【第9話】
「階数を移動してるかな」
「隠れる場所が多いので何とも。警戒だけは怠らないようにお願いします」
暗闇の中を、ユーシアとリヴは彷徨う。
お目当ては、あの真っ黒なレインコートの何某である。黒いレインコートを身につけているので暗闇に紛れ込んでしまうと探せないので、懐中電灯で周囲を照らして何とか見つけようと試みる。
化粧品が並ぶ棚は身を隠しやすいが、相手がどんな【OD】の異能力を持っているか分からない以上は下手なことが出来ない。棚を蹴倒して探すことも無理だろう。
念の為に自動拳銃を構えたまま進むユーシアは、
「本当に勘弁してほしいな、何だってこんな暗い場所で」
「それは僕も同感ですよ。とっととこんな場所から出ていきたいところです」
「室内で決着をつけようと思ったのが馬鹿だった」
「おや、今更ご自分のことを馬鹿だと自覚したんですか?」
「腹立つから後頭部狙うね」
そんな軽口の応酬を続けても、暗闇の中で人間が蠢くような気配は一切感じられない。もうすでに階層を移動してしまったのだろうか。
――からから。
静寂の中に、金属製の何かを引き摺るような音が聞こえてくる。
リヴが握る懐中電灯が、音の方へ向けられた。
暗闇の中に並ぶ化粧品の商品棚。その後ろから、真っ黒なレインコートを身につけた何某がヌッと姿を見せる。
その手に握られていたのは、身の丈を超えるティースプーン。
「ッ」
ユーシアは息を呑んだ。
頭の中で、かつての自分が目の当たりにした現場が弾ける。
壁にこびりついた肉片、床いっぱいに広がる血潮。噎せ返るような鉄錆の匂いの中に佇むそれは狂気的に笑っており、血に塗れたティースプーンを担いでいた少女。不思議の国を冒険するかのような軽い足取りで、家族を奪った悍ましい怪物。
不思議の国のアリスが、何故ここに。
「このッ、まだ生きてやがったッ!!」
「シア先輩ッ」
リヴの制止も聞かず、ユーシアは自動拳銃の引き金を引く。
消音器すら取り付けられていない自動拳銃は、引き金を引いた途端に銃声が耳を劈く。夜の静かさを切り裂くような銃声と共に射出された弾丸は、あえなく黒いレインコートの何某が持つ巨大なティースプーンによって弾かれる。
こんな弾丸で殺せるはずがない。じゃあどうすれば殺せる。ひたすらに狙って撃って撃ってウッテうって撃って撃てば確実に殺せるのならば撃つしかない狙えその額を頭を撃ち抜いて殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!
「いい加減にしてください」
「痛ッ!?」
殺意を漲らせるユーシアに、リヴから平手打ちが送られた。しかも手加減すらしてくれなかったようで、頬に鋭い痛みと殴られた強い衝撃が走る。
殴られた頬をさすり、ユーシアは正気を取り戻した。危うく不思議の国のアリスの【OD】から抱く狂気に囚われるところだった。狂気に囚われれば最後、ユーシアはまともな判断力を失う。
リヴはユーシアの脇腹を抓ると、
「ちゃんと【DOF】は吸っといてくださいよ。こんなところで正気を失ったら置いて帰りますからね」
「ごめんごめんってば本当にごめん痛い痛いからお願い止めて」
ギチギチ、ギリギリと脇腹を抓られてユーシアは堪らず悲鳴を上げる。張り手の痛みで目を覚ましたと思えば、今度は容赦のない脇腹への攻撃である。この相棒に慈悲などない。いや、張り手で正気を取り戻させてくれる辺り、まだ慈悲はあるようだ。
真っ黒なレインコートを身につけた何某は、巨大なティースプーンを構えるとユーシアとリヴめがけて突っ込んでくる。化粧品の商品棚をティースプーンで吹き飛ばし、仲良く戯れ合うユーシアとリヴをまとめて薙ぎ払おうとメルヘンチックな凶器を振り上げた。
その瞬間を、ユーシアは見逃さない。自動拳銃で素早く相手の握りしめるティースプーンを狙い、引き金を引く。轟音と一緒に射出された弾丸がティースプーンにぶち当たると、脳天めがけて振り下ろされる寸前だったティースプーンの軌道が逸れる。
