドリーに給湯室、着替える為の更衣室などありふれている。
「もっと重要な設備とか、そういう案内はないのかね」
「この先でしょうかね。仕事上には必須になってきますし」
酔っ払いの動向に細心の注意を払いつつ、ユーシアとリヴは会話を交わす。もちろん英語だ。相手が英語を話せないし内容も分からない前提である。
もうすでにこの場所は敵陣のど真ん中だ。下手をすればユーシアとリヴの方が死にかねない状況である。あまり派手に動き回るとまずい。
すると、不意に酔っ払いがユーシアとリヴへ振り返り、
『それって英語かぁ? 英語が喋れるなんて凄えなぁ』
『恐縮です。今の時代、グローバル化が進んでいるので英語は学んでいて損はないかなと』
『俺は日本語以外はからっきしだぁ。今の若えのはいいなぁ、頭がよくて』
んはははははははは、という中年男の笑い声が静かな廊下に落ちる。
英語が分かるのかと警戒したが、どうやら『英語が話せる』という部分を羨ましがっただけの様子である。日本語に堪能なリヴに翻訳してもらって、ユーシアもようやく彼の会話の内容を理解する。
何てことはない会話だが、どこで引き金を引く羽目になるか不明だ。この状況は他人との腹の探り合いである。【OD】だとバレれば終わる。
中年男は『お、あったあった』と弾んだ声で言い、
『ここが喫煙室な。煙草の差し入れは定期的にあるんだよ。こんな場所に詰めてちゃ、娯楽なんて言ったら煙草ぐらいだしな』
中年男がアルコールのせいで震える指先を向けたのは、ガラス戸で仕切られた小部屋である。今は無人の部屋だが、ポツンと部屋の真ん中に置かれた円筒形の灰皿が特徴的だ。
喫煙室があるのは素晴らしいことだ。何せユーシアの【DOF】は煙草の形に整えられている。日本は妙に潔癖なので路上での喫煙が許されておらず、まして室内での喫煙は「臭いがつくので」とリヴに嫌悪されてしまうので喫煙室を利用するしかないのだ。『トーキョー・ステーション』の地下街で吸えばスプリンクラーの餌食になるし。
ユーシアは「いいね」と返し、
「喫煙室があるのは嬉しいね。今や喫煙室なんて少なくなっちゃったし、周りは煙草を吸わない人ばかりだしさぁ」
『こいつ何て言ってるんだ?』
『喫煙室の存在を歓迎していますね。この人、喫煙者なんです』
『えー、本当? そういう奴って大体きっつい煙草吸ってるんだよなぁ。いいなぁ、俺もきっついの好きだから話が合うかもな』
酔っ払った中年男性は、ユーシアが吸っているのは普通の煙草だと思い込んでいるようである。誠に残念ながら、ユーシアの持っている煙草は【DOF】だ。吸えば最後、おとぎ話にちなんだ異能力と引き換えに、二度と手放せない呪いのお薬と化してしまうブツである。
日本語が話せるリヴはユーシアの言葉を翻訳して相手に伝え、さらに適当に笑って誤魔化していた。さすが優秀な元諜報官である。情報の操作や収集などをする影響で演技力も高く、普段の殺意マシマシな真っ黒てるてる坊主が嘘のような猫の被り具合だ。
感心したような視線を相棒に向けるユーシアは、
「猫被り……」
「手が滑りました」
「どぅッ」
ユーシアの口から変な声が漏れた。
この邪悪なてるてる坊主野郎が、ユーシアの鳩尾めがけて肘鉄を叩き込んできたのだ。内臓まで届く鈍い衝撃に、思わず吐き気がせり上がってくる。
先を行く中年男が、驚いたような表情でこちらを振り返ると『大丈夫かぁ?』などと心配する素振りを見せる。素の態度だろうか、演技で他人を心配するような振りが出来るとなったら、いよいよ日本人の演技力の高さを疑いたくなる。