ティースプーンの丸っこい先端は、ユーシアとリヴのすぐ真横にあった化粧品の商品棚に叩きつけられた。化粧品の見本やらパンフレット、箱に詰められた商品などが棚が壊されたことで散らばる。
「おっと手が滑りました」
ティースプーンを化粧品の商品棚に叩きつけた際に生じた一瞬の硬直状態を伺い、リヴの足先が黒いレインコートを着た何某の顔面に吸い込まれていく。鼻っ面でも蹴られたのか、相手からかすかな呻き声が漏れた。
「リヴ君、手と足の区別もつかなくなったの? 俺以上の馬鹿じゃん」
「言葉のあやですよ。そうやって他人のミスを突きまくるとあとで痛い目を見ますからね」
「もう見てるよ。散々脇腹を抓ってきてさぁ」
出来れば今日はもう脇腹を抓るような真似は止めてほしいところである。
顔面を蹴飛ばされた黒いレインコート姿の何某は、フードで覆われた頭を振って痛みを飛ばす素振りを見せる。それからティースプーンを構えるものの挙動があまりにも遅い。戦い慣れていない素人のような気がしてならないのだ。
ティースプーンを構えるまでに、リヴが注射器で【DOF】を投与して姿を掻き消す方が早かった。幽霊の如く姿を消したリヴに硬直するレインコート野郎は、次の瞬間、背後に回ったリヴによって取り押さえられていた。
「はい確保。僕の格好をするならもう少し優秀であってほしかったですね」
「どうせなら素顔も暴きなよ。絶望してるかな」
「どうでしょうね。意外と余裕の表情かもしれませんよ」
化粧品の商品棚に押し付けて身体の自由を奪われたレインコートの何某は、素顔を暴かれまいと懸命に頭を振って暴れる。だがリヴの手は抵抗虚しくレインコートのフードを掴み、その素顔が暴かれた。
フードからこぼれ落ちる長い黒髪、黒曜石の双眸が暗闇の中に溶ける。可愛らしい顔立ちは引き攣り、殺害されるかもしれないという恐怖が滲んでいた。どこからどう見ても日本人、そして10代程度の少女である。
ユーシアは「なるほどね」と頷き、
「女の子だったって訳か」
「殺すなら殺せ!!」
少女はユーシアとリヴを睨みつけ、勇ましく叫ぶ。
「私は悪には屈しない。魔都に蔓延る【OD】め!!」
「そういうお前さんだって【OD】じゃない。何でか知らないけど、反応はしてないみたいだね。味方だからかな?」
ユーシアは少女のこめかみに、自動拳銃を突きつける。
「殺せって言ったよね?」
殺せと宣いながら、少女は戸惑っていた。
まさか本当に殺される目に遭うとは思っていなかったのだろう。何を言っているのだろうか、そんな訳がないのに。
この場にいるのは、殺して奪うことをよしとする悪党どもだ。
「じゃあ殺すよ。ばいばい」
そう言って、ユーシアは自動拳銃の引き金を引いた。
轟音と共にゼロ距離で放たれる弾丸。こめかみに突き刺さった弾丸は、しかし少女を傷つけることさえなかった。ユーシアの【OD】としての異能力が発動し、彼女を永遠の眠りの世界に誘う。
膝から崩れ落ちた少女は、安らかに眠っていた。これでユーシアが目覚めのキスを施さない限りは永遠に眠っているだろう。
「どうする、この子」
「魔都で適当に処分します。その方がいいでしょう」
リヴはしゃがみ込み、眠る少女の腕を掴む。
すると、少女の姿が見る間に縮み、親指程度の大きさになってしまう。これなら運搬も楽である。
眠る少女をレインコートの下に収納したリヴは、何事もなかったかのように立ち上がる。少女のことなど知ったことではないとばかりに。
「ネアちゃんへのお土産を持って帰りましょうか。地下フロアは食料品ですし、在庫があるかもしれませんね」
「リヴ君、その女の子って知り合い?」
「さあ? 記憶にないですね。組織で会ったことあるのかさえ覚えてないです」
リヴのあまりにも冷めた回答を「へえー」と適当に相槌を返しつつ、ユーシアは地下の食料品フロアを目指すのだった。