『腹でも痛えか?』
「このッ、邪悪な腹黒野郎が……!!」
『いえご心配なく。ちょっと自分の唾で溺れたぐらいですね。心配はいりません』
爽やかな笑顔で誤魔化すリヴに、ユーシアは彼の後頭部をどさくさに紛れてぶち抜けないかと画策する。そして永遠の眠りに誘ってから海に突き落としてやろうとも考えた。多分、遠くから狙えば確実に彼の眉間か側頭部を射抜けそうだ。
一方のリヴはしれっと明後日の方角を見上げて、視線を逸らしている。この鳩尾の痛みは絶対に忘れてやらない。
中年男は『しっかりしろよ』と言い、
『これから重要な施設に入るんだからな』
『了解しました』
リヴの表情が引き締められたことで、何となくだがこの先に重要な設備があることを察知するユーシア。
中年男が指差した先には、頑丈な作りの扉があった。一目でこのネオ・東京発電所の要となる施設であることが予想される。
扉の脇には電子ロックによる錠前も用意されており、所定の鍵を触れさせることで扉の施錠を解くようだ。頑丈な扉に電子ロックとくれば、この先を言わないでも想像できた。
扉の表面に掲げられた札には『送電室』とある。
『ここがネオ・東京に電力を供給する部屋だぁ』
中年男は軍服の胸ポケットからカードキーを取り出すと、電子ロックの機械に触れさせる。ガチャンという音が聞こえて、扉の施錠が外された。
扉を開けると、ヒヤリとした空気が流れ込んでくる。部屋の中にあるのはスーパーコンピューターを想起させる巨大な鋼鉄製の箱がいくつも立ち並び、さらに箱同士は太いケーブルで接続されている。半透明なチューブを通るケーブルは時折、緑色の光が流星のように流れていく。
そのケーブルが集中している先に、大きなコンソールが設置されている。様々なボタンがずらりと並び、レバーもついているので簡単に触れてはならない雰囲気が漂っていた。どれを押せば解決するのか分からない。
そして、コンソールのさらにその先。向かい合うようにして、大小様々なディスプレイが並んでいる。
「うわ」
「素直に凄いと思いますよ、これは」
思わずリヴも英語に戻ってしまうほど、ユーシアとリヴは目の前のディスプレイに映し出された景色に注目していた。
宝石箱をひっくり返したかのような摩天楼の群れ、煌々と輝くヘッドライトを光らせてどこかに流れていく太い道路。茜色に染まる空から漆黒に変わる頃、煌びやかな街並みがディスプレイ全体に映し出されていた。
あれらがネオ・東京か。監視カメラでも設置しているのか、多種多様な角度から街を観察することが出来る。侵入した時は路地裏を駆け回るだけに留まっていたが、これほど美しい光景はあまりお目にかかれない。
『どうだぁ、ネオ・東京の街並みは。綺麗だろぉ?』
『ええ、綺麗ですね』
自慢げに言う中年男に、リヴは猫を被って応じる。同意されたことで酔っ払いも機嫌がよくなっていた。
周囲を見渡すユーシアは、ふと数多あるディスプレイの中から轟々と燃え盛る炎の光景を映したものを発見する。
どこかの溶鉱炉だろうか。燃え盛る炎は地獄を体現しているかのようだ。見ているだけで熱さを錯覚させる。
ユーシアはリヴの肩を叩き、燃え盛る炎を映したディスプレイを指差す。
「あれのことを聞いて」
「了解です」
リヴは中年男に『すみません』と言い、
『隅のディスプレイはどこを映しているんでしょうか?』
『ああ、あれか』
燃える光景を映したディスプレイを一瞥した男は、何でもないような口調で答えた。
『死刑にした【OD】の死体を焼くボイラーだよ。ネオ・東京の電力は【OD】の死体で賄ってんのさ』




